ノアの小窓から

日々の思いを祈りとともに語りたい

曙光――自殺救助を考える映画

2018年06月29日 | 立ち止まって考えること








この一見豊かな日本で、年間2万人以上の方が自殺をするとは、驚きです。
死のうとする人にどう向き合うかは、だれもが一度は考える問題ではないでしょうか。
独立プロ系の、このような映画を多くに人に見ていただきたくて、シェアしました。



本作のモデルとなった藤藪庸一さんとは…

NPO法人白浜レスキューネットワーク理事長、白浜バプテスト基督教会牧師。
東京キリスト教大学神学部神学科卒業。1999年、郷里の和歌山県白浜町にある白浜バプテスト基督教会で牧師になり、前任の牧師が1979年に始めた「三段壁いのちの電話」を引き継いで、本格的に「いのちの電話」での相談活動を開始。自殺を水際で防ぐ自殺者救済活動や、保護した人々をケアする自立支援活動を行う。
これまで保護した自殺志願者は900人を超え、それらの人々と一緒に寝泊まりする共同生活を通じて現在も、自殺防止の活動を続けている。また、自殺予防活動として子どもへの支援活動等、様々な角度から自殺防止に取り組む。和歌山県自殺対策連絡協議会委員。
著書『「自殺志願者」でも立ち直れる』(講談社刊)。
NHK「プロフェッショナル仕事の流儀」ほか出演。














ペテロ、水の上を歩く――佐々木正明牧師の説教

2018年06月19日 | 聖書






  これは、先日、香港の教会に招かれた佐々木正明牧師の説教です。
  すべて英語ですが、日本語訳もつけました。







2018年6月10日 香港の教会での礼拝会説教

題  「主よ。お助けください。」
聖書箇所   マタイの福音書14章22節~33節

導入  イエス様の弟子の中でも、いちばん愚かだった弟子



 なぜイエス様はペテロをお選びになったのか
イエス様の弟子たちの多くは、学問もなく、粗野で、愚かで、馬鹿と呼ばれアホと言われても、しょうがないような人たちでした。そのような中で、ペテロは代表格だったのです。彼は弟子たちのリーダーであったのに、イエス様からは、しばしば叱られ、忠告され、正されていました。彼は考える前に走り出すタイプだったようです。
 ペテロが弟子に選ばれたこと自体が不思議なのに、ましてやリーダーです。いったい彼には、どのような資質があったのでしょう。



Ⅰ イエス様のようになりたいという、強い願い  

        
真似てみたかったペテロ

 たとえどんなことであっても、イエス様がなさったことであるかぎり、ペテロはそれを真似てみたかったのです。この時イエスがなさったのは、並みの事でも、尋常な事でもありません。それはあり得ない、考えられない、不可能で、常識に反することでした。自然の法則にも、私たちの経験にも反していました。それは決して起こり得ないことであり、だれも見たことのないおかしな事でした。嵐の暗闇を散策するだけでなく、水の上を歩かれたのです。それも、波立ち、逆巻き、激しく打ち返す嵐の湖の上です。まさにあってはならないことでした。


常識をはずれたイエス様の教え

 イエスがお教えになったことの多くは、通常では考えられない、まったく常識はずれのものでした。イエス様の教えの一部に耳を傾けてみましょう。
 こう仰せになっています。「悪い者に手向かってはなりません。もし誰かが、右の頬を打つなら、左も向けなさい。あなたを告訴して、服を取ろうとする者には、コートもやりなさい。あなたに強いて、一マイル行けというなら、いっしょに2マイル行きなさい。願う者には与えなさい。あなたから借りようと頼む者を、断らないようにしなさい。」
 このように、イエス様の教えはこの世の教えとはまったく異なっています。皆さんの両親の教えとも、隣人の忠告とも、地域社会の戒めとも、国の法律とも異なっています。イエス様の教えとご命令は、どんな人から聞くこととも異なっているのです。


