現代児童文学

国内外の現代児童文学史や現代児童文学論についての考察や論文及び作品論や創作や参考文献を、できれば毎日記載します。

ネットカフェにも朝は来る

2020-02-16 10:37:41 | 作品
 駅前のネットカフェは、朝早くからかなり騒々しい。終電を逃してネットカフェに泊まったお客たちが、始発が走り出す時間になると帰り支度を始めるからだ。
「うーん、…」
 明日美は、狭いブースの中で寝返りをうった。今日も、朝の騒音で彼女の浅い眠りは覚まされてしまった。言ってみれば、彼女にとってのこの騒音は、最低のモーニングコールといったところだ。
 といっても、彼女が寝ていたのは、もちろんベッドではない。備え付けのリクライニングチェアで、寝ていたのだ。毎晩、特に週末は、泊りの客がたくさんいるので、この店のリクライニングチェアは飛行機のファーストクラスの席みたいなフルフラットとまではいかないが、かなり後ろに倒すせた。だから、明日美は身体を丸めて横になることができるのだ。
でも、彼女は十四歳にしては体が大きい方なので、ここのチェアは少し狭かった。
 こうして、いつもの浅い眠りは次第に終わりを告げて、今日も明日美の長い一日が始まる。夢ばかり見ていたせいか、長時間寝たのに明日美の頭はぼんやりとしたままだった。
 ブースの広さは、たたみ一畳ぐらいしかない。
備品は、テレビチューナー付きパソコンを載せたテーブルとリクライニングチェアがあるだけだ。ただ、明日美は長期滞在者なので、身の回りの品もブースのしきりのまわりに置いている。といっても、ボストンバックとデイバックがひとつずつあるだけだったけれど。
それでも、彼女の持ち物は他の人たちと比べて少ない方だから、そんなにギチギチではなかった。

 ブースのドアが軽くノックされた。
 明日美がドアを開けると、両そでが擦り切れたダウンベストを着た姉の今日香が顔をのぞかせた。マスクをしてサングラスもかけているので表情はよくわからないが、今日香もよく眠れなかったに違いない。彼女も少し離れた奥の方のブースで夜を過ごしたのだ。
 今日香は、四つ年上の十八歳だ。でも、明日美と同様にまったく化粧っ気がないので、もっと幼く見える。安っぽいサングラスは、年相応に見せるための精一杯の扮装だった。
「おはよう」
 明日美が声をかけると、
「眠いね」
 今日香はボソッと答えた。
「うん、いくら寝ても寝足りないみたい」
 明日香が答えると、
「まあ、ここじゃあ、しかたないけど」
「うん」
「じゃあ、行ってくるね」
 今日香は片手を軽く上げて、すぐに姿を消した。こんな早朝から、近くのコンビニでバイトなのだ。中卒の今日香が、やっと見つけた仕事だった。これから夕方まで、十時間以上も働かねばならない。

 明日美ももう起きることにしたが、今日香と違って外出するわけではないので、着替える必要はない。一日中、いや一年中、上下のスウェットのままだった。
 明日美は、色違いの同じようなスウェットの上下を二着持っていて、一週間交代で着替えている。一週間着たスウェットは、下着などと一緒に近所のコインランドリーで洗濯していた。どちらのスウェットも、もう長い間着ているのですっかり色落ちしている。
 でも、今日香以外の誰に見せるわけではないので、全然気にならなかった。さすがに穴があいたら新しいスウェットを買おうとは思っていたが、よっぽど丈夫な素材でできているのか、まだまだ大丈夫そうだった。
ネットカフェの中は、一年中エアコンで快適な温度にコントロールされていた。だから、明日美が持ち込んでいる衣服は、今日香と比べても驚くほど少なかった。
 明日実のブースの前を、人が歩いていく音が聞こえてきた。
でも、誰もブースの中には入ってこられないから安心だった。このネットカフェでは、明日美たちのような長期滞在者のブースは鍵がかけられる。フロントにキーを預ければ、いつでも外出できた。
といっても、明日実が外出するのは、ネットカフェの入っているビルから50メートル先にあるコインランドリーだけだった。明日美の方がはるかに時間の余裕があるので、いつも今日香の分も一緒に洗濯をしてあげている。
そんな、一週間に一度の外出の時も、コインランドリーの洗濯機をセットすると、明日実は急いでネットカフェの自分のブースを戻っていた。誰か知っている人に会うのも怖かったし、古ぼけたスウェット姿を人に見られるのも嫌だった。とても、コインランドリーの中で出来上がりを待っていられなかった。

