おはようございます。
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昨年の暮れに天理~桜井間のバス停を巡った話についてはこの間ここでお伝えしましたが、その時に合わせて山の辺の道付近に点在する古墳を巡って走りました。まず上にズラリと貼った写真は天理市内にある大和古墳群の風景、奈良にあるから大和を名乗るのは当たり前やないか~、とも言いたくなりそうだが、この付近にある神社が大和神社と書いて「ooyamato」なのでこの古墳群もその読み方となっている。この辺りは度々ここでも紹介したことがあります、竹内環濠集落から山の辺の道を通って萱生環濠集落へと差し掛かる区間、少し小高くなった所からはいくつかの古墳を臨むことができる。名前は知られなくとも古代からの文化が引き継がれてきた所と言った感じだが、集落の静かな落ち着いた雰囲気はその頃からもうずっと変わらないものだったのだろう。この古墳群の中でも有名なのは衾田陵、集落を抜けた所にデ~ンと構えていて小高い山と見間違えてしまいそう、しかし山の辺の道はこの先は畑の中の畦道となってしまい自転車で行くことができなくなってしまう、と同時に大和古墳群もこの辺りで一旦落ち着く形となって古墳群は柳本周辺へと引き継がれていく。
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柳本古墳群と言うと、崇神、景行天皇陵や黒塚古墳など名前の知れた古墳が有名、国道の東側には大きくデ~ンと構えているが、天皇陵と言うことで当時の勢力を古墳の大きさで誇示しているかのようである。山の辺の道はその古墳の裏側を沿うようにして通っているが、あまり走りの良い道ではないのでここは国道を進んで行くことにする。桜井市に入り進行方向左手側には三輪山が見えてきて、古代の情緒が漂う地域へと差し掛かって行く、この辺りが多分邪馬台国があったであろうとされる所、はっきりとした場所を特定することはできないが邪馬台国と言うと「纏向」はもう記号のように語られるくらいにお馴染みとなってしまっている。JR万葉まほろば線巻向駅西側にもいくつかの古墳が点在していてその辺りは纏向古墳群と名付けられているが、その辺りについてはまた別枠でのお送りを考えています。
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上の写真は国道169号線の東側にある桜井市穴師と言う町の風景、なかなか風情のある町並が展開していて、その中を狭い道が縫うように通っている。まるで迷路のような道、町並に入ってしまうと古くて立派な造りの家屋が所狭しと迫って来て、一瞬方向感覚を失ってしまいそう。写真にもあるが常夜燈や火の見櫓など今ではもうなかなか見なくなった光景もまだまだこの辺りでは健在、市の中心地からは離れた所なので、ここの古くからの住民がずっとこの町の文化を保ってきたのだろう。最近はこう言った古い町並にも開発や観光目的などと称して都市からの文化が人の意志で押し込まれることがあって、その姿や良さが失われつつある。古臭いと言って歴史を否定するのは人間のエゴ、そんなものなど関係ないと言った感じでやっぱり残せるものは残していってほしいと言ったところ、古い町並を走った時にはいつも考えることです・・・って言ってもそんな町並を嬉しがって走っている余所者の自分(一人称)が一番迷惑がられている存在なのかも、それはそれで失礼させてもらってます・・・と言うことで次回もお付き合いよろしくお願いします。 まちみち
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昨年の暮れに天理~桜井間のバス停を巡った話についてはこの間ここでお伝えしましたが、その時に合わせて山の辺の道付近に点在する古墳を巡って走りました。まず上にズラリと貼った写真は天理市内にある大和古墳群の風景、奈良にあるから大和を名乗るのは当たり前やないか~、とも言いたくなりそうだが、この付近にある神社が大和神社と書いて「ooyamato」なのでこの古墳群もその読み方となっている。この辺りは度々ここでも紹介したことがあります、竹内環濠集落から山の辺の道を通って萱生環濠集落へと差し掛かる区間、少し小高くなった所からはいくつかの古墳を臨むことができる。名前は知られなくとも古代からの文化が引き継がれてきた所と言った感じだが、集落の静かな落ち着いた雰囲気はその頃からもうずっと変わらないものだったのだろう。この古墳群の中でも有名なのは衾田陵、集落を抜けた所にデ~ンと構えていて小高い山と見間違えてしまいそう、しかし山の辺の道はこの先は畑の中の畦道となってしまい自転車で行くことができなくなってしまう、と同時に大和古墳群もこの辺りで一旦落ち着く形となって古墳群は柳本周辺へと引き継がれていく。
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柳本古墳群と言うと、崇神、景行天皇陵や黒塚古墳など名前の知れた古墳が有名、国道の東側には大きくデ~ンと構えているが、天皇陵と言うことで当時の勢力を古墳の大きさで誇示しているかのようである。山の辺の道はその古墳の裏側を沿うようにして通っているが、あまり走りの良い道ではないのでここは国道を進んで行くことにする。桜井市に入り進行方向左手側には三輪山が見えてきて、古代の情緒が漂う地域へと差し掛かって行く、この辺りが多分邪馬台国があったであろうとされる所、はっきりとした場所を特定することはできないが邪馬台国と言うと「纏向」はもう記号のように語られるくらいにお馴染みとなってしまっている。JR万葉まほろば線巻向駅西側にもいくつかの古墳が点在していてその辺りは纏向古墳群と名付けられているが、その辺りについてはまた別枠でのお送りを考えています。
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上の写真は国道169号線の東側にある桜井市穴師と言う町の風景、なかなか風情のある町並が展開していて、その中を狭い道が縫うように通っている。まるで迷路のような道、町並に入ってしまうと古くて立派な造りの家屋が所狭しと迫って来て、一瞬方向感覚を失ってしまいそう。写真にもあるが常夜燈や火の見櫓など今ではもうなかなか見なくなった光景もまだまだこの辺りでは健在、市の中心地からは離れた所なので、ここの古くからの住民がずっとこの町の文化を保ってきたのだろう。最近はこう言った古い町並にも開発や観光目的などと称して都市からの文化が人の意志で押し込まれることがあって、その姿や良さが失われつつある。古臭いと言って歴史を否定するのは人間のエゴ、そんなものなど関係ないと言った感じでやっぱり残せるものは残していってほしいと言ったところ、古い町並を走った時にはいつも考えることです・・・って言ってもそんな町並を嬉しがって走っている余所者の自分(一人称)が一番迷惑がられている存在なのかも、それはそれで失礼させてもらってます・・・と言うことで次回もお付き合いよろしくお願いします。 まちみち