昨日は久々の雨が降りました。一週間ほど前にも 天気予報が外れて雨が降ったのですが それ以後降らず空気の乾燥となにか浮遊しているのか 喉に違和感を覚えたのは
私だけではなく おばあちゃんも「なにか飛んできている」と言っていました。雨が降らないと 駐車場の花期の過ぎたコスモスを片付けるのも楽で私は毎日のように
時間があれば花が散ったコスモスを引いて ドラム缶で焼却していましたが、母屋の庭木の剪定に来た植木屋さんが持って行ってくれるというので残りは運んでいってもらい
あとはまだ花が咲いていたので 咲き終わりを待ってまた焼却することにしました。今年はいつもより コスモスを早めに処分したので見苦しくなった茶色の茎を見ることも
なくてよかったけど、こげはどうも不満のようで・・・。あいつは 自分でコスモスの茎を体でへし折っては ゴロゴロと押し倒すのを楽しみにしているのです。
変な癖を持った犬なのだと思うのですが、それはそれで楽しみなんです。
夏を過ぎるころから おばあちゃんの手芸、毛糸の編み物ですが勢いづいてきます。梅雨の時期にも 暇をみつけては編んでいましたが 今年は小さいモチーフを
編んで、それをつなぎ合わせてひざ掛けのような、ごろ寝の掛け布団に使ったり 電気椅子に座った時のひざ掛けに使うようです。使う毛糸は昔私たちに編んだ毛糸を
ほどいて、洗って、湯気に当てて伸ばしたものを使うので 見ていると「あ、この毛糸覚えている。カーディガンだったやつや」と口に出てくるものや 残り毛糸の玉を
どこかで見たことのある物だったり、懐かしい感慨に浸ることもあります。私は 若いころ、編んだことはあるけど、今はもう編み針を持つのも目が、ダメですね。
学生時代の、あの健気に編み続けた、試験であろうが、ひとたび編み針を持ってしまうと もうそっちの徹夜はできるのに ペンを持って勉強となると 「だぁ~」と
なったことを思い出しては、赤面します。そんなン十年前の作品は 二枚しか残っておらず 昨年から今年の冬に ン十年ぶりに着てみたら そう時代遅れでもないか、
いや 無事に着ること(体型)ができたことに感動したのです。
おばあちゃんはこんなものを編み、こうゆうふうなひざ掛けにするつもり・・でした。先月10月はね。
この時はまだ モチーフを数十枚作って 編み物の師匠である おばあちゃんの妹にどう組み合わせるのか教えを請いに三尾川まで行った時で
写真奥に座っているのが 師匠。おばあちゃんは 私に色彩よく並べてと相談するけど、私はそんなことがすごく苦手で、そういうことは
亡くなった次姉が美的センスがあったので 相談されても困るわけで 時間の都合ができたときに三尾川に習いに行くのです。
この日は出来上がりの形も決めたのです。
このように並べて 形としては両端が直線ではないのが 斬新と言うか いびつなように見えたのですが 師匠が一言
「気に入らなければ私が買うよ」と言ったので「おぉ!太っ腹!」と私が大笑いすると
「師匠は最後まで弟子の面倒はみないとね」と愛くるしく笑うので 三人で大笑い。おばあちゃんの妹・弟はユーモアがあって
それは父親譲り(私からすればおじいちゃん)なのかもしれません。モチーフの数が足らないので 頑張って残りを編むように言われて一ヶ月、
3日に師匠が娘とともにやってきました。娘は 従姉妹会の会長でもあり 師匠同様 編み物に長けており 私からすれば気の遠くなるような
トルコ編み物を習得中で 立派な作品を見せてもらい 彼女の目と肩こりを心配したのでした。私には とてもできないような作品で、写真に撮らせて
もらいたかったわ~。私が、こげの散歩に行っている間にこのひざ掛けが どのようにつなぎ合わせて出来上がるのか相談したようです。
むむ、先月とは形が違っている!両端のでこぼこを改めて 直線にするようです。私は並び方を写真で残しておばあちゃんに渡すのですが
モチーフの段階から左から五番目の 抹茶のロールケーキみたいなモチーフが好きなんですが、従姉妹会の会長もさんも偶然にもそれが好きだと
言っていました。美的感覚が 従妹同士で同じなのか?と思ったけど 実際は 二人とも 単にそれがケーキに見えているからかもしれません。
かくして女4人の しゃべりは夕方まで続き少し師匠さんたちの帰宅が遅くなったのでした。編み物ができたら 老後も楽しかろうと思う私に
おばさんは「編み物はしない、パズルを解くのが頭によろしいから。ナンプレは難しいから ロジックをね(するの)」と言います。
