ぶつぶつ地蔵

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大藤原京左京五条八坊の現地説明会

2013-02-15 13:08:29 | 奈良
2月9日、人生で初めて現地説明会へ行ってまいりました。
ニュースなんかではよく目にするんですが、現場へ行ったのは初めてです。


問.何故大藤原京左京五条八坊の現地説明会へ行ったのか。

答.そこが磐余池候補地として有力な場所だから


最近お邪魔するようになったブログでは、ご自身の活動の他、飛鳥中心でいろいろ行われているイベントを幾つか紹介してくださっていて、それで今回の現説を知ったのであります。
ほんとに好きな方は、もっとちゃんと情報を集めていらっしゃるんでしょうけれど、そこは、それ・・・所詮オイラのことですから^^;
知識も関わりも努力も。。。いろんなところが浅いんです(爆)
自分で地道に情報を集めるっていうよりは、こーゆーマメな方の発信に助けられているオイラであります。


さて、その人生初の現説はどうだったかというと、風邪っぴき上り調子だったにもかかわらず、テンションの上がる楽しいものでした。

一番の最寄駅はJR香久山ですが、近鉄大福からオイラは行きました。
道すがら、ちゃんと案内が出ております。

親切ですね。

一日に4回ほど現説があったのかな。
オイラは朝ゆっくり寝てたので(寝坊ってわけではなく、風邪っぴきなので^^;)最終の現説に合わせて行きました。
現場へ行く途中、現説に行くのであろう人や帰りであろう人とすれ違う。
なんか、臭でわかりますね(笑)
ワクワクが増していきます。

現場到着。
今回の調査地は右側の黒く塗られたところ。

昨年、道路拡張工事のための調査で見つかった堤跡の続きの調査なんだそうです。

14時から始まる説明までの間に、ゆっくり見学しました。

何かの基礎のあとでしょうか?
この浅い段差は、この浅さでものがはめ込まれていたのではなく、何回かの埋め立てによって、現在残っている深さになったんだそうです。

大溝の土層断面。
わかりやすいように、土の種類の境界にラインが施されています。

砂利の入っている土、黒っぽい土・・・と層が綺麗に見えますね。
オイラ、土層で時代が判別するものと思ってたんですが、こーいった土の重なりでわかるのは、水に使っていた土かそうでないか、混じりものがある土かそうでないか。。。ってことだけなんだそうです。
この層の中に、何か時代がわかるもの・・・須恵器とか土器とかそう言った遺物が混入されていて、初めてその地層の年代が特定できるんだそうです。

この石敷き部分が、今回の目玉。

三層に石敷きが重なっているそうで、堤の工事に伴い敷かれたものであろうとのことです。

奈良にあるたくさんの池は、人口の池が多く、もともとの地形を生かして貯水をしているそうです。昔の人の知恵ですね。
貯水するにあたり必ず必要なことは、排水施設を設けること。
磐余池候補地の西の端に大門という土地名が残っており、この場所が一番深い溝なんだそうです。
今回の調査地は東に当たり、東の端は樋の口という地名が残っているそうです。
憶測の域を超えないものの、これは池の水を排泄するための施設があった名残で、石敷き部分は護岸施設ではないかと仰ってました。(実際地名には、元々あた物の名前とか、そう言ったいわれのあるものが多いですからね。)

  
石敷き部分をいろんな角度で撮ってみたんだけど・・・あんまり違いが解りませんね(笑)


途中に四角く切り取られている場所が幾つかあるんですが、これは何かの遺構の形なのではなく、地層の繋がりを見るために土を切り取ったあとなんだそうです。
垂直に切り取って断面をチェックするわけですね。


調査の説明をしてくださったのはこのお方。
お名前はわかりませんが、穏やかな口調でいろいろ教えてくださいました。
説明の後に、いろいろお話を聞かせていただきました*^^*
ほかにも、現場には何人かの調査の方がいらっしゃるので、いろいろ質問すれば教えてくださいます。
何か聞きたいけれど何を聞いたらいいか解らないオイラは、質問している方の横にくっついて一緒にお話を聞くとゆー技を編み出しております(笑)
自分で聞くこともありますけどね。

2012年の11月から始まった調査。あの石敷きが出てこなければ年内で調査は終了する予定だったそうです。
石敷きが出たことで、延長して調査がなされたわけですね。
磐余池であると確定するためには、それを示すものが発見されなければいけません。
木簡とかそういうの。
もし見つかれば、すごい発見らしいです。(この年代の木簡はまだ発見されていないので。)
その日が来るまで磐余池は特定できません。あくまでも、有力候補地のままなんですね。なので磐余池と名乗ることはできないんです。

この堤が発見された為、拡張されるはずだった道路は堤を迂回して通されます。
そしてこの調査地、9日の現説のあと埋め戻されるそうです。(来週には埋め戻されちゃいますって言ってました。)遺跡の保護は現状維持が一番ですから。また長い眠りにつくのであります。
埋め戻された堤跡は、公園か広場か・・・そういったものになるだろうとのことです。平城宮跡のような残し方は、ほとんどの遺構では行われません。

今回の調査地から池のあった御厨子の方角を見る。

今は冬なので休田中。


遠い奈良の飛鳥の時代には、こんな感じだったのかな~?

もう少しして水田に水を張ると、磐余池のイメージにピッタリになるんだそうです。
その頃にもう一度来なくっちゃ。


因に反対側の御厨子側から調査地を見るとこんな感じ。


風邪っぴき大将でくしゃみ連発、声ガラガラという状態でしたが、せっかくなので御厨子神社をお参りし、妙法寺で鐘を撞かせていただく。

調査地の横を通り過ぎ、稚櫻神社へ。
前回行った時には気づかなかった・・・

うーたん発見♪

まだ時間があったので、風邪っぴき大将ではありますが、もうひとつの若桜神社を目指し桜井の駅へ行くことに。
ついでに土舞台も見たいな~なんて思いつつ。。。

。。。思っていたんだけどねぇ。。。なぜか土舞台まであと0.4kmって地点で見失い(笑)もういいかぁ、また今度!ってことでスルーしちゃったんですよね。


若桜神社にはちゃんとたどり着きましたよ。

町中にある、小さな神社でした。どんとの跡があったのは、節分の名残かな~。

ようやく桜井の駅に到着。
駅前のパン屋さんでお腹がすいたのでパンを購入。

テレビでも紹介された有名なパン屋さんらしい。

食パンで餡を挟んであげたのが有名らしいけれど、オイラは別のパンを購入。
いちごクリームの入ったフランスパンにかぶりつきました。パン生地がめっちゃ美味しかった!!!(歩き食いはお行儀悪し。やっちゃったけど^^;)

で、反対側にある気になってたお店でお惣菜を購入。


お夜食に食べちゃいました。(風邪っぴきでも食欲落ちず・・・)

サーモンマリネ、コロッケ、食べちゃって写ってないけど春巻き。


酢豚はおじちゃんがおまけしてくれました。

コロッケが甘くって美味しかったなぁ~♪
また、桜井に行ったら買ってみようと思う。




去年はゴロゴロ過ごしてしまったので、今年はアクティブに!ってスタンスですが、風邪っぴきが未だ治らないので、明日のお出かけをどうしようか悩んでおります。






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