現代児童文学

国内外の現代児童文学史や現代児童文学論についての考察や論文及び作品論や創作や参考文献を、できれば毎日記載します。

ロード・オブ・ザ・リング

2024-09-17 09:14:22 | 映画

 2001年に公開されたトールキンの指輪物語の実写版映画の第一部です。

 あの長大なファンタジーを、できるだけ原作に忠実に作ろうとした労作です。

 公開版も178分とすごく長いのですが、未公開部分を追加したエクステンデッド版で見直したのですが、なんと208分もあって、トールキンの世界観にどっぷりと浸ることができます。

 冥王サウロンが、自分の作ったすべての指輪を統べる魔力を持つ指輪を、再び手に入れようとしていることを知り、ホビット族のビルボ・バギンスが持つその指輪を処分する使命を持って、ビルボの甥のフロドが旅立ちます。

 エルフの森で開かれた会議によって、各種族の代表がモルドールの滅びの山まで廃棄しに行くことになります。

 この危険な「旅の仲間」は、ホビットのビルボ、サム、ピピン、メリー、人間のアラゴルン、ボロミア、ドワーフのギムリ、エルフのレゴラス(イケメンのオーランド・ブルームが演じて一躍人気スターになりました)、そして、魔法使いのガンダルフの合計9人です。

 様々な冒険をしますが、途中のモリアの坑道で、ガンダルフは悪鬼バルログと戦って行方不明になってしまいます。

 さらに、ウルク・ハイに率いられたオーク鬼の大群に襲われ、ピピンとメリーは拐われ、ボロミアは戦死してしまいます。

 その戦いのさなかに、フロドは仲間と離れて一人で滅びの山へ向かいますが、サムだけは後を追ってきて一緒に旅することになります。

 つまり、ロード・オブ・ザ・リングは三部作に渡る大長編なので、これからは、フロドの旅、メリーとピピンの救出、ガンダルフの復活などの物語を経て、大団円に至るのですが、第一部「旅の仲間」はここまでです。

 オリジナルの英語のタイトルでは、きちんと第一部のタイトルである「旅の仲間」が付いているのですが、日本語のタイトルではなぜか(おそらくわざと)削ってあります。

 それは、欧米とは違って、原作を読んでいない人が大半の日本の観客を欺こうという姑息な手段だったのかもしれません。

 そのため、公開時に見たときには、一番盛り上がったときのいきなりのエンディングに、戸惑いのどよめきが起こったのを覚えています。

 しかも、彼らが続きの「二つの塔」を見られたのは、一年以上経ってからなのです。

 それはともかく、映画の出来自体は素晴らしく、トールキンが作り出し、多くの追随者(一番わかりやすいのはドラクエでしょう)を生み出した「剣と魔法の世界」のオリジナル世界(トールキン自身も、欧米の神話や伝承を元にしていますが)は、ほぼ理想的な形で映画化されました。

 私が20歳のころ(1974年頃)に、実現してほしいけれど、生きている間は無理だろうなと思っていたことが2つありました。

 一つは日本のサッカー・ワールドカップ出場で、これは1998年のフランス・ワールドカップで実現(出場チームが24から32に水増しされていましたが)して、さらに2002年には日本で開催されました(これも韓国と共催という水増しですが)。

 もう一つが、トールキンの「指輪物語の映画化」でした。

 その時は、映画化されてもアニメだろうと思っていた(当時人気のあったファンタジー作品の「ウォーターシップダウンのうさぎたち」の一部分がアニメ化されたのですが、あまりいい出来ではありませんでした)のですが、CGの出現により実写版でこのように実現したのは、原作のファンとしては夢のようなことです。

 

 

 

 

