まくとぅーぷ

作ったお菓子のこと、読んだ本のこと、寄り道したカフェのこと。

丸沼高原オートキャンプ2022夏

2022-08-14 15:13:05 | 焚き火

まだやったことがないことをやる。

最初は不安、それからあらゆる方法で情報集め、先輩に教わって、実践。興奮。達成感。

55年も生きてるとだんだんそういうの減っていくから、むしろこっちから獲るに行く勢いで。

というわけで今回の初物はこちら。

・オートキャンプ

・サバサンド

・テント泊

さてここからは単なるメモになると思われます。



・オートキャンプ

夫が5月の抽選日に鬼の形相で電話かけ、無事に8/11-13の山の日・普通の金曜日・土曜日の2泊3日

丸沼高原オートキャンプ場の3サイトを予約することに成功した。1サイト5500円、他に人数分の入場料1100円。

冬のスキーがメインの施設、夏の間は広大なゲレンデと林の一部にフリーサイトが設置される。

色々な方のブログや動画を拝見して、どうやら林間サイトが良さそうだと見当をつけて

場所取りに有利なように、アーリーチェックインを選択(プラス2000円)。

10時受付のために9時くらいから並ぶらしいので、現地のシャレー丸沼にて9時集合をかけた。

K氏もM氏もめっちゃ早くから出発し、悠々間に合っていたが

我が家は前泊させた娘たちと一緒に5時ちょっと過ぎに自宅を出発、

港北インターから第三京浜、環八を谷原まで行って練馬インターから関越へ、沼田降りたのが9時過ぎだった。

環八抜けるのに40分かかったし、関越の高坂SAまでが激混みだった。

後でK氏に聞いたら、圏央道使う方が距離は長くなるけど時短になるそうだ。

受付で車のミラーにかける番号札をもらう。チェックアウトは12時ですよと言われ、

レイトを予約してる(プラス2000円)はずですがというと、レイトチェックアウトの札を追加でもらう。

よかったらきゅうりどうぞ、と段ボールを示される。K氏M氏のぶん2本だけいただいた。

そこから一目散に林間サイトを目指す。すでに6組満杯だったが、K氏のチャーミングなスマイルで

「あ、ここもうすぐ空きますからどうぞ。」と言ってもらえ、とりあえず近くのスペースにみんなで座って

K氏奥様の手作りチェリーパイで休憩。木立が静かに美しく並んでいて、もうそれだけで胸いっぱい。

先住民の皆さんが帰られた後、早速テント設営。夫のご自慢のゼインアーツのでっかいやつ。

まずは長方形の角を決め、ポール2本立ててからそれぞれペグダウン。Yちゃん手慣れてる。

K氏の寝床はフライングテントというハンモック。木々の間にあっという間にぶら下がる。

娘たちが二人で中に入っても平気なやつ。ハンモックちょっと羨ましいな。(次の目標)

