ちゃちゃ・ざ・わぁるど

日記と言うよりは”自分の中身”の記録です。
両親の闘病・介護顛末記、やめられないマンガのお話、創作小説などなど。

ジュリー・イン・ラジオドラマ

2010年08月22日 15時14分15秒 | ジュリー・・・思い出雑記あれやこれや
沢田研二さんのお話・・・今回はラジオドラマについて。またまた長うございますよ。

ジュリーはかつてケッコーたくさんのラジオレギュラー番組を持っていました。
前にご紹介した「愛をもとめて」もそうですが、
私がいつも聞いていたものだけで
「沢田研二 ラブコレクション(通称ラブコレ)」
「沢田研二・梶原茂 東海道ルート53次」
「日産サウンドフリーウェー」
「日産ミッドナイト・ステーション 沢田研二 夜は気ままに」
「沢田研二劇場 夜はいい奴」
「ジュリープラスアルファ 夜はライバル」
・・・こんなもんかな、
10分番組から一時間番組まで、いろんな番組を持ちつつ
音楽系の番組にゲスト出演も多数こなしておられました。

いちいち紹介しますとキリがありませんので、
今回はラジオドラマのいくつか・・・
少々レアなネタを含めて紹介したいと思います。


まず、レギュラー番組であった
「沢田研二劇場 夜はいい奴」から。

これは番組自体がラジオドラマを放送する目的で作られたもの。
1981年10月10日から翌年4月3日まで毎週土曜日
ニッポン放送系列で放送された・・・というのはわかってますが
はて、関西では何放送やったかな・・・朝日か毎日か・・・

ともかく、だいたい4週、ひと月で一話になるように
ラジオドラマ用のシナリオではなく人気作家の短編小説を
ラジオドラマ化して、毎回多才なゲストとともに放送していました。
資料らしい資料もサイトも見当たらないけど、
ゼンブではないけど、ちゃんと録音が残っておりますのですよ~!!
それを元にご紹介いたします~。

取り上げられた作品は・・・(録音・・・と記憶が残っている限りで、です。順不同)
赤川次郎「盗みは人のためならず」
筒井康隆「国境線は遠かった」
小松左京「昔の女」
小林信彦「唐獅子株式会社」
・・・・あと、覚えてませんすいません・・・。

ラジオドラマ聴いてからちゃちゃめ、これらの原作本はゼンブ読みましたよ~!
面白かった!!

それぞれちょっと紹介しますと・・・

赤川次郎「盗みは人のためならず」
ゲストは当時人気テレビバラエティー番組だった
「欽ちゃんの良い子悪い子普通の子」から中原理恵さん&山口良一さん。
ナレーションはかの有名な声優・広川太一郎さん。
映画007シリーズ(三代目でしたかな)のロジャー・ムーア役が特に有名です。
内容は、赤川ファンの方ならよ~くご存知かと思います、
夫が泥棒で妻が刑事というコメディーシリーズ小説のひとつです。
ジュリーが夫で中原さんが妻、山口さんはドジな部下の刑事役。

筒井康隆「国境線は遠かった」
ゲストは三原順子さんと谷啓さん。
それからなんとジュリーのバックバンド・
EXOTICS(エキゾティクス)のメンバー全員!
これはファンサービスですね、ガヤというかエキストラをみんなで好演。
そしてなんとなんと、ナレーションはあのルパン三世山田康雄さん!!!
作品はSFショートショート界の鬼才・筒井先生得意のノンストップコメディーで、
(今私が勝手につけた)
アラブの王様がいたるところにできた空間のねじれを利用して
あちこちの外国に治外法権領域を広げ、荒唐無稽の国境争いをするという
現代風刺の名作です。

小松左京「昔の女」
ゲストは竹下景子さん、声優の榊原良子さん
そしてジャッキーチェンの吹き替えで有名な石丸博也さん。
これまたSF小説界の重鎮・小松先生のショートショートですな。
たまたま出会った男女が、お互い初対面のはずなのに何故か知っていて・・・
しかも恋人として一夜を過ごし・・・
SFというよりちょっとオカルト系のお話です。
ラジオドラマのラブシーンというのはテレビより辛い(?)モノがありましたね(笑)
映像がないだけに余計気恥ずかしい・・・竹下さん、さすがです。

小林信彦「唐獅子株式会社」
ゲストは世良公則さん、横山やすしさん!!!(まだお元気でした)
それから藤岡琢也さん、みんなでベタベタ関西弁をまくしたてました。
(世良さんは広島なので関西弁ではないけど・・・広島ヤクザ全開??)
ヤクザが株式会社組織を立ち上げて真面目にヤクザ業を営むユーモア小説です。
ドラマ中には出てきませんでしたが、この小説中に出てくる
マザーグースの「誰が駒鳥(クックロビン)を殺したの?」を関西弁に訳した
「誰が駒鳥 いてもうた」は秀逸です。
「誰が駒鳥 いてもうた/わいやと雀が うちあけた
うっとこにある 弓と矢で/わいが いてもた あのガキを」
・・・だったかな? も、サイコーです。

他に2話ほどあったはずなんですが・・・ちょっと思い出せない~!
そのうち1回は番組のオリジナル作品で、
今の奥様・田中裕子さんと三浦友和さんがゲストだったと思うのですが。
あ~あ、トシでんなあ・・・
(ん? トシをとると昔のことの方が思い出せるてか??)

