ぶつぶつ地蔵

地蔵 呟く ひーの言葉を。ぶつぶつと…。

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祖母の事

2009-12-09 14:55:35 | 大切な人
11月の奈良巡礼は、祖母が少しでも安らかに逝けるようにと願った巡礼でした。

お気付きの方もいらっしゃるかもしれませんが、関西での癌封じで有名なお寺のひとつが、大安寺さんでございます。


ほぼ4年前、家の中で着替え中に転んだ祖母。左足の大腿部と右肩を骨折致しました。
その後、何度も人工股関節の手術を受け(何度も転んだので、結局両足とも人工股関節になっちゃったんです^^;)ようやくここ1~2年で、家政婦さん(他人さん)のいる状態や週2回のデイサービスを受けるという生活サイクルになじんできた所。
家の中だけでしたが、手押し車に掴まって居間とベットとを一人で往復する事もできてました。

トコロが今年の11月に突然、足が立たなくなったと連絡が入り、そのまま入院となったのです。(二日ほど前まで、元気だったんですよ)
初めは骨折した部分に不具合が生じたのだと思った。
レントゲンを撮っても、股関節部分の骨が欠けたり(年とともに骨がもろくなるので、欠ける人も多いらしいです。)外れたりはないとの事。
痛みの原因は他にある。
そうして行きあたったのが、肺がんだった。
今までに何度か肺のレントゲンも撮っていたのだが、見つかることなくこの日になってしまったのです。
既に腰の骨にも転移をしており、この転移している場所が痛みの元だとの事。
年齢的にも、体力的にも、治療をすることは断念。
とにかく祖母の苦しみを取ることに専念することとなりました。

実際問題、肺がんは昨日今日の新しいものではなく、断言はできないが、ずいぶん前からあり、たまたま見つかることなく来てしまったモノだろうと主治医は判断されたらしい。
両切りのピースを何十年とのみ続けた祖母ですから、まぁ、やっぱりかぁ・・・的な気持ちもありました。(一日に2~3本しか吸わなかったんですけどね。)
むしろ癌の進行よりも、弱っている内臓の方が心配だと。
癌治療はしないものの、痛み止めを処方しなければなりません。その痛み止めの副作用などで、もともと機能が弱っていた腎臓がダメージを受けていたらしい。

痛みのコントロールが出来、症状が安定し、近所に見てもらえる町医者がいれば、家で看ても構わないと主治医はおっしゃいました。
自分の家が一番。お山の大将の祖母です。
病院嫌いの祖母を家でゆっくり看取る計画を立てておりました。
入院から1週間を過ぎ2週目の終わりごろ、ようやく痛みのコントロールが出来てきました。
腎機能の安定を待って、家に帰る・・・その矢先。

11月30日、容体が急変。
昼過ぎに父からメールで危篤の知らせが入る。
早退をし、急ぎ病院へ向かった。
既に瞳孔は開いて、目は動いても見えてる可能性は低いとのこと。ただし、耳は最後まで機能しているので、たくさん話しかけてあげてと看護師さんが言った。
私の声にも反応し、顔を向け、目もギョロっと向けてくれる。手だって、握り返してくれる。
祖母には子供が4人おり、一番末っ子の二男は東京で仕事をしている。頑張っても夜にしか来られない。
なので祖母が頑張りました。
末っ子の到着まで、意識を手放すことをしませんでした。
全員。全員が祖母の意識のあるうちに対面することが出来たのです。

二男の到着後、暫くしてからギョロギョロっと動かしていた目を閉じ、少し荒い息だがゆっくりと休み始めました。

子供のいる姉と、仕事をほっぽり出してきた従弟がいったん家に帰った。
沢山いても仕方ないからと、病室には、長女長男二女そして孫の私が付き添った。
交代しながら、体を休めつつ祖母の傍らに着いている。
夜じゅう、祖母の荒い息を聞きながら過ごした。
かなり安定しており、このまま持ち直すんじゃないかとさえ思えた。

朝になり、8時前に主治医が様子を見に来て下さった。
祖母の鼓動を聞いて、ちょっとびっくりしていた。
「力強い音ですね。心臓がお強いから頑張っています」と。
腎臓が少しでも機能して、尿の排泄があれば希望もあったのだけど・・・

