ノアの小窓から

日々の思いを祈りとともに語りたい

大晦日

2017年12月31日 | 季節




       大晦日は、昔から格別に寒かった。
       寒い日に、どうして大掃除するのと思った。一か月早くしてもよいでしょうに。

       と思うようになったのは、大人になってからです。
       子供の時は、「さあ、大変。年が変わる前にやり終えなければ」となる戦闘態勢に
       クレームをつけることなど、思いも及ばなかった。
       いつもいつも大人たちは忙しかったので、一か月の前倒しは難しいと、子供心に思っていた。

       何年かは、ちゃんと家で餅つきをしていたので、餅つきと正月料理の後はかなり散らかって、
       いやでも大掃除になる。

       きっと、さとうは、縄文時代人だと思われるでしょうね。
       餅つき機なんかなくて、重く大きい石臼を洗うところから始めて、
       へっついでもち米をたいて、何回餅をついたことだったか。

       父、兄、母が、それでも楽しそうに掛け声をかけあっていた。
       つき終わった餅を板に載せて、アツアツをのしたり、丸モチにしたり、
       その合間に、炊いた小豆や黄粉で、小さなちぎり餅を食べた。

       納豆と大根おろしを絡めるのは、東京に来てから知ったのです。
       家のもちつきも、中学生のころには終わった。
       お米屋さんが注文を取って、餅屋の餅を配達してくれる。

       実のところ、餅はあまり好きではなかった。すぐに胃がもたれると思ったからです。

       そういいながら、餅を準備しなかった大晦日はない。
       おせちを食べることはなくても、お雑煮は食べる。

       今日、
       日曜礼拝に教会へ行った帰り、お餅を買った。
       一袋一キロ。
       いったい何度、お雑煮ができることかしらと思ってときめいた。

       大晦日でなくてもお餅を買うこともあるのに、
       大晦日のお餅は、格別にうれしい!!


       でも、明日は元旦礼拝があるので、お雑煮は、帰宅してからですね。
       今年もあと五時間を切りました。

       感謝感謝の年が往きます。
       来年もよい年でありますように!!

       




  

繰り越し

2017年12月29日 | 日記



      今年も、余すところあと二日です。
      一年の反省は、きりがないので、ほおかむり。

      せめて、
      お掃除をして、買い物に行って、お雑煮の用意をして、
      ひっそりと、新年を迎えます。

      やらなければならないことは、聖書通読エッセイ。
      もうじき、旧約聖書が終わりますが、ここにきて、難渋しています。
      何しろ、中東の歴史をほとんど知らなかったからです。
      聖書の物語の中心「古代イスラエル」を取り巻く世界史を把握するために、今頃
      図書館から本を借りて、よんでいますが・・・。目は疲れるし、記憶力ははかばかしくないし、
      です。
     
      
             


      パソコン内にたまっている小説たちにも、なんらの行き先を、と思いはしますが、
      まあ、無名で、シニアのおばさんの小説集を出してくださるような
      奇特な出版社はあるはずもないので、
      来年も、頑張って、電子書籍を作ります。

      佐々木正明師の「神の国」(Ebookとしてアマゾンで既刊)の
      印刷版も、アドバルーンを上げたままになっています。

      やるべきことをたくさん「繰り越しそうな2018年」

      はたして、ノートに余白はあるでしょうか!!! 

      ブログで素敵な記事を読ませてくださったみなさま、
      また、つたない文章を読んで下さったみなさま
      ありがとうございました。
      来年もよろしくお願い申し上げます。

      よいお年をお迎えください。
                

      

      
      、 
      
            
      

      

ソロモンの箴言

2017年12月27日 | 聖書






    人は心に自分の道を思い巡らす。
    しかし、その人の歩みを確かなものにするのは主(しゅ=神)である。
                       (旧約聖書・箴言16章9節)




 自分の道を思い巡らせるとき、だれでも、それを確かにするのは「自分だ」と思うのは、ある意味自然です。結婚したければ婚活したり、恋人にプロポーズしたり、また経済的な準備をしたりしなければなりません。進学や就職を成功させるための勉強は自分がしなければなりません。それは自分が「する」のです。けれども、それだけでは不十分です。どんなに努力して完璧な準備をしたと思っても、すべてを采配しておられる方に祈り、より頼みなさいと、箴言の語り手は諭します。

 すべてを采配しておられる方は、主(神)です。これは、たぶん、世界や時間を広く生き、経験を重ねるほどわかって来ることなのではないでしょうか。

 イスラエル王国全盛期(BC970年即位)の王として、富、名声、恋、知的好奇心追求のすべてで頂点を極めたソロモンでした。それだけに、人間の「限界」と、神が世界を支配しておられることが、よく「見えて」いたのではないでしょうか



     「箴言」は旧約聖書の20番目に置かれた書物です。
      ソロモンが書いた(あるいは集めた)ソロモンの箴言と言われています。
      ソロモンは、ほかに「伝道者の書」「雅歌」を残しています。







快晴

2017年12月26日 | 自然


      日課の聖書通読エッセイに四苦八苦して、
      ふと顔をあげ、窓の外を見ると、
      快晴の空


      ああ、今年もあと一週間足らず、
      あっという間の、一年だった
      
      一身上には、何事もなかった一年。
      初めて、風邪をひかなかったし
      知り合いの訃報もきかなかった。
      
      やり残したことはいっぱいあって、
      いろんなものを、無理やり引出しに押し込んで、何食わぬ顔で、
      胸をなでおろしている。

      青空を見上げて、それだけで、
      すっかり、のんびりして、
      いつまでも、椅子に沈み込んで、
      このまま、このまま・・・
      と、思いにふけって、
      ありがとうございますと、つぶやく。
      真昼



       

      
      
      

      

クリスマス劇

2017年12月25日 | 季節

  
                              ようこそ、町田クリスチャンセンターのクリスマスイブ礼拝へ!


                                 


      町田クリスチャンセンターのクリスマスの出し物として、いつも降誕劇がつくられます。

      マリヤの処女懐妊と幼子イエスの降誕、馬小屋での出産は外せませんが、毎年その内容を、
      少しずつ演出を変え、角度を変えて楽しめるものにしています。

      今年は、聖書の放蕩息子の話と絡めたドラマにしました。
      全く新しい試みで、脚本ができあがるまで、少し時間がかかりました。

      稽古が始まるのも遅れ、12月半ばになってもキャスト全員そろっての通し稽古が、できないありさまでした。

      みんな仕事のかたわらに出演してくださるのですから、無理もないのです。
      それでも、何とか間に合いました。

      写真をご覧ください。本番では撮れませんので、リハーサルの写真です。

                      ★ 




           さあ、いよいよ控室で、メイクの始まりです。
                 

         
           演出家は、緊張の面持ちです。


                               
                        プロのオーボエ奏者です。天使の声が出演の時に演奏します。
                        もちろん、オーボエ独奏の演目もあります。

   代役マリヤを使ってのリハーサル

 三人の博士がマリヤとヨセフを訪ねてきました。前段の三人。
           フィナーレは、全員で、 Worship Song 10000reasons を歌います。


        


             

                           

                    礼拝終了後は、地下へ。心づくしのカフェが開かれています。