ノアの小窓から

日々の思いを祈りとともに語りたい

山の春

2014年04月27日 | 日記



信州の山間の村にいます。
   

      東京より少し遅い植物をご紹介します。



            

     わらび



               

                  ひとりしずか


               

                  しらかば



                   

                  さくら
    


贈り物

2014年04月25日 | 日記
     自分が生きて来た道で、大きな贈り物を受けたことが何度もあるのですね。
     でも、わがままで自己中心の私は、それに気がつかなかったなあと、ときどき振り返るのです。

     ここにある二冊の聖書も、その時は何気なくいただいてしまった貴重な贈り物です。六年ほど前のことです。


                     


     家庭を開放して宣教師さんをお招きして、
     「聖書の学び会」を主宰しておられた女性のご主人が下さった文語訳の新約聖書です。
     大きい方でも、15×10.5㎝、
     小さい方は、10.5×7・5㎝

     これほど小さな書物で、蟻よりも小さなそれぞれの活字を
     どのような大きさだと言えばよいのか、私にはわかりません。

     驚くのは、小さな活字の漢字全部にも振り仮名がついていることです。



     大きい方の聖書(Bとします)は、合衆国で印刷されています。

     小さい方(Aとします)は、東京都文京区戸崎町94番地、株式会社 大熊整美堂昭和23年10月1日付けで
     初版が印刷されたと記されています。

     小さい方の聖書には、新約聖書二十七巻とともに「旧約聖書の詩編」がついています。


         聖書A

             


         聖書B

              


    どちらも学生服の胸ポケットに入る大きさです。小さい方はボロボロです。
    戦後すぐ、東大の学生さんだったこの聖書の持ち主は、いつも持ち歩いていたのでしょうか。
 
   
    文語訳聖書は、とても格調の高い日本語だと言われています。
    たとえば、有名な「山上の垂訓」の一部――


    イエス群衆を見て、山にのぼり、坐し給えば、弟子たち御許に来る。イエス口をひらき、教えて言いたまふ。
    「幸福(さいわい)なるかな。心の貧しき者、天国はその人のものなり。
     幸福(さいわい)なるかな。悲しむ者。その人は慰められん。
     幸福(さいわい)なるかな。柔和なる者。その人は地を嗣(つ)がん。
     幸福(さいわい)なるかな。義に飢え渇く者。その人は飽くことを得ん。
     幸福(さいわい)なるかな。憐憫(あわれみ)ある者。その人は憐憫(あわれみ)を得ん。
     幸福(さいわい)なるかな。心の清き者。その人は神を見ん。
     幸福(さいわい)なるかな。平和ならしむる者。その人は神の子と称(とな)えられん。
     幸福(さいわい)なるかな。義のために責められたる者。天国はその人のものなり。」
                              (新約聖書・マタイ傳第五章一節~十節)





     この聖書の持ち主は、四年前にお亡くなりになりました。
     
     亡くなる一週間ほど前に病床洗礼を受けられて、御国(みくに=天国)に旅立たれました。
     それで今、私たちは兄弟姉妹と呼び合うことができます。
     いつの日か天国でお会いしたら、お礼を申し上げなければなりません。


                         
              








     



       
     

雅歌

2014年04月23日 | 歌う


                  ソロモンの雅歌


              あの方が私に
              口づけして下さったらよいのに。
              あなたの愛はぶどう酒よりも快く、
              あなたの香油のかおりはかぐわしく、
              あなたの名はそそがれる香油のよう。
              それで、おとめらはあなたを愛しています。

              私を引き寄せてください。
              私たちはあなたのあとから急いでまいります。
              王は私を奥の間に連れて行かれました。
              私たちはあなたによって楽しみ喜び、
              あなたの愛をぶどう酒にまさってほめたたえ、
              真心からあなたを愛しています。       (旧約聖書・雅歌1章1節~4節)   




        雅歌は旧約聖書の二十二番目に置かれた書物です。
        全編男女の愛が歌われています。

        伝統的には、イスラエル王国絶頂期の王ソロモンの作だと言われていますが、
        ソロモンに献呈された詩と解釈することもできるとか。

        ソロモンの書いたものと言われている「伝道者の書」「箴言」は、
        クリスチャンでない人にも人気がありますが、
        「雅歌」は、あまり知られていないのではないでしょうか。

        




       神は、ソロモンに非常に豊かな知恵と英知と、海辺の砂浜のように広い心を与えられた。
                                                   (同・Ⅰ列王記4章29節)
       彼は三千の箴言を語り、彼の歌は一千五百首もあった。                   (32節)














うつろう

2014年04月22日 | 歌う





          蕊降りし まだらに若葉 萌えし午後



       俳句を作っておられる方のブログで、さくらが散った後に赤い芯が残り、降るさまを、
       「蕊降る」と言うのだと紹介されていました。

       素敵な言葉ですね。

       ベランダ越しに見える桜も、「蕊降る」から「若葉」に場所をゆずっています。

       子猫が成長するにつれて、柔毛の間から大人の毛が伸びてくるときのようで、
       とても初々しいのです。

 
       私たちは、創造主から、じつに、多くを与えていただいています。
       すべて、無代価の贈り物なのですから、感謝です。









よみがえり

2014年04月21日 | 日記


 
           
 
         詩・「あしあと」


      ある夜、わたしは夢を見た。

      わたしは、主(しゅ)と共に、なぎさを歩いていた。

      暗い夜空に、これまでのわたしの人生が映し出された。

      どの光景にも、砂の上に二人分の足跡が残されていた。

      一つはわたしの足跡、もう一つは主(しゅ)の足跡であった。

      これまでの人生の最後の光景が映し出された時、

      わたしは、砂の上の足跡に目を留めた。

      そこには一つの足跡しかなかった。

      わたしが人生で一番つらく、悲しい時だった。

      このことがいつもわたしの心を乱していたので、

      わたしはその悩みについて主にお尋ねした。

      『主よ。わたしがあなたに従うと決心した時、

      あなたは、全ての道で、わたしと共に歩み、

      わたしと語り合って下さると約束されました。

      それなのに、わたしの人生の一番つらい時、

      一人分の足跡しかなかったのは何故ですか。

      一番あなたを必要としていた時に、

      あなたが、何故、わたしを捨てられたのか、

      わたしには分かりません。』

      主はささやかれた。

      『わたしの大切な子よ。

      わたしは、あなたを愛している。

      あなたを決して捨てたりはしない。

      ましてや、苦しみや試みの時に、

      足跡が一つだったのは、

      わたしがあなたを背負っていたからだよ。』    (作者不詳)


                ◎   ◎   ◎



         イエスは言われた。
      「わたしは、よみがえりです。いのちです。
      わたしを信じるものは、死んでも生きるのです。」
                        (新約聖書・ヨハネの福音書11章25節)




      よみがえられた主は、いまも私とともにいて下さる。
      これがキリスト者の希望です。
      復活の日に、その喜びを新たにするのです。