ぶつぶつ地蔵

地蔵 呟く ひーの言葉を。ぶつぶつと…。

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やっとこさ。

2005-11-28 16:23:40 | 呟き
11月26日の嵐山に引き続き(おちゃるに会いに行ったのは26日だったのです)、27日は、やはり午前中は仕事をし、午後からは薬師寺へと行ったのですだ。
1日仕事で潰してしまった方が、仕事ははかどる。んが、やりたい事は出来なくなっちゃうのでねっ。2日に分けたのだ。

お薬師さんへ何をしに言ったかと言いますと、前回(この記事を参照)返し忘れたお札と肌守りを返しに行ったんですわ
年内にはお返ししておかないと、「バチアタリものー。守ってヤンないぞ。」って言われちゃいそうな気がして。(既に思われていたらどうしよう。。。
そんな訳で、取急ぎ返しに行ったのですがね、人も多すぎず少なすぎず・・・エエ感じでございましたの。

しかしこの日、姪っ子あーがウチに来ると言う事でのんびりしている訳にはいきません。
前回購入出来なかったたまうさぎ(略してたまうさ)を購入する為に尼が辻まで行かねばなりませんのでね。
ちゃっちゃとお参りをした後、お札とお守りを返し、お礼を言う。
早々にお薬師さんを後にし、歴史の道を歩き出す。
急いでいるなら、ひと駅電車に乗れよ・・・って思った人。それは、間違い。
せっかく秋の奈良に来ているのですから、それはそれで満喫せねば勿体なかろうて。

そんな訳で、秋の垂仁天皇陵。

夏には緑の稲穂がワッサワサだった畑も、すっかり刈り取られて鄙びた感じ。
御陵のまわりのお水も抜き取られており、「歩いて渡れるやんけ~」とイケナイ気持ちを起こしそうな誘惑にかられてしまった。だって、ずっと御陵のなかを探検してみたいと思ってるんだもん。
そんな御陵に沿った道を歩いて尼が辻の駅に向う。

尼が辻駅のすぐ近くにたまうさぎのお店はある。
たまうさとはどんなモノか・・・

団子の庄という、奈良で有名な団子やさんの系列らしいのだ。
やわらか~いお団子にきな粉をたっぷりまぶしたモノ
これがねーーー、帰って食べたら、旨いのナンの!!
次回から、お薬師さんへ行ったらたまうさは買いだね。買い!!必ず購入すると思うッス。

目的のたまうさも無事購入し、帰路に付く。
早く帰って、あーのディナーの食べっぷり見なきゃダメだからね~

こうして、オイラの慌ただしい週末は終わったのだった。

たっちゃんと小さいお母さん

2005-11-28 06:44:00 | 大切な人
ずっと、書こうかどうしようか悩み続けている事。
自分の中にしまい込んでおきたい、という気持ちと、みんなにも知ってもらいたい、と言う気持ちとない交ぜである。
今現在も、公にしようかどうしようか悩んでいる。

「人が存在する」という、あまりにもあやふやな現実を。
「人が存在していた」という、あまりにも不確かな現実を。
書きとめておきたいと思って書いている。


出会いは9年前に遡る。私が「小さいお母さん」になった一瞬のお話。


私には四半世紀共にいる友がいる。
仲良しとかそう言った事を卓越した、無条件に信頼している家族的存在。
彼女の結婚にも立ち会い、いろいろな節目をお互い見て来たと思う。

そして、こども。
おめでたがわかった時、嬉しくてバラの花束を送った。
少しづつ大きくなるお腹を見ながら、楽しみに「小さなお母さん」になる日を待つ。

「この子が産まれて来たら、いっぺんにお母さんが2人になるねん。1人は私、本物のお母さん。で、もう1人はひーちゃん。ひーちゃんは小さいお母さんやで。なってくれるやろ?」
おばさんでもなく、お姉さんでもなく、「お母さん」の称号を彼女は私に与えてくれたのだ。

