ノアの小窓から

日々の思いを祈りとともに語りたい

美しい祝日によせて

2019年04月30日 | 歴史


  昭和33年です。何月何日とは覚えていないのです。秋が深かったような気がします。
  私は有馬街道が神戸の街に入っていく入り口のあたりに、わざわざ出ていました。
  前夜、皇太子殿下が有馬温泉にお泊りになり、午後のその時刻に、その道をお通りになるとのこと。
  誰かが教えてくれて、学校帰りになんとなく出かけたのです。

  山と川に挟まれた両側一車線の道路は、ところどころ、出迎えの人が立っていました。、
  いまのようにテレビも普及していなかったので、知らない方も多かったのかもしれません。
  中学生だった私は、雲の上、あるい童話の中の王子様にお目にかかるような気分で、
  胸をときめかせていたような気がします。

  間もなく、白バイに先導された黒塗りの車が近づいてきました。
  ほかにどんな車がいたのか、記憶にはありません。
  あっという間に、目の前を通り過ぎる車の窓に、雑誌か何かで見覚えのあるお顔がありました。
  私は息をのみました。
  あまりに色白のお方でした。博多人形の陶器の顔のようにつるつるに見えました。
  しみひとつもない、そのようなきれいな顔を、それまで見たことがありませんでした。
 

         

  一週間後か、一か月後か、よく覚えていません。
  新聞に、ご婚約が発表されました。
  新聞の第一面に大きく出された、「正田美智子さん」の写真に息をのみました。
  未来の皇太子妃は、やっぱり、それまで見たこともないような美しさでした。
  とうてい、現実の世界のお話には思えませんでした。
  

  心の奥のどこかで、ちくりと刺されるような感じがありました。
  いま考えると、笑ってしまうのですが、
  思春期の乙女心が、自分の身の上と
  雲の上の王子様お姫様とを、比べていたらしいのです。

  翌年の四月十日、ご成婚式の日は、臨時の国民の祝日になりました。
  壮麗な馬車のパレードを、テレビで見ていました。
  ものすごい数の群衆が、歓声を送っていました。

  生まれて初めて見た「祝賀」の光景でした。
  やっぱり、夢の世界だと思いました。
  もちろん、もう、「ちくり」はありませんでした。




※上皇陛下と美智子さまのご結婚の時の思い出の断片です。

  
  
 
  
    
  
  

イースターをよろこぶ

2019年04月23日 | 聖書

 一昨日はイースターでした。
 十字架に付けられ死んで墓に葬られたイエスが、よみがえられた日です。生き返りではなく、よみがえり――復活です。これは聖書に記された事実です。
 はたしてイエス・キリストは本当によみがえったのか。よみがえりとはどういう意味なのかを問う議論が、イースターのたびに、ある人々の間で繰り返されているように思います。

 しかし、イエス・キリストを信じる私たちは、イースターをお祝いします。イースターエッグを作ったり、イースター食事会を楽しんだりします。イエス様の復活に心から感謝して、喜ぶからです。
              
                          

 復活を喜ぶ理由は、なんといっても、今も、「イエスは生きておられる」からです。あの十字架刑の日に、イエスが死んでしまって墓に葬られたままの方であったらどうでしょう。
 私たちは、イエスのその遺徳をたたえるだけです。そのご生涯を追い、その言動を一所懸命唱えて、なんとか、あたかも生きておられるように、イエスのお姿を固定しようと躍起になるでしょう。世俗の世界では、よくあることですが、その生涯を装飾するため、まさに、新たな「神話」が作られるかもしれません。自分こそイエスだと名乗るような者が出てくる可能性もあります。

 死で終わる物語は、人の心にさまざまな葛藤を生み出します。このときとばかりに、サタンが働くのです。
 自分の一生を、ある期間だけで終わりたくない、死にたくないというのは、私たち人間の本能でしょう。でも、どうして、そのような本能が組み込まれているのでしょうか。

