ノアの小窓から

日々の思いを祈りとともに語りたい

落穂ひろい

2016年01月26日 | 聖書



                 


     ミレーの「落穂ひろい」は、
     おそらくもっとも有名な絵画の一つでしょう。
     
     また、多くの人に好まれる絵です。

     農場で、三人の農婦が、小麦畑の刈り取りのあとに残る落穂を拾い集めています。
     自分の農場をもたず、他人の農場で畑に残った穂を集める貧しい人たちです。

     でも、この絵はほのぼのした情感と刈りいれた後に、まだ余っている収穫の祝福を
     思わせるのです。

     よく知られているように、この絵の由来は、旧約聖書にある「ルツ記」です。

     貧しい二人の未亡人ナオミと彼女の嫁ルツが、着の身着のままの生活の中で、落穂を拾って
     いのちをつないでいき、何とか立ち直っていく話です。


     旧約聖書には、貧しい人たちへの施策が、神の戒めとして記されています。

     落穂を残しておかなければならない。
     ぶどう畑も隅から隅までかりとってはならない。(旧約聖書・レビ記19章9節10節)


     この聖書の教えは、ミレーの時代にも生きていたのですね。

     貧しい者たちを見つめる愛のまなざしが、絵を見る人にも伝わってくるのです。







     


バイリンガル聖書スタディ

2016年01月24日 | 聖書



       
        町田クリスチャンセンターの 
        バイリンガル聖書スタディは、まじめで楽しい。

        英語はもちろん、ネイティブスピーカーや仕事が英語の日本人が中心なので、
        英語で活発におしゃべりができる。

        英語がわからなくても、もちろん、すぐに日本語に直してくれる人もいるから大丈夫。

        基本は真面目な学びです。

        祈りや神への信仰の問題はもちろん、

        癒しや生活の問題、
        結婚離婚問題、家族、進路など、
        
        身近でタイムリーな問題も話題にできます。

        初めての方も、教会員でない方も、参加して下さると感謝ですね。


        





買いたたく2――モノの値段

2016年01月21日 | 聖書




       以前にも書いたのですが、
       若いころ、ある実業家の方が、
       モノの値段について、とても分かりやすく教えて下さったのです。

       その方は、ある同人誌を主宰している女性のご主人でした。
       まだ少年のころに、裸一貫で田舎から出てきて、
       いわゆる「丁稚奉公」から始め、
       知り合った頃は大阪で、アパレルメーカーを経営していました。
       私が関心がなかったので、その会社の名や、規模はよくわかりませんが、
       奥様にかなり自由にお金を使わせていたし、
       住まいのある街でも高額納税者だということですから、成功していたのでしょう。

       生意気な小娘であった私は、たまたまお宅で、ご主人に会ったとき、
       お茶をいただきながら、お尋ねしたものです。

       「セーター一枚の原価はいくらくらいですか」
        ご主人は、間髪を入れずに答えました。
       「ただです」
       「ただですって! でも、糸を仕入れなければならないでしょう」
       「糸も、ただなんです」
       「でも、羊の毛を買うんでしょう」
       「羊の毛もただです」
       「だって、ひつじの餌も水も要りますよ」
       「タダなんです。」
       「織機とか工場を立てるお金とか倉庫とか、敷地も買わなければいけないし」
        いっぱしの知ったかぶりをしていることにも気づかず、私は、
        議論を挑んでいるつもりだったようです。

       「みーんな最初は、ただなんです。」
        ご主人は楽しそうに答えました。
       「いいですか。羊も羊の餌も最初はただなんです。草も雨も日光も土地もただです。
        工場の機械の鉄も、織機の材料もただです。
        ただ、その一つ一つに、人手間(ひとてま)がかかって、
        それが値段になっていくんです。」


        目からウロコとはこのことでした。

        そういえば、関西では商人のもうけを
       「口銭(こうせん)」と言いました。
        子供の頃、商売とは無縁のサラリーマン家庭で育った私には、
        この言葉は、口先三寸で物を売るようなひびきがあって、感じが悪かったのですが、
        今、考えれば、これは「営業のこと」ですね。
       
        営業とは、「人が作った価値」を、お客様に知らせて物を売ることでしょうし、

        どんなに良いものを作っても、それを知らせなければ必要な人に渡らないのですから、
        「営業」は大切な仕事で、「口銭」は、少しも悪い言葉ではなかったんだ!
       