常識をはずれたイエス様の行為

 イエス様の教えだけではなく、イエス様の行為もまた、私たちの周囲で見られるものとはまったく異なって、常識はずれのものでした。人は、富や財産、権力や権威、地位や既得権、名声や栄光を追い求めますが、イエス様はそれらすべてを拒絶し、放棄なさったのです。天地の創造者であり、すべての力に勝る力をお持ちになり、あらゆる権威を超えた無限の権威を行使でき、すべての栄光の上に座しておられた方なのに、イエス様はそれらすべてを放棄して、この貧しく汚れた世界に来て下さったのです。
無力な赤ん坊として、忘れ去られたような寒村に生まれ、飼い葉桶に寝かせられ、貧しい大工の息子として成長されたのです。


イエス様の生活の様子

イエス様は天と地を創造された、栄光に富む方でした。しかし、この世界に来てくださり、父のヨセフが若くして亡くなった後には、自ら大工となって暮らしておられました。ヨセフは、年期の入った大工として、結構、良い金を稼ぐことが出来たと思われます。しかし、イエス様が一家の大黒柱となられたのは、まだティーンエイジャーのころでした。彼の稼ぎは4人の弟たちと、少なくても二人の妹たちを養うには、とても充分とは言えなかったでしょう。イエス様も母マリヤも、一所懸命に働いたに違いありません。でも彼らは貧乏でした。十分な食べ物もなく、着る物も、寝具も、何一つ、十分ではなかったことでしょう。
隣近所の人たちは、その様子を見て可哀そうに思い、ある時は食べ残した食料を、持ってきてくれたかもしれません。使い古しのブランケットを手渡してくれたことも、色あせた着物を届けてくれたことも、半分すり切れたサンダルを、置いて行ってくれたこともあったのではと思われます。


イエス様は神としての力をお用いにならなかった

 すべてのものを無からお造りになった創造主、全知全能のお方が、片田舎のみすぼらしい大工として、ほこりと泥にまみれて働かれたのです。ご自分の私生活のためには、けっして、神としての栄光の力をお用いになりませんでした。イエス様は汗と涙を流されたのです。かつて、「光あれ」と言われて、光をお造りになったお方なのに、地上の生活では、その力をご自分のためにお使いになることは、絶対になかったのです。彼は「家よ。建て!」とも机よ。現れよ!」ともお命じになりませんでした。私たちと同じように、人間として、手と足を使って糧を得ておられたのです。ですから、イエス様の手はきれいではありませんでした。柔らかくも滑らかでもなかったのです。ひどく汚れて、切り傷やひっかき傷、打ち傷や擦り傷と、たくさんの傷跡があり、指はゴツゴツと節くれだっていたに違いありません。衣服にはおが屑がまとわり付き、髪の毛には木くずが乗っていたことでしょう。


 イエス様は赦しを実行なさいました

 イエス様は十字架の上で死んでくださいました。何一つ罪は犯されませんでしたが、木に架けられて、お死にになったのです。栄光の主は、私たち罪びとを救うために、呪われた者とされ、拒絶されたのです。イエス様は完全な従順を最後まで保ち、十字架をご自分の肩に負われたのです。イエス様は十字架の上で叫ばれました。「父なる神よ。彼らをお許し下さい。彼らは、自分が何をしているのか、分からずにいるのです。」
 イエス様の教えと行動は、不可解なものです。とても並みの事ではありません。私たちの常識に反するものです。ここでも、嵐の湖の波立つ水面をお歩きになっています。かつて誰もしたことがないことを行い、ほかの誰もしようと思わないことをなされたのです。



2. イエス様のようになれるという強い信仰

 ペテロは強い願いと信仰をもっていた

 ところがペテロは、イエス様に倣いたいと願いました。イエス様が行われたことはみな、何がなんでも真似てみたかったのです。それが、ペテロの熱い願いであり、本当にそうできるという、強い信仰さえ持っていました。
ペテロはイエス様を見つめて、頼みました。「主よ。あなたでしたら、私に水の上を歩いてここへ来いとお命じ下さい。」 イエス様は答えて言われました。「来なさい。」 ペテロはイエスの言われたことを聞きました。イエス様はたしかに「来なさい」と言われたのです。そしてペテロはそのお言葉に従ったのです。愚かで馬鹿げたことではありますが、ペテロは舟から足を踏み出したのです。

