F老人の気ままな島暮らし日記

尾道市生口島で気ままな島暮らしの日々。

弁天小島

2012年05月04日 08時18分26秒 | 日記・エッセイ・コラム

雨のため一日遅れで本土から島に移動。空気がきれいなので弁天小島の写真を撮りに行きました。

google map の航空写真で見た”H"町です。赤丸の中が弁天小島です。うっすらと浅い部分が分かります。

Haramati

干潮の時をねらって行ってみました。後ろの島は愛媛県の岩城島です。

P1040615

島の全景です。浅瀬が分かります。

P1040616

”I"島を一周する317号線沿いに島の説明板がありました。

P1040359

読みずらいので写書してみます。

弁天小島(通称おおこじま)

 おおこじまと呼ばれ、むかしから人々に親しまれている弁天小島の頂上に美しく立派な室町時代の「宝篋印塔」が造立され、その近くに「石室」が一つたたずみ、いまは枯れているが往年の姿をとどめている末の枯れ古木がある。その下の海には伝説で知られる「おまんが穴」が見えて、今にも大蛸の足が現れてくるような海の色、下に降りると穴地蔵堂と呼ばれている「釈迦三尊」の石仏三体が安置されて、台石に「諸国廻船海上安全」と刻まれ、海と船にかかわるものに小島はつつまれている。

 その昔、享保十年の山林調書に

         高さ 八間

 弁才天小島

         廻り 九拾間

  但し松木壱本廻り壱尺五寸

  但し岩山

 と書かれている。この松も今は枯れているが、小島全体が文化財の宝庫である。石仏の前の線香立には奉寄進願主村中と刻まれて、原村の人々が村の安全を願って寄進したもので、そのことは対岸にある安政六年造立の石灯篭の台石に當村安全と刻まれていることと、深いかかわりがあるものと思われる。

 夕映えに浮かぶ小島の美しさを眺めていると、弁天と呼ぶにふさわしい美しく優しい姿をしている。

                                              東生口文化財協会

頂上の宝篋印塔。昔、ここまで登ったことはあるのですが、石室は何のことかわかりません。夏になれば泳いで行ってみます。

P1040618

石仏、釈迦三尊だそうです。この穴がおまんが穴なのでしょうか。民話はもう少し調べてみます。

P1040617

橋でつながっている現在では海とのかかわりが希薄になっていますが、昔は島の人の生活は海と切り離すことはできず、瀬戸内海の穏やかな海とはいえ、小さな船では遭難することもあったのでしょう。また、勇躍、船で島を出て行く人々にも悲喜こもごもの物語があったのでしょう。

Haramati_3


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4 コメント

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“F”老人 様 (原町会)
2012-05-05 20:54:14
“F”老人 様

アップ予定であられた「弁天小島」、あの島のことでしたか !!!
我々の故郷が全国津々浦々に開示展開され感激です。
毎度ながら“F”老人様の探察技量に敬服しています。

来々週に守口市内で「原町会」懇親会が催されます。
我々の「弁天小島」に関してのコメントは
参加者個々人の想い出を個別網羅集約して
改めて特別版としてコメントさせて頂く予定です。

原町会一同
返信する
原町会一同様 (F老人)
2012-05-05 22:34:50
原町会一同様

お褒めに預かりありがとうございます。それほど大したことではありません。しかしながら、われわれの知らないことはいっぱいあります。最近、知ったことですが、瀬戸田から御寺に抜ける道の瀬戸田から来て、火葬場の手前の左側にある崖は日本有数のタングステン鉱脈があり、瀬戸田鉱山という名前で昭和30年ごろまで採掘されていたそうです。そのほかにも宮原には南生口鉱山があり、希少なモリブデンが採掘されていたそうです。"I"島は貴重な金属が埋蔵されている島なのです。知りませんでした。
原町会では今どうなっているのか調べたいことがあれば聞いておいてください。可能であれば探索します。素敵な集まりがあり、いいですね。

F老人
返信する
“F”老人 様、 (原町会)
2012-05-30 21:47:44
“F”老人 様、

何かと御世話になります。

原町会でのブログ談義を総意集約すれば、
“I”島 関係者の Blogger 諸氏の中では
“F”老人様のブログがナンバーワン、レベルが高く
「英慧鋭優」であり、ほんまもんの大人のブログ、
で、ありました。


「おおこじま」頂上へは登ったことが多々あった、頂上には
ギャーギャーと鳴く鳥の巣があり、鳥の卵を爬虫類が狙っていた、
そして時には梟もいた。(R氏、E氏  談)

「おおこじま」周りには岩穴が多々あり、潮が引けば我先にと
其処へ一直線、其の岩穴の中には魚や蛸が大海へ移動せず
待機(?)していることで、其れを捕獲に他人より早く行かねば
ならなかった。(Y氏 談)等々、

①②いずれも、
昭和30年代の昔の体験談、現在はどうか定かではありません。

そして、「おおこじま」案内説明看板は直接には見たことない、
知らなかった、其の看板は比較的最近に設置されたのではないか、
との(全員 談)でした。

地元関係者に依れば、
其の看板は国道317線「土居浜バス停」近くに設置されている。
そして、今でも海の潮が引けば夜間でも灯り備えて「おおこじま」周辺へ
出向く方々を時折に見掛けるが、でありました。

又、北海道 礼文島のスコトン岬から見る「トド島」と
“I”島 H町の船泊場から見た「おおこじま」とがダブった、との
グローバルで抒情的な話もありました。
因みに、稚内から礼文島や利尻島、サハリンへの最北航路、ハートランドフエリー会社の
「サイプリア宗谷」等々のフェリーは 内海造船(株)“I”島S工場で建造されました。
島と海とフェリ-は“I”島の原点と言っても過言ではありません。  

最後に、
“I”島 H町 国道317線「西和田バス停」近く道路を挟んだ北側に「灯篭」が、南側に「石碑」があったかと思いますが、
今でもあるでしょうかね。

北海道から沖縄までの日本列島全国津々浦々の皆々様、
瀬戸内の広島県“I”島 を、もっともっと知り興味を持ち、
一生に一度は、いえいえ何回も“I”島へ旅しましょう !!!

原町会一同
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原町会の皆様 (F老人)
2012-06-04 09:55:53
原町会の皆様

楽しい会合であったようですね。少し、うろうろしてきましたので新しい記事にしました。ごらんください。
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