肺にできた癌で気道が圧迫されている為、呼吸が笛のようにヒュ~ヒュ~と鳴る。
従弟も姉も早々に病院に着、祖母の浮腫んだ手や足をさすった。
昨日、握り返してくれていた手は既に力がなかったけれど、温かかった。
左足はすっかり冷たくなってしまっていたけれど、摩ると少し温かくなった。

夜寝ている時より穏やかな寝息。

二男は仕事がどうしても外せない立場でもあったので、「心残りはない。ちゃんと別れは出来た。仕事が終われば、とんぼ返りで戻る。」と帰って行った。

このまま穏やかな眠りが続くかも・・・と思っていたのだけれど。
心電図がピーピーと鳴りだした。
心拍数や呼吸数が危険値である事を知らせる。

母や叔母が「母は延命を望んでいないと思うので、点滴やチューブは外せないか?」と看護師に聞いた。
看護師さんは、「これは延命の為の点滴やチューブではありません。酸素や点滴をすることで痛みや苦しみを和らげているんです。ご家族様には辛い姿かもしれませんが、患者さんは頑張っています。取ったからと言ってほとんど変わらないと思いますよ。」
そうかもしれない。
見ている事が辛いことと、本人が辛い事は一緒じゃない。
野生の動物が、死ぬその瞬間まで生き続けるように、理性を越えた場所に居る祖母は、この時頑張っていたのかもしれない。

みんなが「もう頑張ることないで」「おじいちゃん(50年前に亡くなってます)の所でゆっくりし」と声を掛けると、天邪鬼な性格の為か、また少し安定する。
こんな時までも頑固な祖母に、みんな笑った。
何度かこれを繰り返し、痛み止めの薬を張り替えてもらった後、すぅっと息を吸った。

すぐに主治医と看護師さんが病室に来た。

すぅっと吸い込んだその息が吐かれる事はなかった。

ダメだと言われてから丸1日以上頑張った、天邪鬼な祖母。
お顔を抱きしめると温かかった。

癌と告知はされたけれど、長患いをしなかったからか、とてもつやつやな奇麗な顔だった。
むしろ、2日間付き添っていた私たちの方がエライ形相だったと思う。

家が好きで好きでたまらなかった祖母。
自分で死期をコントロールしたんじゃないかと思う。
3日は友引だったので、お葬式は4日と決まった。
一日でも長く「家に居たかってん」と、べっと舌を出してほくそ笑んでる祖母が見える。
直接の原因は、腎機能障害からくる肺炎(肺に水がたまって起る)だったけれど、私はこれが祖母の天寿だったのだと思う。

母のキョウダイの中には、家に連れて帰らなくても・・・という人もいたけれど、そこは母が頑張り通した。
派手好きで、人に振舞うのが大好きで、見栄っ張りで、家で大将だった祖母だから、と。

祖母は自分の家に帰って来、ゆっくり別れを告げた後、自分の家から旅立った。


お通夜の日に来てくれた子坊んちゃん(立派なお坊様だけど、小さいころから知っているので、祖母はいつも「こぼんちゃん」と呼んでいた)がお勤めの後に、「おばちゃんは耳が遠いから、大きな声で聞こえるようにお経をあげたで」と泣きながら祖母と対面してくれた。
お葬式の日には、大おっさん(和尚さんがなまってるのか、祖母はそう呼んでいた)が二男さん(通夜は長男さん)を連れてお勤めして下さった。
七日、七日の法要にも、お経上げさせてもらいますとおっしゃって下さった。有難いことです。

手前味噌でございますが、祖母の最期は、本当に良かったと思います。
自分もいつか両親を見送る日が来ます。(予定は未定?いやいや、親より先に死なないって孝行しか残されてないし^^;)
その時には、祖母との別れを見本にしたいな。。。と思います。



