現代児童文学

国内外の現代児童文学史や現代児童文学論についての考察や論文及び作品論や創作や参考文献を、できれば毎日記載します。

上野瞭「ぼくらのラブ・コール」児童文学 新しい潮流所収

2017-09-21 09:26:51 | 作品論
 「別冊飛ぶ教室」(1993年)に掲載されて、「グフグフグフフ ― グリーンフィールド」(1995年)に収められている短編で、編者の宮川健郎が転載しました。
 ポケット・フォンという携帯電話(当時は携帯電話が一般(当初は自動車電話からスタートした業務用でした)へも普及し始めたころでした)で、親子が愛情を確認し合わなければならないという政府の方針をめぐる近未来風刺SFです。
 スマホはおろか、携帯電話がインターネットにつながるようになる前の時代の作品なので、携帯電話をめぐる風俗がかなりとんちんかんな感じですが、ある意味ではSNSで他人との繋がりを確認しあっている現在の状況と似てないとも言えません。
 編者は、「電話児童文学」という言葉を使って、川北亮司「ひびわれ団地四号館」(1977年)(お金のかからない糸電話で話します)、川島誠「電話がなっている」(1985年)(電話がかかってきているが、出ることができません)を引用して、授業中でも電話に出ることができるこの作品を、「既存の「児童文学」を軽々と踏み越えようとする。だからこそ、「ぼくらのラブ・コール」は、電話児童文学」の現在をあらわしていっるといえるのである。」と解説しています。
 作品及び解説がもう一つピンと来ないのは、コミュニケーション・ツールが急速に変化して、それに伴って他人との繋がり方自体も大きく変わっているからでしょう。
 児童文学の中で使われて、今ではほとんど使われなくなったコミュニケーション・ツールを列挙してみると、回覧板、手紙、駅の伝言板、ポケベル、公衆電話などがあります。
 こうしたものが使われた作品を、今の子ども読者が読んでも、当時それらのツールが他人とのコミュニケーションにどのように使われていたかが実感できないので、真の意味では作品を理解できないでしょう。
 将来的には、ウェアブルコンピューターが普及すれば、ガラケーはおろかスマホすら陳腐化する時代が来るでしょう。
 SNSでも、フェイスブックやツイッターは既に飽和していますし、インスタグラムやLINEもやがては新しいツールに取って代わられるでしょう。
 そんな時、「いいね!」「既読」「既読スルー」などに思い入れを込めて作品を書いても、その頃の読者にはピンとこないでしょう。
 その一方で、人間の「承認欲求」そのものはそれほどは早く変化しないでしょうから、そちらに力点を置いて書いた方が作品の寿命は延びるでしょう。
 もっとも、児童文学作品を消費財だと割り切ってしまえば、そうした目新しい風俗にどんなに寄りかかって書いてもOKですが。

グフグフグフフ―グリーンフィールド
クリエーター情報なし
あかね書房


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