おはようございます。今回は京都の町を南北に貫く千本通を走ってみようと思います。この道は栄華の平安時代、戦乱の戦国時代、動乱の幕末それぞれの時代を感じることができる道、そして道中にはいろいろなミステリーにあふれた所でもあります。
スタートは京阪淀駅に近い旧京阪国道の納所交差点から、ここは6本の道が交わっていて交差点の至る所には京都競馬場関係の警備員が立っている。千本通の始まりはここから、北へ向かう細い道を進んで行ってみることにする。
旧街道の雰囲気を残す町並を過ぎると左手側に京都木津八幡自転車道が沿う道となる、休日ともなればそちらは自転車でいっぱい、こちらの道は車がいっぱい、仕方ないか。
しばらく走ると寺院の一角に『鳥羽伏見戦跡』の小さな碑がひっそりと立っている(写真3枚目)。戦は特にこの場所に限ったことではないのだろうが、この周辺は幕末の動乱に巻き込まれた場所だったのだろう、今の穏やかさぶりとは大違いだがたった150年程前のことである。ちなみに自分(一人称)幕末の時代で一番好きな、と言うか興味がある共感できる人が徳川慶喜、この戦での逃亡が何とも人間臭さっぽい気がするのですが、どうでしょうか?
横大路から下鳥羽にかけては古い町並が残る所。並行していた自転車道が分かれてすぐの所にあるのが『月の桂』の酒蔵、歴史を感じる建物が道の両側に軒をなしている。ここを過ぎてすぐにある千本通赤池交差点、この『赤池』という地名には恐ろしい由緒があるとのこと、赤池は赤い池、ではその赤とは・・・?
この交差点を少し行った先が城南宮との分岐点、その場所には城南宮への道標と鳥羽伏見戦跡の碑が立っている。千本通はここから左へ折れて橋を渡り名神高速の下をくぐって上鳥羽地区へと入って行く。
この辺りに来ると町の中心地に近いこともあって、たまに古い町並もあるが特に見所のない道となる。やがて行き着いた所が国道171号線、九条通と交わる九条旧千本交差点、信号を渡った所にはお堂があり、その横の径から入った公園の敷地にひっそりと羅城門跡の石碑が立っている。
羅城門は平安京時代にあった都の入口となる門だったが、どちらかと言うと不気味な逸話が語られる場所としての方がお馴染みか。そしてこの門を守護する役目であったのがこの地の東西両側にあった寺、東は五重塔でお馴染みの東寺、西はその名もそのままの西寺、写真3枚目にある通り、東寺とは大違いの姿で現在に至っている。
羅城門跡を過ぎて写真1枚目にある町並を北へ進むと道はJR東海道本線によって寸断される。その向こう側からは蒸気機関車の汽笛が聞こえてくる、梅小路機関車館である。別の道を経由してそちらの方へとたどり着く、ここからはJR山陰本線の高架下の狭い道を通って行く。
途中ほんの寄り道で京都にあった花街、島原の町並の中を走る。この町並の一角にある角屋は歴史を感じる古い建物、その端には『長州藩藩士久坂玄瑞の密議の角屋』と彫られた石碑が立っている。花街を抜けて中央卸売市場の横を通り過ぎるとやがてJR丹波口駅前、国道9号線と交わる所、五条千本交差点にたどり着く。ああ、ここで時間となってしまいました、すみません、このお話は次回への続きとなります。今回はここまでです。 まちみち
スタートは京阪淀駅に近い旧京阪国道の納所交差点から、ここは6本の道が交わっていて交差点の至る所には京都競馬場関係の警備員が立っている。千本通の始まりはここから、北へ向かう細い道を進んで行ってみることにする。
旧街道の雰囲気を残す町並を過ぎると左手側に京都木津八幡自転車道が沿う道となる、休日ともなればそちらは自転車でいっぱい、こちらの道は車がいっぱい、仕方ないか。
しばらく走ると寺院の一角に『鳥羽伏見戦跡』の小さな碑がひっそりと立っている(写真3枚目)。戦は特にこの場所に限ったことではないのだろうが、この周辺は幕末の動乱に巻き込まれた場所だったのだろう、今の穏やかさぶりとは大違いだがたった150年程前のことである。ちなみに自分(一人称)幕末の時代で一番好きな、と言うか興味がある共感できる人が徳川慶喜、この戦での逃亡が何とも人間臭さっぽい気がするのですが、どうでしょうか?
横大路から下鳥羽にかけては古い町並が残る所。並行していた自転車道が分かれてすぐの所にあるのが『月の桂』の酒蔵、歴史を感じる建物が道の両側に軒をなしている。ここを過ぎてすぐにある千本通赤池交差点、この『赤池』という地名には恐ろしい由緒があるとのこと、赤池は赤い池、ではその赤とは・・・?
この交差点を少し行った先が城南宮との分岐点、その場所には城南宮への道標と鳥羽伏見戦跡の碑が立っている。千本通はここから左へ折れて橋を渡り名神高速の下をくぐって上鳥羽地区へと入って行く。
この辺りに来ると町の中心地に近いこともあって、たまに古い町並もあるが特に見所のない道となる。やがて行き着いた所が国道171号線、九条通と交わる九条旧千本交差点、信号を渡った所にはお堂があり、その横の径から入った公園の敷地にひっそりと羅城門跡の石碑が立っている。
羅城門は平安京時代にあった都の入口となる門だったが、どちらかと言うと不気味な逸話が語られる場所としての方がお馴染みか。そしてこの門を守護する役目であったのがこの地の東西両側にあった寺、東は五重塔でお馴染みの東寺、西はその名もそのままの西寺、写真3枚目にある通り、東寺とは大違いの姿で現在に至っている。
羅城門跡を過ぎて写真1枚目にある町並を北へ進むと道はJR東海道本線によって寸断される。その向こう側からは蒸気機関車の汽笛が聞こえてくる、梅小路機関車館である。別の道を経由してそちらの方へとたどり着く、ここからはJR山陰本線の高架下の狭い道を通って行く。
途中ほんの寄り道で京都にあった花街、島原の町並の中を走る。この町並の一角にある角屋は歴史を感じる古い建物、その端には『長州藩藩士久坂玄瑞の密議の角屋』と彫られた石碑が立っている。花街を抜けて中央卸売市場の横を通り過ぎるとやがてJR丹波口駅前、国道9号線と交わる所、五条千本交差点にたどり着く。ああ、ここで時間となってしまいました、すみません、このお話は次回への続きとなります。今回はここまでです。 まちみち
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