「あーあ」
 明日美は、大きく伸びをしながらチェアから立ち上がった。同じ姿勢を長時間保っていたので、体の節々が痛い。明日美は、昼夜逆転しないように、日中はなるべく起きていて、夜は11時には寝るようにしている。
すぐにブースを出て、眠気覚ましのコーヒーを飲みに、店内のドリンクバーへ向かった。迷路のように何度も曲がりくねった細い通路を歩いていくと、両側には細かく仕切られたブースが続いている。こんなに狭いところにたくさんの人がいて、もし火事でも起こったら逃げられるのだろうかと、初めのころはビクビクしていた。
でも、長く暮らしていると、いまさらそんな心配をしても仕方がないので、それ以上は考えないことにしている。
 ドリンクバーには、明日美たちと同様にこのネットカフェで寝起きしている住人たちが、すでに集まってきていた。長く居るメンバーたちは、すっかり顔を覚えてしまっていた。
 でも、お互いにあいさつを交わしたりはしない。まったくの没交渉だった。へたに仲良くなってプライベートな事を聞かれるのは嫌だった。
 ここのドリンクバーには、エスプレッソマシンの他に、コーラやジュースなどのソフトドリンクの機械や、ソフトクリームマシンまでがあった。前にはコーンスープや味噌汁もあったのだが、残念ながら機械が変わってからはなくなってしまっていた。
 明日美は、いつものようにホットカプチーノのボタンを押した。
 プシューと勢いよく水蒸気を吐き出しながら、褐色のコーヒーと乳白色のミルクがカップに注がれていく。
 明日美は、さらに備え付けのミルクと砂糖をたっぷり入れて、甘い甘いカプチーノを作る。
 これだけが、毎日の明日美の朝食だった。

実は、明日美たちの母親も、この同じネットカフェにいた。
 二人が幼いころに離婚した母親は、病院の看護助手の仕事をして、一人で二人の娘たちを育てていた。三年前までは、狭いながらも普通のアパートで、母娘三人で暮らしていたのだ。
 そのころ、明日実はまだ小学生で、普通に学校へ通う日々だった。
 もともと引っ込み思案なところがある彼女は、クラスではまったく目立たない存在だった。
 それでも、学校の往き帰りにおしゃべりしたり、時には放課後や休日に一緒に遊んだりできる友達も何人かはいた。
 姉の今日香は中学生で、成績はそれほど良くなかったし、経済的な理由で塾へも通えなかったが、地元の公立高校を目指して勉強をしていた。
 明日実も、漠然とだったが、将来は姉と同じような道を進むのだと思っていた。
 そう、彼女たち三人の家庭は、どこにでもありそうな普通の家族だったのだ。
 母親の仕事は夜勤も含む不規則なものだったので、姉妹は幼いころから家事を交代でこなしていた。
 炊事、洗濯、掃除、……。
 母親は、家にいる時は、夜勤の睡眠不足を補うように寝ていることが多かったので、二人でできるだけ家事はこなして、なるべく母親に負担がかからないようにしていた。
 明日実が幼いころは今日香が、今日香の勉強が忙しくなってからは明日実が、中心になって家事を負担していた。

 そんな貧しいながらも平穏な生活を送っていた三人の生活に変化が起きたのは、四年ぐらい前からだった。
夜勤の多い重労働の仕事と二人の子育てに疲れはてた母親が、しだいに精神のバランスを失ってしまったのだ。時に激しく感情を爆発させたかと思うと、うつろな目をして何日も黙り込んでしまう。常習化していたアルコールの大量摂取も、そういった気分障害を発症した原因のひとつだったかもしれない。
「おかあさん、もうお酒を飲まないで」
 明日実と今日香は、何度も母親に頼んだ。
しかし、いったん依存症に陥ると、なかなか酒を飲むのを止められなかった。夜勤明けの休みの日などは、目を覚ますとすぐに酒に手を出すようになってしまった。
それでも、病院へ出勤する前は、何とか飲酒はしないようにしていた。
しかし、次第に誘惑に負けてつい深酒をしてしまい、しだいに仕事も休みがちになり、ついには勤めていた病院をくびになった。
その後もいろいろな病院を転々としていたのだが、どこでも無断欠勤などで問題を起こすようになり、だんだんまともに働かなくなり、一家の収入は激減してしまった。
 まだそのころは、今日香もバイトができる年齢には達していなかったので、家計を助けることはできなかった。
 とうとう家賃や公共料金まで滞納するようになり、そのために電気やガスといったライフラインも止められてしまった。
 その時、家にはまだお米などの食材が少しだけはあったのだが、明日美たち一家はもう食事ができなかった。なにしろ電気もガスもきていないので、ご飯すら炊けなかったからだ。
 そして、今日香は、高校進学も断念しなければならなくなった。
 社会の片隅でつつましく生きてきた明日美たちの家庭は、こうして完全に崩壊してしまった。