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大江健三郎「静かな生活」静かな生活所収

2024-09-16 08:42:11 | 作品論

 20才の女子大生マーちゃんには、四才年上の知的障害者の兄イーヨーがいます。
 マーちゃんは、お嫁に行く時にはイーヨーも一緒に連れていかねばならないと、思いつめています。
 作家である父が外国の大学に招聘され、母も一緒に行くことになったので、マーちゃんが留守宅を守ることになります。
 イーヨーは成人に達しているので、身体的な性的反応を示すことがあります。
 そんな時、自宅の近くで連続して痴漢騒ぎがおこります。
 マーちゃんは、時々外出先から寄り道することがあるイーヨーがその犯人じゃないかと、心配しています。
 ところが、ひょんなことからマーちゃんは真犯人が少女を襲っているところに遭遇し、近所の人たちの助けを借りて犯人を捕まえます。
 ラストシーンで、イーヨーが寄り道するのは好きな音楽が聞こえてくる家のそばに寄っていたためだったことが判明して、マーちゃんは晴れ晴れした気分を味わいます。
 作者には、「二百年の子供」のような年少の読者を意識した作品もありますが、私は「静かな生活」の方がより児童文学に近いと考えています。
 マーちゃんは江国香織や吉本ばななの初期作品の主人公と同年輩ですし、イーヨーは知的障害者なので子どものようなところが多く、結果としてこの作品は若者や子どもたちを描いています。
 作者の他の作品と違って、マーちゃんの視点で書かれていて文章も平明なので、若い読者にも読みやすいと思います。
 両親の不在、父親が著名な作家であるために偏執的な人たちから受ける脅迫、精神障害者である兄への周囲の偏見などから、イーヨーと弟のオーちゃんとの三人の「静かな生活」を守るためにマーちゃんは頑張ります。
 確かに、この家は一般の障害者がいる家庭よりも、経済的には恵まれているでしょう。
 ご存知のように、イーヨーこと大江光は、その後、音楽家として世の中に認められます。
 それは、この家族の物心にわたる援助がなければ実現しなかったでしょう。
 いくら障害者本人に音楽的才能があっても、それを育む環境が与えられなかったら、十分に開花できなかったと思います。
 そういう点で、イーヨーは恵まれた「障害者」なのかもしれません。
 乙武洋匡の「五体不満足」を読んだ時にも、同じことを感じました。
 そういう点があったとしても、精神障害者の兄を持つ事を引き受けていくマーちゃんの決意は並大抵ではありません。
 特に、両親が年老いて、やがて亡くなることも見据えているのでしょう。
 イーヨーとの二人だけ(本当は弟のオーちゃんもいるのですが)になる日が来ることを意識しています。
 その時に、イーヨーとの「静かな生活」を守っていくことは大変に違いありません。
 もっとも、実際の大江健三郎の家族の場合には死後も遺族にある程度の印税が入り続けるでしょうから、経済的には心配はないかもしれませんが。
 障害者の家族の負担、障害者と健常者の共棲、思想信条の自由など、児童文学でももっと取り上げていかねばならないいろいろな問題を、この作品は内包していると思います。

 

静かな生活 (講談社文芸文庫)
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講談社


 

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大石真「光る家 「眠れない子」第一章」児童文学 新しい潮流所収