私自身の家は浄土真宗ですが、私個人はいろんな神仏を信じております。これって決めてません。神様仏様大好きな人ですから^^
私が読んで、そうだなぁと感銘した、とあるお坊様の言葉を紹介致します。
以下、転用。
「浄土真宗では、線香は立てずに、横に寝かせて点けます。  
この線香ってものは、不思議なもので置いたとき、下が、空気を通すものや、燃えるものじゃないとすぐ消えてしまうんです。
たとえば、灰皿の上に、直に、線香をおいても消えてしまいます。
要するに、下に“灰”がないと、消えてしまうんです。
今までに燃え尽きた線香たちの“灰”がないと点かない。
線香は自分の体を燃やしながら、周りに、芳しい香りを出し続ける。
自分が燃え尽きても、芳香だけは、残して行く。
その芳香は、いずれ薄れてしまうけど、灰だけは、次の線香が良い香りを出すために活かされつづける。
人の命ってのを考えたとき・・
ご先祖たちは、それぞれ、いろんな人への影響を出し続けて、一生を過ごし
多分、自分の子供や孫の世代まで影響を与え、自分の3世代・4世代あとになったら流石にその影響を、直には与えないかもしれないけれど
ちゃんと、後々後々の人間が同じように芳香を出して生きていけるように、活きているんだろう。
ご先祖様~
おいらは、ご先祖さまの“お蔭”で一応、燃えてはいますよ。
良い香りでてますかねぇ?
なるべく良い香りがええなぁ~」



お坊様のお話は、「おかげさま」のお話です。
人は一人では生きていないという事です。何かの、誰かの「おかげ」がないと、生は成り立たないのです。
私もおばあちゃんの灰の上で、少しでも芳しくありたいと思うのであります。(ばーちゃん家は浄土宗なので、お線香は寝かさず立ててたんですけど、ね^^・笑)

だって薬師寺なんだもん。

2009-12-09 09:57:59 | 好き・応援
理屈じゃないんです。
直感なんです。
少しでも行けるなら立ち寄りたい場所なんです。

そんな訳で、大安寺さんから薬師寺まで歩くことにしました。

道しるべを見ながら、テクテク歩きます。
直線の道に3つも標は要らぬから、交差点とかそーゆートコロに標を立ててほしいと切に願うオイラ。(←ってか、地図持って歩けよ。地図なしでうろうろするのが迷子の元だ。)
途中まで順調に歩いてましたが、JRの線路を越えたあたりで迷子ちゃん^^;
前から歩いてくる親子連れのお父様に声を掛けた。
あの~・・・西の京の駅はどっち方面ですか?薬師寺に行きたいんですけど・・・。
するとお父さんはびっくりしたように、「あっちの方やけど、こっから歩くん?」と。
隣にいた娘さんも、「30分はかかるよ!学校から20分やから・・・もっとかかるかも!!」と。
方角さえ解れば、有難いこってす。
お礼を何度も言い、ご家族さんとお別れし、ザクザクげしげしと西の京向けて歩きだしたのでした。

門限が刻々と迫ってきます。
4時半までには門をくぐらないと、お参りすることができません。
お父さんや娘さんがビックリしていたように、なかなか西の京に辿り着きません。
参拝はあきらめなきゃイカンかなぁ・・・と思い始めたころ、ようやく西日を浴びてシルエットを見せる薬師寺の伽藍が見えてきたのであります。

間に合うのか、オイラ!!!


多分、過ぎていた。
でも、素知らぬ顔で入ってみた。
「ようお参り」とおじさんが言ってくれた。

  
既に、調査・解体修理の足場が組まれている東塔。
水煙近くを歩く現場の人。なんか不思議な光景。
東塔の修理は平成31年に完成予定です。

一番最初にお薬師様にお参りをし、納める為に持ってきたお守りを東院堂に納める。観世音菩薩さまにお参りをし、ご朱印を頂くために講堂を目指す。
弥勒様にサササッと手を合わせ、滑り込みセーフな感じでご朱印を頂いた。
5時までに時間がまだあったので、再度金堂へ。
お薬師様にもう一度手を合わせ、本日の巡礼終了~。

たまには講堂も写してみるかって事で・・・

でかい!でかすぎて、全部入りきりません!!
既に扉は全部閉じられております。

帰る道すがら、丁度戻られるお坊様と一緒になりました。
門の所で一礼しているとお坊様が「ようお参りでした」と声を掛けて下さった。
せっかく声を掛けて下さったのだからと、「今日はお薬師様にお願いがあってきたんです」と白状してみた。
すると「それはそれは。じゃ、後は努力だけですね^^」と答えて下さった。
お願いしたらその後は、結果をお薬師様に託したのだから、できる限り頑張るのみ。
お顔は存じ上げているものの、お名前は知らないお坊様。今度お会いできたら、またお話をしたいなぁと思うオイラなのでありました。