アパートを追い出された三人は、駅前のビジネスホテルへ緊急避難した。
母親はシングルルームへ、明日実と今日香はツインルームだった。
その地域では一番安いホテルだったが、それでも二部屋だと一万二千円もかかってしまう。
本当は、三人の手持ちのお金は、一日分もなかった
母親はその日も泥酔していて、部屋から出てこなかったので、二人で自宅の部屋の片づけをした。
テレビや冷蔵庫や洗濯機などの家電製品や家具は使うあてもないので、リサイクルショップに連絡して、全部引き取ってもらった。
それらを売ったお金で、何とかビジネスホテルに払うお金ができた。
衣類など必要な物は、レンタルルームの一番狭いスペースに預けた。
それでも、月に三千円もかかってしまう。
これらも処分して、本当に必要な物だけにしなければならなかった。
その後は、三人はもっと安いビジネスホテルを転々とした。
そして、とうとうそのビジネスホテルの料金も踏み倒すようになった。今日香がシングルルームにチェックインして、後で二人が忍び込むのだ。そして、チェックインだけして、お金を払わずに逃げ出すのだ。
しかし、業界のブラックリストに載ったのか、宿泊を拒否されたり、前払いを要求されるようになり、ビジネスホテルは使えなくなった。
しかたなく、三人はネットで調べたドヤ街へ移った。
そこでの一日当たりの料金はビジネスホテルよりは安かったが、当然前金なので踏み倒すことはできなかった。
 しかし、そういった場所も、長く暮らすにはお金がかりすぎた。

 最終的に三人が流れ着いた先が、この駅前のネットカフェだ。この店の一日の料金は二千四百円だったけれど、明日美たちのような長期滞在だと千九百円に割引される。一ヶ月分を計算すると割高なようにも感じられるが、ここだったら公共料金は払わなくていいし、テレビ付きパソコンもエアコンもトイレもシャワーもドリンクバーも完備している。家具を買う必要もないし、インターネットも、ゲームも、漫画も、雑誌も、やり放題見放題だった。
 といっても、
「こんな変なところには長居してはいけない」
と、今日香は明日美にいつも言っている。
 しかし、敷金などの最初に払うまとまったお金や保証人などがネックになって、二人だけではアパートが借りられなかった。頼んで日払いにしてもらっている今日香のバイト代だけでは、毎日カツカツにしか生活できなかった。明日美は、中学を卒業していなかったからまだ働けなかった。
 母親は、時々派遣で看護助手の仕事をしているようだったが、アルコール依存症がまだ治っていなくて、酔うと暴力をふるうことがあるため、もう一緒には暮らせなかった。
 住民票をネットカフェのあるビルの住所に移しているので、明日美たちは郵便も受け取ることができた。めったにかかってはこないが、電話も取り次いでもらえる。通信料金が高いので、二人ともスマホもガラケーも持っていなかった。
ここにいればとりあえず普段の生活には不便はないので、母娘三人が別々のブースでもう二年半も暮らしている。

 通常、ネットカフェは、ゆっくりビデオを見たりインターネットをしたりする人たちが利用している。パソコンを持っていなかったり、スマホでは容量が足りなくて自由に動画を見たりできない人が多い。中には、アダルトビデオやアダルトサイトを見るために来ている男性たちもいた。
 ドリンクバーは無料だったし、有料で食事をしたりシャワーやマッサージ機も利用したりできるので、長時間滞在しても快適に過ごせるように工夫されている。
 料金は短時間だと割高だが、長時間だと安くなる様々なパックが用意されているので、長い時間利用する客が多かった。特に、駅前に近い店では、夜間は終電を逃したお客が泊まることが多いので、無料のモーニングサービスが付いていることもあった。
 明日実たちがいるネットカフェには、長期滞在者が全六十四ブース中七割以上もいる。その大半が、明日美たちのような若い女性だった。体の大きい男性にとっては、このブースでは狭すぎて、ネットカフェは長期滞在に向かないのかもしれない。それに、彼らには、ドヤや脱法シェアハウスのような受け皿が他にあった。
 この店では、長期滞在者を原則として一つのエリアにかためている。女性たちの安全をはかるためと、ブースを利用する時間が一般の利用客と異なるので、区別した方が運営しやすいからだ。そのエリアのブースだけが鍵がかけられるようにしてあるのも、トラブル防止のためだった。
 店の業績は好調で、この会社では同様のネットカフェを都内だけで他に三軒も経営している。ネット難民の生活の便を良くすることにより、長期滞在者を増やしてブースの稼働率を高めるのが、この会社のビジネス戦略のようだ。いわゆる脱法シェアハウスの、ネットカフェ版、女性版なのかもしれない。もちろんこの業態も法律違反すれすれなのだが、結果として行き場のない貧しい若い女性たちを救済していることになっている。