M氏は初日は車中泊、2日目は先日某所で購入した2人用テントを設営。形が素敵。



・サバサンド

初日ブランチはK氏がサバサンドを作ってくれる。

夫が焚火台を組み立てようとしたら、ワイヤが劣化してて切れてしまった。

M氏のIRORIで熾を作って、酒とカレー粉で下味をつけたサバを焼く。もう絶対美味しいじゃん。

バゲッドに切れ込みを入れ、バターをたっぷり塗って、私のB5ウィングであぶる。バターが滴るけどいいのかな。

辛子マヨネーズを塗り、サバを置いて、玉ねぎの薄切りとトマト、コブサラダドレッシングをかけて完成。

分厚いサバの旨味が香ばしいバゲットにとても良く合う。トマトもコブもいい感じ。トルコの料理なのだそう。

K氏はノンアルビールも作ってきてくれた。ソーダを圧力で飲み物に注入するマシンが登場。す、すげい。

麦芽、ホップ、ピール、スパイスで作ったんだって。天才か。

夫が美味しいコーヒーもいれてくれ、しょっぱなからトップギアだなと思ってたら

さらにK氏が何やらでっかい箱を2つ持ってきた。流しそうめんマシーンだと。

本当は今日K氏は親戚の男の子を伴うはずだったが、中学生にもなると彼は彼で忙しいらしく欠席。

流しそうめんマシーンも彼が小さかった頃に喜ばせたくて買ったんだって。

子供の成長は楽しいけど寂しい。そして流しそうめんマシーンはど派手すぎる。

K氏は「インフィニティザブーン」だよと言ってたけど、ネーミングはちょっと違ってた。

K氏、娘Y,娘Kの3人がかりであーでもこーでも組み立て。水を大量に注ぎスイッチ入れると

ブォーンと流れ始めた。流水麺をちょっとずつ垂らす。結構な勢いで流れていくぞ。

みんなで大笑いしながら8食分完食。なお、使い終わったマシーンは綺麗に洗ってM氏に譲渡。

夜はM氏がでっかいTボーンステーキを5枚も焼いてくれた。コストコで買い貯めてくれたらしい。

ステーキは火の通しかたが難しいと思うんだけど、M氏は手慣れた様子で焼きを入れて

アルミで保温して寝かし、カットしてレモンと一緒に振る舞ってくれた。そりゃもう美味しいよ。

ベイクドポテトは娘Yが鉄板とアルミで蒸し焼きにしてくれた。

K氏は来る途中買ってきたとうもろこしを皮ごと熾にくべている。このキャンプ場に来るまでの道は

「とうもろこし街道」って呼ばれてて、朝どれのとうもろこしは最高にうまいらしい。

焼けたやつを輪切りにしてくれたので、マシュマロ串で刺して醤油かけて炙る。言葉がない・・

お風呂は交代で。いちいちテントに物しまうの面倒だもんね。

温泉は想像してた通り混雑してたが、赤錆みたいな色の座禅温泉、気持ちよかった。

湧き水をタンクにたっぷり組んで戻る。売店も風呂も移動は車だ。歩いてたら大変だよ。

・テント泊

車中で寝る娘らのツインエアマットを膨らませる。外袋がエアポンプになってて便利。

同じメーカーなので私のシングルの方にも使えるかと思ったら、合わなかった。(なんで試してこないのだ)