なんだ、それなら私と一緒だわ。おばさんもおばあちゃんも 夜は長いのでしょう。肩こりをしないよう ほどほどにね。
私だけではなく おばあちゃんも「なにか飛んできている」と言っていました。雨が降らないと 駐車場の花期の過ぎたコスモスを片付けるのも楽で私は毎日のように
時間があれば花が散ったコスモスを引いて ドラム缶で焼却していましたが、母屋の庭木の剪定に来た植木屋さんが持って行ってくれるというので残りは運んでいってもらい
あとはまだ花が咲いていたので 咲き終わりを待ってまた焼却することにしました。今年はいつもより コスモスを早めに処分したので見苦しくなった茶色の茎を見ることも
なくてよかったけど、こげはどうも不満のようで・・・。あいつは 自分でコスモスの茎を体でへし折っては ゴロゴロと押し倒すのを楽しみにしているのです。
変な癖を持った犬なのだと思うのですが、それはそれで楽しみなんです。
夏を過ぎるころから おばあちゃんの手芸、毛糸の編み物ですが勢いづいてきます。梅雨の時期にも 暇をみつけては編んでいましたが 今年は小さいモチーフを
編んで、それをつなぎ合わせてひざ掛けのような、ごろ寝の掛け布団に使ったり 電気椅子に座った時のひざ掛けに使うようです。使う毛糸は昔私たちに編んだ毛糸を
ほどいて、洗って、湯気に当てて伸ばしたものを使うので 見ていると「あ、この毛糸覚えている。カーディガンだったやつや」と口に出てくるものや 残り毛糸の玉を
どこかで見たことのある物だったり、懐かしい感慨に浸ることもあります。私は 若いころ、編んだことはあるけど、今はもう編み針を持つのも目が、ダメですね。
学生時代の、あの健気に編み続けた、試験であろうが、ひとたび編み針を持ってしまうと もうそっちの徹夜はできるのに ペンを持って勉強となると 「だぁ~」と
なったことを思い出しては、赤面します。そんなン十年前の作品は 二枚しか残っておらず 昨年から今年の冬に ン十年ぶりに着てみたら そう時代遅れでもないか、
いや 無事に着ること(体型)ができたことに感動したのです。
おばあちゃんはこんなものを編み、こうゆうふうなひざ掛けにするつもり・・でした。先月10月はね。
この時はまだ モチーフを数十枚作って 編み物の師匠である おばあちゃんの妹にどう組み合わせるのか教えを請いに三尾川まで行った時で
写真奥に座っているのが 師匠。おばあちゃんは 私に色彩よく並べてと相談するけど、私はそんなことがすごく苦手で、そういうことは
亡くなった次姉が美的センスがあったので 相談されても困るわけで 時間の都合ができたときに三尾川に習いに行くのです。
この日は出来上がりの形も決めたのです。
このように並べて 形としては両端が直線ではないのが 斬新と言うか いびつなように見えたのですが 師匠が一言
「気に入らなければ私が買うよ」と言ったので「おぉ!太っ腹!」と私が大笑いすると
「師匠は最後まで弟子の面倒はみないとね」と愛くるしく笑うので 三人で大笑い。おばあちゃんの妹・弟はユーモアがあって
それは父親譲り(私からすればおじいちゃん)なのかもしれません。モチーフの数が足らないので 頑張って残りを編むように言われて一ヶ月、
3日に師匠が娘とともにやってきました。娘は 従姉妹会の会長でもあり 師匠同様 編み物に長けており 私からすれば気の遠くなるような
トルコ編み物を習得中で 立派な作品を見せてもらい 彼女の目と肩こりを心配したのでした。私には とてもできないような作品で、写真に撮らせて
もらいたかったわ~。私が、こげの散歩に行っている間にこのひざ掛けが どのようにつなぎ合わせて出来上がるのか相談したようです。
むむ、先月とは形が違っている!両端のでこぼこを改めて 直線にするようです。私は並び方を写真で残しておばあちゃんに渡すのですが
モチーフの段階から左から五番目の 抹茶のロールケーキみたいなモチーフが好きなんですが、従姉妹会の会長もさんも偶然にもそれが好きだと
言っていました。美的感覚が 従妹同士で同じなのか?と思ったけど 実際は 二人とも 単にそれがケーキに見えているからかもしれません。
かくして女4人の しゃべりは夕方まで続き少し師匠さんたちの帰宅が遅くなったのでした。編み物ができたら 老後も楽しかろうと思う私に
おばさんは「編み物はしない、パズルを解くのが頭によろしいから。ナンプレは難しいから ロジックをね(するの)」と言います。
なんだ、それなら私と一緒だわ。おばさんもおばあちゃんも 夜は長いのでしょう。肩こりをしないよう ほどほどにね。