ノアの小窓から

日々の思いを祈りとともに語りたい

【身延線2】 聖地巡礼!富士川下りと身延山久遠寺の鉄旅 [Minobu Line2]

2020年08月31日 | 見る

 やっと九月になりました。

 コロナコロナで気が散っているうちに、冬から春、春から秋へと季節が移ってしまった気がしますが、とりあえずホッとしています。

 梅雨が長かったし、外出も自粛だったので、電車に乗ることもなく、人との会食は二回だけでした。でも、いろいろ楽しいこともありました。

 

 友人が、ご主人の制作している映像を送ってくださったのです。なんと、鉄道の旅の映像です。電車に乗って遠くへ行きたいと夢見た頃があったことを思い出しました。

 ロマンにじみ出る映像を、ご覧ください。

 

【身延線2】 聖地巡礼!富士川下りと身延山久遠寺の鉄旅 [Minobu Line2]

 

 最新の映像は、北海道の花咲線です。炎暑の東京で見るにはとても良いのですが、スマホで見ることができたものが、PCでは見つけられません。横着で申し訳ありませんが、お探しいただけると嬉しいです。

  

      

      ある夕方のこころもよう(byさとう)

 

 


ゆるゆる2

2017年09月23日 | 見る



    人間が年を取るのだということを、一番最初に意識したのは2・3歳のころの気がします。

    ある日、私は母に尋ねました。
    「おばあちゃんが、年を取るとどうなるの」
    母は答えました。
    「赤ちゃんにかえるのよ」

    ああ、そうか。と私は思い、同時に、頭の中に一つの絵が浮かびました。
    それは、赤ちゃんから、子どもになって、「お兄さん、お姉さん」、若いお父さん、お母さん、
    大きな子供がいるおじさん、おばさん。それから、おばあさんおじいさん。
    それらの人たちが、花輪のようになっていて、
    その、おじいさんおばあさんが、だんだん赤ちゃんになって行って、
    それから、赤ちゃんがまた、大きくなって子どもになる、そんな図でした。

    私の家には、その頃、祖父や祖母はいませんでしたし、(のちに同居するのですが)
    じつは、お年寄りが家で亡くなるのを見たことがなかったのです。
    
    ただ、どんなに幼くても、年齢によって見かけが違うことはわかります。
    当時は、着る物や態度は、世代によって、かなり厳格に異なっていました。

    でも、年を取って赤ちゃんになって、
    もう一度、生きなおすなんて素敵だと感じたものです。
    
    さて、もう少し大きくなった頃、
    母が近所の主婦とおしゃべりしていました。
    「この頃、おじいちゃんが無理ばっかり言いはるの(関西弁で「おっしゃるの」の意味)」
    「そう。年を取ると、だんだん赤ちゃんにかえっていくのよ」

    そのとき、「ああ、そういうことか」と私は納得しました。三世代同居があたりまえで、
    お年寄りの最後は、圧倒的に家庭で、お嫁さんか奥さんが看取った時代ですから、
    介護の苦労が世間話のように、よく語られていたのです。

         

    老いて「赤ちゃんにかえっていく」状態を、今日では、「認知症」と言います。
    少し前。までは、「痴呆症」とか、「ボケ」とか、「恍惚の人」とかいうのもありました。
    同じことを呼ぶにも、言い方でずいぶん印象が変わると思われませんか。

    たしかに、「赤ちゃんにかえっていく」のも、すんなり受けいれられませんが、
    「認知症」は、全く否定的な響きです。

    たとえ、からだが少しぐらい弱ってきても、何かの病気があっても、頭だけはしっかりとしていて、
    「認知機能だけは」若い時と同じでいて、
    判断力と記憶力がたしかなら、「人格がある」みたいな感じですね。
    人格があるなら、尊厳に値するし、人間はそもそも尊厳に値する存在なのだから、
    断固、認知症は退けなければならない。

    そのための、生活スタイルは? 運動は? 薬は? そのための栄養は?
    という観点から、毎日毎日語られた「敬老週間」

    でも、でも、でも、

    お肉を食べるといいとか、青魚だとか、ヨーグルトがいいとか、一日三食の正しい食事とか、
    体重と血圧の管理とか、
    
    「赤ちゃんにかえっていく人」に、たくさんの管理メニューを用意して、なんだか、
    「赤ちゃんにかえらせてもらえない」お年寄りって、幸福なのかなあと思ってしまうのです。

    赤ちゃんは、最初、無条件の愛に包まれて世話を受けています。
    人間も、どんどん年を取って行ったなら、
    気おくれなく老いることができて、あれこれ言われず、
    無条件に愛ある世話を受けて死にたいのではないかしら。

    もっとも、これが、むずかしいですね。何しろ、超高齢化社会では、
    赤ちゃんがとても多くなることは事実で、

    孫の孫の孫まで、高齢者になったら、

    だれが、お母さんお嫁さんか、わからないかもしれないから。
    


    




ガザニア

2015年10月21日 | 見る




          ガザニア(勲章菊)です

                               
   



                  アップで見るとなお美しいのです。

                



             

                     白もいいですね。







     


見れば見るほど

2015年09月10日 | 見る




    きのうのクイズ(?)写真の解答です。

          写真を撮るのはいいことですね。
          しみじみと、対象を見ます。


       



       



       



       



        玉ねぎは、何にでも使えて、安くて、日持ちがして、重宝です。
        その断面を見つめて、ため息をついてしまいました。

        そのうえ、とても古くからあるのですね。
        3500年も昔が背景の聖書の書物に、記録があるのです。
        民数記は、出エジプトの続きである「荒野の40年」を記録した書物です。
   

      



         また、彼らのうちに交じってきていた者が、激しい欲望にかられ、そのうえ、イスラエル人もまた
         大声で泣いて、言った。「ああ、肉が食べたい。
         エジプトで、ただで魚を食べていたことを思い出す。
         きうりも、すいか、にら、たまねぎ、にんにくも。」(旧約聖書・民数記11章4節5節)