ノアの小窓から

日々の思いを祈りとともに語りたい

てぶくろ

2015年10月31日 | 



       おそらく、日本中の保育園や幼稚園で、この本が置かれていることでしょう。

       雪の上の落とし物、ふわふわのミトンの中に、森の動物たちがつぎつぎとやってきて、
       中に入って暖まるお話です。

       読んでいる方も温かくなってくるのです



                                             
          作: (ウクライナ民話)
          絵: エウゲーニー・M・ラチョフ
          訳: 内田 莉莎子
          出版社: 福音館書店 福音館書店の特集ページがあります!








天の下

2015年10月30日 | 聖書


        天の下 秋ひっそりと ほほえんで    



    天の下 秋透明に ささやいて



                        
          誰も見ぬ 小道に 小さく菊群れる  






               天の下では、何事にも定まった時期があり、
               すべての営みには時がある。
                           (旧約聖書・伝道者の書3章1節)







ハロウィン

2015年10月29日 | 季節の味


     フェイスブックに出ていた友人の写真を転載。

     ハロウィン向けおでん



      


     かわいい?
     もちろん!

     鍋の横には、キノコごはんとか、おさしみとか、かぼちゃの煮物とか置いて
     とか、さとうの想像は広がるのですが・・、


        だめだめ
        古い!
        ぜんせん、
        ハロウィンじゃない!?
        とか。

       
        ほうきおばさんは昼寝をしていますので、
        お怒りの方は,ご自分で工夫して下さい。

     


          それにしても、ハロウィンは、キリスト教とは、全然関係がないお祭りだと思うのですが。

       




       

        

アルキスト

2015年10月27日 | 日記



      アルキスト
      このことばは、「まさこ造語」です。
      どこのうちにもあるでしょう。家の中だけで通じる言葉。

      かつて、連れあいと私は、午後になると「アルキストしようか」
      と、連れだって家を出たのです。
      何のことはない、ただの散歩です。
      自転車やバスでも楽な道だったので、
      あえて歩くときは、「アルキストする」のでした。

      最近、ふたたびアルキストをしています。

       よく歩いた頃を思い出したのです。
      子どものとき、歩くのはとても好きだったのも、思い出したのです。
      体育なんか好きではなかったのに、
      歩くのだけは平気でした。

      人間の足って案外力があるんですね。
      一歩一歩は小さいのに、一時間もすると遠いところへ移動しています。
      初めての道!
      見たことがない横町!
      全く未知の世界が開けて、知らない場所に旅人のように立っているのです。
      
      町田市では、散歩に出て帰ってこないお年寄りの行方を尋ねる放送が
      時々流れていますが、
      人の心配をよそに、
      ほんとうは、素敵な道や、町角や、花園で帰る時を忘れてしまうのかもしれないと、
      ふと、思うのです。
      まだ、私は、それほどの、どきめく場所を発見していないのですが。
      


         次の角を曲がったら、まだ見ぬ世界があるかもしれない。
         そんな夢を見るアルキストでいたいものです。



         はや、山茶花の咲く朝の散歩道




      
      

      


グレイス・ケリー

2015年10月26日 | 観る


     テレビの深夜映画で、
    
    「ダイヤルMを廻せ!」を観た。

    ビデオで何度も観て、
    筋書きも覚えているけれど、
    グレイス・ケリーってこういう美女だったんだと、
    改めて見直した。
    今では、決して存在しない「美女」

    目鼻立ちのきれいな人は同時代の女優さんにたくさんいるし、
    今でも、美しい人はたくさんいるでしょうが、
    ケリーは、完全なお人形として作られたらしい。

          

    脚本や、その背後にある、時代の思想が求めたので、
    これが本当のグレイス・ケリーではないと思うけど、
    殺人事件に巻き込まれたあと、
    夫の言いなりに、
    夫の背後に隠れるようにして、、
    夫の意図する通り死刑囚に仕立てられていくあたり、

    今なら、決してありえない?

    冤罪から抜け出すのも自らの力ではなく、
    刑事の冷徹な観察眼が事件の矛盾点に着目したためであった。

    あくまで、受け身で、あくまで人形のイメージを保った女優は、
    ふさわしくモナコ公国の公妃となって、
    美しい伝説の中で、交通事故死した。

       それは、悲劇ではなく、
       
       あるいは、老醜という悲劇を免れた幕切れだったのかもしれない。

       ダイアナ妃が、そうであったように。