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大学教授たちの「不都合な真実」:もっと積極的に大学教授を貧乏にしよう!

2012年11月06日 07時41分06秒 | Weblog

大学教授たちの「不都合な真実」:もっと積極的に大学教授を貧乏にしよう!

みなさん、こんにちは。・・・(井口和基)より

今回は私の個人的印象である。まあ妄想のようなものだから、普通の人はパス。

––––––

私はいつもそして長らく思っていることだが、一言で言って「大学教授の年収は高すぎる」。

この場合、同じ大学教授でも医師や看護婦などの人の命を扱う大事な人々は例外である。

もっと高くしてやらないといけない。


2009/05/31 これが有名私大の職員の年収だ!より拝借


2009/05/31 これが有名私大の職員の年収だ!より拝借


昔から日本の国立大学とそこから派生した私立大学や高専(高等工業専門学校)の場合、一般に「講座制」というシステムをとってきた。

これは戦前のドイツに範をとったものである。

教授1人の下に、助教授1人、助手2人というのが講座制であった。

今では、助手は准教授と名前を変えたらしい。

いわゆる「ソープランド方式」というやつだ。

だから、というわけではなかろうが、大学教授は自分が企業経営者のような気分に浸り、いっぱしの町工場の経営者気分で部下を扱ったものである。

研究室は町工場だから、教授は経営者、つまり、その町工場の「社長さん」なわけである。

それゆえ、自分の給料は国家公務員でありながら、大企業の経営陣なみ、大企業の重役並みの給料を欲しい。

そうあるべきだと永年、文句を言い続けて、いまや電通の言うところの「A層」にランクさせるというところまできたわけである。

まあ、そういうふうにいわれても普通の人々、つまり、「B層」の人々には、よくわからないに違いない。

言い換えれば、大学教授にそういわれたら、そんなもんですかとしか分からないだろうということである。

しかしながら、私は連中の行っている仕事の中身もその程度も分かるから、言えることだが、大学教授は週三回大学に通えば良いというのが基本的なノルマである。あとは好き勝手に研究しても良いし、遊んでもいい。

週三回というのは、週3単位の授業を受け持つということである。

これはアメリカでもどこでもだいたい同じようである。

実際、ユタ大のマチス博士は週3回しかお目にかからなかった。

あとは自宅の豪邸で勉強しているという話であった。

日本人はその民族性から勤勉であるため、比較的毎日大学へ勤務するという人が多い。

だから、一般人は大学教授も毎日普通のサラリーマンのように仕事をするために通っていると思っているだろうが、そんな義務はない。

自分の研究をしたいから通っているにすぎない。

スポーツで言えば、自主練をしているわけである。

さて、そんな感じの大学教授たちの給料だが、いくら名物博士といえども、週3単位前後の授業、あるいは、もっと多い人ももちろんいるだろうが、そういう授業の仕事と自分の研究の両方を行ったにせよ、年収1000万円は高すぎる。

(もちろん、それ以外に論文1本に対して1800万円もの研究費ももらえる。

さらに書籍費、出張費、謝礼、講演費など至れり尽くせりの世界である。)

なにせ、何も生産しないからである。

販売もしない。要するに消耗するだけの仕事である。

実質的にはヤクザと同じで社会のお荷物であるわけだ。

もっともそういっちゃ、おしめえーよの話だから、普通はそうは言わないにすぎない。

私がユタ大にいた当時、1980年代後半、ユタ大の大学教授の平均年収はどんなに有名な教授でも5〜6万ドルだった(医者は8〜10万ドル程度だった)。

当時でも日本の大学教授たちより大分安かった。

しかし物価が日本の1/3程度だから結構リッチで優雅な生活をしていたというのが現実であった。

おそらく今でもそれほど大きくは変わっていないはずである。

これを見ても日本の大学教授は年収が高すぎると私は思う。

せいぜい半分でいい。

なぜなら、一言で言えば、たいした研究をしていないからだ。

大半がいまだに欧米の有名研究者の信者かコバンザメ、あるいは言い方を良くすれば、研究協力者というところにすぎないからだ。

本当にオリジナルの研究を行った人物にたいしてだけ高級を与えればいいのであって、普通の教授はもっと貧乏で結構。

その代わりに助教授、准教授の給料を教授並みに揃えるべきだろう。

そしてポスドクや大学院生の給料をよくしてやるべきだろう。

日本の大学というのは、基本的に共産主義で運営されているのだから、本当なら全員一律で同じ給料でもいいはずなのだ。

だいたい大学の所有者や創立者すらいまや存在しないし、訳が分からず、大学の意思決定ですらできず、大学としての統一された行動すら取れないというような組織なのだから、高給は必要ないのである。

ましてや学長や理事長さんなど名誉職で無給で結構毛だらけ猫は灰だらけ、お前のケツは糞だらけで結構なのだ。

学長や理事長が高級と高額退職金や高級謝礼などをもらえるから、大学が腐るのである。

無給でも大学運営したいという高尚な人間だけが集まれば良いのだ。

大学教授の給料を半分にすれば、おそらく、大学教授はもっと働くようになるだろう。

逆説的だが、私はそう分析する。

だいたい大学教授がアルマーニの背広をきるなどもってのほかである。

Jリーガーやメッシのような大選手が着るならわかる。

それだけ世界中の若者たちに夢や希望を与えているからである。

何も与えない単なる大学教授は、普通のシャツにしがないスラックス程度で結構なのだ。

それが、ノーベル賞でもとってやっとアルマーニを着る。

これが正当な発想だろう。

高校生に毛が生えた程度の男女に、もう古くさくなった教科書の内容を授業する程度で年収1000万円はないだろう。

詐欺行為である。

とまあ、私は大分前からそんなふうに感じるのである。

だいたい、大学教授が、MacProにMacBookにiPhone5にiPadにiPad-miniに。

と全部所有できるというようなこと自体が間違っている。

大学教授は古びた90年代のパソコンを自分で修理しながらまだ使っている。

そんな感じがいいのである。

(私は1台はまだそうやって使っているが)

大学教授にお金を与えすぎるから冗長してのぼせ上がり、いわゆる「御用学者」になってしまうのだヨ。

百害あって一利なし。

もっと積極的に大学教授を貧乏にしよう!

ところで、かのピック田中眞紀子は、「iPS細胞の山中博士に洗濯機をあげたい」とかなんとか相変わらずおばかなことを言っていたが、奥さんがお医者さんで自分が大学教授、それも天下の京大の大学教授、それも年100億円もの研究費を得ている学者さんが、自宅に洗濯機がないと考えるということが驚きであった。

私は自宅の20年前に買ったサンヨー洗濯機をこれまで何度も修理していまだに使って来ているが(今は亡きサンヨーだが)、山中博士はおそらくそういう機械いじりを趣味にしているのであって、金がないから洗濯機を買えないというはずがないではないか。

簡単に見積もっても、山中一家は年収数千万円はもらっていると思うヨ(私が気になるのは朝鮮ハゲだがナ)。

そんなことも分からないのだろうか? ほんとに顔も腐っているが頭も腐っているナ。

ピック田中真紀子は。


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