番組の後半はゲストタイムをとって、ゲストの皆さんとの
楽しいおしゃべりコーナーをやっていました。


で、ファンの皆様が詳しく聞きたいのは
やはりエキゾがゲストの回ではないかと・・・!

はい、面白かったですよ~。
まず初登場はギターのカズさんのウエイター役、セリフは「ご注文は?」

おしゃべりコーナーでカズさんの言った
「シナリオがあったので緊張しなかったね」の感想には
リーダーのケンさんがものすごうさんくさそーに
「してたじゃないよ~!!」と鋭く突っ込んでいました。

かくいうケンさんは王様(谷啓さん)の手下のアラビア人役が主で
終始「アラ~!!!」しか言いません。
仮面ライダーや戦隊物の悪の組織が放つ下っ端戦闘員みたいなもんです。
でもさすが宴会部長のケンさん、
セリフは「アラー」しかなくっても、状況に応じてイントネーションを替え、
「アラ?」「アラ!」「ア、ア、ア、アラ~~~~~~!!」と
随分楽しそうでありました。
他のメンバーも多くは戦闘用アラビア人や野次馬役。
「あそこだ、あそこにいる」「なんだ、あれは?」等々
ホンマ、野次馬の通行人的セリフですが、とっても楽しくやっておられました。

エキゾメンバーのラジオドラマといえば・・・

別の番組になりますが
「ジュリープラスアルファー 夜はライバル」で
エキゾをゲストに迎えてオムニバスラジオドラマというのをやったことがあります。
1982年10月から翌年4月2日まで放送された番組で
・・・内容は忘れましたが・・・
とにかく、そのとある回でラジオドラマをやりました。
が、これは完全にオリジナルドラマ。
ジュリーが1982年の12月に出したアルバム
「ミス・キャスト」収録曲のイメージに沿って作ったオムニバスドラマです。
30分番組でメンバー5人の一人ずつをメインキャストにした、
一話3~4分の5本立てという、中身の濃ゆい内容です。

この回の最高傑作はやはりケンさん演じたオ○マのロージーさんでしょう。(笑)
最後の挨拶コーナーでジュリーが「みんなうまいやん」と言ったのに対して
同じノリで「いや、ダメよ、全然難しいわ・・・」とけだるく答えるケンさん。
さすがといっていいのかどうか・・・。
なんやねん、この人は・・・好きやけど!)


さてさて、それからレアものの紹介~。

これって、今検索かけてもほとんどひっかからないし
ご存知の方が結構少ないみたいなんですよ。
ジュリーもこの仕事に関しては、
少なくとも私は、どこかで語るのをきいたことがありません。

1981年8月の5週にわたってFM東京系で放送された
「日産サウンドスペシャル イメージ’81 音楽は物語を走破する」
という番組がありまして、
これも小説を原作とするラジオドラマを放送していたようですが、
その第4夜と5夜、2週にわたって前後編で放送された
「コインロッカー・ベイビーズ」というラジオドラマがありました。

原作は「限りなく透明に近いブルー」でデビューした村上龍さん。
そしてこの番組では自ら演出と音楽監督を手がけていらっしゃいました。
オリジナル音楽とイメージ曲に乗せてナレーションなしの
キャストの対話とモノローグを中心にストーリーがつづられていきます。

出演は、ジュリーのほか、古谷一郎さん、伊藤幸子さん、立石凉子さん、
森本レオさん、中谷昇さん、三谷昇さん、勝部演之さん。
森本さん以下はサブキャラなんですが、結構豪華ですね~。

テーマ曲やBGMの作編曲は笹路正徳(ささじまさのり)さん。
演奏は笹路正徳グループ、
笹路さんのほか土方隆之さん、渡辺モリオさん、山木秀夫さんという、
その筋では定評のあるミュージシャンの皆さんです。

内容は、一時現実に頻繁に起こった、赤ちゃんのコインロッカーへの遺棄事件、
そこから始まります。
コインロッカーに捨てられ保護された二人の赤ん坊が成長して
施設を出てそれぞれに数奇な人生を歩み始める物語で、
その一方の、歌手になった少年・ハシ役がジュリーです。
村上さんらしいちょっとシュールな展開で、物語もさることながら演出もシュール、
音楽を巧みにフューチャリングした不思議な雰囲気のドラマでした。


さらにもう一作、NHK-FMで単発的に放送された、
これはもともとラジオドラマの脚本だったようですが
海外ドラマでハロルド・ピンターという人の作品「家族の声」というのに
ジュリーが出演しています。
放送は1982年3月15日、NHK海外ラジオドラマ特集という番組の
第1回だったようで、
共演者は奈良岡朋子さん、永井智雄さん。
海外ドラマだけあってより不思議な雰囲気のあるお芝居でした。