大安寺

2009-12-08 12:53:51 | ぶらり・・・旅
南都七大寺のひとつである大安寺。
大安寺の前身は、明日香村に創建された大官寺なんだそうな。(天武六年)
焼失や遷都によって、現在の地に造営されたのが天平元年。天平一七年には大官寺から大安寺へと改められた。
最澄の剃髪をしたのも大安寺の僧行表と言う方で、空海も青年期に住したとされています。
オイラ、大安寺さんはぜんぜん知らなかったんですが、1200年以上もの歴史を持つ、とても由緒あるお寺だったのです。

大安寺さんの境内の紅葉も鮮やかでした。

丁度御祈祷が始まったばかりでしたので、拝観は後回しで宝物殿から拝見を。
楊柳観音様は、厳しいお顔の観音様です。
しなやかで優しいラインの体とは裏腹に、忿怒の形相の観音様なのです。

宝物殿で仏様達を拝んだ後に、御祈祷が済んだ本堂へ。

偶然にもご本尊である秘仏、十一面観音様の御開帳期間でございました。
じっくりじっくりお願いをしてきました。
本日の一番の目的を達成し、本堂の裏にある嘶堂へ。
こちらには忿怒のお顔の馬頭観音様がいらっしゃるのですが、御開帳期間は3月とのことでございました。

代わりにこんなものを発見。

象足の燈籠って言うんでしょうか?ね?

ぐるりと境内を一回りして、大安寺を後にしたのでありました。

次に向かうは・・・むふふのふ。

薬師寺さんです(←どれだけ薬師寺すきやねん!)

目指すは大安寺

2009-12-08 09:40:36 | ぶらり・・・旅
元興寺を後にしたオイラ。
犬の散歩のおっちゃんに薦められた通り、大安寺さんへはバスで行く事にしたので、近鉄奈良駅を目指して歩きます。

途中で古梅園さんを見つける。
古梅園さんは有名な墨のお店。
いつか、古梅園さんの墨を使いたいなぁ・・・と思っておりますが、全然墨に接した生活をしておりませんので、善し悪しが解るはずもなく^^;
作っている工程とか、その技術とか、古さとか・・・そーゆーのに惹かれているんですよね。だから、その惹かれているだけでなく、それを使っていく人になりたいなぁなどと思ってます。←ぜんぜん実行されてませんが。


ガシガシと歩きまわっておりますが、お昼を食べておりません。
三食きちんと食べたいの!なオイラにしては、これではいけません。
すでに3カ寺を回っているオイラの懐は、木枯らし1号どころの話ではありません。
昼抜きか?しくしくしく・・・と思いつつ、バス停に行く途中・・・

じゃじゃーん♪
天輪焼きなるものを発見☆
1個80円で2個から売ってくれます。
 
なので、赤白で買ってみました♪160円なり~^^
回転焼き(今川焼)より甘いカステラ生地の皮が、疲れた体に沁みるのであります。
バスが来るまでの間に、ガツガツ食べてしまいました。
ごちそうさま^^

バスの運転手のお兄さん(男前)に、大安寺へ行くバスはこれで良いか?と聞くと、これではなく、目の前の12番の停留所から出るバスですよ。と教えてもらった。
男前の運転手さんのバスに乗れなかったのは残念だけど、ええ人で良かったです。
教えられたバス停からバスに乗り、いざ大安寺へ。

大安寺前って名前の駅のくせに、大きなスーパーの前が下車する場所だった。うそつき。
そこからテクテク10分くらいは歩いただろうか。
 
大安寺跡を通り過ぎ、ようやく現・大安寺さんに到着。


門の手前に推古天皇社という神社がありました。
ご祭神は、豊御食炊屋姫尊(とよみけかしきやひめのみこと)・・・もちろん、推古天皇の事です。
さささっと手をあわせ、今回の寺社巡りの一番の目的地、大安寺へと乗り込む(←オイオイ^^;喧嘩じゃナイヨ)オイラなのでありました。

第5番 元興寺 極楽坊

2009-12-07 13:56:29 | 西国薬師四十九霊場
信号を渡ってくる、ダックスちゃんを散歩させているおじさまに・・・
「すみませーん。元興寺さんへ行きたいんですけどぉ~」と可愛く聞いてみた。
「ん~?この上にあるお寺の事かなぁ・・・」とのお返事。
どーやら筋が違う上に行きすぎているらしい。

ワンコのお散歩は、猿沢の池までゆるゆると。
人嫌い、犬嫌い、猫嫌いのワンコの為に、人通りの少ない道を歩いて行くんだとか。(家の前の信楽焼の狸にまでビビるワンコなんだって。)
そんなビビりワンコのお散歩なのに、オイラの為に元興寺さんまで送ってくれたんだ。
おっちゃん、有難う!!!ワンコも有難う!!!