2024-09-15 09:46:48 | 作品論

 1980年に雑誌「びわの実学校」100号に掲載され、断続的な連載の後に、書き改められて「眠れない子」(1990年)にまとめられた作品で、編者の宮川健郎によって転載されました。
 なぜか毎晩眠れなくなった(今で言えば、不眠症の一種の中途覚醒でしょう)主人公の四年生の男の子が、ふとしたことから家(スナック勤めのママと二人暮らしなので夜は誰もいません)を抜け出して、都会の街をさ迷い歩きます。
 深夜の街は人気がなくて、知らない街(世界に大戦争がおこって人類がほとんど死に絶えた後の街とか、宇宙のどこかにある宇宙人の街)のようでした。
 引き返そうとした時、主人公は明るく光った家を見つけます。
 そこは、眠れない人たちが集って明け方まで話をする家でした。
 玄関のところにいた女の人に招き入れられた家の中では、大勢の人たちが話をしていました。
 ほとんどが大人の人たちばかりでしたが、中に一人だけ同じ四年生の女の子がいて、主人公は彼女と話し始めます。
 普段は学校でもおしゃべりをしない主人公は、不思議なことにその女の子とならいくらでもおしゃべりができるのでした。
 そして、明け方になってその会がお開きになった時には、その女の子が好きになっていました。
 二人は、再会を約束して手を握り合いました。
 しかし、その後、毎晩のように深夜の街を探しても、その「光る家」を発見することはできませんでした。
 編者は、この章を「夜の都市にただよう孤独感を作品に定着させた例としては、(中略)ずいぶん早かったのだ。」として、児童文学研究者の石井直人が「いつも時代のすこしさきを歩いている」と大石真を評していたことを紹介しています。
 しかし、その後の解説は、「眠れない子」(野間児童文芸賞と日本児童文学者協会賞特別賞を受賞)全体の論評になってしまい、「光る家」の部分しか読んでいないこの本(「児童文学 新しい潮流」)の読者には不親切です。
 このような解説は、「眠れない子」全体に関する文章を発表する場で書くべきでしょう(実際に、どこかで使われた文章の使いまわしなのかもしれませんが)。
 ここでは、石井および編者が触れた大石が常に時代を先取りしていた「新しさ」について解説した方が、この本の趣旨に会っていたのではないでしょうか。
 以下に私見を述べます。
 他の記事にも書きましたが、1953年9月の童苑9号(早大童話会20周年記念号)に発表した「風信器」で、その年の日本児童文学者協会新人賞を受賞して、大石は児童文学界にデビューしました。
 この作品は、いい意味でも悪い意味でも非常に文学的な作品です(詳しくはその記事を参照してください)。
 おそらく1953年当時の児童文学界の主流で、「三種の神器」とまで言われていた小川未明、浜田広介、坪田譲治などの大家たちに、「有望な新人」として当時28歳だった大石は認められたのでしょう。
 しかし、ちょうど同じ1953年に、早大童話会の後輩たち(古田足日、鳥越信、神宮輝夫、山中恒など)が少年文学宣言(正確には「少年文学の旗の下に!」(その記事を参照してください))を発表し、それまでの「近代童話」を批判して、「現代児童文学」(定義などは他の記事を参照してください)を確立する原動力になった論争がスタートしています。
 「風信器」は、その中で彼らに否定されたジャンルのひとつである「生活童話」に属した作品だと思われます。
 「現代児童文学」の立場から言えば、「散文性に乏しい短編」であり、「子どもの読者が不在」で、「変革の意志に欠けている」といった、否定されるべき種類の作品だったのかもしれません。
 しかし、大石はそうした批判をも吸収して、その後は「現代児童文学」の大勢よりも、常に時代を先取りしたような重要な作品を次々に発表しています。
 まず、1965年に「チョコレート戦争」(その記事を参照してください)を発表して、エンターテインメント作品の先駆けになりました。
 この作品のビジネス的な成功(ベストセラーになりました)は、大石個人が編集者の仕事をやめて専業作家になれただけなく、児童文学がビジネスとして成り立つことを実証して、児童文学の商業化のきっかけになりました(日本の児童文学で最も成功したエンターテインメント・シリーズのひとつである、那須正幹「ズッコケ三人組」シリーズがスタートしたのは1978年のことです)。
 次に、シリアスな作品においても、1969年に「教室203号」(その記事を参照してください)を発表して、「現代児童文学」のタブー(子どもの死、離婚、家出、性など)とされていたものを描いた先駆者になりました(その種の作品がたくさん発表されて、「現代児童文学の「タブーの崩壊」が議論されたのは、1978年ごろです)。
 ここで注目してほしいのが、1978年というタイミングです。
 児童文学研究者の石井直人は、「現代児童文学1978年変質説」を唱えています(それを代表する作品として、那須正幹「それいけズッコケ三人組」(エンターテインメント作品の台頭)と国松俊英「おかしな金曜日」(それまで現代児童文学でタブーとされていた離婚を取り扱った作品、その記事を参照してください)をあげています。)。
 他の記事にも書きましたが、これらの変質が起きた背景には、その時期までに児童文学がビジネスとして成り立つようになり、多様な作品が出版されるようになったことがあります。
 では、大石真は、なぜ時代に先行して、いつも新しい児童文学を発表することができたのでしょうか。
 もちろん、彼の先見性もあるでしょう。
 しかし、それだけではないように思われます。
 その理由は、すごくオーソドックスですし、作家の資質に関わる(これを言っては身もふたもないかもしれません)ことなのですが、大石真の作品を支える高い文学性(文章、描写、構成など)にあると思われます。
 そのために、つねに他の作家よりも作品の水準が高く(奇妙に聞こえるかもしれませんが、大石作品はどれも品がいいのです)、新しいタイプの作品でも出版することが可能だったのではないでしょうか(大石自身のように作家志望が多かった、当時の編集者や出版社を味方につけられたのでしょう)。
 そして、そのルーツは、彼の「現代児童文学」作品ではなく、デビュー作の「風信器」のような抒情性のある「生活童話」にあると考えています。

眠れない子 (わくわくライブラリー)
クリエーター情報なし
講談社
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椎名誠「銀座のカラス」

