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伊波・宜野湾市長が語るもうガマンできない!

2010年07月25日 13時04分50秒 | Weblog
伊波・宜野湾市長が語るもうガマンできない! (ニュースクリップ)より

宮森小学校のような事故がいつでも起こりうる普天間の危険性

本日は宮森小学校米軍ジェット機墜落事件51周年ということで、東京でのこのような集会を行って下さることに感謝申し上げます。
今日は、いくつかのお話をしたいと思いますが、まず宮森のような事件がいつでも起こりうる普天間飛行場の周辺の状況と、そしてこのようなことがなぜ今日まで続いているのかを一緒に考えていきたいと思います。
それからこれからの行方についてもお話したいと思います。

まず、2004年の沖縄国際大学へのCH-53Dヘリ墜落事件の様子をビデオで見ていただきたい。
私は2003年4月に市長になりまして、普天間基地返還と危険な訓練を中止させるため初めての訪米要請行動を2004年7月に行いました。

ヘリ墜落事故は2004年8月13日、その訪米報告会を中央公民館で行っている矢先のことでした。
ただちに報告会を中止して事故現場に向かいました。
その直後の市民大会の様子も併せてみていただきたい。(ビデオ上映、約15分)

今見ていただいたように、宮森小学校のような危険な状況が、宜野湾市では日常的に毎日続いています。
滑走路の周辺に住宅が密集しています。
訪米して政府関係者や議員に普天間基地周辺の写真を見せると、どうしてこのような所に飛行場があるのかと皆驚きます。これは撤去しかないとの反応です。
アメリカの基準ではこのような飛行場は放置できません。
運用できないのです。

2003年にラムズフェルド米国防長官が沖縄に来たことがあります。
そのとき普天間飛行場も視察し、こんな危険な飛行場では事故がいつ起こっても不思議ではない、危険性が高いので直ちに閉鎖しなさいと言ったと報じられました。
当時のグレグソン四軍調整官も、普天間飛行場は、日米関係にとって危険を持ち続けることになるので閉鎖すべきであると発言しています。
2004年の訪米時に、SACO合意の担当スタッフだった政府高官たちが、「普天間飛行場は時限爆弾である」と言っているのも聞きました。

沖国大の事件は直接的な人的被害がなかったのですが、宮森小学校と沖国大の差はほんのわずかなものです。
たまたま夏休みで人がいなかったこと、ヘリが外階段のついた窓のない壁にぶつかったこと等です。
普天間第二小学校のそばでは毎日、何十回、百回を超えるような離発着がすぐわきで行われているのです。
それはアメリカでは飛行場のクリアゾーンの中に入っていて許されないことであるとされています。

日本の米軍基地の状況は他国ではありえない

日本政府は基地の周辺の危険についてはまったく感知しません。
日米安保条約、地位協定の問題です。
日本政府は米軍に基地を提供していますが、米側に対して基地の自由使用の管理権を与えています。
米側が基地の運用にあたってどのような運用をしようとも基本的には文句を言えない関係になっています。
米側は日本を守るための訓練に必要との言い訳で、嘉手納基地では午前3時、4時にも飛行します。 
他の国ではこのようなことはありえません。
たとえばNATOですが、基地の管理権はそのホスト国が持っています。
イタリアでは昼寝の習慣があり、その時間帯に米軍機が飛行しようとしても許可を下ろしません。運行計画を承認する権利をイタリアが持っているからです。
日本では運行計画の義務を全て免除しています。米軍は計画を出さなくてもいつでも飛べるような状態になっています。

多くの日本人は、米軍基地は世界中どこでもそれが当たり前と思っていますがそうではありません。
沖縄、日本から西側では戦時中の状況が継続しています。
米やヨーロッパ等では平和時の基地運用となっています。
米国では米軍基地が住民に被害を与えることはありえません。
そのような場合には基地が存続できないからです。
住宅地が拡大して、住宅が基地に近づくような場合は、基地の方を撤去することになります。
基地の周辺のどこまでなら住宅は許せるかという基準を作ってあります。
都市計画上の制約を加えて住宅ができないようになっています。