 時々であっても、生涯のうちに、このような問いにとらわれたことがない人など、いないのではないでしょうか。




 
 二〇一〇年八月に、聖書通読エッセイを始めてからきょうまで、私は何度、創世記の始めに戻って読んだかわかりません。
 創世記の始まりは、たかだか半世紀余り世に存在している私には想像を超えた次元の話で、文字通り雲をつかむような世界です。ところが、読み進むにつれて、やっぱり戻ってみるのです。
 神が、楽園に置かれた最初の人間アダムとエバ、その人たちの顔かたちや暮らしぶりを尋ねたいのではありません。

 彼らも、たしかに、「息をしていた者」であり、「食物を必要としていた者」です。どうやら裸だったようですが、それは、彼らがターザンのように、素朴で、文明からはなれた原始林にいたからではありません。服を着たいのに買うお金がなかったとか、ブティックがなかったとか、寒さに震えていたというわけではありません。楽園は、完全に快適に温度も湿度も調節された世界で、彼らは、何かを身にまとうという必要さえ感じなかっただけのようです。

 夫婦二人だけですから、ふたりのセックスはほかの人間の目に触れるのでもなく、したがって、裸である事実に「目が開かれる」必要がなく、ただ、しぜんに愛し合っていたのでしょう。
 悪魔がそそのかすまでは、彼らには、禁止されている木の実が、「目にうるわしく、おいしそう」であることさえも、気がつかなかったのです。
 
 楽園には、「知恵の木」と並んで、「いのちの木」があって、いつでも取って食べることができました。ですから、そこで、人間は(ふたりは)永遠に生きるはずだったのです。

 私たちは、「永遠に生きるのが当たり前である者」として造られたのです。楽園にいさえすれば、つまり、神の守りの中にいれば、永遠に生きることができるはずだったのです。
 神のご命令に背いて、楽園を追放されたとき、私たちは、死ぬ者となったのです。


 
 
 死を受け入れるのが、正しい事実認識だと考えて、なんとか達観しようとしている人は、過去に大ぜいいました。達観できなくても、せめて、生を謳歌しようとすることは、「善」だと考えられました。楽しく前向きに有意義に謳歌できないなら、刹那だけでも楽しもうというのは大変歓迎されました。

 名や財産や子を残すことも、いのちの延長だと受け取られ、そのために人生を費やすのは、正しいことだと考えるのも、説得力があります。


 それでも、それでも、それでも・・・やっぱり、「生きたい!!」と望み、健康に気を付け、老いても正気を保とうといろいろ試しているのに、やっぱり、確実に老いていく自分の外見や意識を見るのです。そして、うなだれるのです。

 それは、当然なのだと、思うのです。
 私たちは、もともと、楽園にいて永遠に生きるように造られたのです。死は、私たちが造られた目的から見ても、理不尽な現象だと、聖書は教えています。

 私たちが、復活を喜ぶのは、ごくごく自然な本能なのではないでしょうか。



    さとうのもう一つのブログ「新約聖書通読エッセイ」から再録しました。
              http://genisis-a.seesaa.net/





 

コント「関西弁速習講座」・台本

2019年04月22日 | ことばの世界



   四月十八日の記事で公表した関西弁をネタにしたコントを、
   教会のイースターの祝会で発表しました。
   私にとって、生まれて初めての「芸人の舞台」です。多分、相方のレディも。

   一応私が書き、相方と作り上げた台本を公開します。
   レディが、結構アドリブを入れる芸達者なので、実際の舞台は、かなりスリリングでした。
   (その代り、思いがけない笑いをたくさんいただきました。)

   できれば、観客でもありたかったのですが、教会に、関西弁を使う方はあまりいなくて、
   撮影隊を持つほどの余力もないので、映像をお見せできません。

   もし、この台本を使ってみようと思ってくださる方は、ぜひ、舞台にかけてくださいませ。
   その場合、一言ご連絡いただければ、さらに感謝です。



     