2024-09-14 08:58:09 | 参考文献

 「哀愁の町に霧が降るのだ」、「新橋烏森口青春篇」に続く自伝的青春小説で、前二作が主人公も含めて実名で書かれているのに対して、架空の登場人物(本人も含めて明らかにモデルがわかる人物もいますが)を使って書かれていて、文庫版の解説で目黒孝二が指摘しているようにフィクション度は一番高いです。
 百貨店関連の業界紙を発行している従業員15人ぐらいの小さな会社を舞台に、ひょんなことで月刊の薄い雑誌の編集長(初めは彼一人だけで途中から同い年の部下ができる)を務めることになった主人公の若者(23歳ぐらい)の奮闘を、友情や恋や酒や喧嘩などをからめて描いています。
 著者は1944年生まれなので、この作品の舞台は1960年代の終わりごろだと思われ、まだ自分や国の未来に希望が持てた幸福な高度成長時代のお話です。
 「何者」でもない自分が「何者」かになろう(この本の場合は、新しいもっと本格的な専門雑誌の立ち上げ)ともがくする姿が、もうそうした夢が過去のものになりかかっていたバブル崩壊後の若い読者(この本の発行は1991年)には、うらやましく感じられたことでしょう。
 この本では、作者の強みである若い頃の詳細な記憶をベースに、小説家としての成熟度が上がった段階の筆さばきで見事なフィクションに仕上がっています。

銀座のカラス
クリエーター情報なし
朝日新聞社
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柳田理科雄「空想科学読本」

2024-09-13 09:37:26 | 参考文献

 1996年の大ベストセラーです。
 空想科学研究所主任研究員という肩書を持つ作者(実は学習塾教師)が、テレビの空想科学番組や映画に出てくるヒーローや怪獣、ロボットなどを大真面目に(時にはユーモアを交えて)科学的に解説した本なのです。
・ゴジラ2万トン、ガメラ80トン、科学的に適切な体重はどちらか?
・仮面ライダーが一瞬で変身するのはあまりにも健康に悪い!
・ウルトラセブンが巨大化するには最低でも15時間が必要だ!
 最初の3章の副題を並べただけでも、かつては男の子だった人たちならば、みんなわくわくすることでしょう。
 それが、ズラリと16章も続くのですから、ベストセラーになったのも当然です。
 これらの誰もが知っているヒーローや怪獣の設定や必殺技が、科学的にはどんなにとんでもないものかを解説しながら、実はそれらに対する作者の並々ならぬ愛情が感じられるところが成功の秘訣でしょう。
 さらに、作者は1961年生まれなのですが、学習塾で普段から子どもたちに接しているおかげか、ゴジラやガメラのような1950年代や1960年代から活躍している怪獣やヒーローから、1990年代当時の新しいロボットやヒーローまで登場するので、幅広い年代の男の子たちを熱狂させました。
 我が家でも、1954年生まれの私だけでなく、1988年生まれと1990年生まれの息子たちも愛読しました。
 こんな魅力的な本が児童文学界にあれば、男の子たちの本離れは防げたことでしょう。
 この本の大成功のおかげで、続編も次々に出版されたので、作者の研究資金は潤沢になったと思われますので、本が売れない児童文学作家にはうらやましい限りです。

空想科学読本1[新装版] (空想科学文庫)
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KADOKAWA/メディアファクトリー
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誰も知らない

