現代児童文学

国内外の現代児童文学史や現代児童文学論についての考察や論文及び作品論や創作や参考文献を、できれば毎日記載します。

絵本や幼年文学の単純化

2018-09-13 08:36:53 | 考察
 最近の絵本や幼年文学の多くは、ますます単純化されて枚数や文字数が少なくなっています。
 この傾向は、三十年も前に安藤美紀夫が「日本語と「幼年童話」」という論文(その記事を参照してください)の中で警鐘を鳴らしていましたが、現状はさらに悪化を遂げています。
 その原因としては、読み手側の読解力の低下もありますが、それ以上に作り手側(出版社、作家、画家など)の事情によるところが大きいと思われます。
 短い作品の方が作成コストを下げられ、定価も下げられて売りやすいからです。
 そこには、出版社のビジネスや作家の生活がかかっているので、一概に批判ばかりはできませんが、作品の質の低下が起こるのは否めないでしょう。
 わかりやすい例で例えると、テレビにおけるお笑い芸人です。
 彼らは、俳優などの他のタレントと比較してギャラが安価なので使いやすく、たくさんの番組(バラエティ番組以外にも)出演しています。
 しかも、そこで彼らに求められているのは、彼ら独自のネタではなく、彼ら自身のキャラクターなのです。
 ネタを作りこむのはたくさんのエネルギー(つまりコスト)がかかりますし、「うける」とはかぎりません。
 そんなコストをかけるよりは、安直にタレントのキャラクターそのもの(デブ、ヤセ、ブス、チビ、ハゲ、アホ、ケチ、ゲス、過度な潔癖症、男女のスキャンダル、性的マイノリティなど、一般には負と思われているキャラクターの方が圧倒的に多いです)で笑いを取ろうとしています。
 この傾向は、児童文学(特にエンターテインメント作品)にも如実に表れていて、ストーリー展開や描写や文章よりも、個々のシーンが「いかにうけるか」や登場人物の「キャラクターがたっているか」などの方が重要視されています。
 こうして、「児童文学」は、「芸術としての文学」から、「暇つぶしの消費財」へと、加速度的に変貌を遂げていっています。

幼い子の文学 (中公新書 (563))
クリエーター情報なし
中央公論新社

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