イタリアまるかじり

料理を通じてイタリア文化探検する。

柴又・帝釈天そして寅さん記念館、矢切の渡し。1月7日(水)

2015-01-07 20:41:59 | その他

1月7日歩天組7名柴又帝釈天に詣でて今年も元気に活躍誓う。今回は柴又に近いところに住んでいるO氏が案内役。

柴又駅前の寅さんの像前。

  

帝釈天

 

250年の歴史を持つ鰻屋(川千家)

 

  

 

寅さん記念館にはそっくりセットが入っている。                                     小生は1980年、ヂュッセルドルフ駐在員時代に日本人クラブ主宰の映画鑑賞で初めて寅さんの映画鑑賞、以後映画、TV等で全作品を見た大ファンです。

 

   

 

 

 

   

 

 

  

   

矢切の渡し、残念ながらこの日渡し船は休み。

 

 

 

 

 

寅さんの実家のモデル

  

  

寅さんこと渥美清は実は俳人で「風天」の俳号をもっています。

 句会に参加してる渥美清さん

風天句の代表作、話題作(ネットから)

それでは、渥美風天はどんな俳句を作っていたかという話に移ります。
以下は話題作と著名な句友たちを中心にそれぞれ選んでもらった代表作です。数字はその句を作ったときの年月と渥美清の年齢。
黒丸ボタン印のお名前はその句の主な推薦者。私の好きな句は「お遍路」の句です。

 
 

   さくら幸せにナッテオクレヨ寅次郎=1973年3月、45歳
   (話の特集句会に初めて参加した日の作。妹さくらが季語でもある)

   コスモスひょろりふたおやもういない =1973年8月、45歳
  黒丸ボタン金子兜太(俳人)、大串章(俳人)=(朝日新聞「朝日俳壇」08年7月21日朝刊)

   好きだから強くぶつけた雪合戦 =1973年11月、45歳
  黒丸ボタン矢崎泰久(話の特集編集長)、小澤昭一(俳優)

   ゆうべの台風どこに居たちょうちょ =1974年8月、46歳
  黒丸ボタン小澤昭一(俳優)、村上護(作家)=08年9月4日愛媛新聞他

   蓋あけたような天で九月かな =1975年9月、47歳
  黒丸ボタン和田誠(イラストレーター)

   朝寝して寝返り打てば昼寝かな =1975年ごろ、47歳
  黒丸ボタン中村裕(俳人)(文春新書『俳句鑑賞450番勝負』)

   村の子がくれた林檎ひとつ旅いそぐ =1991年10月、63歳
  黒丸ボタン山田洋次(映画監督)

   赤とんぼじっとしたま明日どうする =1991年10月、63歳
  黒丸ボタン清水哲男(詩人)(インターネット「増殖する俳句歳時記」)

   やわらかく浴衣着る女のび熱かな =1992年6月、64歳
  黒丸ボタン早坂暁(シナリオライター)

   お遍路が一列に行く虹の中 =1994年6月、66歳
   (講談社『カラー版新日本大歳時記』掲載句)
  黒丸ボタン村上護(作家)、黒柳徹子(女優)(毎日新聞08年7月24日夕刊)

   花道に降る春雨や音もなく  =1995年1月、67歳
   (亡くなる1年前の作。付き人にがんを打ち明けた時期と重なる)