原発事故テーマ、園子温監督 この国のタブーに直面 (東京新聞)
(東京新聞「こちら特報部)より
3・11後、ドキュメンタリーではなくドラマとして初めて、原発事故をテーマにした映画「希望の国」。
独特の映像世界で国内外にファンが多い園子温監督(50)は、この国のタブーに直面し、資金集めは難航した。
園監督が、現在進行形の過酷な現実に切り込んで、見えてきたものは何なのか。
(出田阿生)
「原発事故の映画をやりたいと言った瞬間、みんなパーッとクモの子を散らすようにいなくなっちゃった。
セックスや暴力っていうタブーじゃなく、そっち(原発)ですかって」
園さんは苦笑した。
園さんの監督作品は、近年ヒットが続いている。
新興宗教や集団自殺、連続殺人事件など社会性のあるテーマに踏み込み、セックスや暴力を描くこともいとわない衝撃的な作品を送り出してきた。
スポンサー企業は、「次回も出資したい」「がんがんタブーに挑戦しましょう」と言っていた。
それが、原発がテーマとなると事情が違った。
今年一月のクランクイン時点で、制作費を集めきれていなかった。
約二割はイギリスと台湾からの出資を受け「日・英・台の合作」になった。
映画は、海外での評判が高まっており、仏・独・英など世界八十二の国・地域での公開が決まっている。
「自民党を支持しているからとか、原発はどうもねとか、いろいろ言うわけ」。
本当のタブーはここにあった。
前作「ヒミズ」の撮影中、3・11が起きた。急きょ脚本を震災後の設定に変えた。
昨年五月、宮城県石巻市の津波で流され廃虚のようになった場所で、明け方の二時間、カメラを回した。
被災地にカメラを向けることには批判も覚悟した。
だが表現者として、3・11後の現実を絶対に無視できなかった。
「ヒミズ」は国内外で高い評価を受けた。
そして「一作では終われなくなった。責任を負った」。
「希望の国」の舞台は、福島原発事故から数年後の「長島県」(長崎、広島、福島からとった架空の県)。
再び震災が発生し、原発で爆発が起きる。
警戒区域ぎりぎりにあった酪農家は「二十キロ」の境界線で、自宅の敷地を分断される。
老夫婦はとどまる決断をし、息子夫婦は避難する。
放射能や国家権力によって、一家や地域が引き裂かれていく。
原発事故をテーマにしたドキュメンタリーはあったが、ドラマで描いた映画はこれまでなかった。
現在進行形のテーマはドラマにしにくいというのが、この業界にはある。
ハリウッドでは、イラク戦争を批判した映画がアカデミー賞を獲得している。
「日本では、商業映画は娯楽でなければならないとされている。
ドラマだからこそ伝えられることがあるのに」
原発事故については、「ああこんなのテレビや新聞で知ってるよ、というエピソードかもしれない。
でもそれは知識であって、『感じる』のとは違う。
あの日、福島にいなかった人に、登場人物を通じて被災を『体験』してほ
しいと思った」。
取材のために、何度も被災地に入った。
「ヒミズ」で撮影させてもらった石巻市に行くと、「知り合ったおばあちゃんの顔が少しだけ明るくなって『復興』していた」。
ところがその後訪れた福島では、人々の表情は一様に暗かった。
「この差は広がる一方だと思った」
検問を避けて、福島県南相馬市の警戒区域の二十キロ圏内に入った。
「立ち入り禁止」の札の向こうとこちらでは、世界が違う気がした。
境界線ぎりぎりに、家があった。
その家に住む鈴木豊子さん(70)との出会いが、ストーリーを決定づけた。
七人家族で農業を営んでいた鈴木さんの家の敷地に昨年四月、突然境界線が引かれた。
鈴木さんに取材を重ね、生の言葉を脚本に反映させた。
「ある家の真ん中が二十キロの境界で、居間とトイレは警戒区域だから入れないとか、ブラックジョークみたいに不条理な話もたくさん聞いた」
映画では、避難した息子夫婦の妻は、おなかの子を放射能から守ろうと、防護服を着て町を歩き始める。
帰宅した夫は「おまえは宇宙飛行士か?」と目をむく。
観客からは笑いが起きる場面だが、「防護服を着た妻と、何もしない人と、どちらが正常なのか。
それが分からない世界になった。
冷静になれば、どっちが正しいの、と思ってほしかった」。
避難する、しない。
がれきを受け入れる、受け入れない-。
園さんは、どの選択も正しいと思う。
だが論争をしているうちに、諸悪の根源は放射性物質で、それをまき散らした原発にあることを忘れさせられてしまうことを恐れる。
「脱原発」という言葉はあまり好きではないとも言う。
「例えば、羊小屋が燃えているときに『脱・火』かどうかなんて論争している暇はない。
原発は羊小屋の火に似ている。
そのうち解決すると期待して柵の外に逃げず、後ずさりするばかりの羊みたいな『羊たちの沈黙』が日本にはある」
園さん自身の考えは明快だ。
「毒味のたびに死んだ歴代の料理人がいて、ふぐ料理が完成した-という話がある。
原発は未完成品だから使いたくないだけ。
毒が残っているかもしれないふぐは食べたくないのと同じ」
映画の中で父親に「杭(くい)はいつでも、どこにでも打たれる」というせりふを言わせた。
避難を躊躇(ちゅうちょ)する息子に、「国は守ってくれないのだから自力で判断しろ」と父親が説く場面だ。
この「杭」は家族や人間関係を引き裂くものを指す。
次の杭は、「原発事故の再発」かもしれない。だからこそ、緊急にこの映画をつくった。
「十年後、二十年後につくっても意味はない」
ただ、「決して脱原発の映画ではない。むしろ、よく分からないけど、原発を続けてもいいんじゃないかな…と思っている人に見てほしい」という。
撮影後、福島県飯舘村の小学校を訪れた。無人の校庭に桜が満開だった。
園さんは「数」という詩をつくった。
「当事者ではないという限界を、肝に銘じたかった」
既に風化しつつある今だから、「表現し続けなくてはいけない」と感じている。
今年の元旦、園さんは南相馬市の二十キロ圏内で真っ赤な朝日を見た。
震えるほど美しかった。
「希望の国」というタイトルが直感的に浮かんだ。
「見る人によって絶望的にも、一筋の希望がみえる結末にもなりうるのが、この映画。
それぞれの人が一歩、一歩、動けば、希望はみえてくるんじゃないか」
<デスクメモ> 園監督は二人の映画監督の名を挙げた。
新藤兼人監督と若松孝二監督。
「自分のテーマを持っていた」。
若松監督も原発をテーマとした映画を企画していたという。
新藤監督は「原爆の子」などを撮った。
二人とも今年亡くなった。
今や、園監督は、日本映画界の「希望」なのかもしれない。
(国)
その・しおん 愛知県出身。
1987年、「男の花道」でぴあフィルムフェスティバルグランプリを受賞。
衝撃的作品を続々と誕生させ、「愛のむきだし」(2009年)は
ベルリン国際映画祭カリガリ賞など映画賞を多数受賞した。
主な作品に「冷たい熱帯魚」(11年)「ヒミズ」(12年)など。
(東京新聞「こちら特報部)より
3・11後、ドキュメンタリーではなくドラマとして初めて、原発事故をテーマにした映画「希望の国」。
独特の映像世界で国内外にファンが多い園子温監督(50)は、この国のタブーに直面し、資金集めは難航した。
園監督が、現在進行形の過酷な現実に切り込んで、見えてきたものは何なのか。
(出田阿生)
「原発事故の映画をやりたいと言った瞬間、みんなパーッとクモの子を散らすようにいなくなっちゃった。
セックスや暴力っていうタブーじゃなく、そっち(原発)ですかって」
園さんは苦笑した。
園さんの監督作品は、近年ヒットが続いている。
新興宗教や集団自殺、連続殺人事件など社会性のあるテーマに踏み込み、セックスや暴力を描くこともいとわない衝撃的な作品を送り出してきた。
スポンサー企業は、「次回も出資したい」「がんがんタブーに挑戦しましょう」と言っていた。
それが、原発がテーマとなると事情が違った。
今年一月のクランクイン時点で、制作費を集めきれていなかった。
約二割はイギリスと台湾からの出資を受け「日・英・台の合作」になった。
映画は、海外での評判が高まっており、仏・独・英など世界八十二の国・地域での公開が決まっている。
「自民党を支持しているからとか、原発はどうもねとか、いろいろ言うわけ」。
本当のタブーはここにあった。
前作「ヒミズ」の撮影中、3・11が起きた。急きょ脚本を震災後の設定に変えた。
昨年五月、宮城県石巻市の津波で流され廃虚のようになった場所で、明け方の二時間、カメラを回した。
被災地にカメラを向けることには批判も覚悟した。
だが表現者として、3・11後の現実を絶対に無視できなかった。
「ヒミズ」は国内外で高い評価を受けた。
そして「一作では終われなくなった。責任を負った」。
「希望の国」の舞台は、福島原発事故から数年後の「長島県」(長崎、広島、福島からとった架空の県)。
再び震災が発生し、原発で爆発が起きる。
警戒区域ぎりぎりにあった酪農家は「二十キロ」の境界線で、自宅の敷地を分断される。
老夫婦はとどまる決断をし、息子夫婦は避難する。
放射能や国家権力によって、一家や地域が引き裂かれていく。
原発事故をテーマにしたドキュメンタリーはあったが、ドラマで描いた映画はこれまでなかった。
