ノアの小窓から

日々の思いを祈りとともに語りたい

野の草,

2015年03月25日 | 聖書

             



        だから、わたしはあなたがたに言います。自分のいのちのことで、何を食べようか、何を飲もうかと、
        心配したり、また、からだのことで、何を着ようかと心配したりしてはいけません。
        いのちは食べ物よりたいせつなもの、からだは着物よりたいせつなものではありませんか。

        空の鳥を見なさい。種蒔きもせず、刈入れもせず、倉に納めることもしません。
        けれども、あなたがたの天の父がこれを養っていてくださるのです。
        あなたがたは、鳥よりも、もっとすぐれたものではありませんか。


        あなたがたのうちだれが、心配したからといって、自分のいのちを少しでも延ばすことができますか。
        なぜ着物のことで心配するのですか。野のゆりがどうして育つのか、よくわきまえなさい。
        働きもせず、紡ぎもしません。

        しかし、わたしはあなたがたに言います。栄華を窮めたソロモンでさえ、このような
        花の一つほどにも着飾ってはいませんでした。

        きょうあっても、あすは炉に投げ込まれる野の草さえ、神はこれほどに装ってくださるのだから、
        まして、あなたがたによくしてくださらないわけがありましょうか。信仰の薄い人たち。
                             (新約聖書・マタイの福音書6章25節~30節)




               











          

古手紙

2015年03月23日 | 思い出




       物を書くのは嫌いではないのに、筆不精です。

       礼状やお見舞い、時候の挨拶、お祝いごとの一筆など、大切なときに不義理をしてきた・・
       と、いまでも胸がちくりと痛くなることがあります。
       時を逃さずの一声は、はがき一枚で済んだはずなのです。

       ほろ苦い思いで振り返る歳月なのに、古手紙がまだまだたくさんあって驚いています。
       これほどにも、大勢の人が声をかけて下さっていたなんて。

       何度も捨てたはずでした。そのたびに、捨てがたいものだけ(少しだけ)残して。
       もうないかなと思っていたのにまだまだありました。

       さあ、どうしましょう!!
       
       数枚のはがきだけは、どうするか決まりました。


              


              



        姪たちが、幼い時にくれた便りです。
        彼女たちの子どもが、もうこの頃の彼女たちより大きくなっている!!

        それぞれに送り返して上げよう。
         (ありがとう。捨てるかどうかは、本人が決めてね)と書き添えて。

        

               あなたのパンを水の上に投げよ。
               ずっと後の日になって、
               あなたはそれを見出そう。    (旧約聖書・伝道者の書11章1節)
 



                  感謝!!      







       

       

彼岸

2015年03月22日 | 自然



         昨日は春分の日でした。お彼岸のおはぎがたくさん売られていました。

         子供の頃は、この日に、母がおはぎを作ってくれるのが楽しみでした。

         昔は家族が多かったので、炊くコメも用意する小豆やきな粉もかなりの量でした。

         炊き上がったご飯をスリコギで少しだけつぶして、やはりつぶした粒あんを絡めるのです。

         まばゆい陽射しが縁側の向こうの庭に照り付け、春の花が咲き始めていました。

     
               
          

         ここ数日、空が衣替えしたかのように、この町が暖かくなりました。

         呼応するかのように、花々も背伸びをして、微笑んでいます。


              



               

                        


         
   
                







サービス券

2015年03月21日 | 聖書



              先日迷い込んできた一枚のサービス券が、とても気になっています。

              

              じつは、最近買った中古の聖書辞典に挟んであったのです。

              

              「ガスト住吉区役所前店」とありますから、        
              この辞典のもとの持ち主は、関西の方かもしれない。

              

          この持ち主は、平成11年にガストで食事をされたのかもしれない。

          ある日、
          手元にしおりがなかったので、ポケットを探るとサービス券があって、
          はさんでしまったのかもしれない。
          本を仲介したヤフーの本屋さんも、そっと忍び込んだサービス券には
          気がつかなかったのかもしれない。

          いろいろ思いが巡って楽しいのです。
          ちなみに、本の「天」には「黒田」の印が二つ押してあります。
          ひとつは、私には読めない書体の実印です。
          とすると、持ち主は年配の方だった?


           

          きっとわくわくしながら開いておられたんでしょうね。
          本を開くときの、ときめきはたとえようがありませんから。



              初めに、ことばがあった。ことばは神とともにあった。
              ことばは神であった。
                        (新約聖書・ヨハネの福音書1章1節)






     



こぶしの季節

2015年03月18日 | 自然





          春は、すでに、
          この町に足を踏み入れています。

          静かな住宅街の、だらだら坂にも、こぶしが花盛りでした。


           

              


          こぶしにはやっぱり青空です。
          もやもやした雲がこぶしの白を引き立てています。