2024-09-12 09:25:46 | 映画

 とある2DKのアパートに、スーツケースを抱えた母親のけい子と息子の明が引越ししてきます。
 アパートの大家には「主人が長期出張中の母子2人だ」とあいさつをしますが、実はけい子には明以外の子どもが3人もおり、スーツケースの中には次男の茂、次女のゆきが入っていました。
 長女の京子も人目をはばかり、こっそり家にたどり着きます。
 子ども4人の母子家庭――事実を告白すれば家を追い出されかねないと、嘘を付くのはけい子の考え出した苦肉の策でした。
 けい子は、大家にも周辺住民にも事が明らかにならないように子どもたちに厳しく注意しています。
 子どもたちはそれぞれ父親が違い、出生届すら出されておらず、学校に通ったことさえありません。
 当面はけい子が百貨店でパートタイマーとして働き、母の留守中は明が弟妹の世話をして暮らしていましたが、新たに恋人ができたけい子は留守がちになり、やがて生活費を現金書留で渡すだけでほとんど帰宅しなくなってしまいます。
 そして、兄弟だけの「誰も知らない」生活が始まります。
 けい子が姿を消して数か月がたちました。
 渡された生活費も底をついて、子どもだけの生活に限界が近づき、料金滞納から電気・ガス・水道も止められてしまいます。
 そんな中、4人は遊びに行った公園で不登校の女子高生の紗希と知り合います。
 兄弟の惨めな暮らしぶりを見た紗希は協力を申し出て、援助交際で手に入れた現金を明に手渡そうとしますが、その行動に嫌悪感を抱いた明は現金を受け取りません。
 だが、食料はなくなって、明は知り合いのコンビニ店員から賞味期限切れの弁当をもらい、公園から水を汲んでくるなどして、兄弟たちは一日一日を必死に生きのびることになります。
 ある日、言うことを聞かない妹弟たちとけんかをして、うっぷんの爆発した明は衝動的に家を飛び出してしまいます。
 飛び出した先で、ひょんなことから少年野球チームの助っ人を頼まれ、日常を忘れて野球を楽しみますが、家に戻った明が目にしたのは、倒れているゆきと、それを見つめながら呆然と座り込んでいる京子と茂の姿でした。
 ゆきは椅子から落ち、そのまま目が覚めないといいます。
 病院に連れて行く金も薬を買う金もないので、明は薬を万引きします。
 兄弟は必死で看病しますが、翌日ゆきは息絶えていました。
 明は紗希を訪ね、ゆきに飛行機を見せたいのだと、そして、あのとき渡されるのを断った現金を貸して欲しいと伝えます。
 兄弟たちと紗希は、スーツケースの中にゆきの遺体と大量に買い込んだゆきの好きだったアポロチョコを入れます。
 明と紗希は2人でゆきの遺体が入ったスーツケースを運びながら電車に乗って、羽田空港の近くの空き地に運びだして、敷地内に土を掘って作った穴に旅行ケースを埋めました。
 そして、2人は無言でマンションに戻りました。
 ゆきがいなくなった明と京子と茂と紗希の、「誰も知らない」生活が、これからも続いていきます。
 他の記事で、現在の児童文学が今日的な問題を描かないことへの批判の引き合いにこの映画を出しましたので、久しぶりに見てみました。
 驚いたのは、この作品が作られたのが2003年で元になった事件は1988年ともう30年以上も前だったことです。
 今回、「誰も知らない」を見直して、母親による単なるネグレクトだけではなく、父性や母性の欠如(彼らの生育過程にも問題があったと思われます)、行政の怠慢及び不備(主人公の少年は前に行政によって兄弟がバラバラにされた経験があったので、今回は行政に頼りませんでした)、公教育の欠陥(不就学児童への対応の不徹底など)、周囲の大人たちの無関心、子どもたちの万引き、いじめ、援助交際など、さまざまな今日的問題が描かれているのに気づきました。
 確かに、見ていて息苦しさを覚えるような悲しい作品ですが、時々、子どもらしい遊びをする場面で流れる明るい音楽が、それでも彼らは生きていくことを象徴しているようでせめてもの救いになっていました。
 確かにこういう映画は見ていて楽しくないでしょうが、いつも楽しさや面白さばかりを求めるのではなく、時にはこのような見続けることが困難なシリアスな作品も必要です。
 そして、児童文学の世界でも、売れ線だけをねらうのではなく、こういった作品も世に出す社会的な義務を負っていると思います。
 現在の子どもたちや若者たちを取り巻く環境は、「だれも知らない」が描いた時代よりもさらに悪くなっています。
 他の記事にも書きましたが、かつて子どもたちの今日的な問題をシノプシスにまとめる作業を半年間続けました。
 いつまで続けられるかと危惧していましたが、新聞、テレビ、ネットニュースを見るだけで毎日題材には困りませんでした。
 その時は、それらを作品化するには旧来の現代児童文学の方法論ではだめだということに気がつき、創作することは断念しました。
 それが、現代児童文学の終焉ないしは衰退と社会の変化の関係を研究しようというきっかけになったのです。
 そして、二年間の研究の末に自分がたどりついた結論は、子どもたちや若い世代を取り巻く問題を描くには、児童文学ではもうだめだということです。
 こういった作品の読者はほとんいませんし、出版や流通もそういった本には全く対応していません。
 そのため、一般文学の形で現在の子どもたちや若い世代の困難な状況を描くことが、「ポスト現代児童文学」の現実的な創作理論だと思っています。
 しかし、この「ポスト現代児童文学」は、出版や流通の問題があって、読者(大人が中心になると思われます)の手に届けるのは困難ですし、あまりお金にもならないでしょう。
 こういった「ポスト児童文学」の創作は、児童文学の創作で生活の資を得ている人や、自分の作品が本になるのを夢見ている新人たちにはすすめられません。
 自分自身で創作もして、その出版や流通の方法についても、自力で開拓していかなければならないと思っています。