DODコットはコスパすごく良いと思う。エアマット敷いてタオルケットをかけて寝ようとしたら寒かったので

防水パンツとライトダウンを着て就寝。夜は涼しいよ、と聞いてたのにちょっと舐めたな。

そして2日目夜はタオルケットが湿気を吸い込んでダメダメだった。

湿気といえば2日目以降は松ぼっくりも麻紐も森林香も何もかもしけって火をつけるの大変だった。

高原の気候をわかってなかったな。

ネットの天気予報もあんまりあてにならなくて、K氏が「冷たい風が吹いてきたから雨が来るよ」っていう方が確実で

野生の感覚じゃないけど、自然を見ることの訓練が足りないなとつくづく思った。



家族連れの周りのテントが次々に灯りを消していく中、深夜まで焚き火した。

もしかしたら迷惑かけてたかもしれないな。向かいのテントの中でイビキかいてるのがよく聞こえたし。

薪はネットで広葉樹を20キロと、コーナンで5キロ入りの袋を3つ。3日間でちょうど燃やし切れた感じ。

とにかく荷物が多くて、薪をどうやって運ぶかが問題だった。とりあえず広葉樹は3、4本ずつを新聞などに巻いて

麻紐で結んでルーフの隙間に埋めた。現地でも売ってるけど必ずあるとも限らないし(ただ、やっぱりそれなりにたくさん用意してたよ)。

調理と湯沸かしは主にシングルバーナー使用、ボンベは2、3本使ったかな。

オイルランタンのオイルが運搬途中に漏れてた。次回は空で持っていって現地で給油だね。

二日目朝は娘らのクリームプリンパンとズッキーニ・トマトのオムレツ。

さすが20代女子のメニューって感じ。パンはパンという名前だけど限りなくパンケーキに近く

焼きプリンを包んで焼くというとても面白い作り方だった。

ズッキーニとトマトは鉄板で焼きを入れてから鍋に投入、そこに溶いた卵とチーズ。

荷物をなんとなくテントの中にしまって、ロープウェイ(1000円)で標高2000メートルまで。

人によっては酔い止めが必要というので持ってきたけど、そんなに辛くはなかった。

それよりも道中がもう、長いわ高いわで怖かった・・・



頂上にはレストランとカフェと足湯があり、白根山登山ルートの入り口があった。

まずはレストランで各自食べたいものを。売り切れのものも多かったな。

けんちんそば、大根がくたくたで美味しかった。

娘Kの食べた冷やし坦々はちゃんと花山椒が入ってて美味しかったらしい。

小一時間の散策ルートを回る。色とりどりのキノコが可愛らしい。

イヌカヤの葉は柑橘のような良い香り。落ちてた木の皮を火口に拾って帰る。

下まで戻って、娘YとK氏はサマーリュージュに。楽しかったらしい。

私はトップスピード時速40キロと聞いて怖気付いた。

「前のお姉さん回数券持ってた」と笑うYちゃんでした。

戻ってお風呂に入り、さて今晩は私が担当。スペアリブは仕込んできてるので焼くだけ。

とにかく食べ物が傷むのが怖かったので、ガッツリ味付けして4日間冷凍した。

二日目の夜はギリ凍ってはいないがとても冷たい状態。焼く前に少し常温に置いておく。

あとは追加のスパイスカレー。オイルでカルダモンとクローブを温めて、刻んだ玉ねぎをゆっくり炒め

トマト缶とチキンを入れ、カレー粉を適当に(多分大さじ3位)。煮込む。あとは塩など調整。

K氏がバスマティライスを茹でてくれた。

他にもM氏が美味しいソーセージと石窯ブールを出してくれた。ソーセージはめいめいが串で焼いて、

パンは鉄板であっためてくれたやつにバターとあんずジャムをつけた。

明らかに食べ過ぎだけど美味しいからしょうがない。娘Yはこの日のために調整してきたらしい。

夫のコーヒーも相変わらず旨い。

K氏が晩酌の定番のちくきゅうとちくおく(ちくわにおくらを詰めたやつ)を作ってくれた。

この日も深夜まで焚き火。M氏がフランクシナトラを小さくかける。解けるわ。

たくさん熾ができたのでこれはもう芋を焼くしかないよね、と。明日食べます。

夜、テントに入って横たわると、どこかでテントのジッパーを開け閉めする音が聞こえて

大丈夫かな、と思ったけど次の瞬間寝落ちた。

台風8号が関東に凄まじい雨をもたらしており、娘の旦那ちゃんから「そっちは大丈夫?」と電話があったそうだが

2日目まで傘の出番はなかった。雲が多めではあったけど大きくて眩しい月が見えた。

林間サイトから炊事場、トイレまで100メートル位歩くんだけど、月明かりで足元はほぼ不安なし。

3日目はいつ降られてもいいように、焚火台を近くに寄せて、調理は主にテント内で作業した。