   

   「関西弁速習講座」 
        コンビ名、  生八つ橋、サチコとマサコ


ナレーション、本日、当国際MCC大学言語学科では、語学入門コースの一つとしまして「関西弁速習講座」開催します。
   場所、    本学礼拝堂
   時間、    午後一時から
   参加資格、  関西弁に興味がある者――ある程度日本語を修得していることが望ましい。
   年齢、    不問
   参加受講料、 無料
   効能、    かならず関西弁を修得できる。


キャスト、言語学科教授A,助手B
     受講生(観客)
装置  机、紙

  助手、下手より出て来て、机の左側に立つ。


助手  みなさん。イースターおめでとうございます。
    お待たせしました。ただいまから、関西弁・速習講座を始めます。
    この講座のために、関西言語大学から、関西弁の権威、中中博士が来てくださいました。
    お呼びしましょう。拍手でお迎えください。

      拍手、教授が上手より登場

助手  本日は遠いところを、お運びいただきありがとうございます。みなさん、中中博士です。
教授  はじめまして。お招きいただいて光栄です。関西弁の理解と普及のためなら、世界中どこへでも行く中中です。
助手  きょうの講座は、速習とタイトルがついています、お時間も15分と限られているのですが、15分で、関西弁がマスターできるのでしょうか。私は少なくとも、生まれてから23年間、関西弁漬けでした。
教授  大丈夫。中中メソッドに従えば、誰でも、15分で関西弁が使えます。早速始めましょう。
    さて、みなさん。みなさんが、関西に行って、「なんや東京のお人か」と思われないために、できた     ら、うどん屋で油揚げを一枚好意で追加してもらえるように、ぜひ、覚えて帰ってください。
    さて、一番、簡単な所から始めましょう。
    まず、一文字単語です。みなさん。このことばは、なんとよみはりますか。

     助手、「木」と書かれた紙を見せる

助手、 (客席に)はい、どうぞ。「き」
教授  正解は、「きー」です。はい、つぎ。

     助手、「胃」と書かれた紙を見せる

助手、  はい、どうぞ。「い」
教授、  正解は、「いー」です。延ばしてください。はい、つぎ。

      助手、「蚊」と書かれた紙を見せる。

教授、助手、(客席に)はい、どうぞ。

聴衆、教授、助手   「かー」
教授、   よくできました。さすが、MCC大学のお客様は、呑み込みが早い。
      「かーにかまれた」というように使います。(手で腕をかまれた身振りをする)、
      間違っても、関東風に「蚊に食われた」と言ってはいけません。
      「カーに食われて、チーが出た」と言いましょう。はい、ごいっしょに。
助手、  (手振りで観客をうながして、)
      「カーにかまれて、チーが出た」

教授、   (英語らしい発音で)グゥッド! 
      わかりましたね。関西弁の法則1、「一文字名詞は、の・ば・す」、です。はい、つぎ。
助手、   「毛」と書かれた紙を見せる

教授、    はい。発音!
助手と観客  けー、

教授、    せっかくですから、例文を作りましょう。
助手     ケーが伸びた。
教授     ほかには、
助手     ケーを切った。
教授、    つぎ、
助手     ケーを洗う。
教授     シャンプーすると言いなさい。つぎ、
助手     ケーを乾かす
教授     ブローすると言いなさい。つぎ、
助手     ケーを染める
教授     カラリングと言いなさい。はい、もう一度、
助手     カラリング
教授     (大げさに英語の発音で)エクセレント!! スーパー!!
       はい、つぎ。
助手     ケーキ
教授     それはケイクです。はい、発音、ケイク!(と観客に)
助手と観客  ケイク。
教授     そう。バースディケイクのケイク、クリスマスケイクのケイク、ショートケイク、チョコレイトケイク、●、●
助手     先生、
教授     チーズケイク、フルーツケイク、ロールケイク、
助手     先生、先生、
教授     パンケイク、ホットケイク、
助手     先生。つぎ、これですけど。
        紙を見せる。
教授     バナナタルト、アップルパイ、シナモンパイ、
助手     先生!
教授     シャラップ! 
助手     先生!
教授       ふどうパイ、イースターバイ、イースターエッグ、イースターアンパン・・・
     (助手と教授顔を見合わせ、助手と教授  腕でハートをつくる、二人一緒に、イースターおめでとうございます。
     