米の基準に合わせれば宜野湾市全域がそれに該当しており基地は存続できません。
しかし日本ではそう考えないのです。
日本の外務大臣は、辺野古に移転できなければ基地はいつまでも固定化されているよ、と言ってはばからないのです。
日本の大臣は、日本の安全のためにはしかたがないとしか思っていないのです。
しかしこれは米国内ではルールが確立されているため通用しないのです。

鳩山政権の8カ月で沖縄の状況は変わった

鳩山首相が県外国外といって、最後は辞職しましたが、沖縄ではずいぶん状況が変わりました。
私が2003年4月に市長になったときに、市議会議員30名のうち、与党は5名でした。
「市長のように辺野古への移設に反対したら、普天間の危険性はなくならない、なぜ反対するのか」という人が25名いました。
2006年の市議選で与党が17名になりました。
しかし、今はどうかというと、26名のうち1名を除いて「県内移設反対」で、採決時に「退場」が2,3名です。
こういう状況は本土にはなかなか伝わりません。

参院選では自民党候補も県内移設反対、消費税反対と言っています。
沖縄では県内移設に反対しないと成り立たちません。
私は、昨年の衆議院総選挙で、民主党が圧勝するとも、政権交代が実現するとも思っていませんでした。
政権交代と鳩山政権の8カ月の結果、普天間問題の解決には、一歩も二歩も三歩も近づいたかなという感じです。

結果として鳩山政権の第一幕は閉じて、もろもろ否定されて菅政権に引き継がれましたが、第二幕は始まったばかりです。
一番のポイントは名護市議選と知事選です。
もともと、米軍は新たな米軍基地は歓迎されるところにしか作らないといっていました。
ですから日米共同声明があのように出されましたが、実際には基地を作れない状況に変わりつつあります。
政権交代で、沖縄では、もてあそばれたという怒りの気持ち、それから民主党であれ、自民党であれヤマトの政府はだめだと受け止める人が多くなっています。
でも国会の中でも変わりつつあります。
そこに希望をもちたいと思います。

普天間問題を決めるのは沖縄県民

普天間問題、沖縄基地問題を決めるファクターはなにかというと、私は、日本政府でもなく、米国政府でもなく沖縄県民であると思っています。
本土の集会も人数が集まるようになっています。
関心が高まっています。
変化しているなという感じです。
普天間問題は日米安保の問題、地位協定の問題であり、日本がこれからどう進んでいくかを問う問題なのです。
5月28日に日米共同声明が出される直前に、182名の国会議員が県外移設の署名をしています。
アメリカがあきらめざるを得ない状況を沖縄からつくっていかなければならないと考えています。

県知事選にむけて沖縄の声がぶれないものとなれば可能性は高くなります。
アメリカがあきらめるステージに移る可能性が高まっていると思います。
昨年の総選挙前に考えていたのより、今はよいステージになっています。
私がこのような集会に出かけるのは、草の根的な運動の盛り上がりに期待しているからです。
従来からの運動に加え、新しい動きがあります。
各地でそういう動きが感じられます。

米の下院で沖縄の基地に感謝する決議が採択されました。
沖縄に関する米下院の決議は初めてです。
そのような状況に米側も追い込まれているのです。
菅総理の基地受け入れへの「お礼」には沖縄で反発が強まっています。

私も昨日のインタビューで米の決議に対しては感謝ではなく謝罪をしてほしいと述べました。

いまや辺野古は国際的問題 県知事の許可権を取り上げての埋め立て強行はできない

沖縄では基地を受け入れる側と反対する側が1947年ごろからせめぎ合って来ています。
基地受け入れ側は常に劣勢だったが、米軍施政下では布令布告で、本土復帰後は特措法で沖縄の民意を捻じ曲げてきました。
今政府は、基地を作る場合の埋め立て許可権を知事から取り上げる特措法を考えています。
私は知事選が転換点になると考えています。

沖縄には今、海外メディアも数多く取材に来ています。
いまや辺野古は一地方の問題ではなく国際的な問題となっているのです。
このような中で、特措法で県知事の許可権を取り上げての埋立強行はできないと考えています。

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