夫の渾身の冷やし中華。こちらも傷まないようにサラダチキンとハムを冷凍で持参。前の日に売店で氷を買う(500円)。

鍋二つで3人分ずつ茹でたマルタイラーメンを水で洗い氷でしめて、皿に載せる。

柚果汁と練りごま入りのタレをたっぷり用意。道の駅で買ったトマトがすっごく美味しかった。

今回、調理にはK氏の高さのあるスチールテーブルとちゃんとした木のまな板、それに洗いかごに大変お世話になった。

ファミリーキャンプ時代に使っていたんだって。

撤収が気になって、余裕がなかったのも残念。

目の前のキャンパーさんはテキパキと片付け、気持ち良いくらいに隙間なく美しく車に積み込んでた。いつかああなるかな。

雨に少し降られて、あがったタイミングで水を払いながらたたむ。帰ったら干さないとね。

道の駅で買い物してソフトクリーム食べて、沼田インターに向かう間にどこかでなんか食べようと

インター近くのとんかつ屋で定食を頼んだ。ここで今回のグルキャンは終了ね。

それぞれ仮眠とったりしながら各自のペースで帰宅。大きな怪我や病気もなくて良かった。あんなに心配してた虫被害、私も夫も娘たちも遭わず。

夫は娘たちを東京に送り届けるべく、関越から外環を通って首都高へ。娘宅まで2時間弱だった。

途中、天候不良のための速度制限があったんだけど高坂SAあたりの水たまりは酷くて、隣のトラックが跳ね上げた水がフロントに滝のように当たった。

娘らを下ろしてさらに1時間弱で帰宅。荷物を下ろして食器類と衣類を洗う。日付変わった頃にベッドに入り、目が覚めたら午前がほぼ終わってた。

友達と集まってなんかすることがまるで罪悪みたいに言われる昨今の状況だけど、人間は感染症にかからない広げないを第一優先または唯一の命題として生きてるわけじゃない。

お互いのモラルに信頼が置けること、最大限の注意を払うことなど条件はあるけど、集まって協力して一緒に楽しむ事は私にとっては大事だと改めて思った。

次は湖畔か、渓流か。それまでまた頑張って働く。

反省

・キャンプ飯に気を取られ、それ以外の食事がノープランで、娘らが腹ペコでピーピー泣いてた。営業時間なども注意。

・売店を都会のコンビニくらいの規模で考えてしまっていた。あと、24時間営業でもなく。山の上舐めるな。

・高原の湿気がこんなに手強いと思わなかった。森林香、火口の保管を再考。

・寝具は大事。アウターも大事。

・使わないと思うけど一応持っていった鍋たちをやっぱり使わなかった。

・積み込みの技術をブラッシュアップせねば。

・まな板、テーブル、洗いかごは必要。

・渋滞情報は大事。

・テントの水切りにスイーパーがあるといい。


花嫁はジャイアン

2022-04-18 07:41:17 | 日記

偶然朝ドラの「芋たこなんきん」を再放送していて、藤山直美のウエディングドレスに母親が「綺麗や・・・」って涙をこぼすシーンがあり

あー、わたしもこれやるのかな、泣いちゃうかなあ、なんて淡い期待をしてたんだけど

会場早めに入ったらスタッフミーティングしていて、「えーと第一部の流れはこのようになりますが質問はありますか」って仕切ってんのが

純白のドレスに花飾りのムスメだったので思わず吹いたわ。

ムスメの旦那ちゃんがオーナーのボードゲームカフェが会場、一回に25人がマックスなのだが呼びたい方は倍量いるので

「2回に分けたら?って提案したの私です」ってルネが。ムスメを中学時代からずっと支えてくれてる友達ね。

今回は前泊して朝メイクをしてくれて(ゴリゴリのコスプレイヤーなのだ)、当日はずっと介添え(結婚式場のバイトが長かった)。

司会進行をしてくれるのは大学時代からお世話になりまくってるユイ。普段着でもチャーミングだけどドレスアップしたら凄みある美しさ。

旦那ちゃんと共同経営してるカフェの店長さんもいつもの笑顔を若干引きつらせながらフル稼働で働いていて、

その奥様や他のバイトちゃん数名も大忙し。

そしてわたしは花嫁の母という職権を濫用して、持てるご縁をフルに使って投入した。

カメラマンのマッキーと、奥様のねぃさん。花嫁花婿のツーショットと、家族集合写真をお願いした。

我が家にはマッキーに撮ってもらった夫とムスメと私の大きなパネル写真が飾ってある。

撮ってもらったのは12年前、お菓子教室のイベントだった。当時のムスメは写真撮られるのが嫌いだったのだけど

この写真では爆笑してるのがレアなんだよね。その後、ムスメの成人式の時も撮影をお願いした。