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古田足日「宿題ひきうけ株式会社」

2024-09-11 09:29:15 | 参考文献

 作品論ではなく、作者と作品の関係について考えてみました。
 この作品は1966年2月に出版され、翌年の日本児童文学者協会賞を受賞した作者の代表作のひとつです。
 しかし、話を複雑にしているのは、1996年に新版が出ていることです。
 これは、作中に引用していた宇野浩二の「春を告げる鳥」の引用およびそれに対する作中人物の感想が「アイヌ民族差別だ」という抗議を1995年に受けて、作者のオリジナル作品とその感想に差し替えたのです(宇野の作品は当時広く読まれていて、私自身も子どものころに読んでいました。また、作中の子どもたちに訴えかけたであろうこの作品の抒情性に、作者のオリジナル作品は引用としてはやたら長いだけで遠く及びません。さらに、作者の引用は宇野の作品の骨子を作者自身の言葉でまとめたもので、元の宇野作品は作者の引用ほどアイヌ民族に対して差別的ではありません)。
 また、それに関連して、「やばん」ということについて、新しい(1996年現在の)作者の考えに書き改めています。
 これらの行為は、作家として非常に危険なことだったように思います。
 この作品は、あくまで1966年当時(実際には出版の前に雑誌に連載されているので、時代設定は60年代前半と思われます)の状況の中で成立するものであり、作者の「アイヌ民族差別」に対する「無知(作者自身のあとがきの言葉)」も含めてそのままの形で残し、もし過ちを認めるのであれば、なぜそのようなことになったかを自分自身であとがきなどでもっと詳しく検証するべきだった(1926年発表の宇野作品の歴史的評価も含めて)と思われます。
 それが、単なる創作者でなく児童文学の評論家でもある作者の責務だったように思えます。
 それを、1996年現在の認識で書き直したので、この作品の歴史的価値が大幅に損なわれてしまいました。
 この作品は、良くも悪くも70年安保の挫折前の革新側の思想に基づいて書かれているわけで、それがソ連崩壊やバブル崩壊後の1996年に書き直して提出されても、すでに立脚点が違うのですから作品として成立しないのではないでしょうか。
 例えば、作品の背景にある学歴社会、組合運動、貧困問題、学校、子ども社会、教養主義、資本主義と共産主義の対立、職場の電子化などは、そして作者が新版で隠蔽してしまったマイノリティへの差別意識も、三十年の月日が大きく変えてしまっています。
 それに、39歳だった1966年の作者と、1996年当時69歳だった作者では、経験も考え方も違うはずで、その両者が書いたものをつぎはぎされても(旧版と新版を読み比べてみましたが、「春を告げる鳥」や「やばん」に関連する部分以外にもいろいろな個所(例えば旧版にはない日本軍による「南京事件」への批判など)で細部を書き直しています)、読者は困惑するだけです。
 私は70年安保挫折後の70年代に旧版を読みましたが、その時点でもあまりにも楽観的な組合運動や、学級会や学校新聞などによる疑似民主主義、そしてなにより「子どもの論理」(宿題ひきうけ株式会社)が「(当時の革新勢力の)大人の論理」(試験・宿題なくそう組合)に屈服させられるラストに、強い違和感は覚えましたが、「アイヌ民族差別」は気づきませんでした(というよりも、その部分の印象が残らなかったという方が正しいでしょう。私自身も作者以上に「アイヌ民族差別」に「無知」でした)。
 「ちびくろサンボ」問題(その記事を参照してください)や「ちびくろサンボ」を絶賛した「子どもと文学」の問題(関連する記事(例えば石井直人の「現代児童文学の条件」についての記事など)を参照してください)でも述べましたが、作品や論文はその時代背景を抜きには評価することは不可能だと思っています。
 この作品をこれから読まれる方は、ぜひ新旧両方の版を読まれることをお勧めします(作者と理論社は、旧版の流通在庫を回収し、図書館にも新版に買い替えるよう依頼していますが、もちろん旧版は図書館や古本として今でも残っていて読むことができます)。

新版 宿題ひきうけ株式会社 (新・名作の愛蔵版)
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理論社



宿題ひきうけ株式会社 (1979年)
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那須正幹「ぼくらは海へ」