ペテロは成功した
ペテロは、自分が水の上に立っているのに気づきました。そこでさらに、勇気を持って歩きはじめました。波の上を歩いたのです。嵐で波立つ水面を歩いたのです。彼は、イエス様と同じようにできたのです。イエスのようになったのです。まさに「ヤッター!」というところです。ペテロはイエス様に倣うことができたのです。イエス様をしっかりと見、イエス様のみ声を確実に聞いていたとき、ペテロは、誰もが不可能だと思うことをすることができたのです。それは、ペテロの信仰の勝利でした。


私たちの体験

これはまた、私たちの体験でもあるのです。イエスを救い主として信じた直後には、しばしば、びっくりするほどに生活が変えられます。牧師として私は、同じようなことをいく度も見てきました。それは、まだ若く経験不足の牧師だったころの私には、ほんとうに大きな励ましとなりました。

本当にあったお話し

じっさいに私が体験した、奇跡のような出来事をお話ししましょう。1969年のことです。私は沖縄の小さな村で、教会を始めたばかりでした。ちょうどベトナム戦争が最も激しかった頃です。村は米軍用機の離陸ルートの直下にありました。毎日、何十機ものさまざまな軍用機が、私たちの真上を飛び抜けて行きました。目一杯の積載量で急上昇ができないため、わずか200メートルほどの上空を、耳をつんざくような音で、あらゆるものを震わせながら飛んでいくのです。広場には何百何千もの軍用車両の残骸が、赤く錆びてうずたかく積み上げられていました。

 私が教会を始めようとしていのは、3000人ほどの住民が暮らす小さな村でした。しかしベトナム戦争のせいで、この小さな村には、1000人を超えるアメリカ兵士目当ての売春婦が住んでいたのです。村は、アメリカ軍基地のふたつの門に挟まれていました。基地の門の前には、たくさんの質屋、酒場、キャバレー、ダンスホール、売春宿がありました。

 この海兵隊基地は、大きな検疫所を備えた特別なものでした。これからベトナムへ行って、地獄を見なければならない兵士たちも、ベトナムで地獄を見て来た兵士たちも、すべて、つまり海軍だろうと、空軍だろうと、海兵隊だろうと、陸軍だろうとみな検疫のために、三日三晩この基地に留まらなければならなかったのです。ここがどんな場所であったか、想像に難くないと思います。もしもここで、まだ見た目が若い女性に出会ったら、そのほとんどは売春婦だったのです。

 ある日曜の夜の伝道集会に、ひとりの女性が入ってきました。すぐに、売春婦だとわかりました。その頃、私はその手の女性にうんざりしていました。彼女たちの多くが、集会にやってきました。次から次へと、彼女たちは悲しい身の上話を聞かせてくれました。もちろん、私は何とかして彼女たちを助けようとしました。相談に乗り、いろいろ教え、イエスに頼るよう励ましました。

 彼女たちも、涙を流して泣き、むき出しのコンクリートの床に、身を投げ出しさえしました。自分たちの罪を悔い改めて、告白もしました。しかし何一つ、まったく変わらなかったのです。私の胸は、このような女性たちに対する、苦いものであふれてしまいました。いつも、裏切られた思いになったものです。

 説教を終えた私は、牧師としての責任感だけで、女性のところへ行きました。「何かお話があれば、どうぞ」と言いますと、その女性は、堰を切ったように自分の抱える問題を話し始めました。今の境遇を変えたいと、どれほど願っているか・・・・。
またも同じような話です。もう聞くのさえ「うんざり」でした。貧しさゆえに両親は、彼女をたった200ドルで、ヤクザに売ってしまったのです。13年もの間、売春婦として働かされたのに、借金はどんどん膨らんで5000ドルになっていました。それは当時、立派な家が一軒建つほどの金額でした。私の月給が30ドルだった頃です。

