cheeze_art's blog

The life as the diehard

grow up motor works

2013-05-03 21:24:00 | 戯言記(miscellaneous thoughts)
今日の私は、一日中布団に籠もり、寝溜めしていました。

昨日訪れた東洋のマチュピチュこと、別子銅山跡。
その名の通り、かつて栄えし町が、今は自然と同化しつつある遺構となる也。
そこに立った私とK氏は、ある種の望郷の念となぜか哀愁が心に残りました。

今日夕刻、屋久島へ同行した同級生K君と市内のバイクファクトリーへ集い、
彼のハーレーダビットソンのエンジン異音解明と修理代などを聞いて来ました。

その彼とはファクトリー前の喫茶でコーヒーを飲み、暫し旅行談義となりました。

ゴールデンウィーク、前半は走り続けましたが、後半は如何になることやら...



  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

東洋のマチュピチュ

2013-05-03 07:35:21 | ふらり(Goes out)
K氏、I氏、そして私の3人は、かねてから計画していた別子銅山ツーリングを敢行した。


       
       

別子銅山は、愛媛県新居浜市の山麓部にあり、住友財閥の礎となった古の地でもある。
今回私達は、東平(とうなる)地区とそして、下流の端出場(はでば)地区に出掛けた。



       

東平(とうなる)地区は、1916年から1930年まで別子銅山採鉱本部が置かれていた。
このような山中に、かつて多くの人が鉱業に従事し、その家族共々生活し、小中学校まであった。
「街」があったのかと信じられないように現在は山中に静まり返っているが、
閉鎖された坑道や鉱物輸送用の鉄道跡などが残っている。(ウィキペディアより抜粋)



       

この病院跡でしみじみ佇むK氏は、かつてこの病院で出生したとのこと...
そういう私もかつて現在四国中央市の山奥の柳瀬ダム工事現場に住んでいた。
共にこの別子銅山は、それぞれの裡なる思い出の地でもあるのだ。



       

端出場(はでば)地区は、採鉱本部が1930年に東平地区から移転され、
1973年の閉坑まで使用された地区である。
現在、ここにはマイントピア別子が整備されている。(ウィキペディアより抜粋)





  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

屋久島ツーリング(5日目)

2013-05-03 06:54:25 | ふらり(Goes out)
バイクで走行する、雨降る夜の高速道路は、視界不良とスリップのリスク、
そして何より体力の消耗が激しく...
私と友人は、夜明け前の帰高を諦め、臼杵のビジネスホテルで夜を明かすことにした。

明けて、午前4時の空は昨夜と打って変わり、とても良好だった。

私達は、臼杵~別府へ移動し、別府港から八幡浜港、梼原越えで無事帰高した。

半日遅れで帰ったそこには、仕事が早速3件待ち構えており、
そのどれもがその日のうちにやっつけなければならないものばかり...

仕事を片付け、夕方帰宅後は、前後不覚に只ひたすら眠りに就いた。



  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする