現代児童文学

国内外の現代児童文学史や現代児童文学論についての考察や論文及び作品論や創作や参考文献を、できれば毎日記載します。

那須正幹「ねんどの神さま」

2022-05-10 13:12:29 | 作品論

 1992年12月に初版が出た、黒を基調とした武田美穂の絵が重厚な雰囲気を出している物語絵本です。
「太平洋戦争がおわって、ちょうど一年がすぎた九月のことだった。」
 物語が始まる前に、1946年という時代設定が明示されています。
 主人公の健一は、村の学校で、戦争を起こす人間をこらしめるねんど細工の神さまを作ります。
 健一の父親は、五年前に中国で戦死していました。
 母親や兄弟は、昨年の春に空襲でみんな死んでしまい、この村のおばあさんのもとに疎開していた健一だけが生き残っています。
 校長先生は「この作品は、子どもの戦争にたいするすなおなにくしみが表現されておる。」といたく気に入り、ねんどの神さまを校長室の棚に飾ります。
 健一は、翌年、都会に住むおじさんに引き取られて引っ越してしまい、その後学校も廃校になって、ねんどの神さまも倉庫で長い間眠っていました。
 それから四十年以上の時間がたち、このねんどの神さまが、突然、身長百メートルを超えるような巨大な怪物になります。
 そして、廃校のある山村から東京を目指します。
 首都の破壊を恐れた人間によって、自衛隊に攻撃されますが、怪物はびくともしません。
 最後には、周辺住民の犠牲も承知の上で、化学兵器や核兵器までが使われますが、怪物は平気で東京へ向かいます。
 やがて、東京にたどり着いた怪物は、ビルの一室に目指す男を発見します。
 その男は、今は兵器会社の社長になっていた健一でした。
 殺されることを覚悟していた男に、怪物はこう言います。
「ぼくは、ケンちゃんのつくった神さまなんだよ。ぼくにケンちゃんを殺せるわけないじゃないか。ぼくはね、ケンちゃんにおしえてもらいたくって、やってきたんだよ。ねえ、ケンちゃん。もう、ぼくは、いなくなったほうがいいのかなあ。ケンちゃんは、むかしみたいに、戦争がきらいじゃないみたいだからね。」
 それに対して、男はこう答えます。
「わたしは、子どものころとかわりないよ。戦争をにくむ気もちは、いまだにもっている。ただね、戦争というやつは、にくんでいるだけじゃあなくならない。かえって強力な兵器で武装していたほうが、よその国から戦争をしかけられることもない。つまり平和をたもつことができるのさ。わたしの事業は、平和のための事業なんだよ」
 ラストシーンで、男は怪物に土下座をして頼み込み、小さなねんど細工に戻った神さまを破壊します。
「これで、いい。この数十年、心のすみにひっかかっていたトゲのようなものが、きれいになくなってしまった。
 あとは、もう、自分の思うように事業をすすめることができる。
 男は、晴ればれとした気もちで、ゆっくりと自分の会社のなかへもどっていった。」
 このあらすじを読んで、何かしっくりとこない思いをした方もいらっしゃることと思います。
 作者の技術が未熟で、完成度の低い作品を作ってしまったのでしょうか?
 私はそう思いません。
 ご存知のように、「ズッコケ三人組」シリーズで有名な那須正幹は、エンターテインメントからシリアスな作品まで自在に書き分ける、児童文学作家でもプロ中のプロです。
 そんなへまはしません。
 作者は、この作品において、従来の現代児童文学の作品にはないいくつもの実験をしています。
 一つ目は、子ども読者および子どもの登場人物の不在です。
 物語絵本にもかかわらず、作者はこの作品で用語(漢字にはルビはふってありますが)、表現、内容のすべてにおいて、かなりグレードを高く設定しています。
 子ども読者は、読んだその時には理解できなくても構わないと、割り切って作品を書いています。 
 また、冒頭の部分で健一がねんどの神さまを作るシーンでは教室での子どもたちが描かれていますが、その後はいっさい子どもは登場しません。
 次に、ストーリーの飛躍があります。
 ねんどの神さまが突然怪物に変身したことについては、理由も合理的な説明もいっさいありません。
 また、戦争を憎んでいた健一が、兵器会社の社長になった過程も全く書かれていません。