 五年ほど前、彼女は小さな漁船を雇って、ひそかに日本へ逃げ出しました。小さな島伝いに逃げて、とうとう日本本土に上陸できました。その頃、沖縄は、まだアメリカの施政権の下にあり、日本に渡るにはパスポートが必要でした。彼女は、パスポートもビザももっていませんでしたから、密出入国をしたのです。それでも、なんとか上陸して、小さな食料品店で働き始めました。
しかし、彼女は自分について知らなかったのです。彼女は、奴隷のように働かされていた売春婦だっただけでなく、罪の奴隷でもあったのです。ヤクザに売られて支配されていただけでなく、長いあいだ売春婦として働いているうちに、自分自身の性欲に支配されるようになっていたのです。

 せっかく日本で自由になったのに、性の欲望がすでに彼女を奴隷にしていたのです。彼女は新しい自由な生活に、満足できませんでした。男なしには生きていくことができずに、日本でも売春をするようになってしまいました。そうするうちに、彼女はヤクザに見つけられ、沖縄に連れ戻されたのです。罰を受けた彼女の借金は、またまた膨れ上がりました。

 話を聞きながら、私はひどく疲れてしまいました。また同じ物語です。私は彼女のためにお祈りをしました。心なんてこもっていない、おざなりな祈りです。「主よ。この気の毒な女性をお助け下さい。罪とヤクザから解き放ってください。」 それから言いました。「主イエス様に頼り、お祈りを続けてごらんなさい。主はその問題からあなたを解き放ってくださいます。イエス様に不可能なことはありません。」 彼女に言ったことは、神学的には正しいものです。私は真実を語ったのです。でも心はこもっていませんでした。私自身が、自分の祈ったことを信じていなかったのです。

 しかし、主の御名は褒められるべきかな! 次の日曜日の夜、彼女は集会に現れました。すぐに「あの女性」だと、気づいたことは気づいたのですが、驚いたことに、彼女はまったく別人のように見えたのです。前の週に来たのと同じ人であるとは、到底思えませんでした。服装は同じでしたが、何かが完全に変わっていたのです。理屈で分かったのではなく、強く感じたのです。
 
 説教の後、急いで彼女に近寄り、尋ねました。「何があったのですか。あなたは、まるで別人のように見えます。」「ええ。私はいま、まったく別人です。」 彼女は答えてくれました。「信じられないことが起こったんです。イエス様は、祈りにお応えくださいました。先週の日曜日の夜、私は仕事に戻りましたが、あれほど私を駆り立てていた性欲が、なくなっているのに気が付いたのです。ほんとに消えてしまったんです。私の本当の問題は大きな借金でも、ヤクザでもなかったんです。私の性欲こそが問題だったんです。長い間、売春婦として働いているうちに、私はセックス中毒に陥っていたんです。でも、主は祈りにこたえてくださいました。もう、そんなものに駆り立てられることはありません。もちろん借金を抱えていますから、まだ売春婦として働かないわけにはいきませんが、私はもう別人です。イエス様は、私の一番大きな問題を取り除いてくださったのですから、きっと、ほかの小さな問題も、取り除いてくださるに違いありません。」


私は彼女の話を信じられませんでした。でも、せっかくの証を質問攻めにしてはいけないと思い、ただ、「そうです。その通りです。イエス様は、あなたが信仰をもってお願いする限り、どんな問題でも解決できるし、またしてくださいます」と、相槌を打つだけにしておきました。その日から、彼女は私たちの小さな開拓教会の中で、一番素晴らしい熱心な信徒になりました。
数か月後のある日、彼女は笑顔を輝かせてやってきて、言いました。「とうとう、ヤクザからも大きな借金からも、完全に自由になりました。」何があったのかは知りません。どのようにして、なぜ、そうなったのかも知りません。私は、主が働いてくださったのだと信じました。彼女は、その日から、売春婦をやめ新しい人生を踏み出したのです。
イエス様が、祈りに応えてくださる方なのですから、どんなことも可能なのです。イエス様は、彼女の切なる願いに応えてくださったのです。今頃、彼女は幸せなおばあちゃんとして生きていることでしょう。


