ぶつぶつ地蔵

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古都奈良の演劇的空間 その1

2014-02-11 14:04:03 | 奈良
2月10日、大好きな西山先生の講演を聴きに行ってきました。
昨年も行った(この辺参照 → )奈良瑠璃会の一貫の講演会です。
奈良瑠璃会は、東大寺、春日大社、興福寺を光で結び、その繋がりをしあわせ回廊と呼んでいるイベントであります。
そしてその三社の中心にあるもの・・・それが「奈良国立博物館」なのであります(笑)
瑠璃会は今年で五回目なんだそうですが、先生の講演は今回で3回目なのだとか。

第一回目は、「神と仏との出会い」がテーマ
・奈良は今でも神仏習合である
・奈良では廃仏毀釈は行われなかった
このテーマについてお話をされたそうです。

第二回目は、「2月14日に思い出す 奈良の素敵な物語」がテーマ
・国分寺、国分尼寺の誕生日
・奈良公園の誕生日
これは昨年オイラが聴講したもの。

そして第三回目の今回は、奈良における演劇的空間についてのお話。
奈良と演劇・・お芝居好きといたしましては、どう繋がるのか楽しみですよね。


○お水取り○
一つ目の演劇的空間は奈良を代表する行事であるお水取り。修二会についてです。
修二会とは何かと言うと、1年間世の中の人々が行った負罪を練行衆と呼ばれる僧侶が代わって観音様に悔過(けか)すること。
悔過とはお詫びのことです。
古代より、禍は人間の行いが悪いことから起こると考えられ、これは刑罰に当たる悪いことだけでなく、妬みや恨み貪るなど心の中で起こることも含めてである。
人は意識的にも無意識にも罪を負っているという考えですね。これが積み重なって禍が起きる。
それをどうすれば防げるか。
古代の人の考えは明るいと先生はおっしゃいました。
「罪を詫びれば許される」=「悔過を行う」
と考えたわけです。

お水取りの起源は752年、実忠和上が行いました。
和上は天に行かれた時に目撃した、観音様にお参りする仏様を現世で再現しているのがこの法要。
「不退の行法」と呼ばれ、今日まで途切れることなく続けられています。
今年は1263回目なんだとか。

その内容は観音様に、「お詫びをする」→「褒めまくる」→「お名前を呼ぶ」です。
観音様の立場になってみると、ずーーーっとお詫びばっかりされてるとさすがの観音様もちょっと嫌気がさすであろうと。なので次に褒め、そして観音様との関係を近づかせるためにお名前を呼ぶ・・・んじゃないかと、先生談(笑)

二月堂の観音様の正式名称は「南無観自在菩薩」です。
お名前を呼ぶとき、南無観自在菩薩(フルネームで関係が遠い)→南無観自在(少し短くなってちょっと近づいた?)→南無観(観意外を省略という大胆な呼び方!これはかなり関係が近い!!)という具合に近づいていくんだそうな。


さて、このお水取り、どこが演劇的なのでしょう。

①ビジュアル・観せる演出
二月堂で行われる修二会は、礼堂と呼ばれる外から見える部分と内陣と呼ばれるご本尊様をお祀りしている場所と2箇所の空間で構成されています。
礼堂と内陣との間は「戸帳(とちょう)」と呼ばれる白い裾の長いカーテンのようなもので区切られております。
練行衆が内陣に入ると、戸帳が下ろされ中を伺うことはできません。
しかし、中で灯明が灯されると中にいるお坊様のシルエットが戸帳に浮かび、何かをしていることがわかるのです。
そしてその戸帳はたまーに開きます。

これは戸帳巻き上げと言うそうです。

戸帳を巻き巻きして、ふんぬ!っと振り上げるんだそうです。
こうやって、見えたり隠したりのチラリズムで法要を行い、神秘性を醸して参詣者を酔わせるのであります。
また観せる中でも圧巻なのが、五体投地。
体を板に打ち付けての投地は、本来観音様に向かってされるもの。
ならばより近く、内陣で行ったほうが観音様に響きそうですよね。
それを礼堂=参拝者に見える場所でするところに、心憎い演出があると先生は分析されておりました。

②音の演出
行の中に、走りというのがある。
差懸(さしかけ)と言われる木靴に紙を巻いた履物を履き、堂内を走るのである。
紙を巻いているとはいえ、木靴ですから「バタバタバタ」と音が鳴ります。
しかもゆるりと走るのではなく、猛ダッシュで走るんだそうで、その音たるやかなりの激しさ。
しかし、途中で一人・・また一人とその木靴を脱ぎ、足袋で走り出します。
するとバタバタの音はヒタヒタへと徐々に変化を遂げるのであります。
最後の一人が足袋になったとき、ヒタヒタヒタでありながらも激しく、且つ厳かな響きとなるんですね。
音の抑揚の演出です。
ガコガコなっていた音が収束されていく感じも、どこか神秘的な感じがしますよね。

因になんで猛ダッシュするのかと言うと、実忠和上が天に登って悔過をご覧になられ、「これ、やりたいっす!」と仏様に許可を求めたところ、仏様は「ダメ」と即答されたそうです。
「なぜなら、この法要は14日間ぶっ通しでしなければイケナイ法要です。佛の世界の一日は、下界では400年に相当する。人間の寿命はそんなに長くないでしょ?だから実質無理なのです。」とのことでした。
和上は考えます。どうにか人間にもできないかと。
ふと見ると、観音様の周りを回る仏様の動きはとてもスローリィ。
「っ!これだ!!」
このゆっくり回る動きを、死に物狂いで猛スピードでこなすんで、なんとか人間界の14日で納められます!と和上は解決したんですね。
なので「走り」は猛ダッシュとなったんだそうです。

音には練行衆の持ち物の「鳴り物」もあります。
「咒師鈴」「堂司鈴」「大導師鈴」など、一人づつ持ち物が違い、それによって鳴る音が違うんだそう。

違う物の音ではなく違う音色を出すことで、同じニュアンスの音にも広がりが出ますね。
また、この鈴は奈良時代の形状(時代とともに変化した形状ではない)を受け継いでおり、ビジュアルとしての効果もあるのです。

③触れる演出
閼加井屋というお寺でも神聖な仏様にお供えするお水を汲む場所があります。
修二会の初めに、そこにある若狭井から水が汲まれます。
そのお水に樒(しきみ)を差すことで「香水(こうずい)」となります。
このお香水を頂くことができるのであります。
男性は内陣に入ることができるので、現在は関係者のみしか入れないそうですが、そこでいただくことができます。
女性とその他の男性は頂けないのかと言うとそうではなく、局(つぼね)と呼ばれる場所と内陣とを仕切る格子の間から手を出すことで、お香水を頂けるんですね。

神聖なものを分けて頂けると、自分も参加している感がフツフツと湧きますよね。
そうすることで、より信仰深くなる法要を演出がなされているのであります。



こうして、視覚・聴覚・触覚への緻密な演出があるのがお水取りであると西山先生はおっしゃるのであります。
ただ観音様にだけ向けられた悔過の法要ではなく、万民に観せる法要でもあるのですね。

なるほどなー。
確かにそうだなぁと目から鱗なのでした。


さて、残りの奈良の演劇的空間はなんでしょうか。
次回に続く。




(昨年行った東大寺修二会についてはこの辺参照 →  ■■










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