ノアの小窓から

日々の思いを祈りとともに語りたい

聖書に見る美貌12――ダビデの王子たち

2016年10月31日 | 聖書



     ダビデにはたくさんの息子→娘がいました。沢山の妻がいたからです。
     当時は、一夫多妻です。
     旧約聖書は、一夫多妻を勧めているわけではありませんが、
     容認しているのは事実です。


     十戒の7番目の戒律「姦淫してはならない」は、石打の刑(死刑)の対象になる厳しいものです。
            (旧約聖書・出エジプト記20章14節)

     しかし、それは、新約聖書の時代の、一夫一婦制を前提にしたものではありません。

     男性に対しては、「夫や婚約者がいる女性との性的関係」
     女性に対しては、[夫や婚約者がいる女性の、
     夫や婚約者以外のすべての男性との性的関係」を対象にしていました。

     夫も婚約者もいない女性でも、婚姻以外の性的関係を持つのは「不品行」とされていました。
     


     これはもちろん、いまの時代から見たら、明らかに女性に不利な法でした。
     男性は、妻がいても別の女性と関係が結べたからです。
     いっぽう夫や婚約者がいる女性は、独身の男性との関係も、姦淫でした。

     ふたり以上の妻を持つことは、とくに禁止されているのではなく、
     旧約聖書中には、複数の妻を持つ例がたくさん出てきます。

     
           ★ ★  


     これは、聖書が与えられた時代、すでに、一夫多妻制度が存在しており、
     神様が、このような人間の「罪の現実」に歩み寄られたのだと、考えられています。
     女性に生活力がなく、とりわけ、未亡人になった女性の身分は不安定でした。

     夫と死別した女性が、夫の弟と再婚して子を設け、夫の家と財産をその子に継がせるという
     レビラート婚の制度もありました。
     兄の未亡人をめとるのが弟の義務ならば、すでに妻がいても、めとる場合もあったでしょう。

     富や政略、現実に姻戚関係になる便宜は、この世の習いとして世界中の国で、
     一夫多妻を慣行としてきました。

     しかし、一夫多妻は、悩みと悲しみと家庭騒動の温床だったことは事実です。

     ダビデも多くの息子・娘を持ったがために、家庭を治めることができませんでした。

     王位継承は、腹違いの多くの兄弟を、反目させ続けたでしょう。

     ダビデの死に臨んで、そのような兄弟の争いが起こります。

     あす、それを物語りましょう。






     

     

     

      

     


アルキスト

2016年10月27日 | 思い出




      GOOから一年前の記事が送られてきました。
      散歩に良い季節なので、このような記事を書いたのでしょう。

      きょうも夕方から、アルキストに出てきました。
      自分では歩いたつもりでしたが、7000歩ほどでした。

      それにしても、散歩に良い時候です。




      アルキスト
      このことばは、「まさこ造語」です。
      どこのうちにもあるでしょう。家の中だけで通じる言葉。

      かつて、連れあいと私は、午後になると「アルキストしようか」
      と、連れだって家を出たのです。
      何のことはない、ただの散歩です。
      自転車やバスでも楽な道だったので、
      あえて歩くときは、「アルキストする」のでした。

      最近、ふたたびアルキストをしています。

       よく歩いた頃を思い出したのです。
      子どものとき、歩くのはとても好きだったのも、思い出したのです。
      体育なんか好きではなかったのに、
      歩くのだけは平気でした。

      人間の足って案外力があるんですね。
      一歩一歩は小さいのに、一時間もすると遠いところへ移動しています。
      初めての道!
      見たことがない横町!
      全く未知の世界が開けて、知らない場所に旅人のように立っているのです。
      
      町田市では、散歩に出て帰ってこないお年寄りの行方を尋ねる放送が
      時々流れていますが、
      人の心配をよそに、
      ほんとうは、素敵な道や、町角や、花園で帰る時を忘れてしまうのかもしれないと、
      ふと、思うのです。
      まだ、私は、それほどの、どきめく場所を発見していないのですが。

      


         次の角を曲がったら、まだ見ぬ世界があるかもしれない。
         そんな夢を見るアルキストでいたいものです。




         はや、山茶花の咲く朝の散歩道






      


聖書に見る美貌11――ダビデの王子たち

2016年10月24日 | 聖書



      9月15日以来の「聖書に見る美貌」です。
     
     この連載の最初にお断りしたように、
     聖書は、人間の顔かたちや姿について、あまり言及していません。
     登場人物を語る時、必要もなく顔かたちを描写することはありません。