今でこそ明日美は一日中ネットカフェの中にいるが、去年の夏まではとぎれとぎれだったけれど学校へ通っていた。初めは、そのビジネスホテルなどから元の学校へ通っていた。ここに来てからは、現住所をネットカフェの所在地に移したので、近くの小学校に転入できたのだ。
その後、出席日数が怪しかったが、中学校へも進学できた。ブースの中で、学校側の好意で用意してもらったお古のセーラー服に着替えて、通学していた。
 しかし、もう半年ぐらい、明日美は学校に通っていなかった。あのまま学校にいたら、明日美は来月からはもう中学三年生になる。
 学校に通っていたころ、明日美は、ネットカフェで暮らしていることを、小学校や中学校のクラスメートには秘密にしていた。もちろん、先生たちはどこから通っているか知っていたが、内密にしてもらえていた。
でも、中学生になったころから、そういった二重生活に疲れて、明日実はしだいに学校をさぼるようになってしまった。クラスメートにどこで暮らしているのが知られるのが怖くて、突っ込んだ話はできなかった。そのせいもあって、親しい友だちはできなかった。
それに、姉と同様に自分も高校へは進めないだろうと思っていたから、授業にも集中することができなかった。授業中も、休み時間もポツンと一人で過ごすことが多かった。
ネットカフェで暮らすようになってから、明日実がだんだん何事にもあきらめの気持ちを持つようになっていたのも、学校へ行かなくなったことに影響したかもしれない。

 明日美のきちんとした食事は、原則一日一回だった。それを姉が帰ってくる夕方に一緒に食べていた。基本的には、朝食と昼食は抜きだった。
 実は、近くの別のネットカフェが無料モーニングを始めた事を、今日香がコンビニのお客に聞いたことがあった。しかも、食べ放題だというのだ。
 さっそく、その翌朝、六時からやっているというその無料モーニングの様子を、二人で見に行った。
実際のモーニングは、パンとフライドポテトだけの質素な物だったが、トースターが置いてあるので、パンを焼くことができるし、マーガリンやジャムも使い放題なようだ。そばには、フライドポテト用のケチャップまでが置いてある。
 毎日、朝食抜きの二人には夢のようなモーニングサービスだった。
 しかし、店員に話を聞くと、そのネットカフェには、明日美たちのような長期滞在者は受け入れていなかった。
二人は涙を呑んで、夢のモーニングセットをあきらめることにした。
 そんな明日美だったが、たまに夕食の食べ物が残ると、朝にもう一食を食べることもできた。今日はラッキーにも食パンが少し残っていたので、明日美はカプチーノとともにそれを口にすることができた。普段は、どうしても空腹が耐えられない時には、明日美は無料のドリンクバーに通って飢えをしのいでいた。おなかをごまかすのには、お茶類よりも甘いジュースや炭酸飲料の方が有効だった。
紅茶やコーヒーにもたっぷり砂糖を入れていた。
ソフトクリームも甘くていいのだが、食べすぎるとおなかが冷えてしまうので、一日一回に決めていた。
 毎日一食にもかかわらず、明日美はほとんど痩せていなかった。いやむしろ太ったぐらいだ。運動不足と糖類の取りすぎが原因だろう。明日美自身もなんだかむくんだ感じがしていて、彼女の栄養状態は最悪だった。
 インターネット、テレビ、ゲーム、雑誌、漫画、…。ネットカフェには、暇つぶしに適したエンターテインメントがあふれている。
 しかし、明日美はそのどれにも飽きてしまっていた。そのため、一日が死ぬほど長く感じられた。

 現在の明日美の唯一の楽しみは、小学校一年生から五年生まで通っていた、かつての地元の小学校のホームページを見ることだった。個人情報の流出に配慮してか、子どもたちの写真などはなかったが、明日美にとっては懐かしい校舎の写真やみんなで唄った校歌の歌詞などが載っていた。
 それらをぼんやりとながめていると、まだ幸せだったころが思い出されて、ほんのちょっぴり心が和まされた。アパートを出てからの学校には、それぞれ短期間しか通えなかったので、あまり想い出はなかった。

気が遠くなるほど時間がたったように明日美には思えたころ、ようやく今日香がバイトから帰ってくる。
「ただいま」
「おかえり」
長時間のバイトのせいか、今日香は疲れきった顔をしていた。
「じゃあ、着替えてくるね」
 すぐに姿を消した今日香は、しばらくして明日美と同じようなスウェット姿で戻ってきた。
 これから、明日美待望の夕食が始まるのだ。
 明日美のブースで、二人は肩を寄せ合うようにして夕食を食べ始めた。今日香のブースの方は、四方を雑多な彼女の持ち物で取り囲まれているので、二人で入る余裕はなかった。
 食事のメインは、今日香の勤め先のコンビニで消費期限を過ぎたサンドイッチやおにぎりや惣菜などだった。それらはコンビニ本社の規則では廃棄しなければいけないのだが、店長の好意によって捨てたことにして内緒でもらうことができた。時々は、明日美の栄養を心配して、魚の缶詰や魚肉ソーセージ、牛乳などのタンパク質源も、今日香が近くのディスカウントストアで買ってくることもあった。
 今日香の方は、一日中体を動かさなければならないので、やはりコンビニの廃棄品などを休憩時間に食べているのだが、明日美にとっては本当に唯一のまともな食事だった。
 二人はゆっくりゆっくりとつつましい晩餐を、小声でささやきあいながら食べている。
「今日はどうだった?」
「うん、いつもと変わらないけど、天気がいいから食べ物の売れ行きがよくて、あんまり廃棄が出なかった」
 今日香が持ってきてくれた夕食は、サンドウィッチが一つとおにぎりが二つ、それにほうれん草のゴマ和えだけだった。二人はそれを分けあって、少しずつ食べていた。
 二人の毎月の収入は、今日香のバイト代の十万円程度と、母親が時々気まぐれにくれる数万円だけだった。
 母親からお金をもらうのは明日美の役目だったが、本当はそれが嫌で嫌でたまらなかった。母親のブースからは、いつもプーンとアルコールのにおいがしていた。ネットカフェでは飲酒は禁止されているのだが、母親は密かに飲んでいるのかもしれない。このままでは、母親のアルコール依存症はいつまでも治らないだろう。
 どんなに嫌でも、母親からお金をもらわなくてはならなかった。その数万円がないと、このネットカフェからも出ていかなければならないのだ。そのお金を足しても、毎日精算が要求されている二人分のネットカフェ代を払うと、あとはいくらも残らなかった。
 二人の願いは、明日の住む所と食事を心配しなくてもいい暮らしをしたいことだけだった。