ある日、夢を見た。
「産まれた~♪男の子やねん」と報告する友達と、暗い病院で会っている夢。
夢を見た日の翌日の明け方、家の電話が鳴った。
「ひーちゃん、昨日産まれてん。男の子!私がすぐに動かれへんかったから連絡遅くなってごめん。でも、コレは私の口から報告したかったから!」
夢に見たのと同じ男の子。私知ってたよ、産まれたの。そんな予感がしてたんよ。
「名前は産まれる前から決めててん。翼と書いてたすくと読むの。たっちゃんやで。よろしくな、小さいお母さん」
そうかそうか。たっちゃんか。うんうん。
「面会時間は午後7時までやねん。ひーちゃんは忙しいから無理せんでも週末に来てくれたらええよ」
うんうん、わかった。たっちゃんによろしくね。

この一報のあった日、私は仕事が手に付かなかった。
ずっとたっちゃんの事を考えていた。
仕事があるけどどうしよう・・・今日行くとしたら、早退しな間に合わへん。

もんもんと考えて出した結果が、「週末まで待てない!早退して会いに行く!!」であった。

ギリギリまで仕事をし、急いで病院に駆けつけた。
病院に行く途中の道で、旦那さんと会った。
おめでとうを言い、興奮気味の私と少し話した。
「そやな、行ってあげて。たぶん彼女も喜ぶと思うから」
そう言われ、私は小走りで病院へ向ったのだ。

病室にいたのは、友達と友達のおばちゃんと、ちいさなちいさなたっちゃん。
友達はマリア様みたいに奇麗だった。
でも、その目は真っ赤だった。

たっちゃんは産まれた翌日、そう、友達が私に連絡をしてくれていた時のすぐ後に息を引き取ったのだ。
乳幼児突然死症候群
これがたっちゃんを襲った原因なのだと。

「抱いたげてくれる?」
そう言って、ちいさなちいさなたっちゃんを私の腕に預けてくれた。

たっちゃんは、髪もくろぐろとたくさんあり、眉もしっかりした男前だった。
そっと目を閉じて眠っているたっちゃんは、とてもちいさくて軽かった。
その軽さが、ずっしりと重かった。

「この子はな、産まれた時からたっちゃんやねん。ちゃーんと名前あるねん。名無しのまま逝ったんとちゃうんよ。おっぱいも少しだけ飲んでん。」
マリア様のような友達は少しだけ笑った。


病室で何を話したかあまり覚えてない。
どうやって帰ったのかも思い出せない。
ただ、ただ、たっちゃんを思って泣いていた気がする。

数日後、たっちゃんは小さなお骨になった。
私はその葬儀には参列していない。
本当の家族だけの、小さな小さなお葬式だったから。

それでも時は普通に過ぎていく。
どんな境遇の人にも等しく。

友達の傷は癒える事はない。
疼きと共に一生過ごすのだろう。
でも、その疼きこそがたっちゃんの証。

翌年から、私は柏餅を作るようになった。
初めて作った柏餅はすぐにかたくなって、食べ辛い代物だったけど。
何度か作るウチに、少しはマシなものが作れるようになったと思う。

数年後、友達に新たな命が芽生えた。
そして、かわいらしい女の子が産まれた。

私はもう、柏餅を作ってはいない。
でも、たっちゃんを忘れる事は、ない。

普通に「そこにいる」と言う事は、本当は素晴らしい奇蹟なのだと。
たっちゃんは私に教えてくれた。
怠りがちな感謝を、たっちゃんを思う時に思い出すのである。

たっちゃんの生前の写真は2枚ある。
その内の1枚は、会社の机の上に置いてある。










 -お断り-
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  ただ、たっちゃんという男の子が1日だけだけど、
  この世の存在したことを読んでくれた人全ての胸に留めておいてくれれば。
  トップの写真は、本物のおかあさんの、たっちゃんへの覚え書き。思いを綴ったものです。