     もともと
     聖書が取り扱っているのは、人間のこころやたましいや精神です。つまり霊的な部分です。
          「人はうわべを見るが神は心を見るのです。


             ★ ★★ ★ ★



     しかし、「うわべ」が大切な話では、きちんと「うわべ」が語られています。

     イスラエル王国最初の王サウルは、最初の王としての外見の美しさが求められたのです。

        ベニヤミン人で、その名をキシュという人がいた。(中略)
        キシュにはひとりの息子がいて、その名をサウルと言った。
        彼は美しい若い男で、イスラエル人の中で彼より美しい者はいなかった。
        彼は民のだれよりも、肩から上だけ高かった。  (Ⅰサムエル記9章1節2節)


     また、二代目の王に選ばれたダビデは、「その子は血色の良い顔で、目が美しく、姿もりっぱだった」
     書かれています。
     ダビデの家は美形ぞろいだったようで、長男のエリアブがサムエルの前に進んだときは、
     神が、「彼の容貌や背の高さを見てはならない。わたしは彼を退けている」
     仰せになったほどでした。

              ★ ★ ★ 


     美形は、しかし、しばしば悪魔の付け入るところとなり、危機を招きます。

     ある時、ダビデの息子の一人アムノンが腹違いの美しい妹タマルに激しい恋をしてしまい、
     あげくに、病気のふりをしてタマルをベッドサイドに呼び寄せ、犯してしまいます。

     ところが、そのあとすぐ恐ろしくなったのか、激しくののしってタマルを追い払ってしまうのです。
     タマルは、たいへん傷ついて引きこもってしまいました。
     これを聞いたダビデは、アムノンの所業を「怒った」のですが、罰は与えませんでした。

     タマルの実の兄アブシャロムは、二年後、奸計を用いてアムノンを殺してしまいます。
     このアブシャロムは、また大変な美貌の持ち主でした。


          さて、イスラエルのどこにも、
          アブシャロムほど、その美しさをほめはやされた者はいなかった。
          足の裏から頭の頂まで彼には非の打ちどころがなかった。

          彼が頭を刈るとき、――毎年、年の終わりには、それが重いので刈っていた――
          その髪の毛を計ると200シュケルもあった。
                             (Ⅱサムエル記14章25節26節)
    

      これだけの美貌は、とうぜんアブシャロムの人気につながりました。
      彼は、父ダビデに対して謀反を起こすのです。
      ダビデは、一時は王宮から出て都落ちの旅に出ました。
      けっきょく、エフライムの森で行われたはげしい戦闘でダビデ軍が勝ち、
      アブシャロムは戦死します。

      彼の豊かな髪が木の枝にひっかかり、騾馬に逃げられたアブシャロムは、
      宙吊り状態のところを、ダビデの将軍ヨアブに心臓を突き刺されて死ぬのです。

      アブシャロムとダビデの父と息子の葛藤は、ダビデの生涯に大きな影を落としました。
                    (Ⅱサムエル記15章1節~18章33節)


       美貌の王子の権謀術数が王国を揺るがしている間、
       「心をごらんになる」神は、沈黙しておられるように見えます。       
     






     

     
         

夜の来訪者

2016年10月22日 | 自然



     夜、パソコンに向かっている時間――
     ふいに、紙を擦るような音がするので、

     目を上げてみると、なんと本棚に
     カマキリが止まっています。

     私は比較的昆虫にやさしいつもりですが、
     カマキリだけは、どうも苦手です。
     羽を開いて、カマを持ち上げて立ち上がりそうな姿はこわいし、

     多分、それ以上に、子どものとき見たカマキリの死骸が目に焼き付いているのでしょう。
     人に踏まれたか、自転車にひかれたか、大きなカマキリの腹のなかから黒い線虫が這い出していた。

     本棚に止ったカマキリははるかに小ぶりで、
     おまけに元気がなかった。
     カメラを向けても、カマを持ち上げるようすもない。


      ピンボケ写真ですみません。何枚かとったのにみなピンボケです。やっぱり手がふるえていた?!


      でも、秋の夜長をいっしょに過ごす相手としては最悪です。

      子供の頃はひょいと指でつかめたのに、あれこれ思いをめぐらせ、
      ようやく菓子の空き袋に追いやって、ベランダに放しました。








      

     

失せもの

2016年10月21日 | 季節








        失せものを さがして歩く、秋の路地

        失せものに つるべ落としの 秋の暮れ

        失せものに 振り返ってみる 菊の庭







      ※お題投稿に参加していないのに入ってしまいました。外し方がわかりません。
       わかる方教えてください。
       

       成るべき早く外しますので、お許しを!