夫婦の写真も撮ってもらった。マッキーに撮ってもらうとなんだか謎の自信が漲ってくるんだよね。

だからムスメの結婚が決まった時、絶対マッキーに撮ってもらおうと決めてた。

入籍して一緒に暮らし始め、お披露目するにもコロナがねえ、って言ってる間に

マッキーは大きなアクシデントに見舞われてしまった。

知ってた?カメラってさ、右手でシャッター押す仕様なの。どれもこれもだよ。

で、右手が動かしにくくなったマッキーはどうしたかというと、左手で押す技を編み出した。

書くと簡単だけど、実際やるのは大変。重量はあるし、どうかするとブレるし。

でも復活の写真展に行った時につくづく思ったのは、写真って手とか指とかで撮るんじゃないのね。

その時にムスメの結婚パーティの写真をお願いしたいって言った時は確か、明快な返事をもらえなかった気がする。

だから色々あって延期が続いたパーティだけど、このタイミングになったから、マッキーに来てもらえたのは

私たちにとってものすごく幸運なことだったよ。

そして、atelier結心のゆっこちゃん。30センチ四方のウェディングケーキをふたつと、お客様へのお土産プチギフトをオーダー。前々から、繁忙期は冷蔵庫使えないから引き受けられませんって言われていたんだけど、見事に時期ずれてたよ。さらに、店長がいちご食べられないとかでオレンジショート希望。ゆっこちゃんはオレンジを40個カットしなきゃならず、それだけで二時間半かかったって。出来上がったケーキはエディブルフラワーの濃い青とオレンジの綺麗な色が調和して、とてもすばらしかった。カットする係を拝命してたんだけど、横から現役パティシエールのまゆちゃんが、やりましょうか?っていってくれてラッキー。ナイフをお湯であっためるなどのサポートをしたよ。ふたりでわーきゃーいいながら36カットにしたの、楽しかったなぁ。


プチギフトのほうは、テッパンのまどれーぬ、黒糖くるみフィナンシェ、なつかしパウンド、それにゆっこちゃんが特別にほろほろをつけてくれた。こちらはムスメとわたし、それにatelier結心のクリスマススタッフがフル参加で賑やかにラッピングした。ゆっこちゃんの仕事場なのに、オフ会みたいな騒ぎ。


当日の運搬はゆっこちゃんが旦那様とふたり、車を飛ばして来てくれた。貴重なお休みをあててくれたご主人にも感謝。


ウェルカムボードはacorneのあこちゃんにオーダー。B5サイズのちいさな額のなかにある花嫁と花婿のモチーフ、ドレスの柄がその日着てるものとそっくり。花婿の友達男子が、「なんかすごい綺麗、なにでできてるかわかんないけど」って話してたので、これはクッキーとお砂糖のアイシングで出来てるんですよー、と説明したら、驚いてたよ。

あこちゃんの世界観が小さな枠をとびこえてキラキラハッピーなオーラをまきちらしていたのがすごかった。


ブーケとヘッドドレスは包kurumiの五十嵐さんにお願いした。イメージや色は本人とやりとりしてもらい、前夜できたものをわざわざ自ら都内まで運んでくれた。クラシカルなどレスに合う、レトロなスモーキーカラーのラウンド型ブーケは言葉を失う美しさ。


ケータリングの料理が可愛くて美味しかった。ふと隣に純白ドレスのやつが立ってて「おなかすいた。オムレツちょうだい。」っていうからひときれ口に運ぼうとしたら、「もっとちいさくないと食べられない。」ですと。小鳥に給餌するようにちまちま運んだ。ドレスに合わせてダイエットしたもんで、折れそうで心配だわ。


会の終わりは花嫁スピーチ。「これからも足りないところを補い合って楽しく暮らしていきたいんですけど、よろしいでしょうか。」って旦那ちゃんに圧かけてるよ。色々おもしろかった。そしてこんだけやりたい放題やってるムスメをにこにこと支えてくれるひとたちがこんなにもたくさんいてくれることに感謝した。


今度はすこしでもだれかのハッピーを支える側になってくれよ。



ちぎってまぜてとばして

2022-02-15 16:37:30 | 日記
たくさん御恩があるのに、何一つお返しする隙も与えずにお空に行ってしまったセンパイ。

せめて御香典を有志でと告知した瞬間から夥しいメールが途切れず、わたしはリスト作りながら漏れなく対応できてるかどきどきしてる。
みんな一様に驚き、悲しみ、それからわたしに気遣いをくれる。
とても全部のメッセージにお返事はできなくて、定型文をコピペがほとんどなんだけど、
それらを読んで、毎日目が回りそうになりながら、わたしはだんだん自分の心が癒えてゆくのがわかってきた。

うんと昔に、大きな悲しみに潰れそうだったときに
あるひとがこんなことを教えてくれた。

どんなに大きくても、ちぎってちぎってちいちゃくして、忙しい日々の流れのなかに少しずつ混ぜてぶっとばしていけば、いつか痛みはなくなる。

膨大なメールの送受信がカッターみたいに悲しみを細かくしてくれて、だれかとぶつけあってるうちに、ぽんっと昇化する。

この役目、わたしがやることができてよかったな。
センパイも狙ったのかな。いやちがうな。

誰かに負担をかけることをとても嫌うひとなので
自分のせいで誰かが悲しんでいて辛いのは、お空の上からでもやきもきしてるだろう。
でもねえ、こればっかりはね、避けられないすよ、ねーさん。


だけどなるべく早くみんなが辛くなくなるように、わたしはわたしにできることをする。
メール返信がんばる‥


ゆり児OGの皆さんへ。

2022-02-11 12:29:29 | 日記

突然のお知らせにとても驚かれたと思います。

一体何があったの?と気にされていますよね。

私には説明する役目があると思いますので、書いてみます。

他に方法が思いつかず、全宇宙に発信のブログになってしまいます。

なので固有名詞は伏せます。

 

最初にY姉さんと私の関係について。

姉さんも私も1967年生まれですが、姉さんは早生まれだったので学年一つ先輩でした。

実家が歩いて90秒のところにあります。ちなみにボイトレのS先輩の実家も同じくらいです。

今思い出してびっくりするのが、中学生の頃の姉さんと半年前の姉さんと見た目がほとんど変わらないことです。

こちとらどんどん老けていくのに、「ねえなんで髪がそんなに黒くて艶々なんですか」と詰め寄ったことがあったくらい。

ゆり児あるあるで、最初はソプラノ配属され、音程がちゃんと取れて響きが付いてくるとメゾやアルトに移籍させられるって言うね。姉さんも最初はソプラノで隣にいたのに、気付いたらアルトの主みたいになってました。

そうそう、もう一つ、あのマシンガントークも中学時代からずっと変わらないわ。恋愛妄想トークに爆笑してたんだけど、ここ数日何故かそればっかり思い出します。もっと高尚な思い出を噛み締めたいのに。

 

 

そして今回の経緯について。

 

2021年夏の50周年記念定期演奏会に参加させてもらえることになり、毎週のようにお会いしていました。

何かの時にゆり児のCDの話になり、私聴いたことないかも、と言うと、翌週持ってきてくれました。

喜んで聴いてしばらく経って、うっかり借りていたことを忘れ、年明けに発掘されました。非道いね。

姉さんの東京の住まいに送り、ごめんなさいメールをしました。いつもならそういうの素早く返信くれるんだけど、お忙しいのかなあと思っていたら、姉さんのメールアドレスから知らないアドレス同報で着信がありました。それが2022年1月25日です。

Yの兄の〇〇です。妹に頼まれて代筆しています。という文章で始まっていました。

2年前に癌を患い、ずっと治療を続けてきた。そのことを家族以外に絶対知られなくないと言っていた。今は末期で緩和ケアに入院していて、スマホでメールすることが出来なくなっている。でもきっと知香が返事なくて気にしてると思うし、言えばゆり児の誰彼にこの状況が伝わるから、と頼まれた。ご連絡をお願いできないか。

そういう内容でした。

 

文字は日本語でわかるように書いてあるのに、読んでも頭に事情が入ってこないので、お電話させてもらえないかとお願いし、お話ししました。お兄さんとしては、近所の後輩の知香っていうのには聞き覚えがあって、連絡しやすかったようでした。コロナのせいで緩和ケアには家族が二人しか面会に行けなくて、ご高齢のご両親に変わってお兄さんが全て采配してるとのこと。医者からは持って今月いっぱいと言われてると。ご両親は明後日に会いにくるがおそらくそれが最期だろうと。その時がきたら、本人の希望で家族葬にする。来てもらうことはできないが、また連絡はします、と言ってくださいました。

