四匹の猫 2015年03月17日 | Goods とぼとぼ旅をする三匹の猫の前に、 なにやらヌッ ワーッ!! よし、交渉は僕が引き受けた。 キミはトラかい? ぼく、道に迷ったんだ。仲間に入れて? いいよって、言わないのに、はいっちゃったよ。 ハイ。チーズ!!
三匹の猫 2015年03月16日 | Goods ぼくら、スイス生まれの三匹の猫 たしか、ベルンのアパートで 金髪のお姉さんに造られた。 小さな木切れから彫りだされ。 広場の屋台でほかの兄弟と並べられ、一個一フランで売られてた。 黒い髪のその人は、 さんざ品定めした挙句、僕たち三匹を買ったんだ。 それにしても、ここはどこ? 久しぶりに、もの入れから出され、 さあ、好きにしなさいと言われたって、 ああ、暗くなってきた。 なんだか迷ったみたい。 どうしよう! どうしよう! どうしよう!
ダンケムジークの会 2015年03月14日 | 歌う 教会での礼拝のあと、老人施設での小さなコンサートに誘われた。 ケアセンター成瀬住民の会とダンケムジークの会が開催したハープアンサンブルと クラシック音楽家の集まり、アンサンブル白百合の人たちの歌曲とクラシック小品集。 ハープは四種類のハープを並べての演奏。 白百合は、声楽とフルートとピアノのトリオだった。 場所柄、高齢のお客様が多かったが、とくに、年配者向きにこびず、 楽器や楽曲の説明も手抜きをせず、きちんと演奏する演奏家の方たちに、 聴衆は、大きな拍手を何度も送った。 演奏の後、演奏者と客席が一つとなって、「ふるさと」「花は咲く」を歌った。 白百合のみなさん。向かって左から 田向雅子さん、田中美香さん、石井純代さん
春の小川 2015年03月13日 | 季節 春の小川 春の小川の光にまばたきしながら、土手を降りて行った日がありました。 まだまだ冷たい水だけれど、待ちかねているのです。 ソックスを脱いで靴に入れて、スカートの裾を前にからめて握りしめ、 そっと水のなかに足を入れる。 足裏の丸石がかすかに動き、さあ、もっと深みにとささやくのです。 あの大きな石をひっくり返してごらん。 そっと一歩、さらに一歩。 「そこまでよ!」の声に、 体が止まる 手を流れに入れて、水をすくう。 春の水、 小川の水ののど越しを今も忘れない。
家の教会 2015年03月12日 | 聖書 教会は教会堂ではないのです。建物を指すのではありません。 もともとは、人が主(神)の御名のもとに集まって心を合わせて祈るとき、そこが教会でした。 集会とも訳されます。 2000年前、 教会が生まれ始めたころは、信者の家が教会でした。 伝道のためには、公道や広場、道路上も使いました。 ユダヤ教の会堂も重要な伝道場所でした。 〈家の教会〉は、文字通り、教会の原点です。 信徒はなぜ集まるのでしょう。 それは同じ主(しゅ=神。イエス)にある神の家族だからです。 家族が集まって、神を礼拝し、賛美し、感謝し、様々な願い事や対話をするのです。 教会にはいくつかの大切な役割があります。 礼拝、伝道、交わり、教育、奉仕。 神の家族として兄弟姉妹と霊的な愛をもって付き合います。互いに学び、教えあいます。 人が集まるところに当然生じる様々な仕事を分担します。 それらによって力づけられ高められ、救われた喜びを伝道するよう、励まされています。 サラリーマンだった牧師が、神学校に行き、 自宅を開放して教会を立てました。 庭に良い香りが漂うのは、沈丁花や梅のせいばかりではありません。 あなたがたは行って、あらゆる国の人々を弟子としなさい。 そして、父、子、聖霊の御名によってバプテスマを授け、 また、わたしがあなたがたに銘じておいたすべてのことを守るように、彼らを教えなさい。 見よ。わたしは、世の終わりまで、いつも、あなたがたとともにいます。 (新約聖書・マタイの福音書28章19節20節)