 児童文学研究者の石井直人は、「現代児童文学の条件(研究 日本の児童文学4 現代児童文学の可能性所収)」(その記事を参照してください)の中で、以下のように述べています。
「一見、完成度に問題がありそうである。どうして、ねんどの神さまをつくった男の子は兵器会社の社長になったのだろうか。説明がない。中間のプロセスが省略されてしまっている。が、これは、欠点ではない。むしろ、読者に想像力を働かせよと呼びかける空所の一種なのだ。「空所が結合を保留し、読者の想像活動を刺激する」のである。昔、どんな神様かと聞かれて、「戦争をおこしたり、戦争で金もうけするような、わるいやつをやっつけます」と答えた男の言葉。今、巨大化したねんどの神さまにむかって、「わたしの事業は、平和のための事業なんだよ」と答える男の言葉。読者は、二つの言葉を口にした人間が同一人物だといわれて、両者をつなげようとする。と、とたんになにかがぐにゃりとゆがむ。それは、五十年間の戦後史という「大きな物語」かもしれない。「ダブルスタンダード」で生活している私自身のアイデンティティかもしれない。」
 ここで五十年間の戦後史という「大きな物語」を感じるのも、「ダブルスタンダード(注:戦争反対とか世界平和を唱えながら、自衛隊や在留米軍の軍事的庇護のもとにいることを指しているのでしょう)」で生活しているのも、「子どもたち」ではなく那須や石井(もちろん私自身も)も含めた「大人たち」なのです。
 そして、ラストシーンでの反語表現が、おそらくこの作品の最大の実験だと思われます。
 この部分については、石井は前掲の論文で次のように言っています。
「おそらく、読者は、とまどうだろう。たしかに作者は、晴ればれしたといっている。けれども、ほんとうに作者は、晴ればれしたといいたいのだろうか、と。ところが、このくだりを文字通りの意味にとればいいのか逆の意味にとればいいのかは、決定することができない。なぜなら、反語という方法は、「意味の反転を発生させることば」だからである。正の意味と逆の意味とがおたがいの「残像効果」によって打ち消しあい、読者は、二つの意味の間の往復運動をやめることができないのである。」
 こうして、この作品は、普通の書き方で書かれたいわゆる「戦争児童文学」よりも、読後に「よくわからないけど何かわりきれないもの」を読者に残すことに成功しています。
 那須はこの作品が書かれる前の1989年に、児童文学研究者で翻訳家の神宮輝夫との対談(現代児童文学作家対談5所収)で、戦争児童文学について以下のように述べています。
「いままでの戦争児童文学というのは、つねに自分たちの体験を伝えているわけです。それは大人の世界のことであって、いまの子どもたちからみれば、四十年まえにあった戦争なわけです。作品に描かれる世界は悲惨ですから、読者は読むときには泣きますよ。ところが、読んだあと、ああ私たちは戦争のなかった日本に生まれてよかったなで終わってしまう。ぼくは戦争を伝える文学として、それじゃ少しおかしいんじゃないかと思います。いまの子どもが、ひょっとしたらいまの日本だっていつ戦争になるかわからないんだという、一種の認識というか、核のボタンがいつ押されるかわからないんだということを認識するような作品を書かなくちゃならないんじゃないかという思いがあるわけです。」
 この作品は、この発言に対する那須の作家としての回答だったのかもしれません。
 しかしながら、こういった実験的な作品の出版が許されるのは、那須が「ズッコケ三人組」という超ベストセラーシリーズの作者で、出版社(この本は「ズッコケ三人組」シリーズと同じ出版社からでています)に対して無理が言える立場にいたということも、指摘しておきたいと思います。
 この本が出版されてから、さらに二十年がたった戦後七十年の節目の年に、自民党や公明党などにより、安保法案が成立しました。
 那須の時代に対する先見性は、ますます評価されるべきでしょう。


ねんどの神さま (えほんはともだち (27))
クリエーター情報なし
ポプラ社

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