知られたくない、という姉さんの希望は、心配かけるのが申し訳ないという気持ちからだと思いました。なので今の状況については最低限お伝えすべき方にだけお話ししようと思いました。知ってて言わないのは騙しているみたいで気が咎めたのですが、それも何年にも渡ることではないのと、知ってもお見舞いに行ったりできるわけではなく、ただ悲しい時間が長くなるだけだと思ったので、そうすることにしました。団の事務局長さんと、S先輩に電話でお伝えしました。

 

お兄さんから次にメールが届いたのは2/8でした。昨日、亡くなったと。まぶたを開けることさえ辛いはずなのに、と、医者が生命力と忍耐力に驚いていたと書かれていました。余命宣告から1週間がんばったのは、ご家族への思いやりなんだろうなと思います。かけがえのない、自慢の妹です。とありました。当初の予定通り家族葬にすると。皆様にはお世話になり大変ありがとうございました、と結ばれていました。

 

こうしてお兄さんと直接お話しした私でさえ、現実感がありません。半年前にとても久しぶりにソプラノで隣で歌えてすごく楽しかった、こんな世の中だから打ち上げすぐにできないけどまた落ち着いたらねと別れた、そこから一足飛びにそんなことを伝えられても、信じることができません。なので、これを読んでいる皆さんも、同じ気持ちなのだろうと思います。

 

OGと団を繋ぐという役割はものすごい労力と気力を使うことだと思います。私は隣で見ていて、たまに少し手伝ったりしながら、Y姉さんこれ全部一人でやるの大変すぎる、もっと投げてくれていいですよ、って言ったことがあります。姉さんは笑いながら、まあ、私のライフワークみたいなもんだから、っておっしゃっていました。この仕事が、ゆり児が、歌うことが心底好きなんだな、と思いました。誰かが代わって全部やれることではありませんが、何かの時には協力しあっていけたらいいなと思っています。

 

世の中落ち着いたら皆さんと集まって姉さんの話をしたいと思います。実現するまではみんなちゃんと元気でね。

 


too much

2022-02-04 21:15:32 | 日記

塾関係のお仕事してます。

今日聞いたこと。

M区 Y先生

70人の会員がいる自宅ビルの教室。陽性だったり濃厚接触者だったりで塾に来られない子のお家に、宿題をポストイン。それだけでもとても親切だと思うのに、さらにそこにゼリードリンクを一緒に入れてあげてるんだって。そんなのポストに見つけたら、私なら泣く。離れとは言っても、この状況で自宅に多数の子供を迎えて指導を続けてくれていることに感謝しかない。ゼリードリンクだって数多くなれば重たいし費用もかかる。

 

N区 M先生

130人の会員がいるテナントビルの教室。ご主人の会社でじわじわ感染者が増えたところで、キッパリと別居。もうシティホテルに2週間滞在してる。その後ご主人も陽性となったが、当然のように濃厚接触者にはならず、ホテルから教室に通って指導を続けている。PCR検査は近くの美容外科で、検査後40分で結果が分かるコースを選択。一人3万円。ご主人のことは心配なので、毎日ビデオチャットして、食べ物をドア前まで運んでるんだって。先生はその行為を「ごんぎつねやってる」と言う。来週には自宅に戻るが、その前に業者を入れて全室消毒するそうだ。完全に持ち出し。

 

もちろんこれは氷山の一角なのだろうと思う。うちの所属の先生170人も、全国の先生数千人も、考えうる最大の努力をしてくれてるに違いなく、ましてやそれがだんだんエスカレートしていくのも想像できる。私だって相当頻繁に身の回りを消毒していて、確実に回数が増えていってる。どこで終わればいいのか、わからなくなってる。

 

本部からのガイダンスは一般的で標準的なもので、それぞれの教室で起きている事象について、「どうすればいいの?」という問い合わせが後を絶たない。どうかするとスタッフみんなが午前中全部それの対応で終わる。報告や相談には必ず嘆きや愚痴がついてくる。それを、いやちょっと今忙しいんで、と切ることはできない。

 

 

オチも何もないけど、備忘録ね。