ノアの小窓から

日々の思いを祈りとともに語りたい

私は感謝します!

2018年10月10日 | 聖書
   
 フェイスブックで、シェアさせていただいた記事です。
 旧約聖書の詩篇の一部ですが、すばらしい言葉です。絵もすてきです。





  ここにある言葉をふくむ前後を、お読みください。


    主よ。あなたは私を探り、
    私を知っておられます。        (詩篇139・1節)
    あなたこそは私のすわるのも、
    立つのも知っておられ、
    私の思いを遠くから読み取られます。  (2節)
    あなたは私の歩みと私の伏すのを見守り、
    私の道をことごとく知っておられます。 (3節)
    ことばが私の舌にのぼる前に、
    なんと主よ。
    あなたはそれをことごとく知っておられます。(4節)
    あなたは前からうしろから私を取り囲み、
    御手を私の前に置かれました。       (5節)
    その様な知識は私にとって
    あまりにも不思議、
    あまりにも高くて、及びもつきません。   (6節)

    私はあなたの御霊から離れて、どこへ行けましょう。
    私はあなたの御前を離れて、どこへのがれましょう。(7節)
    たとい、私が天に上っても、そこにあなたはおられ、
    私がよみに床を設けても、
    そこにあなたはおられます。(8節)
    私が暁の翼をかって、海の果てに住んでも、    (9節)
    そこでも、あなたの御手が私を導き、
    あなたの右の手が私を捕えます。         (10節)
    たとい私が
    「おお、やみよ。私をおおえ。
    私の回りの光よ。夜となれ」と言っても、     (11節)
    あなたにとっては、闇も暗くなく
    夜は、昼のように明るいのです。
    暗やみも光も同じことです。            (12節)

    それはあなたが私の内臓を造り、
    母の胎のうちで私を組み立てられたからです。    (13節)

    私は感謝します。
    あなたは私に奇しいことをなさって、
    恐ろしいほどです。
    私のたましいは、それをよく知っています。     (14節)


    私がひそかに造られ、地の深いところで仕組まれたとき、
    私の骨組みはあなたに隠れてはいませんでした。   (15節)
    あなたの目は胎児の私を見られ、
    あなたの書物にすべてが書きしるされました。
    私のために作られた日々が、
    しかも、その一日もないうちに。          (16)






戦力外通告

2018年10月03日 | 立ち止まって考えること



  今頃の季節になると、「戦力外通告」という言葉を目にするようになります。
  プロ野球の公式戦が終わり、各チームの編成が新しくなるためらしいのです。

  私も、40年もむかし、、阪神タイガーズのファンを自認していたことがあったのです。
  「月間タイガーズ」なんか購読して、主力級の選手の活躍やファームの選手たちのがんばりにエールを送ったりしていたのです。
  当然、身内全部がそうなので、それは楽しい共通の話題でもあったのです。

  と言っても、たまに球場に行くくらいで、それも、
  頭のてっぺんから足の先までグッズにで固めて、踊り叫ぶといったファンではありません。
  気取っていえば、ひそかに、陰ながら、熱い思いをたぎらせていたわけです。
  何しろ、万年最下位と言われていたチームですから、こちらもあまり勝ち負けにこだわっていないのです。

  試合の成り行きにドラマを感じ、個々の選手にやっぱりドラマを見るのです。

  「息子をよろしく」というコラムがありました。二軍選手のお母さんの小さな手記でした。
  驚くのは、プロに来るような選手はみんな、子供の時からスポーツ万能で、学校でも地域でも有名で、  じつは、ほかの競技で全国大会に出たり、ほかのクラブの試合に駆り出されていたりしたというのです。

  とりわけ運動には見るべきものがなかった自分としては、まるで、高嶺にいる人たち。
  プロ野球の世界から、スカウトされるだけのことはあるんだと感激していました。
  ところが、その子たちが、ついに一軍に上がることもないまま、ある時、辞めていくのです。
  一軍で少し名前を見るようになった選手でも、「戦力外通告」を宣告されて、
  消えていくのです。

  一軍レギュラーで働いて「引退試合」をしてもらえる選手なんていうのは、例外らしいと知るのです。


      


  「戦力外通告」を受けて苦闘する選手のドキュメントが、テレビで放映されていました。
  確かに、四十歳になる前に、「戦力外」と通告されて、一番なじみの世界から出ていくのは、
  きついよねと思いました。
  人生これからという年齢です。家族のためにもこれから大金が必要になり、働かなければならない時期です。
  「捨てる神あれば、拾う神あり」の世界ではなさそうです。

  それでも、
  多くの人にとっては、
  「良い人生だなあ」と、垂涎(すいぜん)なのではないでしょうか。

  戦力外通告という言葉は、ちょっと無慈悲な響きがあるけれど、
  でも、それでも、それによって、彼らが色あせることはない!!
  そんな言葉だとも思うのです。

  その証拠に、この季節、
  多くの若者が、わくわくしながらドラフト会議を待っているのではないでしょうか。

  新しい季節が、近づいています。