ノアの小窓から

日々の思いを祈りとともに語りたい

農夫

2013年11月30日 | 歌う





              マサカリを 輪切りの丸太に振り下ろす
                               農夫の顔に 命あふれる









お父さん

2013年11月29日 | 日記



六年生にしては飛びぬけて大きな子供だった。いっしょに遊んでいる子供の中で群を抜いている。
 ジャングルジムで遊ぶゴリラ君?

「お父さんが大きいのね」
私は訊ねた。
 男の子はちょっとためらったあと、「ううん。お母さんが大きいんだ」

 夕方の公園。
 子供が一人帰り、二人いなくなり・・・私もそろそろ帰ろうかなと思いながら、少年の人懐っこい態度に惹かれて、おしゃべりを続けていた。
 つい最近、京都から東京に移ってきたのだと言う。私が関西から東京に出てきたのは、もうずいぶん昔だけれど、私の言葉にはあらわな関西アクセントがあって、ふたりとも親しみを感じたのかもしれない。

 「名前、なんていうの」
  君とか、あなたではよそよそしすぎると思って訊ねた。
 「どの名前? ぼく、三回苗字が変わったんだ。生まれたときは○○。それから☆☆なって、それから母さんがまた離婚して結婚して、今は□□」
 「かっこいい!」
 「かっこよくないよ!」
 少年は切りつけるようにいった。
 ハッとしたけれど遅かった。次の瞬間、少年は、遊具を降りて駆け去った。
 
 離婚や再婚はべつに悪くない。バツ一ふつう。バツ二やバツ三も、また、人生、と、いつの間にか思っていた。モラルに寛大で、時代のファッションにぴったりの人間!かも。
 でも、それは大人のロジック?
 
 ごめんね。私は心の中で、その子に謝った。



 20年も昔の文章が出てきました。当時はまだ、神様がいらっしゃるのを知りませんでした。





 ノアは、主(しゅ)のために祭壇を築き、すべてのきよい家畜と、すべてのきよい鳥のうちからいくつかを選び取って、
祭壇の上で全勝のいけにえをささげた。
 主は、そのなだめの香りをかがれ、主は心の中でこう仰せられた。
 「わたしは、けっして再び人のゆえに、この地をのろうことはすまい。人の心の思い計ることは、初めから悪であるからだ。
 わたしは、決して、再び、わたしがしたように、すべての生き物を打ち滅ぼすことはすまい。

    地の続く限り、種蒔きと刈入れ、
    寒さと暑さ、夏と冬、
    昼と夜とは、やむことはない。」  
             (創世記8章20節~22節  ノアの洪水)















どこにいるの?

2013年11月27日 | 歌う








           隠れた子 キバナコスモス 揺らしつつ




        そういえば、大人はぜったいにかくれんぼなんかしませんね。
        かくれんぼをしなくなったとき、子供を卒業したのですね。
        
        大人が隠れるときは深刻です。
        後ろめたいことから逃げているのですから。

        神様のご命令に背いて「禁断の実」を食べたとき、
        アダムとエバは神様の前から隠れました。

        



           そよ風の吹くころ、彼らは園を歩き回られる神である主(しゅ)の声を聞いた。
           それで人とその妻は、神である主の御顔を避けて園の木の間に身を隠した。
           神である主は、人に呼びかけ、彼に仰せられた。
           「あなたはどこにいるのか。」
                           (旧約聖書・創世記3章8節9節)