ラジオドラマというのは想像しながら聴くものだからか、
夜が似合いますね。それも深夜・・・かな?
独特の世界に入り込んでしまうような気がします。
あの”美しい”ジュリーのことですから(笑・・・っていいのか??)
ついついビジュアル面に気が行ってしまうけれど
声だけの、しかも歌ではない出演もなかなかのものでした。
・・・声だけの演技をなりわいとする声優さんには及びませんが、
たとえば、ちょっとどこか普通でない人格の、
コインロッカー・ベイビーズのハシ役などは
ジュリーにしかできないんじゃない?!・・・なんて思ったり??(一応ほめてます)


ほかに、私は残念ながら聞き逃していたのですが、NHK-FMで、
歌謡ドラマ「時に過ぎゆくままに~北の墓標」(1978年8月)
特集サウンド・シアター「帰ってきた男」(1990年1月)
などへの出演もあったようです。
(たぶんラジオドラマだと思います・・・)


近年こういった仕事をされているかどうかはわからないのですが、
でも、さすがジュリー、いろんなことやってはったんですねえ~。カンシン!

では・・・今回はこのへんで。
コメント (4)
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KAIGO.介護 巻の三十九 VS腎機能低下&脱走?タッグ?

2010年08月21日 08時54分56秒 | 介護な日々
2008年11月2日(土)~上旬

ちい兄が父に面会・・・更にまたまたT先生から長い講義・・・。
「基本的に状態に変化はありません。
低レベルでの小康状態を保ってはいますが、回復してきません。
低栄養で腎臓の機能が更に落ちてきています。
そうなると心臓にもよくありません。
(腎機能が低下すると体内の老廃物が排出されない上、
余分な水分も溜まってしまうので胸水や腹水がたまり、
心臓を圧迫してよくないということらしい)
そのために腎機能を上げる薬というのを使っているんですが
目だった効果は表れていません。
この薬はかなり高価な薬で、保険が効くのは月に10日までなんです。
自費になると何10万も掛かってしまう上、
貴重な薬ですので他の患者さんへの公平性を期すためにも、
ひとりの患者さんにばかり使うわけにはいかないんです。
それを、ぎりぎりの月10日分まで入れて、
後は腸内に栄養を送ることを並行したいと思います。
また、膀胱炎も起こしてはりますが、
この原因菌がMRSAだとちょっとやっかいです。
これまで心臓・腎臓・肺・胃と問題があったので
回復力が極端に低下しています。
ですので回復してもおそらく寝たきりになる可能性が高いでしょう。
介助してポータブルトイレに行ければ上出来と言ったところです。
順調に回復したとして、退院は12月中旬になると思います。
低栄養・合併症・感染症を克服するには・・・
・・・・正直、祈るしかないです。」

ドクターとしてはやれるだけのことはやっている。
使える手段はすべて試した。
人事尽くして天命を待つ。

T先生のおっしゃったのは、要するにそういうことでした。

祈るしかない・・・。

祈ってますよ、ずっと。

医者ならぬ身のわれわれに出来る、そしてもっとも大きなことは祈ること。
ある本の受け売りですが・・・

「祈ることしか出来ないのではありません。
私たちは、まだ祈ることができるんです。」


父は声があまり出ませんので、会話は文字盤が中心になりました。
でも、文字盤であっても対話をするうちに元気が出てきて
やがて声も出やすくなってくるのです。
続けて話をしているとだんだん言葉がはっきりして、
そのうちなんとか喋って話が出来る様になってきます。
どんな形であれ、コミュニケーションをとることは大切なのですね。
ですので、ご近所のMさん、ヘルパーKさん、
それから教会の若会長さんらにお見舞いをお願いすることにしました。
・・・嬉しいことに、Kさんは仕事とは関係なく、こちらが声をかけるより前に
ご近所さんとして、ご主人様を伴って来てくださいました。
聞けば母のほうも時々のぞいてくださっているとのこと。
Mさんとも連絡をとって(おうちがほぼお向かいでいらっしゃるので)
みなさんで様子を見てくださっていました。
ご近所の底力、近くの他人とは本当によく言ったものです。
もちろん、ケアマネTさんも退院後の生活についていろいろ考え、
アドバイスをしてくださっています。
本当に、いろいろな方のお世話になっています・・・感謝、感謝!!


2008年11月11日(火)

尿測の袋を見ると・・・う?! 血尿?!
うわあ・・・と思って病院側にお尋ねしましたら
「尿管挿入時の傷なので心配いらない」のお答え・・・。
本人も大丈夫なのか心配していましたが、
そういうことでほっと一安心。
・・・心臓に悪いわ、ホンマ、こっちも・・・。

全身の状態は良くはないけれど、
悪いなりに小康状態を保っているとのことでした。
まだ、絶食のままです・・・。


2008年11月14日(金)

母。




2008年11月15日(土)

ケアマネTさんが面会に行ってくださいました。
一時よりずっと元気な様子で、声も出ていて、
「今回はえらい目におうたわ」と言っていたとか。
ただ、発熱があり、脈も速くてなんと120前後あったそうで・・・。
Tさん曰く、Tさんも心臓の持病があるそうなのですが
120くらいの脈拍数でも、本人は意外にしんどないそうなのです。

そうは言っても・・・

ドクターのおっしゃる「祈るしかない」状況が長く続いています。
危機に陥ることもなければ、ぐっと回復するでもない。
一時のひどく心配な状態は脱したようですが、足踏み状態です。
腎機能も決して良くはないけれど、低レベルで横ばい状態のままでした。


2008年11月20日(木)頃

母はこの少し前、一般病棟から療養病棟に移りました。
違いはよくはわからないのですが・・・↓たぶんこんな感じ?

一般病棟はごく普通の入院治療をする病棟。
療養病棟は、投薬や点滴などの治療などは必要だが
病状が安定期に入っていて、さりとて退院するには不安がある程度の状態・・・
で、療養病棟には介護士さんがいて、
オムツ交換や食事の介助をしてくださいます。
(一般病棟では看護師さんの仕事です)

また、この療養病棟には食堂があり、
少なくとも昼食は他の患者さんも一緒に食べます。
また、レクリエーションの時間やおやつの時間があって、
可能な人は3時にまた食堂に集まっておやつをいただいたり
また、毎月一度お誕生会があって、
男性介護士さんが中心になって歌を歌ったり手足の運動をしたりします。
あくまでこのIC病院での話ですが。

母も療養病棟に移るとこういったいろいろな”イベント”があって
ちょっと楽しくなったようでした。
でも、どうにも母はマイペースというか、認知症のせいかもしれませんが
楽しそうな顔はしているのですが、一緒に歌ったり手を打ったりはほとんどせず、
介護士さんや他の患者さんの様子を観察していろいろ感想を述べたり、
または傍の廊下を通る看護師さんがずっと気になって
レクリエーションには全然気が行ってないこともしばしば・・・。

とにかくマイペースでそれなりに元気、
夜になったらベッドの柵をはずして”脱走”しては
当直の介護士さんを困らせていたようです。
本人には自覚がなかったらしく、翌朝には覚えていない状態。

まあ、脱走は前々から、IC病院でもOS病院でもやってましたが・・・。
足腰がいよいよ衰え、危険度が上がっているため
紐状のもので柵をベッドに固定されてしまいました・・・。
(一応家族の了解が要るそうで、了承のサインをいたしましたが・・・。)


そんなこんなで、それなりに落ち着いたかなという時期があり、
それからまた・・・・
キターーーーー!! T先生からのお電話です~!

・・・今度の相手は何なのよ・・・
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神様・仏様・手塚治虫大先生様・・・追記あり

2010年08月19日 13時05分55秒 | 気になるヒトビト
手塚治虫・・・敢えて芸術家とお呼びしたい。
言わずと知れたマンガの神様、ストーリーマンガを生み出し、
今の日本のマンガ・アニメ界の基礎を作り上げた、あの、大巨匠でございます。

手塚先生ご自身のことは公式HPやウィキ、その他ありとあらゆるサイト・メディアで
紹介され大いに語られていますので、ここでは語りません。
ちゃちゃめは自分自身と手塚先生のささやかで一方的なかかわりを
語りたく思います・・・はっきり言って自慢ですわ~たらたら。


ちゃちゃめ、ナマの手塚先生をお見かけしたことが2回、
ワンクッション置いてちょいかかわったことがやはり2回ございます。


まず、お見かけした話から・・・順序的にもこちらが先ですので。


1度目は阪神百貨店梅田本店の書籍売り場です。
その日、たまたま母と買い物に来ていた私は、館内アナウンス
偶然手塚先生のサイン会があると聞いて書籍売り場に駆けつけました。
翌年の手塚治虫カレンダーを買った人に先生がサインをくださるというのです。
もちろんミーハーちゃちゃめは、母にカレンダーを買ってもらい
(まだコーコー生でありましたので・・のお! トシがばれる・・・)
サインの列にいそいそと並びました。

・・・いらっしゃいました~手塚先生が!!
写真、イヤ作中に登場されるベレー帽と黒いふちのメガネをかけた
あの、そのまんまの先生がそこに!!


カレンダーを買うとその表紙をめくった1・2月のページの絵の
空の部分に、好きなキャラひとつとサインを描いてくださるようです。
前に並んでいた方々はそれぞれ「アトム」「リボンの騎士」「レオ」など
超有名な代表的手塚キャラを注文して描いてもらっていました。
そして私の番・・・「何を描きますか?」に私は
「BJ(ブラックジャク)をお願いします!」と言いました。
当時BJはまだ新キャラでした。
他のちょい年配の方々はちょっと怪訝そうに「誰それ・・・」というお顔、
私はさもツウな注文をしたなとちょっと悦に入ったものでした。

↑これはアニメですが・・・

見ていると先生はまずBJの髪の白い部分から描きはじめられました!
おおっと、そこから?! 次に黒い部分、
それから目、輪郭、コートの袖、そして襟元を描かれて完成。
なんとも不思議な描き順なやあと思ったものです。

しかしこの超貴重なサイン、長いこと保管していたのですが、
何かの時にどこかに紛れてしまい、紛失してしまいました~~~!!!
もう、しくしくです・・・。

《ここで追記。

出てきましたの! このサイン入りカレンダー!!
こちらで披露しております~。

追記オワリ》


さて次にお見かけしたのは何と大学の構内です。
私の通った京都精華大学は、今も日本唯一マンガ学部のある大学ですが
当時も日本唯一、大学の本科でマンガを教える学校でありました。
その大学の学園祭に手塚先生が講演にいらっしゃったのです。
11月3日の、先生のお誕生日の日でありました。

いつもはがらんがらんの校内一広い講義室兼講堂が、さすがにこの日はびっしり。
押すな押すな大入り満員です。
手塚先生は壇上で、用意された吊るした模造紙にさらさらと
持ちキャラの絵を次々に描いては剥がして落とし、描いては落としして
いろんなお話を語られました。
そして話が終わると、今日はお誕生日なのでご家族とお祝いされるため
すぐに新幹線で東京へお戻りになられるとのことで風の如く去ってゆかれました。

壇上に残った模造紙の絵の争奪戦が始まったのは言うまでもありません・・が、
そこは学園祭実行委員の学生自治会が回収していきました。
・・・しかしこの絵はその後一度も持ち出されておりません。
いったいドコへ行ったのか・・・今も学内に保管されているのか・・・
まさか自治会内で山分けなんてことは・・・
・・・学校の宝ですよ?! いや、今や国宝級か・・・


・・・アッチョンブリケよのさ!!!


さて・・・・・

次にワタクシ個人の接近遭遇・・・てか、先生を掠めた話です。


先に述べましたとおり、京都精華大学は日本唯一のマンガを教える大学でありました。
そのマンガコースに籍を置いておりましたちゃちゃめ・・・
マンガコースは当時はデザイン科の下に置かれていましたが、
それはともかくゼミの先生はやはり漫画家でいらっしゃいました。
当時教授はお二人。世間一般ではあまりメジャーでないですが、その筋では有名な先生でした。

お一人はヨシトミヤスオ先生。
今は存じませんが京都市立動物園の園内のイラスト入り看板は先生の作品でした。
動物マンガを得意とし、昨年も地元・京都で作品展を開かれるなど
今も現役で活躍されていらっしゃいます。
もうお一人は佐川美代太郎先生。
2-3年前朝日新聞の記事に何かのコメントを載せていらして懐かしかったのですが
昨年の秋、老衰でご逝去されました。(ご冥福をお祈りいたします。)
昭和35年ごろ日本経済新聞で4コママンガを連載されていた
大ベテランの先生でいらっしゃいました。

その、ヨシトミ先生が実は手塚先生の古いご友人でいらっしゃいました。
手塚先生がまだ若く、関西在住の時代からのご親友だそうで、
京都に来られるといつも連絡をとりあう仲だったとか。

いつかヨシトミ先生が話しておられました・・・
「彼がこっちへ来るとよく飲みに行って、昔の話をするんだけど
いつも戦時中の話をするんだよ・・。そしたらいつも泣きながらね、
戦争中は苦しかった、マンガを描きたくても思うように描けない、描かせてもらえない。
あの苦しかった時期を思い出して彼はいつも泣くんだよ・・・。
戦争があると自由にモノを言えない、芸術活動もできない、
その苦しさは体験したものでないとわからないだろうねえ・・。」
そういったことを私たち学生に語ってくださいました。
私たちは、表からはわからない、手塚先生の素顔を垣間見られた気がしたものです。



それから・・・

大学卒業後、私はちょっとばかり失業中の時期があり、
とあるイラストレーターの先生のところで短期バイトをしたことがあります。
大阪在住の、当時で50歳代の先生でしたが、
採用されて先生の仕事場のマンションに行ってみると、
さすが、イラストや美術関係の本が壁いっぱいの本棚をびっしり埋め尽くしています。
うおお・・・さすがプロや・・・と、感心して見渡すと・・・??
ん・・・??その一角に、まさに「手塚治虫コーナー」とでもいうように
手塚先生のコミックスがずらりと並んでいるのです。

おお・・・これくらいのベテランイラストレーターでも、
手塚先生のマンガは読みはるんやなあ・・・
さすが、手塚先生は違うで・・・と、一旦はそっちに感心。

ともかく、イラストレーターのアシスタントという
ちょい”かっちょええ仕事”をちょっとだけ得て始めましたら・・・
仕事内容は関係ない話なので置いといて、このセンセイいわく
「僕はイラストレーターてゆうてるけど、本業は漫画家なんや」と・・・。
センセイのお名前は西上ハルオ(にしがみはるお)先生。
失礼ですが聞いたことない・・・・とて、
先生は学習マンガとか、そういう分野で描いておられたようで
こちらも知るヒトぞ知るといったプロの先生でした。

それはともかく、先生が本は自由に見ていいよとおっしゃったので
手塚先生の本を眺めてみると・・・??
ハードカバーが多いっすね・・・・オマケに・・・
めくって見ると・・・「謹呈本」のハンコ・・・もち初版・・・

んんん?・・・「新宝島」?
これ、手塚先生の処女作で、
初版本は(この当時でも)値段がつけられないほどの激レアものでは・・・
オマケに謹呈本・・・???


さすが、プロの先生はもってる本まで違うなあ・・・と感心したら・・・
先生がおっしゃった・・・
「ああ、そこの本ね。新しいのが出たらいつも送ってくるんだよ~。
別にいいっていってるんやけどね。」
ははあ、出版社からね・・・
「律儀やからねえ、あの人は。」
あの人???
「ああ、僕、手塚君と昔一緒に仕事してたんや。最近もね、
一緒に描こうとゆうてくれるんやけどね、僕は東京嫌いなんや。
だからずうっと断ってるんよ。」
ふえ・・・????

えええええええーーーー!!!!!

こんなことろ、イヤ失礼、ここでまた手塚先生の親友と言うヒトと遭遇するとは!!!

あとでわかったことですが、あの有名な「ジャングル大帝」、
あの作品が連載された当初、ミスで原稿がまるまる掲載1回分紛失したことがあり、
そのとき急いで手塚先生でないヒトが下書きをトレースして
掲載誌に載せたことがあったそうなのですが、
そのトレースをしたのがこの西上先生でいらっしゃいました!!

そう、この謹呈本は他でもない手塚先生ご自身が贈っておられたのでした。

でも、先生の奥様があっけらかんとおっしゃいました。
「売ったらひと財産やと思うんやけどねえ~。」

でゅわああ~~~~!!! 家建ちまっせ、イヤマジで!
イヤイヤイヤ!!!!!


カンケーない話ですが、西上センセイは私にしみじみおっしゃいました。
「君、精華大のマンガ科か。
ゆうとくけど、漫画家にはなるもんやないよ。
どんだけ描いても原稿料は安いしねえ・・・。」
すかさず奥様が笑いながら
「漫画家の奥さんもやめときや! 苦労するで~
安いから事務員雇われへん、奥さんが勘定せなあかんようなるからね。」
・・・・・は・・・はあ・・・。
(漫画家なんてとてもようならんけど・・・

そういや、手塚先生も・・・漫画家は儲からないと苦労なさってましたね
一度虫プロ倒産させちゃったし・・・。



閑話休題。


手塚先生が亡くなられてもう20年以上過ぎちゃいました。
でも、今でも先生の作品は読み継がれ、後を追う作家も限りなくいます。
やっぱり、あの人は神様だったのかも・・・と思います。
ちゃちゃめも、ちょびっとだけ先生と一方的だけどかかわれたこと自慢に
また先生の作品を読み返したいと思います。


ちなみにオススメはやっぱり「ブラックジャック」

それからちょっとツウですが「きりひと讃歌」、超名作です!!


と、いうわけで・・・アラマンチュ~!


*註・・・アッチョンブリケ、アラマンチュ ともに
「ブラックジャック」のメインキャラ・ピノコの発する謎の名ゼリフです
特に意味はないみたいだけど
アッチョンブリケは主に驚いたり、理不尽に思ったときに
アラマンチュも・・・原作では呆れたときに言うようですが
アニメでは了解または挨拶がわりに使われてた・・・ような気がします。
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創作小説 SUNSET CHAPTER 5・・・ビフォーアフターのビフォーなあとがき

2010年08月18日 13時18分45秒 | 創作小品
拙作をお読みくださっている友人に
「中学生でこんだけ書いてたてすごいやん」と言われました。
イヤイヤイヤ・・・お褒めのお言葉は素直に頂戴するとして、
・・・今の出来がいいとはトテモ言えないにしても、
・・・さすがに中坊(中学生)の頃にこんなに書けてたわけはないやん・・・。
書けてたら小説家目指したかもしれなくなくなくなくなくない。(さあどっち?)

元作は原則マンガでございます。絵はもちろん内容もヘタ以前の出来ではありますが
手直しすれば少しは読むに耐えうるくらいにはなるということやね・・・。

・・・ともかくその、今がアフターなら元作はビフォーですね、
今回そのビフォーのとんでもなさを恥を承知でさらそうと思います。

元作・元作の描き直し版・ノベライゼイション、すべて処分しまして今はありません。
が、覚書として作り処分し忘れた自作品リストがあるので、
それを見ながら、とりあへず現時点までにあたる元作のあらすじを記したいと思います・・・。
・・・まあ、これも覚書ということで。ツッコミどころ超満載。



PART.1「ひとりのマスター」
とあるスナック。カウンターの中にマスターの和行。
カウンター席には別々に青年と若い女性客がいる。
ふたりともそれぞれ振られたばかりで、和行が慰めるがうまく行かない。
そのうち二人はお互いに気があって、連れ立って店を出て行く。
「結局オレがひとりぼっちか・・」と自嘲する和行。

PART.2「影のある青年 1」
1とは別のスナックで弾き語りの歌手をやっていた清司。
なんとなく店を辞め、歌手もやめようと決め、
ひとり雨の中を歩いていてバイクのスリップ事故に巻き込まれる。
それを助けたのは和行。(バイクを運転していたのが常連客の一人だったので。)
清司は手当てをしてくれる和行に、死んだ兄・広司の面影を重ねる。

PART.3「影のある青年 2」
そのまま(何の説明シーンもなく)和行のところへ住み込んだ清司。
雨が強く海鳴りがひどい日は様子がおかしい。
初めは無関心な和行だが、(バイクとは別の)常連客に諭されて事情を尋ねる気になる。
部屋のドア越しに「お前には海で死んだ兄貴がいただろう?」と聴くが、清司は強く否定。
和行は更に「過去の感傷にひたるのはやめたらどうだ?」と声をかける。
しばらくして、生い立ちを打ち明ける清司・・・
(兄のことはバイク事故で怪我した時うなされていたのを聞いて和行がそう想像した)
両親に死なれた後親代わりに育ててくれた兄が、ある嵐の日足を滑らせ、
海へ落ちて死んだ、その時「お前は生きろ」と言い残していった・・・と。
話を聞いて和行は「忘れちまえ」と言い、更に
「お前の気持ちはわかるよ、俺も失うものはすべて失くしてしまったからな」と言う。
(失うものとは親や家族のことをさす。)
優しく接してくれる和行に清司はようやく心を開く。

PART.4「ふれあい」
ある日、体調を崩して苦しそうな和行、だが店は休まない。
そこへ和行の昔の知人らしき男が偶然訪れ、
1曲やってくれとアコギ(生ギターです)と取り出す男。
和行は一旦断るが皆に勧められ1曲だけ弾き語り、清司はそのうまさに感心する。
が、歌い終わって和行は倒れてしまう。
アイスピックで怪我をしながらも氷を割り、介抱する清司。
目を覚まさない和行に付き添いながら、ものすごく心細くなる。
手持ち無沙汰にアコギを爪弾き歌う清司に、和行は目を覚まし
「うまくなったじゃないか」と声をかけ、看病に感謝する。


途中ですが、ひとこと・・・
『ツッこみ てエ~!!』
(「魔人探偵脳噛ネウロ」第13巻175頁1コマ目の桂木弥子のセリフより)



・・・・・失礼、続きです。


PART.5「二人の清司」
4のすぐ後の日、店に清司そっくりの青年がやってきて「三上清司(せいじ)」と名乗る。
(何故か態度はタカビーでやたらカッコをつけている・・・)
それから毎日来られて辟易していると、清司はまだ病床の和行に愚痴る。
思うところあって抜け出した和行は、店に来る直前で三上を捕まえる。
三上は自分は清司の生き別れた双子の兄だと明かし、
清司がこれまで苦労していたことを話して泣く。
今も苦労しているようなら連れて行こうかと思っていたが、
あなたがいるなら安心だ、自分のことは黙っててくれと口止めして去っていく。

PART.6「動かない右手 1」
回想話。どこかの雪山で行き倒れている数年前の和行。
助けたのはロングヘアーの女性・マキ(関西人ではない)。
近くの避難小屋に連れて行き、自分は暴走族のメンバーだったが裏切った、
でも、ここにいることを知られてしまい、もうすぐつかまってしまう。
覚悟は出来ている、あんたは関係ないからうまく逃げろ、と話す。
やがて族の幹部連中が来てマキを連れ出す。
和行は隠れていたが見つかってしまい、逃げようとして銃で撃たれてしまう。
引き上げる連中。
和行は急所ははずれていて生きてはいたが、右肩を撃ち抜かれていた。

PART.7「動かない右手 2」
現在の話。休日、海岸通で海を見ている和行。
たまたま通りがかった女性がはっとして声をかけてくる。
マキだった。お互いの無事と偶然の再会を喜ぶ二人。
それからたびたび二人は外で会う(海岸にいるだけよ、ホ○ルとかには行かないよ)。
その時マキは和行の右手が震えているのに気づく。
実は山で族に撃たれた時神経に傷がついて多少不自由なのだ。
しかし、障害があるとは言うが原因は言わない和行。
(今作では手が不自由と言う設定はやめました。)
偶然様子を見ていた清司はきっとふたりは一緒になるのだろうと思う。
そしてある朝、清司は新聞を開いてぎょっとなる。
和行は例によってマキに会いに出かけるが清司は声をかけようとしてかけられない。
新聞には交通事故でマキが死んだという記事が載っていたのだ。

PART.8「二人の清司Ⅱ」
とある休日。再び三上がやって来る。
(今度は全然タカビーじゃなく、大人しい普通の青年になっている。)
清司を誘って海岸の岩場へ・・・ちょうど雨も降り出し
清司はまた兄・広司が死んだときのことを思い出して少しゆううつ気分に。
だが、三上はそれを和行に聞いて知っていて、乗り越えろと強く言う。
その時、足を滑らせて清司が海に落ち、怪我を負う。
三上は清司を病院へ連れて行き、輸血に自分の血を提供する。(珍しい血液型の設定。)
清司は助かり、すっかり良くなって退院したのを見とどけると、三上は去る。
そこで初めて和行は三上が清司の双子の兄だと清司に教え、
清司は驚き、急いで三上を追うが、三上はそれを冷たく突っぱねる。
お前はここにいたほうがいい、もうとっくに兄弟じゃなくなっているんだと言って。
愕然として嘆く清司を置いて三上は去り、
和行は「彼はお前に幸せでいてほしいだけなんだよ」と清司を慰める。


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・。
・・・・なんかツッこむ気が失せました・・・。
・・・・ひとつ言えることは・・・

「この作品の作者は絶対にブラコンだ。間違いない。」


ともかく・・現時点ではこの辺までですね。

テツは元作ではもっと後で登場し、一応和行の親友と言う設定ではありますが、
存在感も存在理由もほとんどありませんでした。
それから友人が「よく動いてる」と褒めてくれた涼香ちゃんは
今回作った完全に新しいキャラです。
そして小城みゆ希ちゃんですが・・・
元作での名前は深沢美雪さんですが、彼女もこのずうっと後の登場で、
しかもアナウンサーなんかじゃなく完全なパンピー(一般ピープル、つまり一般人)。
じゃあ、今作ではテレビを見て消息を知ってやってきたという三上くんやマキさんは、
元作では何を頼りにココへたどり着いたのかというと・・

はい、なんと偶然です。

三上くんもマキさんも、後で登場の美雪さんもみんな偶然たどり着くんですね。
あまりにすごいご都合主義・・・!!

だから今回みゆ希さんをアナウンサーにして
たまたま、これだけがたまたま全国各地を廻っててココにたどり着いた、にしたのです。
後はみんな、このテレビ放送を見た、
あるいは見た人に聞いてやって来た・・・にしました。

リメイクで一番違うのは・・・もちろん主人公を変えたことですが、
主人公・和行の性格はかなり変えてます。

元作では面白みの全然ない、落ち着きすぎのとっても大人キャラ。
喋り方も真面目で大人しいし、慌てないし静かだしなんか没個性。
かなり紆余曲折のある波乱万丈の半生を送っている、しかもまだ若いのに、
これはちょっとないんじゃないのと思って、
今作では言葉遣いも少々荒っぽく、ちょっとふざけた感じも入れて、
ホントは優しいんだけど、一見クールでぶっきらぼうな性格に変えたのですわ。
その方が過去の生い立ちとしっくりはまると思いまして・・・。
このへんは今後徐々に語られますので、またヨロシク。

また、三上くんも今作では完全にキャラ変えてます。
元作の初出時は何故か上から目線でカッコつけている。
あとで出てくるときには普通になってますが、
普通っていうか真面目で品行方正な好青年そのものね。
今作ではのびのび、あっけらかんとした多少KYのお調子者にしました。
また、元作では双子の兄であることをなかなか明かしませんでしたが
・・・バレバレに決まってるやん?
ですのでリメイクの今作ではさっさとばらしました。

それからそれから、今回はマキさんを殺しませんでした。
だって・・・演出上も殺す意味マッタクないじゃないですか。命は大切に!
再会を喜び、生きてて良かった~。また会えたら会おうね、・・・で、いいじゃない。
というわけで、生き延びていただきました。関西人にしたのはただのノリやけど。
それから、最後までフルネームを名乗らずじまいですが、
実はこれ、私自身が覚えてないだけなんです、元作での彼女の名前を。
改めて適当につけてもいいんだけど、
こういう風に聞きそびれてそれきりってのも面白いかな、と思いまして。


というわけで、ビフォーな話はちょっと先に続きをまたやります。
駄法螺話にお付き合いありがとうございました~。

お後がよろしいようで。

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元気でね

2010年08月17日 19時55分50秒 | ジャンガリアン
6月25日に生まれたジャンガリアン・ハムスターたち。
ちょっぴり大きくなりました。
大きくなって、男の子と女の子を分け、それぞれとーたん、かーたんと一緒に・・・

まず女の子たち。
いっちー、こといちご牛乳
夾(きょう)ちゃん、
すみれ、改め桃(もも)ちゃん、
(ブルーサファイヤかと思いましたが結局ノーマルでした。
なので、青いすみれから桃に改名)
なのちゃん。(・・・も、ノーマルでした。)
そしてかーたんの花ちゃん。





・・・まあ、この写真だとどれがどれだかわからんけど・・・


そして男の子軍団。
楡(にれ)くん、
竹(ちく)くん、
桃矢(とうや)くん。
それからとーたん水木くん。
とーたんだけがブルーサファイヤです。





男子3兄弟。左から楡、桃矢、竹かな?


一家であそぶの巻。





まだ縄張り意識もないのでわらわらと仲良しで・・・


そして今日、いっちー、楡くん、桃ちゃんの3匹が、
長老はるるんこと春紫苑のイトコたちが暮らす友人宅に
里子としてもらわれていきました。
そこもジャンハムをこよなく愛するおうちなので、
きっととっても大事に飼ってくださるでしょう。

いっちー、楡くん、桃ちゃん、元気でね。


で、はるるんです。元気です。
シャープペンシルを生涯のライバルと思っているらしく
置いてあるとすぐにバトルを挑んでこうなります・・・。
(ちょっと右目を患ってます・・・。)
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