人の親切に助けられ、無事に元興寺さんに到着。
蘇我の氏寺であり、稲目の飛鳥寺に始まり馬子によって本願されたとのこと。(開基は馬子)
蘇我の氏寺なので、じっくりじっくりお参りしたかったのですが・・・なかなか一日の時間は限られており、その中でやりくりをする場合、ゆっくりできない事もあるのでございます。


先ずは極楽堂(本堂)をお参りする。
ご本尊様は阿弥陀如来様。
なんでも時計回りに回るのが正しい回り方らしいです。そーゆー風にお念仏を唱えながら内陣の周囲を歩き回る「行道」に適した構造になっているそうです。
オイラは歩きまわりまはしなかったけれど、じっくり手を合わせてきました。

次にお目当てのお薬師様のいらっしゃる収蔵庫(宝物館)へ。
二歳太子象、14歳太子象など気になる塑像がいっぱいです。
そんな中で、お薬師さまはどっしりしっかりとした存在感でいらっしゃいました。
この日は仏像を見すぎだぁ…お顔をほとんど覚えていないぃ^^;

 
本堂と禅室の屋根の一部は、1300年以上も前に使われた瓦が今も使われております。
色味が違うのですぐ解りますが、根本的な違いは葺き方らしいです。古い瓦の葺き方は行基葺きと言われる葺き方だそうです・・・。



講堂跡のあるあたりは、奈良の古寺にしては珍しい墓地であります。
時代の流れの中で庶民信仰の寺院に変身した元興寺さんならではの光景なんだそうだ。


鬼の寺と言われるだけあって、こんな可愛い鬼もおりました。


国宝の禅室
スカーンと伸びたこの部分を切目板と言うらしいです。


振り向くとそこには本堂の閼伽棚が・・・なんだかフツーに触れるんですが・・・国宝^^;
怖いので触りませんでしたが、間近でしげしげと見ておきました。


元興寺さん、個人的に熱いっす。
今度はもっとゆっくり来ようと思うオイラでありました。

元興寺さんへの道のり

2009-12-07 10:40:10 | ぶらり・・・旅
庚申堂さんでウホウホとお猿さんに浸った後は、当初の目的に戻らねばなりませぬ。

数年前に元興寺さんへ行こうとして、道が解らなくって辿り着けなかった経験を持つオイラでございます。
慎重に歩いてゆかねば・・・

庚申堂のすぐ近くに、旧元興寺小塔跡があります。
元興寺の名前に釣られて入ってみました。

小さなお堂でしたが、奇麗に整備されておりまして。
おば様方が数人、きゃっきゃきゃっきゃとおしゃべりされておりました。

あ、庚申さんの吊るし方は、TOPの写真、小塔跡の門にあるような感じです。
大きいのから順に小さいのを吊るしていくのが正統派のようですね。うむ。

小塔跡の角を曲がって道なりに歩いていると、聖光寺さんとゆーお寺がありました。

その開かれた門のトコロに・・・

黒ラブちゃんがおりました~♪
近寄ると、お腹を触って~とおねだりしてきます。めっちゃ可愛い~*^^*
わふわふと暫し戯れた後、すぐ近くにあった鎮宅霊符神さんへ。


なんかね、おいでおいで~って言われた気がしてね、入ってみたのでした。
鎮宅と言うように、家内安全の意味があるですって。

さて、ここまで来たら・・・元興寺さんへの道しるべを見失いました^^;
ダラダラ歩いても昔の二の舞になる!と直感したオイラは、助けを求めるべく、前から来る地元の人を見定めたのでありました。

わをん。

2009-12-03 05:21:56 | 呟き
12月1日に祖母が天寿を全う致しました。
とても穏やかな、良いお顔でございます。
一番の祖母孝行は出来なくてごめんなさいなんだけど、身内全員で看取ってあげれました。(いやいや、ばーちゃんが看取らせてくれたんだよね)



そんな訳で、奈良の続きは、月曜日以降に更新致します。