2024-09-10 14:35:54 | 作品論

 1950年代にスタートした「現代児童文学」が変曲点を迎えた年として、1978年もしくは1980年をあげる研究者が多いです(例えば、石井直人や宮川健郎など)が、その大きな理由として、作者の二つの作品、「それいけズッコケ三人組」と本作品「ぼくらは海へ」の出版があげられます。
 前者は「現代児童文学」では初めての本格的なエンターテインメントシリーズ(最終的には2005年に全50巻で完結しました)の確立であり、後者はいわゆる「タブーの崩壊」(それまで扱われなかった死、非行、家出、家庭崩壊、性などが「現代児童文学」で描かれるようになりました)の代表作のひとつとしてです。
 この二つのタイプの違う代表作のうちで、機を見るに敏な作者は、前者をビジネスチャンスととらえて(ポプラ社の担当編集者で後に社長になる坂井氏も同様に感じていたようです)、後者の方向性については見切りをつけて、「現代児童文学」においてビジネス的には最も成功した作家になりました。
 この卓越したビジネスセンスは、後に「ズッコケ三人組」シリーズのような従来のエンターテインメント作品があまり売れなくなる2000年代に、すっぱりとシリーズを辞めることで再び発揮されました。
 他の記事にも書きましたが、私が児童文学との関わりを再スタートするために、1984年2月に日本児童文学者協会の合宿研究会に参加する時に、課題図書として数十冊の80年代の「現代児童文学」を集中的に読んだのですが(実際には、他の参加者は、それらの本を少ししか読んでいなかったことが後で判明しました)、一番好きだったのが皿海達哉の「野口くんの勉強部屋」(その記事を参照してください)で、一番衝撃を受けたのがこの作品でした。
 それは、他の当時の読者も同様でしょうが、主要登場人物の一人の少年の死とオープンエンディング(結末を明示せずに読者にゆだねる)のラストでした。
 しかし、40年以上たってこの作品を読み返してみると、この作品の完成度が意外に低いことに気づかされました。
 それは、一見作品テーマのように思われる少年たちの深刻な問題や事件と、天性のストーリーテラーである作者の書き方が、大きく分裂しているように思えたからです。
 文庫本のあとがきで作者自身が書いているように、作者はあくまでも「自分たちで船を作って出発する」少年たちを描きたかっただけなのでしょう。
 主要登場人物である五人の子どもたちには、ギャンブル狂で働かない父親のための貧困、裕福だが不倫をしている父親のための両親の離婚危機、夫に先立たれたために息子の将来に過大な期待をよせる母親、父親が転勤族のために友人たちとの別れを繰り返す孤独、ぜんそくの妹にかかりきりの両親による疎外感と、それぞれに深刻な状況が設定されていますが、それらはあくまでも「自分たちで船を作って出発する」ことの背景にすぎず、作者はこれらの問題にまともに向き合おうとはしていません。
 また、途中から船づくりに参加して、あっさりと船の設計図を書いてしまう優等生と、暴力をふるう番長タイプの二人の少年はいかにもステレオタイプで、前者が少年たちだけで船を完成できたことのリアリティの保証、後者は五人の結束の要因として、それぞれデウス・エクス・マキナ(機械仕掛けの神)の働きをしています。
 初めの五人の少年たちは、一人は事故で死に、一人は引っ越しで町を去り、二人は船で海へ出発して行方不明になり、最後の一人は二人の帰りを待つと、それぞれラストでその後が明確になっています。
 それに引きかえ、デウス・エクス・マキナの二人の少年たちは、役目を終えるといつの間にか物語から姿を消しています。
 他の記事で、エンターテインメントの創作法として繰り返し述べてきましたが、この作品でも、荒唐無稽な設定(少年たちだけでの船の完成、海への出帆など)、ご都合主義のストーリー展開(一人の少年の死、二人の少年だけによる船の修復など)、偶然の多用(前述のデウス・エクス・マキナの少年たちの出現、長期にわたる大人たちの船づくりへの不干渉など)、類型的でデフォルメされた登場人物(少年たちの親たち、デウス・エクス・マキナの少年たちなど)などが十分に発揮されています。
 誤解を招かないように繰り返して述べておきますが、どちらかが良いとか悪いとかと言っているのではなく、リアリズムの作品とエンターテインメントの作品では創作方法が違うと言っているだけなのです。
 作者自身も自分の特質をよく理解しているようで、この後はエンターテインメント作品の方へ大きく舵を取ります。
 なお、文庫本では、同じくエンターテインメント作家であるあさのあつこによる、非常に情緒的な解説を載せています。
 このことは文庫本の売り上げのためにはプラスなのでしょうが、前述しましたように、この作品は「現代児童文学」の変曲点における重要な作品のひとつであるだけに、解説は「現代児童文学史」のわかる人物(例えば、佐藤宗子や石井直人など)に書かせて欲しかったなと思いました。

