ぶつぶつ地蔵

地蔵 呟く ひーの言葉を。ぶつぶつと…。

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どーでも良いが・・・歴史上人物編

2009-11-11 11:51:30 | 好き・応援
どーでもいいシリーズ(笑)第二弾。
歴史上の人物編です。敬称略で行かせてい頂きます。


■聖徳太子
574年2月7日(敏達3年1月1日)~622年4月8日(推古30年2月22日(同29年2月5日説あり))
無条件に好きだったなぁ。だって、一万円札だったんだもん。(←そこ?)
大津と出会うより前に出会ってますが、イワユル調べるほど好き!ってなったのは結構最近なのであります。

■蘇我鞍作
?~645年7月10日(皇極4年6月12日)
杉本苑子さんの「天智帝をめぐる7人」とゆー短編小説を読んだ時、今までの入鹿の印象が変わりました。その後、関裕二さんの本と出会い、どっぷり蘇我派になったオイラであります(笑)
2009年に初めて首塚を詣でました。甘樫丘が良く見える場所で、穏やかな空気でした。

※ホントにどーでもいいけど、中大兄って名前じゃないんだね。長男・末男以外の皇子に対する総称なんだってさ。それが天智帝死後、天皇になる前の天智を指す言葉になったそうな。固有名詞じゃないので、本来は皇子ってつけないらしいです。
諱は葛城皇子なんだそーな。

■大津皇子
663年(天智2年)~686年10月25日(朱鳥元年10月3日)
歴史上の人物の中で、一番最初に「好きだ」と思った方。もちろん、今でも一番好きな方です。オイラの歴史上の人物好きの原点となるお方なのであります。
「宇宙皇子」と言う小説の中で出てきて知ったのが、中学生の時。必死で日本書紀と古事記を読んだ記憶があります。(大津の部分のみですが)
好きになった当初は、悲劇の皇子って見解でしたが、今では絶対野心家だったと思ってます。
初めて認識して行った史跡(墓参りですが。)でもあります。あ、墓マイラーの原点でもありますね。
結構最近まで皇族って事に気付いておらず、自分との隔たりは年代だけだと勘違いしてました。←バカ。

■阿弖流為(悪路王・大竹(嶽)丸)
?~801年9月17日(延暦21年8月13日)
ちょうど小松和彦さんの「日本妖怪異聞録」って本を読んでいるときに見たんです。「AKURO」とゆーお芝居を。見た後、ガタガタガタ~~っとすっ転びました。日本妖怪異聞録に大嶽丸の事が載っていたんですもの。
お芝居を見た時点では、安倍人麻呂って人に惚れたんですが、調べるに従い阿弖流為に興味が・・・(いや、人麻呂も微妙に関係してるんだけどね)
しかも阿弖流為の処刑場が自分の行動テリトリー内ってのも良かったですね。すぐに碑を詣りに行けましたから♪(と言いつつも、関連ある田村麻呂の清水には行き忘れたけどね^^;)

■平将門
?~940年3月25日(天慶3年2月14日)
2009年上半期はこのお方と心定めておりました。
突然、降って湧いたように興味の対象となったのであります。大きな要因としては、加門七海さんの本が一番だろうなぁ(笑)
お江戸にある将門公関連の史跡は、新宿にある鬼王神社以外はほぼ回っております。一般公開されてるの?ってお寺にも強引に入っちゃいました。でも、ご本尊は見せてもらえなんだ^^;

■安倍晴明
921年(延喜21年)~1005年10月31日(寛弘2年9月26日)
大学の時に、原作:夢枕獏さんの陰陽師の漫画(岡野玲子さんのではありません)と出会いまして。。。それまでにも夢枕獏さんの本は「キマイラ」を読んでいたので、すぐに購入→すっころびって感じでした。
このころはまだ今ほど晴明さんのブームではなく、晴明神社もオドロドロ~っとうっそうとした木のある境内でした(笑)鈍感なオイラは平気でしたが、友達は「ここ怖い!」とか言ってましたよ。今じゃ、明るいキラキラした境内ですけどねぇ・・・(笑)

■平清盛
1118年(元永元年)~1181年3月20日(治承5年閏2月4日)
内海清美先生の作品展を見に行って(先生を知っていた訳ではなく、偶然タダ券を持ってたので^^;)衝撃を受けたのでした。
観平家というタイトルの作品展だったんですがね、平家物語のいろんな場面を和紙の人形で表現されておりまして・・・すっごく良かったんです。
先生の作品がイトカワのアートに乗っておりますので、飛んで見てください。WEBで見てもびっくりですよ。(本物はもっとビックリですが。)
以来、平家物語にチャレンジ→玉砕を繰り返してます。毎度、盛遠の袈裟あたりから保元の乱手前あたりで脱落の日々。←平家物語の導入にも及んでないやんけ^^;
只今チャレンジ4回目くらいなんですが、ようやく保元の乱を潜り抜けました(笑)あぁ、先は長い・・・^^;

