ノアの小窓から

日々の思いを祈りとともに語りたい

夕暮れ

2014年09月30日 | 日記





           さてどこで 降りるのだろうか 渡り鳥
                            日は山際に傾きかけて

 


 

            「夕べがあり、朝があった。」
            聖書では、一日は日没から始まります。
            日が暮れても、かならず朝が来るのは、希望ですね。
            鳥のねぐらを心配するなんて、大きなお世話でしょうか。



         一年前の9月30日の記事がGOOから送られてきましたので、掲載します。
           ちょっと忙しくて、横着しています。懲りずに訪ねて下さいますように。

        




人の計画

2014年09月27日 | 聖書



                        人は心に計画を持つ。
                      主(しゅ=神)はその舌に答えを下さる。
                      人は自分の行いがことごとく純粋だと思う。
                      しかし、主は人のたましいの値打ちをはかられる。

                      あなたのしようとすることを主にゆだねよ。
                      そうすれば、あなたの計画はゆるがない。

                      主はすべての物をご自分の目的のために造り、
                      悪者さえもわざわいの日のために造られた。

                      主はすべて心おごる者を忌きらわれる。
                      確かに、この者は罰を免れない。

                      恵みとまことによって、咎は贖われる。
                      主を恐れることによって、人は悪を離れる。

                      主は、人の行いを喜ぶとき、
                      その人の敵をも、その人と和(やわ)らがせる。

                      正義によって得たわずかなものは、
                      不正によって得た多くの収穫にまさる。

                      人は心に自分の道を思いめぐらす。
                      しかし、その人の歩みを確かにするものは
                      主である。
                            (旧約聖書・箴言16章1節~9節)



               
              いちじくは、ブドウ、オリーブとともに聖書では三つの主要な果実です。
 
      










美術の秋

2014年09月25日 | 見る




                




                絵を描こうと思って、ぶどうと梨を買ってきました。

                たしかにクロッキーを数枚描いたのです。

                くらくらするような色とぶどうの香りに

                胸がどきどきし、

                胃袋に入ってしまわないうちに、

                写真に収めました。




                             





    
     



萩の花

2014年09月22日 | 歌う



                        


                          秋きぬと 目を驚かす 赤紫

                          秋日降る ひぐらしが鳴く 彼岸頃




                                          
                                          






カインとアベル

2014年09月21日 | 聖書

                        



            人は、その妻エバを知った。彼女は身ごもってカインを産み、
             「私は主によってひとりの男子を得た」と言った。

             彼女は、それからまた、弟アベルを産んだ。
             アベルはひつじを飼うものとなり、カインは土を耕すものとなった。

             ある時期になって、カインは、地の作物から、主へのささげ物を持ってきたが、
             アベルもまた彼の羊の初子の中から、それも最上のものをもってきた。主は
             アベルとそのささげ物とに目を留められた。

             だが、カインとそのささげ物には目を留められなかった。それで、カインはひどく怒り、顔を伏せた。

             そこで、主は、カインに仰せられた。「なぜ、あなたは顔を伏せているのか。
             あなたが正しく行ったのであれば、受け入れられる。ただし、あなたが正しく行っていないのなら、
             罪は戸口で待ち伏せして、あなたを恋い慕っている。
             だが、あなたはそれを治めるべきである。」

             しかし、カインは弟アベルに話しかけた。「野に行こうではないか」そして、
             ふたりが野にいたとき、カインは弟アベルに襲いかかり、彼を殺した。
                                       (創世記4章1節~8節)




        エデンの園を追放されたアダムとエバは息子を得ました。
        ところが、その二人の息子に、さっそく罪の性質が現れ、兄が弟を殺しました。

        原因は嫉妬ですが、嫉妬が呼んだ「怒り」です。
      
        カインとアベルの物語は、人類最初の殺人事件で、それも家庭内殺人です。

        この物語は、とても深い含蓄があると思います。

        嫉妬とは何か。怒りとは何か。さらに、信仰とは何か。

        神がカインのささげ物に目を留められなかったことに嫉妬の原因を認める解釈はしぜんです。
        でも、そうすると、神が不公平な方だったということになるので、
        カインのささげ物が最上のものではなかったから、目を留められなかったのだと考える人もいます。   

        全能の神は、決して間違いをなさらないのですから
        たしかに、カインのささげ物や礼拝態度に問題があったのかもしれません。

        しかし、神は仰せなのです。

        「あなたが正しく行ったのであれば、受け入れられる。ただし、あなたが正しく行っていないのなら、
        罪は戸口で待ち伏せして、あなたを恋い慕っている。だが、あなたはそれを治めるべきである。」


        問われているのは、カインの心なのでしょうか。


        読者の方々は、どのようにお考えでしょう。

        ひところ日本では絶大な人気を誇ったイギリスの作家ジェフリー・アーチャーさんの、
        「ケインとアベル」は、聖書のこの箇所を下敷きにしているのは事実ですが。