3月4日付の南紀州新聞の≪串本・古座川版≫(新しくそういうふうに仕分けられてしまっ
たようだ)に、写真のような記事が掲載されました。撮影現場がどこなのかはわからないの
ですが。内容は、串本町が朝日新聞が会員アンケートでおこなった司馬遼太郎の「街道をゆ
く」シリーズに登場する街道のうち、「行ってみたい街道」日本一に選ばれた古座街道の起
点を示す道路元標を古座の古座街道と大辺路街道が交わる札の辻に設置した・・・。という
ことだ。札の辻という場所が撮影現場なんでしょうが私は古座がわからないので。
もともとは、元役場があったその場所に旧道路法で各市町村に1個ずつ設置した道路元標の
石柱が建てられていたようですが、工事を繰り返すうちにいつの間にかなくなった・・。
まったく道路工事、河川工事、忘れ物が多いのか近くの川の護岸工事で使った脚立がずっと
置きっぱなし、物を大事に扱う気はないのか?
古座街道・・・1887(明治20)年、熊野街道本線として熊野中道(古座街道)の整備
が県で決まったが、翌々年の水害で河川改修が優先され、ようやく1902(明治35)年
古座からすさみ町佐本を経由して上富田町朝来へ至る県道として指定を受けた。05(明治
38)年に佐本~朝来間を廃止、佐本~周参見間に路線変更されている。・・・
司馬遼太郎は「街道をゆく」で周参見から古座街道を歩いて古座へ、街道に残る「若衆
組」制度に興味をもち、古代文化の源流を南方に見た・・・南紀州新聞記事
と、こういうふうに起点に元標が埋め込まれているそうだ。古座川町鶴川に司馬遼太郎の
別荘があったけど、この間その前の休耕田に菜の花の種をまいてそれが満開になっていると
いうニュースを見た。撮影に行こうと思いながら雨やらなんやらで機会を逃してしまった。
時折亡き姉の墓参りで鶴川あたりを通るけどあの別荘は いまはどうなのか気にはなるけど
人にきくほどでもないかなぁ・・と思うのであります。菜の花のバックにそっと建っている
様子は雰囲気のある建物なのだ。菜の花側から撮影した状態だけどね・・・
そのまま真っ直ぐ北に向かって歩けば、再び川沿いの道と合流しますので、そちらで引き返してくれば古座川河口の雰囲気も楽しめます。
古城山のことを綴ったものが、私のBlogにもありました。名前をクリックすると出てきます。ちのとさんからもコメントをいただいています。
相変わらずというか・・・誤変換が1ヶ所、勘違いが2ヶ所ありませんか?