まくとぅーぷ

作ったお菓子のこと、読んだ本のこと、寄り道したカフェのこと。

おんがくの話。

2015-08-19 22:13:28 | 日記
けやきホールに入った途端
懐かしい匂いがした。
一番後ろの支柱、カーブした木の形を
覚えていたことに驚く。
小学生だった私。暑い夏のゲネプロ。

コンサートに誘ってくれた
ユリさんは児童合唱団時代の先輩。
お会いするのは3年振り。
毎年夏になると、合唱団の定期演奏会絡みで
2、3回はお会いするのだが
昨年、一昨年ともユリさんはいらっしゃらず。
その理由を昨夜、初めて知った。
ユリさんは大変な病気と闘っていたのだった。

自他共に認める頑張り屋の彼女が
辛い治療に心折れそうになったとき
出会ったのが高本一郎さんのリュートと
弥勒忠史さんの歌だった。
「世界がモノクロにしか見えてなかったことに
はじめて気がついた」のだそう。
久しぶりに触れる音楽は
彼女の心を開き、溢れんばかりに流れ込み
気づいたら号泣していたそうだ。

高本さんのアレンジするダウランドの音楽。
ダウランドは、シェイクスピアと同じ時代を生きた
イギリスのリュート奏者である。

彼が20代の頃、現職の宮廷音楽家が引退し
本人も、まわりの誰も、次は彼が就くと思っていたのに
王家は他の音楽家を選んだ。
その理由は宗教のせいだったのだが
その事を当時の彼は知らされず
失意のうちに彼はロンドンを離れる。
ヨーロッパを回る旅のはじまり。
結果、彼はイギリスのみならず
ヨーロッパ中で人気を博すこととなる。

その音楽は後世たくさんの音楽家に敬愛され
アレンジされてきた。
70年代、オランダのプログレのギタリストが
アルバムでダウランドの曲を採用した際は
当時のLP解説をバロックの研究家の皆川達夫が執筆し
功績を讃えたそうだ。

皆川先生といえば大学時代に彼の音楽史の講義をとっていた。
私の恩師が小さい頃、皆川先生の奥様が主宰する
児童合唱団でソロをやってたと知ったのがきっかけだった。
ついでに言うと、彼らの甥も同じくその合唱団に在籍していて
「黒猫のタンゴ」を録音している。

講義で毎回飛び出す興味深い逸話がとても楽しみだった。
印象に残っているのはオノヨーコの話。
まだジョンレノンの影もなかった頃の彼女と
「大変親しくしていた」皆川先生が
真夜中電話で「タツオ、大変なのすぐ来て!!」と言われ
事件か事故かと飛び出して行ったら
部屋の窓際でぼおっと座ってる彼女が
「ほら。」と指す空の月。
「ね。きれいでしょ。一緒に見ようとおもって。」
・・・バロックではないな。


高本さんは共演に4人のサックス奏者をともなっており
それぞれが3本ずつの菅をかわるがわる吹いていた。
馴染みあるポリフォニー調、かとおもえばジャズっぽかったり
アイルランド民謡の風味だったりでとても楽しかった。
サックス担当のなかに一人、とても美しい女性がいて
彼女の繰り出す音色に心底驚いた。
菅なのに風の音が一ミリもしない!
100パーセント純粋な響き。
サックスがまばゆい金色な理由が初めて解った。

弥勒さんはカウンターテナー。
以前、ソプラニスタの生歌を聴いたことがあるが
目の前に見えている景色と、耳から入ってくる音が
脳内でクラッシュしていた。
弥勒さんはシュッと背の高い端正なお顔で
高音は柔らかくしっとり、ひたひたと響きが渡る。
そしてなぜか歌うとき身体から首、頭にかけて
直線が引かれていない。くねっゆるっとした感じ。
不思議すぎる絵だった。

そしてなにしろ、リュート。
弦が12本もあるしろもの。
高本さんが変なタイミングで演奏をやめて
MCしたりすると、拗ねて音程をふらつかせたりするやつ。
生き物だった。生きて呼吸し、歌い、感情をあらわにする。
菅4本を自在に操り、目立つわけではないがきちんと主張。
ぞくりとした。

コンサートが終わり、出待ちするユリさん。
生還のお礼を直接言えてとても嬉しそうだった。
興奮冷めやらず、駅近くのパスタ屋でお喋り。
帰宅が日付またぐのなんか久しぶり。

音大でバッハを研究し、ピアニストとして活躍する
ユリさんのあしもとにも及ばない私が
こんなふうにコンサートを楽しめたり
共感しあったりできるのは
ひとえに恩師のくれた音楽のおかげである。
ユリさんも私も、他の先輩方も、後輩ちゃんも
恩師が亡くなったあとに合唱団に入ったこどもらも
みんなおんなじ色の音を心に持っている。
それは辿っていけば皆川先生や
高本さんや、遠くはるか昔の異国の
失意の音楽家にも繋がるんだろう。

ダウランドはその後ロンドンへ戻り
念願の王家付きリュート奏者となる。
50歳になっていた。
その時の彼の気持ちはどんなだろうか。

イギリス人にとって偉大な音楽家といえば
ダウランド、パーセル、
そのあとはビートルズなんだとか。
高本さんがニコニコ話していた。
「ま、それがどーしたってことですが。」

自分の死後450年も経って
極東アジアの陽気なおじさんが
自分の曲を好き放題にして演奏し
聴く人に感動を与えてると知ったら
ダウランドはなんていうだろうか。

高本さんはその折には
「まあまあいっぱいやろうや」
って言われたいのだそうだ。