             ◎  ●  〇   ♪♬

        聖書を読むと、この世界のすべての物は神様がお造りになったのであり、それを、すべて
        神様は、ただで、私たちに与えて下さったのだということがわかります。

        いっぽう、聖書では、勤勉で堅実な労働が勧められ、怠慢が戒められています。

        神さまは、私たちに、タダで与えられたものに、手間をかけて、「価値」を生み出しなさいと
        勧められておられるのですね。
        手間――労働が利益であり、賃金なら、
        よく働く人が、「豊かになり」、その逆は「貧しさ」というのも、しぜんですね。

        品物の値段を判断するとき、
        それに「どれだけの労力」がかかっているかを見るのも、大切なのでしょうと、
        改めて気がつくのです。
        労力にはもちろん、手間の質――熟練や歴史まで考慮に入れなければいけないでしょう。

        いっぽうで、ただ単純労働をもくもくと続けた人の価値にも 気がつきました。

        きのうも、振り返ったように、極端にものを「買いたたく」ことは、
        けっきょく、人の労働を買いたたいていること
なのですね。

        労働しなければ生きていけないのは人間の宿命でしょうが、同時に神のご命令で、
        神のみこころに叶うことであるはずです。
        値段が下がって暮らしが楽になるのは事実ですが、

        「買いたたく」のが当たり前になったら、いずれ、自分も買いたたかれるのだと考えられないでしょうか。
        廃棄処分の食品を知らない間に食べていたなんてことは、
        「買いたたき」の裏返しかも知れないと思うのです。

        もとよりクリスチャンではなく、
        (奥様によれば)学があるとも言えない一人の商人が、
        とても大事な真理を知っておられたことに、いまでも、感心するのです。

        




        
        

買いたたく

2016年01月20日 | 食べ物



      何かウラがあると感じていた人は多いのではないでしょうか。
      モノの値段のことです。

      いつのころからか、スーパーの惣菜のほうが、家で作る惣菜より安い。
      コロッケでも、家でジャガイモをつぶして手をかけて揚げるほうが、高くつく。
      外食がワンコインで食べられ、買弁はさらに安く、     
      あれこれ買い物をし、手間をかけて、家で作るのが馬鹿らしいと感じるほど。
      なんて感じになってきた。
      レストランでもお蕎麦屋さんでも、ずいぶんがんばって値上げをしていない。
      もちろん、消費者としては助かるのです。
      大歓迎だと言いたい気がします。

      こちらも倹約しなければならない身なのだからと、感謝ではあります。
      それでも、ヘンだなあと思っていたのです。
      こんなに安かったり、ただで試食品が配られていて
      いいのかしら。

      案の定。廃棄食品の横流しが、明るみに出ました。
      最初は、一つの製品で、一社だけの問題でした。
      それが、次から次へとひろがってきています。

      私自身は、出来合いの総菜もあまり買わないし、外食もしないのですが、
      素材である食品は大丈夫なのでしょうか。
      卵も牛乳も、パンも豆腐もしょうゆやミソ
      油や粉など、高いものと安い物の
      値段の開きは案外大きいのです。

      それでも、安い競争があり、それでもさらに
      「買いたたく」風潮があるのは、
      やっぱり、無理を生むのかなあ・・です。

      消費者としては、安いことは歓迎ですが、
      やっぱり、
      生産物に対して、相応の敬意を表して、常識を働かせて
      物を選ぶべきかと思っています。

      買いたたく風潮は、結局、
      人を買いたたくことになって、世の中を生きづらくしているのではないでしょうか。








      

      
      

kindle

2016年01月17日 | Goods




      アマゾンで電子書籍を出版したので、
      せっかくなので、電子書籍リーダー「kindle」を購入した。

      使い方はとても簡単です
      とのキャッチコピーに、すぐに飛びついたのです。

      これで、若いころのように、外でいくらでも読書できるわ!



          
         画面はスリープモードです。
  


        
        カバーはビッグベンです。


      でも、けっきょく
      設定の方法がわからず、

      教会に持って行って、IT技術に詳しい男性方に声をかけた。
      Help Me!!!

      じっさいは、
     「ごめん。買ってみたけれど、どうすればいいかわからない。教えて」

      一人、二人、三人と集まってくれて、いろいろアドバイスしてくれる。
      だれも、キンドルは初めてだと言うのに、ページをめくるその早いこと!

      くわしくは説明できないけれど、自分の思い違いはわかりました。
      私は、「開かない壁」を、扉だと思っていたみたいです。


       「キンドルはなくても、パソコンやスマホにダウンロードできますよ。
       もう、ダウンロードしているので、これから読みますね。」
       と、慰めてくれる人。

       教会の人は、やさしい!!

       やっぱり、さとうは、アナログ人間です。
       何しろ、生まれてしばらくは、アナログラジオしかなかった世代です。


       
        廃位になった美貌の王妃「ワシュティ」をよろしく!