   

方言

2019年04月18日 | 立ち止まって考えること



    旅行のお土産に、一筆箋をいただいた。
    博多の方言が紹介されている。

     げたない・・・~だそうだ
     わいたあ・・・そりゃ大変
     しかぶる・・・お寝しょする・失敗する
     なおす・・・・しまう
     すったり・・・さっぱり

    同じ日本語で、よくもこれ程、言葉が違うものだと思う。
    この中では、「なおす」だけが、関西でも、同じ意味に使われている。

    ほかの4つのことばは、関西弁でなんといったのか、もう記憶にない。
    東京に来て半世紀近くなる。
    最初の頃は、電車の中でも、異国のことばがビンビン耳に響く、そんな感じだった。
      いんげん――さんどまめ
      春菊――  菊菜
      おでん―― かんとだき
      とりにく――かしわ
      さつまあげ――てんぷら      
      こぶ  ―― こんぶ      
      仏壇――  ぶったん

      
      いちいち言い換えていたのも、いつの間にか慣れ、

    故郷のことばは忘れ、それでいて、
    関東人のことばも習得できず、いまだ関西弁の●●さん。
    さて、このまま、天国まで行くとして、
    (「神様。よろしゅうおたの申します。変な関西弁で、ごめんなさい」)
    と神様に言い訳が必要なありさま。

    ならば英語をと頑張ったころもあったけれど、おおかたモノにならず、
    でも、方言って、ウリになるんですね。

    そこで、今、関西弁をネタに、
    コントをしたいと、同じ関西出身のレディと画策しているのです。

    さて、うまくいけば発表します。うまくいかなければ、続報はございません。

    イースターの食事会の後の祝会で、発表するつもりです。
    ぜひ、観においでくださいと言いたいのですが、
    練習し過ぎて、熱が出るかもしれませんので、
    かならず、舞台に上がるとは、お約束できないのです。

    
    お祈りください!!
    


    

    

    
     

    

祈りの部屋②――さくら満開

2019年04月04日 | 季節


   ベランダの先の、さくらが満開です。
   花冷えの中で、しずかに空を仰いでいます。
   夕方から先、かなり冷えるのに、おびえる様子もなく――
   「だって時期だから」と言っているようです。



          



       天の下では、何事にも定まった時期があり、
       すべての営みには時がある。

       生まれるのに時があり、死ぬのに時がある。
       植えるのに時があり、
       植えた物を引き抜くのに時がある。

       殺すのに時があり、いやすのに時がある。
       くずすのに時があり、建てるのに時がある。

       泣くのに時があり、ほほ笑むのに時がある。 
       嘆くのに時があり、踊るのに時がある。  
            (旧約聖書・伝道者の書3章1節~4節)


          

   神様。

   自分も、この花々のように、誇らしく、楽しそうに咲いていた時期があったことを
   感謝します。

   もう、歌声も枯れてしまいました。
   眼鏡なしでは、近づいてくる人の顔もわかりません。

   たくさんいただいても食べることができず、
   アイスクリームや、冷たいビールへのあこがれも、あせてしまいました。

   でも、神様。

   たしかに、喜んで歌った時もあったことを、ありがとうございます。
   検眼票の一番下まで見えたころ、
   冷たいビールを飲んで、みんなと乾杯した時、

   大きくてカラフルなアイスに舌鼓を打ったころを、
   今、笑顔で思い出せることを
   
   感謝申し上げます。