 ある朝、明日美が自分のブースから出ると、隣のブースの前に荷物が積まれていた。
 隣にいるのも若い女性で、妊娠しているのでおなかが大きかった。同棲していた男がおなかの子どもを認知してくれなくて別れたので、行き場がなくてここにたどり着いたのだ。いよいよ出産が間近になり、そういった女性たちをサポートしてくれるNPOの世話で、やっとネットカフェから施設に移ることができた。
 しかし、生まれてくる子どもを一人で育てる自信はなくて、出産してすぐに養子に出す予定だった。
 明日美がその場に立ち止まって見ていると、ブースからいよいよおなかが大きくなった女性が出てきた。
「さよなら」
 その女性は、小さな声で明日美に言った。
「さよなら」
 明日美も小声で答えた。彼女は半年近くも明日美のブースの隣に「住んでいた」のだが、二人が言葉を交わすのはそれが最初で最後だった。
 彼女の姿が見えなくなると、すぐにネットカフェのスタッフがやってきてブースの清掃を始めた。ビジネスの効率のために、長期滞在エリアのブースは、ひとつでも空けておくことはできない。
 明日美が自分のブースに戻っていると、昼前には早くも新しい人が隣のブースに入ったようだった。

 しばらくして、明日美のブースのドアが軽くノックされた。
 明日美が細くドアに隙間を開けると、知らない若い女の人が立っていた。
「初めまして、あたし、愛媛から来た山本優樹菜です」
 女の人は、満面に笑みをたたえている。すっかり無気力になっている明日美たちとは違って、すごく元気そうな人だった。
「坂東明日美です」
 明日美もボソッと答えた。他のブースの人に声をかけられたことがなかったので、少々面食らっていた。
「あら、明日美ちゃん、若いのねえ。中学生?」
「いえ、もう卒業しました」
 明日美はあわててそう答えた。フロントでは見て見ぬふりをしてくれているが、中学生だということがばれると、ここからも追い出されてしまうかもしれない。
「ふーん」
 優樹菜は、少し疑わしそうな顔をしたが、すぐに笑顔に戻って、大きなミカンを二つ差し出した。
「あたし、愛媛から今朝来たばかりなの。これ地元の名産だから、引越しのあいさつ代わりというところね」
 明日美は、コクンとうなずいてミカンを受け取った。夕食の時に、今日香と一つずつ食べようと思っていた。
「ちょっと、あたしんのところに来ない?」
 ドリンクバーでそれぞれの飲み物を取った後で、明日美は優樹菜のブースへ行った。
 明日美たちのところとは違って、隅にキャリングケースがひとつあるだけなので、二人で入っても十分余裕があった。
 優樹菜の話によると、彼女は地元にある福祉系の大学に通っているのだそうだ。
 優樹菜の家も離婚による母子家庭で、小さいころから貧しかった。大学にやる余裕はとてもないと母親に言われていたけれど、優樹菜はどうしても勉強して、祖父母の代から続くこの貧困の連鎖から抜け出したかった。母親からの仕送りはぜんぜん期待できなかったので、学費や生活費をすべて自分で稼がなければならない。
 でも、地元では賃金がすごく安いので、奨学金とふだんのバイトでは、生活費だけでいっぱいいっぱいだった。そのため、長い休みになると、賃金の高いバイトのある東京へ学資を稼ぎにやってきている。東京ではいつもこのネットカフェを使っていたので、ここではもう常連になっていた。
 でも、優樹菜はほとんど仕事へ行っているし、帰ってからは自分のブースで寝るだけだったから、今まで明日美とは出会ったことがなかった。
「夜行バスで13時間もかかったの。もうくたくたよ」
 そう言いながらも、優樹菜はエネルギーにあふれていた。明日からは、三つの仕事を掛け持ちしてガンガン働く予定だった。それも、賃金の高い工事現場や深夜の仕事ばかりを選んでいる。
 彼女の母親も、地元でバイトやパートを掛け持ちでやって懸命に働いているけれど、女性の給料では自分一人が食べていくのがやっとで、彼女の仕送りまではなかなか手が回らなかった。現在でも、日本では女性の平均賃金は男性の七割しかないのだ。
「おかあさんは、自分の年金の保険料も払えていないんだよ」
 優樹菜は、そう言ってため息をついた。

