ノアの小窓から

日々の思いを祈りとともに語りたい

心たなびく

2013年12月31日 | 歌う





          空仰ぐ 心たなびく 御国(みくに)まで


       キリスト教では、「御国」「神の国」「天国」は、同じ意味です。
      神が支配しておられる所という意味です。

      それは、死んでから行くところではなく、今ここにもあるものです。
      神を賛美し、感謝し、悔い改めて、ひざまずき、
      御心(みこころ――神の願っておられること)を行う。

      とはいえ、御心を行うのは、難しいですね。
 
      厳しい修業をすることではないし、
      良いことをして、ポイントを上げることでもないし、
      社会的栄達や金銭をあきらめて、
      世捨て人になることでもなさそうです。
      
      しいて言えば、「自己中心」を捨てて「神中心」になることでしょうか。

      神に自分を支配していただく、
      これも難しいですね。自分を神と同等にしたいというこの「自己中心」は、
      もう、私たちの血肉になっているのかと思えるほどです。

      エデンの園で、エバに禁断の実を食べさせた悪魔はエバに言ったのです。

      「あなたがたはそれを食べても死にません。
      それを食べるとき、あなたがたの目が開け、神のようになり、善悪を知るようになることを
      神は知っているのです。」(創世記3章5節)


             ★★★

      
      神に支配していただくのを拒絶した時から、人の「苦しみと涙の生活」が始まりました。
      しかし、この拒絶を撤回して、神のみもとに戻る道は開かれています。


      もとより、「神の支配」は、あくまで神の支配です。
      教会や、法王さまや、司祭や牧師や長老ではありません。

      神の言葉だけを聞くのです。
      そのために、キリスト者は、聖書を調べ、聖書を読みます。



          正月や 冥土の旅の 一里塚
       

       このような恐れは、聖書の神を信じる者には、無縁です。

       御国(天国、神の国)は、だれでも、今すぐにも、入ることができるところです。
       
       ぜひ、聖書をお読みください。教会へ行ってみてください。

 
              ★★★

 
         今年もあとわずかになりました。
                感謝!!!
      



      
      

      

      

      
      
            
      
      

山茶花

2013年12月30日 | 歌う






         山茶花を 打ち砕くよな 寒気張り




       今年も残すところ40時間を切りました。
      たくさんの出来事がありました。
      多くの方々にお世話になりました。

      一つ一つ思い出して追体験することはとてもできませんが、
      それに、なんと言っても、物忘れする私ですが、
      時間をうまくマネージメントすることが下手な私ですが、
      ともかく、また、無事にこの年が終わりそうです。

      たくさんのご厚意と笑顔とゆるしと機会をいただいたことに感謝します。

      たくさんの方々と、
      私たちすべてを見守って下さった「全能の神」に感謝申し上げます。








      


            

東雲

2013年12月29日 | 歌う




          東雲(しののめ)の 茜たちまち 褪せてゆく 
                       目覚めのあとの 夢のごとくに






  (ヨブ記より)

        主(しゅ)はあらしの中からヨブに答えて仰せられた。

         知識もなく言い分を述べて、
         摂理を暗くするこの者はだれか。
         さあ、あなたは勇士のように腰に帯を締めよ。
         わたしはあなたに尋ねる。私に示せ。
         わたしが地の基を定めたとき、
         あなたはどこにいたのか。
         あなたは悟ることができるなら、告げてみよ。
         あなたは知っているか。
         だれがその大きさを定め、
         だれが測りなわをその上に張ったかを。
         その台座は何の上にはめ込まれたか。
         その隅の石はだれが据えたか。
         その時、明けの星々がともに喜び歌い、
         神の子たちはみな喜び叫んだ。

      
         海がふき出て、
         胎内から流れ出たとき、
         だれが戸でこれを閉じ込めたか。
         そのとき、わたしは雲をその着物とし、
         黒雲をそのむつきとした。
         わたしは、これをくぎって境を定め、
         かんぬきと戸を設けて、
         言った。「ここまでは来てもよい。
         しかし、これ以上はいけない。
         あなたの高ぶる波はここでとどまれ」と。

         あなたは生まれてこのかた、
         朝に対して命令を下し、
         暁に対してそのところを指し示し、
         これに地の果てをつかまえさせ、
         悪者をそこからふりおとさせたことがあるのか。
         地は刻印を押された粘土のように変わり、
         衣服のように色づけられる。
         悪者からはその光が退けられ、
         振りかざす腕はおられる。

         あなたは海の源まで行ったことがあるのか。
         深い淵の奥底を歩き回ったことがあるのか。
         死の門があなたに現れたことがあるのか。
         あなたは死の影の門を見たことがあるのか。
              (ヨブ記38章1節~17節)




      ヨブ記は、1章から42章まであります。
      ヨブ記は、旧約聖書の18番目におかれた書物です。
      旧約聖書は、39巻の書物から成ります。
      新約聖書は、27巻の書物からなります。
      
      プロテスタント教会では、この66巻の書物が教典となっています。
      宗教改革者ルターは、「聖書に帰れ」と言いました。
      私たち現代のキリスト者は、すべての神の啓示、教え、権威を聖書に置きます。

      そして、今、聖書はだれでも読むことができます。
      世界2000以上の言語に翻訳されていて、小さな地域言語にも翻訳しようと
      献身している方々がいます。

      日本では、最初は漢訳聖書を読んだようです。
      文語訳聖書は、今でも名訳だと評価されています。
      
      口語訳では、現在

      新共同訳聖書(プロテスタント教会とカトリック教会の共同訳)
      新改訳聖書、
      口語訳聖書
      現代語訳聖書  
      リビングバイブル(読みやすく意訳されたもの)
      
               などがあります。

      方言の聖書も作られつつあります。


      新世界訳聖書と言われる書物は、エホバの証人という団体だけで用いられている書物で、
      改ざんされており、イエスを主と認めるキリスト教信仰の聖書ではありません。
      
                 









      



      

      




        
      

雪刷いて

2013年12月28日 | 歌う




     雪刷いて 連峰浮かぶ 朝日浴び



     私の部屋から丹沢連峰が望めます。
     高い峰々に、粉砂糖をたっぷり撒いたように雪が積もっています。

     今日からは、少し引きこもれそうです。

     聖書も読みたいし、
     ほかにも読みたい本が待っている。

         
     でも

     正月の準備?

     大掃除もしなければならないし・・・。
     何か作らなくちゃ。
     

     

       裸木よ 豊かな陽射し 知らぬげに










     
     

           

霜置いた

2013年12月26日 | 歌う





              霜おいた畑 天使の 声ひびく




          寒いですね。
          小さな畑にオーガンジィを広げたように、霜が見えます。
          クリスマスが終わったとたんに、もう、春を待ち望んでいます。

          正月を「新春」と呼んだ東洋の知恵も、なかなかのものです。
          
          旧暦の正月は、いまの二月はじめなのですから、確かに、春?
          それにしても、前倒しですかね。

          人は、良いことを「前倒し」して、望み見るのですね。
          安きにつきたい私など、その典型です。

          そういえば子供のころ、「春よ来い」や「早春賦」をよく歌っていたような。

          しもやけに悩まされる体質だった
          遠い日の、思い出。

          それでも、霜の畑は、そこに天使の声が聞こえる世界でした。