■鬼一法眼
義経記に出てくる伝説の人。実在人物ではないらしい。
平安期に義経を育てた人として義経記に出てくるらしい。
オイラがこの人を知った経緯は、凛ちゃま(藤木凛)の鬼一法眼シリーズを読んだから。(途中で止まってますが^^;)あ、凛ちゃまって書いたけど、知り合いじゃないんですよ。勝手にそう呼んでいるだけ。
カッパノベルズから出てた分を読んでたんですが、本屋にカッパは少なくって、気付けばどこまで持ってて、どこから持ってないのか解らなくなっちゃったんです。本を整理して、続きを購入しよう・・・
晴明さんに引き続き、陰陽師にハマってました。。。

■源義経
1159年(平治元年)~1189年6月15日(文治5年閏4月30日)
沢田ひろふみさんの「遮那王―義経」と言う漫画を読んで・・・。
源平もあまり興味がなかったんですが(名前の区別がつかないので^^;)、この漫画のおかげでかなり興味を持ちました。現在、遮那王は完結し義経が連載されております。

■真田幸村
1567年(永禄10年)一説に1570年(永禄13年)とも~1615年6月3日(慶長20年5月7日)一説に1641年(寛永18年)とも
大の苦手ゾーンは戦国時代です。唯一ちゃんと調べた武将が真田幸村。
特に幸村が好きだったと言うよりは、きっしぃが出演した舞台に出てきた幸村殿に興味を持ったって言うのが正解。
真田十勇士も読みかけで止まってる・・・^^;
真田の赤備えは、ずっと赤い甲冑だった訳でなく、大阪夏の陣にて備えたものだと最近知りました。そりゃ、ずっと赤備えしてたらお金かかるもんね。

■石川五右衛門
?~ 1594年10月8日(文禄3年8月24日)
劇団☆新感線の五右衛門ロックで激ハマり(笑)
東の次郎長、西の五右衛門と称された義賊。
一応、南禅寺の山門に登った時には「絶景かな、絶景かな~」と言ってみました(笑)

■シャルル・ド・バツ=カステルモール
1615年~1673年6月25日
只今(2009年11月現在)一番熱い想いを寄せている方←バカ。
ミュージカル「シラノ」を観、そこにご出演だったリニエール役のひできが「二人のガスコン」を読んだ。とブログに書いていたので、素直に「二人のガスコン」を購入し、読んだんですね。で、ずぼずぼずぼーーーっとダルタニャンにハマった訳です。
今更ながらですが、三銃士を読みました。ってか、絶版のダルタニャン物語をオクで落札購入致しました。
現在、20年後に突入してます。ダル、かっちょいいです*^^*

■土方歳三
1835年5月31日(天保6年5月5日)~1869年6月20日(明治2年5月11日)
高校生の時に、友達に薦められて新撰組バイブル「燃えよ剣」を読んだのがきっかけ。なにがいいって、顔ね、顔。あの写真がなければ、土方ファンになってないかも~^^;
近畿圏外の史跡に行ったのは、この人が初めてだった。(高校生だったんだけど、一人で石田村まで行ったジョ~)
で、この人追いかけて函館へは3回足を運んどります。しかし、小島資料館にはまだ足を踏み入れてないんですっ!←早く行けよ。

■永倉新八
1839年5月23日(天保10年4月11日)~1915年1月5日(大正4年)
新撰組の中で、土方はゆるぎない絶対的な好きな人なんですが、近寄りたい訳ではありません(←オイオイ^^;)。仲良くなりたーい♪とか、旦那さん(彼氏)ならこんな人☆って枠での好きな人は、新八っつあんなんです。
まぁ、多分に妄想が締めているんですがね、晩年の穏やかさが彼の人柄かな~と思っております。

■阿南惟幾
1887年2月21日(明治20年)~1945年8月15日(昭和20年)
新撰組にスッ転んでた時期に、「南京路に花吹雪」とゆーまんがも好んで読んでおりまして・・・これが第二次大戦下の中国の話だったんですね。
あと、「黄土の奔流」「夢なき者の掟」とゆー小説にもハマってました。
で、第二次大戦を少しだけ調べたときに出会ったのが、阿南大将な訳です。
陸軍大将で、戦後自刃されております。
特に策略家だったり根性悪かったり英雄だったり・・ってエピソードはないのですが、自刃をされた理由がイマイチ不透明で、今でも阿南大将の真意はどこにあったのか、論議がされているそうです。



意外といろんな人に興味を持っているけれど・・・時代が偏ってますよね。
イワユル歴女さんたちのお得意分野である戦国はからっきしダメです。
伊達正宗とか大河でちゃんと見たんだけどなぁ・・・右から~左~って感じで、覚えられません。
皆様の興味はどんなですかね?

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