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「国民のレベル以上の政治家は生まれない」小沢一郎

2012年11月13日 11時19分30秒 | Weblog

「国民のレベル以上の政治家は生まれない」小沢一郎

「議会を国民の手に取り戻せ」 マハトマ・ガンディー

矢沢一郎主義

 

「小沢主義(小沢イズム) 志を持て日本人」小沢一郎著 集英社文庫

「小沢主義(小沢イズム) 志を持て日本人」小沢一郎著 集英社文庫

 国民のレベル以上の政治家は生まれない

 もちろん、イギリスも最初から民主主義制度が完成していたわけではない。

 イギリスの政治史をひもとけば分かるが、イギリスでも選挙での買収や饗応(きようおう)が公然とまかり通った時代もあった。

だが、それを乗り越えて、今のイギリス議会制民主主義が確立した。

そこには政治家自身の努力もあったとは思うが、やはり、

いちばん大きいのは選挙民、つまり国民の見識だろう。


 よく言われることだが、国民のレベル以上の政治家は生まれない。

 選挙民が政治家に対して、地元への利益誘導や安直な見返りしか期待しなければ、

その程度の政治家しか選ばれない。

たしかに、それで一時的な雇用確保や地元への公共投資は望めるかもしれない。

しかし、そのような短期的な損得だけで国会議員を選べば、

最後に損をするのは自分たち国民である。

イギリスの国民は

長い民主主義の歴史の中で、そのことを学んでいったのではないだろうか。


 そこで現代の日本を見れば、どうだろうか。

 残念ながら、まだ日本は民主主義が本当の意味で成熟しているとは言いがたい状態だ。


 そのことは、知名度の高い、いわゆる「タレント候補」が与党・野党を問わず、

いまだにもてはやされていることでも分かる。

 もちろん、芸能人や有名人が政治家になることがいけないと言うつもりはないし、

タレント候補でも地道な選挙活動を行なっている人もいる。そういう人たちの

中には、なまじの政治家よりも立派な人もいる。

だが、テレビ・カメラの前でパフォーマンスの選挙運動を行なうだけで、

あとは何もしていないような候補が当選してしまう。


 もちろん、こうしたタレント候補を安易に担ぎ出す政党も問題だが、

それより問題なのは政策の中身ではなく、イメージで一票を投じてしまう

日本人の選挙に対する意識の低さにある。


 もし、日本の政治が貧困であるとしたら、その責任は他でもない、

国民自身にある。僕はそれを言いたい。

p-45 第1章 選挙の重さ


 国民全体の意識改革を

 日本が、これまでの官僚主導体制を脱して、真の意味の「民主主義国家」

になる上で、政府と与党の関係を変えていくことが重要なことであるのは間違いない。

 だが、この間題をもっと深く突き詰めて考えていけば、やはり政府や国会だけ

の意識改革ではな、国民全体の政治に対する意識が変わらなければ、

本当の解決にならないと僕は思っている。

 そもそも、ここまで官僚の力が大きくなった最大の原因は、

江戸時代から続く日本人の「お上」意識にある。

 江戸時代の庶民が「政治は偉いお侍さんに任せておけばよい」

と考えてきたのと同じように、戦後の日本でも漠然と

[政治は一流大学卒のエリート官僚に任せておけば安心だ」と

思われてきたわけである。


 日本は民主主義国家なのだから、権力は主権者たる国民のもので、

政治はけっして他人事であるはずはない。

 しかし、マスコミも含めて、たいていの日本人は自分たちが政治を動かして

いるのだという意識を持っていない。

つまり、日本人には民主主義のセンスがこれまで欠けていたということに他ならない。

 もし、本当に日本に民主主義のセンスが定着していたら、自分たちが選んだ

国会議員を信用しないで、選挙で選ばれたわけではない官僚のほうを

信用するなどという「ねじれ現象」が生まれたりすることもなかったはずだ。

p-108 第3章 「お上意識」からの脱却


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「ガンディー魂の言葉」浅井幹雄監修 太田出版より 転載許可

マハトマ・ガンディー

1869年、英国植民地時代のインド、現代のグジャラート州ポールバンダルで官吏の息子として生まれる。

本名モーハンダース・カラムチャンド・ガンディー。

英国に留学したのち、弁護士となる。

93年南アフリカに渡り、現地でインド人労働者に対する差別虐待に抗議して平等権獲得闘争を指導。

1915年、インドに帰国。第一次世界大戦後、英国の弾圧が始まると、国民会議派の指導者となり、非暴力・非協力による抵抗運動を開始。

たびたび逮捕・投獄されながらも、47年にインド独立を果たす。翌48年、ニューデリーで狂信的ヒンドゥー教徒に暗殺され、その死後、インド建国の父として、マハトマ(大いなる魂)の尊称で呼ばれる。

近年、独立闘争の指導者としての政治的ガンディーではなく、近代文明に対する鋭い批判者としての存在が、インドの若い世代の間で再評価されている。


議会を国民の手に取り戻せ

重要な審議の最中に、議員たちは何をしているだろう。

伸びをする者、居眠りをする者、おしゃべりをする者。

ここはいったい動物園か。

彼ら議員たちは、考えなしに自分が所属する党に投票する。

「党の理念」なる名ばかりのものに縛られているからだ。

自らの意思で異なる票を入れようものなら、その人は反逆者とみなされよう。

このような議会に費やされるお金と時間を、ひと握りの良心的な人々の手に委ねたら、いまごろもっと立派な国になっていただろうに。

議会を国の高価なおもちゃにしてはいけない。

わたしたちの手に取り戻すのだ。『ビンドスワラージ』


国民にも政府と同じ責任がある

政府や政治家を批判するだけではなく、考えてみよう。

人は往々にして、マスコミの報道に振り回され、優柔不断に考えを変える。

時計の振り子のように、決してとどまることがない。弁のたつ人や、根回し上手な政治家を、つい支持してしまう。

国民にも政府と同様の責任があることを、しっかりと胸に刻もう。

『ヒンドスワラージ』


人まかせでは未来は築けない

これまでどおり、自分以外の働きに期待し続け、誰かが動けば問題は解決すると考えている限り、わたしたちは、自分たちの目的を達成して、その成果を手にすることはできない。

第2回グジャラート教育会議でのスピーチ 1917年10月20日


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