ノアの小窓から

日々の思いを祈りとともに語りたい

絵手紙とみことば、こでまり

2023年12月04日 | 思い出

                             

 

 今回の絵は、こでまりです。

 どちらかと言えば地味な白い小花の庭木です。

 それが、さなえさんの目と手を通して、このような世界になったのです。

 片流れにぼってりと花が垂れた雄渾の構図のなかには、

 大預言者エリヤと並ぶ預言者イザヤの預言が書き込まれています。

 

 

  万軍の主は誓って言われた。

  「必ず、わたしの考えたとおりに事は成り、

  わたしの図ったとおりに成就する。(イザヤ書14章24節)

 

 

           

 「私は、二十数年間、絵手紙を描き続けてきました」

 受洗して教会員になった時、さなえさんは告白されました。

 「子育てや介護やいろんなことがありましたが、どんなときも絵だけは描き続けてきました」

 

   

 数年後、教会のサマーキャンプに、さなえさんはご家族何人かと参加していました。息子さんの連れ合いMさんとMさんのお嬢さん(さなえさんのお孫さん、お孫さんのフェアンセもおられたでしょうか)。

 教会のキャンプは、信徒たちの親睦と修養会の意味合いがあります。YMCAなどのホテルスタイルの宿泊施設を使い、一泊か二泊を共に過ごすのです。

 主な目的は、礼拝と学びです。講師が招かれていて、大きなテーマでいくつかのメッセージを語ります。

 ふだんはそれぞれの生活に忙しく、日曜日の礼拝や週中に行われている聖書研究祈禱会などに集うのが手一杯の信徒が多いのです。キャンプ中は、早朝から、午前、午後、時に夜まで、十分に準備された神と聖書の物語、浸ることができます。

 

   

 礼拝後の交わり(親睦会)のひと時でした。

 誰かが、さなえさんに「絵手紙の作品を見せてくださいよ」と言いました。

   「いっそのこと、絵手紙講座を開いてくれませんか」

    その瞬間、さなえさんの顔が、あでやかにパッと輝きました。日頃のちょっと内気そうな口調から一転して、力強く告白されました。

 「私はどんな時も、絵手紙だけは描き続けてきました」

 それからまもなく、教会でさなえさんを講師として絵手紙教室が開かれたのです。

   

 

 

 

 

 


絵手紙とみことば、あけび

2023年12月03日 | 思い出

 

  この逸品です。

    あけび

  秋の山の空気まで描かれています。

  都会住みにはあまりなじみのない果物ですが、

  どうぞと手の上に置かれて、思わず見入ってしまいそうです。

 

  添えられたパウロのことばがまた、絶品です。

    信仰、希望、愛、

 

  この組み合わせ、とても信仰初心の方だとは思えません。

 

 

 

   


絵手紙とみことば、一粒の麦2

2023年11月26日 | 思い出

 

 謙遜な女性でした。

 いつも、「私はよくわからないのですが」と、ことばを探すようにゆっくりと話し始められるのです。晩年になって(70歳を過ぎて)救われたのを気にしておられるようでした。

 さとうも60歳を過ぎて救われたので、何かスタートが遅い組のような気がしていました。日本人ですから、年功序列みたいなものに遠慮するんですね。

 しかし、神様は時空を超えておられる方で、永遠から永遠を統べられる方ですからね。入会年度など気にしておられないのです。

 聖書には「後の者が先になり先の者が後になります。」と記されています。(マタイの福音書20章16)

 

 神様のことばの真意をはかりながら、聖書を読む奥ゆかしさが、そのためらいが、救われた者の顔を輝かせると、教えてくださった牧師がいました。

    

 私は想うのです。ある日さなえさんはみかんを目の前に置いて、絵筆を取るのです。そのとき、神様が絵に添えるみことばをお与えになったのです。

 

          

       まことにまことに、あなた方に言います。

     一粒の麦は地に落ちて死ななければ、一粒のままです。 しかし、

     死ぬなら、豊かな実を結びます。

               (ヨハネの福音書12章24節)

 

 さなえさんにはたくさんの親族(お子さんやその連れ合い、お孫さん、やしゃごさん)がありました。どの方もすでに美しい実でした。そのことに気づかれたさなえさんは、思われたに違いありません。この言葉は、イエス・キリストのことだ。ご自分のいのちと引き換えに、全世界の人たちのいのちを生かされた神の御子のことだ。

 多くの実の一つとして、神さまに感謝します。

   ★★

 

 私たちは二人で向き合って聖書について語り合う時間はあまりありませんでした。さなえさんはあまりに突然に召されてしまったのです。

 大輪の赤い花だった方の、ゆったりした笑顔がいまも私の目の前にあります。

 

 

 

 


絵手紙とみことば、一粒の麦

2023年11月23日 | 思い出

       

 

 

 さなえさんは10月25日に召天されました。88歳でした。

 数年来体力の衰えを感じていました。庭先まで出るのがやっとになっていました。教会にもめったにお顔を見せなくなっていました。お子さんやお嫁さんが車で送迎するべく用意していても、さなえさんはおっくうがるのです。心臓が悪いということで、心臓にペースメーカーを埋め込む手術をするということで、入院しました。

 その日は祈祷会でした。私たちはZoomシステムを通して参加していました。ですから、その日、Zoomをとおして手術後の元気がお顔が見られるかもと、期待していました。

 何故体調が急変し、逝ってしまわれたのかとの問いは消えることはないでしょう。

 答えは私にはなく、答えは、さなえさんご自身が用意されていたのです。

 香りまで描きこまれたみかんの絵には、ヨハネの福音書のことばが記されています。

 

 まことにまことに、あなた方に言います。

 一粒の麦は地に落ちて死ななければ、一粒のままです。しかし、

 死ぬなら、豊かな実を結びます。

               (ヨハネの福音書12章24節)

 

 

 

         

 


絵手紙とみことば

2023年11月13日 | 思い出

 

      どんな方だったの。と問われれば、

      誰もが答えるでしょう。

      大輪の八重咲の赤い花みたいな人だった。

      ゆったりと笑顔を浮かべて、

    全地よ。主に、喜び歌え

    

    神様のことばを口ずさむ方だった。