 明日美と話しているうちにだんだん自分で興奮してきたのか、優樹菜は見ず知らずの明日美に将来の夢を語り出した。
「卒業したら、年収三百万以上は稼げる仕事に就きたいの」
「大学を卒業したら、そんなすごい仕事があるの?」
 中学にも通えないでいる明日美には、大学など遠い夢だった。ましてや三百万円などという大金は、いつも百円足りるか足りないかで今日香と二人で苦労しているので、想像もできなかった。
「ううん。福祉系の仕事がいいんだけど、そんなに稼げる仕事に地元でつけるかどうかはわからないんだ。愛媛では高齢者が減ってきていて、今まで地元の主力産業だった介護施設の就職も厳しくなっているって、先輩が言ってたのよ。入居者が亡くなって空きができても、最近は新しい応募者がいないんだって」
「…?」
 まわりにお年寄りがいない明日美には、よくわからなかった。
「うちの近くでも、どの商店もお年寄りの年金だけが頼りだったんだけど、そういうお客さえめっきり減って、店を閉めるところも増えてきているの。町の中心の商店街でも、建物を壊して更地になるところが増えているし」
「そうなんだ」
 東京生まれの明日美には、優樹菜のする地方の町の話がピンとこなかった。
「地方はどこも大変なのよ。だから、地元の介護の企業も、愛媛に見切りをつけて東京進出を図っているんだって。先輩たちも働く場所がなくなったから、その会社のつてでどんどん東京へ出て行っているのよ。将来、その会社が東京で施設をオープンしたら移籍するって裏約束で」
「優樹菜さんはどうするの?」
「私も地元で就職がダメだったら、東京に出てくるしかないかもね。本当はおかあさんが心配だから地元に残りたいんだけど。もし残っても、地元では若い女の子たちがいなくなったせいで、生まれてくる子どもたちももうほとんどいないから、将来は町自体が消滅してしまうかもしれないし」
「ふーん、それでみんな東京に来るのかなあ」
「まあ、おかあさんには、自分に余裕があったら仕送りすればいいんだけど。でも、東京では家賃が高いでしょ。暮らしていけるかなあ? それに、地元と違って知っている人がいないから、男の人との出会いもあるのかわかんないし。将来、結婚できるんだろうかと思うと、不安だらけなんだけどね」
 優樹菜はそう言って、さびしそうな笑顔を浮かべた。
「……」
 明日美が黙っていると、優樹菜が自分を奮い立たせるようにして、
「でも、今は頑張るしかないのよ」
と言った。
「私も学校へ戻りたい」
 つられたように明日美もポツリとつぶやいた。
「やっぱり、中学生なのね」
 優樹菜に言われて、明日美はコクンとうなずいた。

 その日の夕食の時、明日美は、優樹菜の話や自分もここを出て学校に戻りたいことなどを、姉に話した。
 今日香は、何も言わずに箸を止めて、そんな明日美の顔をじっと見つめていた。
 あるいは、うまく行政に頼ることができれば、二人は今の暮らしを抜け出せたかもしれない。しかし、役所はあまりにも窓口が細分化されていて、彼女たちにはどこに相談すればいいのかわからなかった。今では、二人ともすっかりあきらめの気持ちになっている。
 二人はそれ以上明日美の希望については話し合わずに、食事を続けた。
「おやすみ」
 今日香がブースから出て行ってからも、明日美は昼間の優樹菜の話を考え続けていた。

 翌朝、今日香はいつものように明日美のブースに顔を見せた。
「おはよう」
 明日美が声をかけると、
「今日、バイトを休むから」
と、今日香は言った。
「どうしたの? 身体の具合でも悪いの?」
「ちょっと出かけてくる」
「どこへ?」
「うん、…」
 今日香は答えずに、そのままブースのドアを閉めて、どこかへいってしまった。明日美は、思い詰めたような顔をしていた姉が心配だったが、何もすることができなかった。