ペテロの失敗

ペテロは水の上に立ちました。波の上を歩きはじめました。まさに「ヤッター!」です。ところが、突然、彼は波立つ水面を見てしまったのです。吹きすさぶ風の音を聞いてしまったのです。彼は、イエスから波に目を移してしまいました。イエス様に聞く代わりに、風の音を聞いてしまいました。するとどうなったでしょう。彼は恐怖に襲われました。彼の心は恐れに囚われてしまいました。疑いが彼の心に忍び込んできたのです。その瞬間、ペテロは沈み始めました。水の上に立ってはおれなくなって、逆巻く波に飲み込まれてしまいました。


私たちの体験

私たちもまた同じことを経験します。イエス様を信じて新しい生活を始めた直後は、素晴らしい経験をします。大酒をやめ、タバコをやめ、ギャンブルや喧嘩をやめて、親切な良い人になり、他人の世話をするようになります。ところが、多くの人はそこに長く留まることができません。彼らは元の生活に戻ってしまうのです。


共通の理由

なぜ、そんなことになってしまうのでしょう。なぜ多くの人は、イエス様に信頼した結果の体験に、留まることができないのでしょう。そこには一つの、共通の理由があります。彼らは、ほかの誰かを見はじめたのです。ほかの誰かに聞くようになったのです。誰も、この世に生きている限り、完全に目や耳をふさぐことはできません。それで、世のいろいろなことを聞き、いろいろなものを見ることになります。人の言うことは、イエスの言われることやなさったことと、違っていることでしょう。それを避けることはできません。しかし、それらに心を留めてはいけません。あまり気にかけすぎてはいけません。それらに目を凝らしてはなりません。イエス様おひとりだけを見るのです。イエス様おひとりだけに聴くのです。

3.  諦めないでイエス様に倣おうとする
   
 ペテロは、イエス様に倣おうとして失敗したとき、何をしたでしょう。そうです。イエス様に助けを求めました。イエス様に助けを求めたのです。でも、なぜ彼はイエスの助けを必要としたのでしょう。彼は年季の入った漁師でした。そればかりか、泳ぎも上手だったのです。彼は、自分の力と技量だけで、たやすく舟に戻れたはずです。イエス様の助けなど必要ではなかったのです。
彼は自問することができたはずです。「ああ、なんてバカなやつだ。おれは。イエス様のようになれると思ったけれど、そんなこと初めから不可能だったんだ。自然の法則に逆らうなんて。みんなの経験を無視するなんて。ああ、まったくばかなことをしたものだ。馬鹿だ、馬鹿だ! 俺はイエス様だけを見ていて、ほかの弟子たちを見ていなかった。仲間の声も聞こうとしないで、イエス様の声だけを聞いていた。愚かにも程がある。おれは愚かだ。よし。舟に戻ろう。そんなに遠くないし、俺は泳げる。自分の力と技量で助かることができる。おれは、まだまだ泳ぎはうまいんだから。

ペテロはイエス様に助けを求めた
 でも実際のところ、ペテロはイエス様に助けを求めたのです。ただし、ここでイエス様に求めたのは、自分の命を助けてくださることではなく、もう一度、水の上に立たせてくださることであり、水の上を歩き続けさせてくださることだったのです。ペテロは失敗しました。ペテロは確かに愚かでした。しかし、イエス様にたいするペテロの信仰は、消え失せてはいませんでした。イエス様に倣いたいというひたすらな願いは、彼から離れ去ってはいなかったのです。たとえどんなことであろうと、それがイエス様がなされたことであるならば、ペテロはそれに倣おうとしたのです。ペテロの心の叫びはこうでした。「イエス様。もう一度水の上に立てるように、助けてください。もう一度水の上を歩けるように助けてください。あなたのなさることができるように助けてください。あなたに倣う者になれるよう助けてください。あなたは、私のお手本です。私の先生です。」ペテロはけっして諦めず、信仰のもがきをしていたのです。