現在進行形のテーマはドラマにしにくいというのが、この業界にはある。
ハリウッドでは、イラク戦争を批判した映画がアカデミー賞を獲得している。
「日本では、商業映画は娯楽でなければならないとされている。
ドラマだからこそ伝えられることがあるのに」
原発事故については、「ああこんなのテレビや新聞で知ってるよ、というエピソードかもしれない。
でもそれは知識であって、『感じる』のとは違う。
あの日、福島にいなかった人に、登場人物を通じて被災を『体験』してほ
しいと思った」。
取材のために、何度も被災地に入った。
「ヒミズ」で撮影させてもらった石巻市に行くと、「知り合ったおばあちゃんの顔が少しだけ明るくなって『復興』していた」。
ところがその後訪れた福島では、人々の表情は一様に暗かった。
「この差は広がる一方だと思った」
検問を避けて、福島県南相馬市の警戒区域の二十キロ圏内に入った。
「立ち入り禁止」の札の向こうとこちらでは、世界が違う気がした。
境界線ぎりぎりに、家があった。
その家に住む鈴木豊子さん(70)との出会いが、ストーリーを決定づけた。
七人家族で農業を営んでいた鈴木さんの家の敷地に昨年四月、突然境界線が引かれた。
鈴木さんに取材を重ね、生の言葉を脚本に反映させた。
「ある家の真ん中が二十キロの境界で、居間とトイレは警戒区域だから入れないとか、ブラックジョークみたいに不条理な話もたくさん聞いた」
映画では、避難した息子夫婦の妻は、おなかの子を放射能から守ろうと、防護服を着て町を歩き始める。
帰宅した夫は「おまえは宇宙飛行士か?」と目をむく。
観客からは笑いが起きる場面だが、「防護服を着た妻と、何もしない人と、どちらが正常なのか。
それが分からない世界になった。
冷静になれば、どっちが正しいの、と思ってほしかった」。
避難する、しない。
がれきを受け入れる、受け入れない-。
園さんは、どの選択も正しいと思う。
だが論争をしているうちに、諸悪の根源は放射性物質で、それをまき散らした原発にあることを忘れさせられてしまうことを恐れる。
「脱原発」という言葉はあまり好きではないとも言う。
「例えば、羊小屋が燃えているときに『脱・火』かどうかなんて論争している暇はない。
原発は羊小屋の火に似ている。
そのうち解決すると期待して柵の外に逃げず、後ずさりするばかりの羊みたいな『羊たちの沈黙』が日本にはある」
園さん自身の考えは明快だ。
「毒味のたびに死んだ歴代の料理人がいて、ふぐ料理が完成した-という話がある。
原発は未完成品だから使いたくないだけ。
毒が残っているかもしれないふぐは食べたくないのと同じ」
映画の中で父親に「杭(くい)はいつでも、どこにでも打たれる」というせりふを言わせた。
避難を躊躇(ちゅうちょ)する息子に、「国は守ってくれないのだから自力で判断しろ」と父親が説く場面だ。
この「杭」は家族や人間関係を引き裂くものを指す。
次の杭は、「原発事故の再発」かもしれない。だからこそ、緊急にこの映画をつくった。
「十年後、二十年後につくっても意味はない」
ただ、「決して脱原発の映画ではない。むしろ、よく分からないけど、原発を続けてもいいんじゃないかな…と思っている人に見てほしい」という。
撮影後、福島県飯舘村の小学校を訪れた。無人の校庭に桜が満開だった。
園さんは「数」という詩をつくった。
「当事者ではないという限界を、肝に銘じたかった」
既に風化しつつある今だから、「表現し続けなくてはいけない」と感じている。
今年の元旦、園さんは南相馬市の二十キロ圏内で真っ赤な朝日を見た。
震えるほど美しかった。
「希望の国」というタイトルが直感的に浮かんだ。
「見る人によって絶望的にも、一筋の希望がみえる結末にもなりうるのが、この映画。
それぞれの人が一歩、一歩、動けば、希望はみえてくるんじゃないか」
<デスクメモ> 園監督は二人の映画監督の名を挙げた。
新藤兼人監督と若松孝二監督。
「自分のテーマを持っていた」。
若松監督も原発をテーマとした映画を企画していたという。
新藤監督は「原爆の子」などを撮った。
二人とも今年亡くなった。
今や、園監督は、日本映画界の「希望」なのかもしれない。
(国)
その・しおん 愛知県出身。
1987年、「男の花道」でぴあフィルムフェスティバルグランプリを受賞。
衝撃的作品を続々と誕生させ、「愛のむきだし」(2009年)は
ベルリン国際映画祭カリガリ賞など映画賞を多数受賞した。
主な作品に「冷たい熱帯魚」(11年)「ヒミズ」(12年)など。
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