 午後になって、思ったよりも早く今日香は戻ってきた。
 ブースに入ると、今日香は黙ったまま、明日美にパンフレットを渡した。通信制高校のパンフだった。
「ここに通って、卒業したら福祉関係の専門学校にいきたい。それから、あなたも学校に戻してあげたい」
「…」
 明日美は、今まで姉がそんなことを言ったことがなかったから、びっくりして何も言えなかった。
 実は、今日香は、バイトを休んでもっとお金を稼げる仕事を見つけに行ったのだ。
 それは、ネットで見つけたデリバリーヘルスという風俗の仕事だった。ブースのパソコンで調べたネット情報によると、日給は三万円以上で今のバイトの5倍近くももらえる。ワンルームマンションの寮も完備しているので、ここを出て明日美と一緒に住めるかもしれなかった。
 今日香たちには関係ないけれど、その店では託児所を経営している会社とも提携していた。言ってみれば、あまりにも無力な行政に代わって、若い貧困女性のセーフティネットのような機能を備えているのだった。
 しかし、今日香は、さんざん迷ったあげく、そのデリバリーヘルスの事務所へは行かなかった。やっぱり男の人の相手をする風俗の仕事は怖かった。しかも、どうやらその事務所はたんなる待機所で、女の人たちは一人でお客の待つホテルの部屋に行かなければいけないようなのだ。密室で男の人と二人きりになるなんて、恐ろしくて想像もしたくなかった。
 代わりに今日香が行ったのは、やはりネットで見つけた「JKリフレ」というお店だった。そこは、男の人とは店内のカウンター越しに話しをするだけでいいようだった。それならずっと安全そうに思えた。
 でも、そのお店の給料の情報は、ネットではよくわからなかった。

 今日香は、思い切って開店前のお店のドアを開けた。
 中には、背の高い若い男が一人いるだけだった。それほど怖そうな人じゃないので、今日香はホッとしていた。
「入店希望?」
 男は愛想よく言った。
「あのー、…」
 今日香は、恐る恐る仕事の内容について尋ねた。
 仕事自体は、ネット情報通りに男の人とおしゃべりするだけだった。
「給料は?」
「時給千円。後は指名がつけば三十分単位で一本千円」
 それじゃ、今のバイトとそんなに変わらない。今日香は、自分が客から指名されることなど想像もできなかった。
 今日香が黙っていると、
「ここは接触サービスがないからね。給料が不満なら、風俗へ行ったら。おねえさん、十八になってるんでしょ」
 男は急に今日香に興味を失ったようで、ぞんざいにそう言った。
「ここは風俗じゃないんですか?」
「なんだ、そんなことも知らないの。ところで、あんた高校生? ここは、女の子が全員現役女子高生なのが売りなんだから。ねえ、生徒証を見せてよ」
 男にそう言われて、今日香はあわてて店を飛び出した。

 1999年を境に、今日香たちのような若い女性たちの貧困化が急速に進んでいる。皮肉にも、その年に施行された男女雇用機会均等法が、女性の正社員としての就職の妨げになったのだ。結婚や出産で辞めてしまうかもしれない女性に、男性と同じ給料を払って新人教育はできないというのが、企業側の論理だった。
 同時に始まった労働者派遣法の規制緩和もそれに拍車をかけて、若い女性たちに非正規雇用の波が大きくのしかかっている。
 かつては、そういった女性たちの非正規雇用労働の収入は、正規雇用の男性配偶者の補助的な役割にすぎなかったのだが、非婚化が進んだ今では、それだけで女性たちは生活しなければならない。せっかく苦労して大学を出ても、多くの女性たちが正規雇用につけないので、奨学金の返済が重くのしかかっている。このままでは、彼女たちは普通の結婚もできない状態だった。

「でも、なんとかあなただけでも学校へ行かれるようにするから」
 今日香は、風俗のことなどを話した後で、明日美に言った。
「本当に、ここを出られるの?」 
 明日美がたずねた。学校へ戻るにしても、前のようにネットカフェから登校するのは嫌だった。それでは、なんにも変わらない。
「うーん、…」
 今日香も、困ったように黙り込んだ。学校へ通うのにも、ここを出るのにも、かなりまとまったお金が必要だ。今日バイトを休んだために、今日香の所持金は五千円をきっている。明日美の方ときたら、非常用に持っている千円札が一枚と小銭だけだった。これでは、今日の二人分のネットカフェ代、三千八百円を払うのがやっとだった。
「やっぱり風俗しかないよね。これから、デリバリーヘルスの事務所へ行ってみる」
「だめ、そんなところ」
 明日美は、つい大声を出してしまった。
「でも、それしか方法がないよ」
「だめだったら、…」
 二人は、我を忘れて大声で言い争っていた。

 いきなりブースのドアが強くノックされた。
 二人が騒いでいたのでお店の人が注意しにきたのかと、おそるおそるドアを開けると、外には優樹菜が立っていた。隣が騒々しかったので、優樹菜は仮眠から起こされてしまったのだ。彼女は、夕方からの仕事に備えて休んでいるところだった。
「風俗はだめ」
 優樹菜は、狭いブースの中に無理矢理入ってくると、ズバッと言った。
 三人が同時に入ると、ブースの中はギチギチだったので、三人は立ったままだった。
「でも、…」
 今日香が反論しようとすると、
「風俗は、本当に最後の最後の最終手段よ。まだ他にも方法があるから」
「…」
 優樹菜に強く言われて、今日香は黙ってしまった。
「明日の朝、区役所へ行こう」
「区役所?」
 今日香が繰り返すと、
「そう、区役所。何とか窓口で交渉して、あなたたちの住むところを見つけてあげる」
「えっ、ここを出られるの?」
 明日実はネットカフェを出られると聞いて、思わず口を挟んだ。毎日毎日ここで暮らすのは、もううんざりしていた。
「無駄よ。役所に相談したら、きっと二人バラバラの施設に入れられてしまうから」
 今日香は、前に役所の窓口へ行ったことがあったのだ。その時は、さんざんあちこちの部署をたらい回しにされたあげくに、二人がそれぞれ別の未成年者を収容する施設に入れられそうになった。これ以上家族がバラバラにされることには耐えられない。
「ねえ、あなたいくつ?」
 優樹菜が、今日香にたずねた。
「十八」
「なら、大丈夫よ。仕事もしてるんでしょ。あなたが所帯主になって、区営住宅に入れるんじゃないかな」
「でも、お金が、…」
「大丈夫よ。区営住宅は敷金も礼金もいらないし、収入が少なければ家賃も減免されるから。保証人が心配なら、そうしたことをしてくれるNPOもあるみたいだし」
 優樹菜は、母親と暮らしていた時に、地元の町営住宅に住んでいたので、そうした事情に詳しかった。
「えっ、本当?」
 今日香が聞き返すと、
「とにかくダメ元よ。やってみなければわからないって。ネットカフェなんかにいたら、けっきょく割高なんだから。長期割引っていっても、私みたいに数週間だけならいいけれど」
 優樹菜が、励ますように二人の顔を見ながら言った。
「でも、優樹菜さん、明日も仕事があるんじゃないの?」
 明日美がたずねると、
「大丈夫。朝の八時には戻ってくるから」
 優樹菜は、夕方の五時から十二時までが居酒屋のホールのバイトで、続けて夜中の一時から七時まではコンビニの深夜バイトをしている。それに、割のいい夜間の工事現場の仕事も、他のバイトが休みの日に不定期にやっていた。
「今日みたいに、帰ってから寝なくても平気なの?」
 明日美が言うと、
「一日ぐらい寝なくたって大丈夫、若いんだから」
 優樹菜は、そう言って笑って見せた。
 でも、もしかすると、組織が縦割りになっている役所との交渉は、一日じゃすまないかもしれない。そうしたら、何日も粘り強く交渉しなければならないだろう。かといって、後を二人だけにまかせるのは心許ない気が、優樹菜はしていた。
「そうねえ。長期戦に備えてもっと援軍がいるかもね。ちょっと待ってて」
 優樹菜はそう言いながら、ブースを出ていった。

 しばらくして、優樹菜が戻ってきた。若い男の人が一緒だったので、明日美と今日香は緊張した。
「深川くん。二人とも知ってるでしょ」
 たしかに顔に見覚えがあった。ネットカフェのバイトの一人だった。
「彼も私と同じ十九歳で大学生なの」
「よろしく」
 深川さんはペコッと頭を下げた。笑うと親しみやすそうな顔になったので、二人は少し安心した。
「あたしが行かれない日には、彼が一緒に役所へ行ってくれることになったから」
「えっ!」
 二人が驚いていると、
「優樹菜さんって、強引なんだから」
と、深川さんはぼやいていた。
「なんたって、二人はお店のお得意様なんだから、このくらい、サービス、サービス」
 優樹菜にそう言われて、深川さんは苦笑いしていた。
「長期戦といえば、あなた明日もバイト休んで大丈夫?」
 優樹菜は、今度は今日香にむかってたずねた。
「…」
 今日香が不安そうな顔をしていると、
「電話、電話。まずバイト先と交渉よ」
 二人がケータイを持ってないことを知ると、優樹菜は自分のスマホを出して、今日香に聞いた番号にかけた。
「もしもし、…」

 優樹菜の交渉結果は上々だった。コンビニの店長は、今日香のシフトを役所へ行く時間が取れるように調整してくれた。どうやら、これでクビになることは免れたようだ。もともと店長が、今日香の身の上に同情的だったせいもあったかもしれない。
「でも、バイトに行かないと、明日からのネットカフェ代が足りないんだけど、…」
 今日香が恐る恐る言うと、
「ねえ、深川くん、役所との交渉がまとまるまで、代金を待ってくれるように、店長にOKを取ってくれない」
「…」
 優樹菜に強い口調で言われて、深川さんは目を白黒とさせていたが、やがてしぶしぶうなずいた。
 コンビニの店長や深川さんに対する優樹菜のきびきびした交渉経過と、その幸先の良い結果に、明日美と今日香は、これからの区役所との交渉にも、少しは希望が持てるかもしれないなという気がしてきていた。

ネットカフェにも朝は来る
平野 厚
メーカー情報なし



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