 ペテロは、自分の夢を諦めませんでした。自分の願いを捨てませんでした。自分の目標を忘れませんでした。自分の夢を追い求めたのです。イエス様の姿を追い続けたのです。



イエス様は助けてくださった

 イエス様に助けを求めたとき、イエスはペテロに手を伸ばし、水から引っ張り上げ、波の上に立たせてくださいました。ペテロは、ふたたび水の上を歩くことができたのです。イエス様に伴われて、彼は水の上を歩いて、船に戻ったのです。

まとめの言葉

 兄弟姉妹のみなさん。今朝、私たちが学ぶべきことはこれです。イエスの教えと行動は、しばしば理窟に合わない、偉大な人たちの忠告に反し、常識に反し、すべてに反したものです。しかし私たちは、これらが世界で一番賢く、偉大で、気高く、神聖なお方の、言葉と戒めと行為だと知らなければなりません、この方こそ、私たちが疑うことなく、聞き従うべきただ一人の方です。この方が、唯一絶対のお方だからです。

 イエス様を信頼してお従いすると、たいてい、良いスタートを切ることが出来ます。とても素敵な始まりになります。ところが、すぐに失敗してしまうのです。この失敗で、多くの人たちは失望して、以前の生活に戻ってしまいます。もしも、あなたがそのような人のひとりならば、ペテロから学んでください。もしもあなたが、失敗に落胆している人を見たならば、「ペテロを見てごらん」と言って教え、励ましてあげてください。大切なのは、イエス様を信頼して新しい人生を始めることだけではなく、失敗したときどうするかなのです。

けっして諦めないで、イエス様に従い続けましょう。何度も何度もつまずくことと思いますが、決して、イエス様に倣おうとするのをやめないでください。失敗するたびに、イエス様の助けをお願いするのです。もちろん、イエス様は助けてくださいます。「なぜ疑うのか。信仰の薄い者よ」と、優しくお叱りになりながら。




   

進化論について

2018年06月09日 | 立ち止まって考えること


    このサイトの記事は、非常に多岐にわたっています、
    ここにご紹介した「進化論」についての記事だけでも、とても示唆的です。



 
      




       


    進化論については、ダーウィンの進化論はとっくに古びていると思うのですが、
    それに対抗して、ときおり語られるいわゆる「創造論」というのは、どうでしょうか。

     
    この問題は、権威が先に来て、思考停止になることこそ危険ではないかと思います。

    時間のある時に、じっくり読んでみたい記事がたくさんありましたので、
    フェイスブックから、こちらにコピーして、紹介させていただきました。











葬儀に参列する

2018年06月08日 | 日記





 先日、ある方の葬儀に参列してきました。同じ教会の姉妹のお母様で、十年ほど前、受洗の時に教会においでになっただけの方でした。
 ご高齢の上、病気続きで、教会に来ることができなかったのです。


 悲しみの中にも、希望のひかりにおおわれた式でした。
 簡素な飾り付け、決して多くはない参列者。むしろ、ひっそりとした会場で、牧師のメッセージや故人を偲ばれるお知り合いの「お別れの言葉」が、ひとつひとつ美しい水玉のように現れて、消えていくのです。



 讃美歌と、聖書のみ言葉が、天にとどく柱のように、高みに上って行くのが見えました。

 亡くなった方のたましいが、けっして消えてしまったのではなく、今、神のみもとに召されようとしている・・・。そんな確信が、胸にこみあげてくるのです。


 しめやかであっても、暗くはないお別れのときでした。

 参列者は、棺の中を花で飾るときも、棺をお見送りするときも、火葬された骨を拾う時でさえ、心の内で、姉妹に語りかけるのです。

 「いつか、天国でお会いしましょう!」