ぼくらは海へ (文春文庫)
クリエーター情報なし
文藝春秋








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本田和子「消滅か?復権か?その伴走の歴史」日本児童文学2000年7-8月号所収

2024-09-09 12:56:09 | 参考文献

 「21世紀に、はたして児童文学が生き残るであろうあろうか?」という刺激的なテーマの論文です。
「「児童文学」は、「子ども」の消滅と連動するか、否か。あるいは、「児童文学」と「子ども」との不可分に見える関係は、今後とも維持され得るのか、否か。」と、本田は問いかけます。
 「子どもの発見」と「近代文学の誕生」により成立した「児童文学が、こうして、「子ども」と「文学」の申し子であってみれば、現在の児童文学の衰退現象は、子どもの消滅と連動し、同時に、文学の衰弱と結び付く。」と指摘しています。
 「児童文学」は、文学が「モノ化」され、ひいては「商品化」される動きに連動する」ことにより、かつて「語り手」と「聞き手」が一体化していた「物語の世界」を、「本」という媒体による「作者」と「読者」という間接的な関係にしました。
 さらに、「過剰なまでに教育的であったこの世紀は、子ども読者と本の間に、「良書推薦人」とでもいうべき善意の大人たちを介在させている。彼らの大方は、本好きの、あるいは、子どもに本を読ませることを重要と考える親や教師なのだが、結果として、そうした人々の選択眼を経、彼らの基準に適った物語群だけが子どもの世界に送り込まれることになった。」と、「子ども」と「本」との間の媒介者の存在に言及し、「子ども」と「物語」の間をさらに隔てていることを指摘しています。
 以下に「子ども」の変貌とそれに伴う「児童文学」の運命についての本田の考察が述べられていますが、グーグルも、フェイスブックも、ツイッターも、ラインもなく、スマホどころか携帯電話すらそれほど子どもたちには普及していなかった時代に書かれたことを考えると、驚くほど予見性に富んでいますので、長いけれども全文引用します。
「20世紀も幕を降ろそうとするいま、変貌著しい子どもの姿が、連日話題を呼んで大人世代を脅かし続ける。彼らは、言葉や文字による大人世代とのコミュニケーションを無視してパソコン画面と向き合い、画面の彼方の没肉体的存在との間に親密なコミュニケーションを展開してネット共同体を形成してしまう。振り返る視界に、私たちが継承してきた従来の文化を受け継ぐ者の姿はない。子どもたちは、私たちを無造作にまたぎ越えて、まだ見ぬ世界に歩み去って行くかのようだ。
 科学技術進展の速度が、個人の世代での適応や学習能力を越えて進むとき、人は、技術の進歩についていくことが困難になるとされる。現代は、まさにそうした時代ではないか。技術進歩の速度が、世代交替の速度を上回り始めているのだから。とりわけ、メディアにかかわるそれは、私どもの予測だもしなかった速さで進展.展開し続け、しかも、私たちの暮らしを否応無しにその変化の中に巻き込んでいきつつある。メディア変化の波をまともにかぶって、それと伴走しつつ成長していく子どもたちと、私どもの間には、正直なところ、かなり越え難い溝が横たわっているのではないか。
 かつては、メディア世界の王座にあった活字文化が、その地位を電子メディアに譲ろうとしている。活字ならぬディスプレー上の文字は、どこかにいる送信者によって打ち出されるキーに従って、画面に立ち現れて何事かを伝え、つかの間に姿を消して、その痕跡を止めない。活字メディアの継時性・定着性に対する電子メディアの瞬時性・非固定性……。こうした方向へと脱皮転換を続けるメディア社会の子どもたちが、かつての活字文化時代の子どもたちと同種であり得ようはずもなく、子どもー大人関係もまた同質ではあり得ない。
 子どもたちが生を受けたとき、彼らの前に出現した世界は、既にして先行する世代の成長した世界とは異質であった。電話やパソコンによるコミュニケーションや、テレビやインターネットによる情報収集を常態とする彼らにとって、時間は継時的に流れることを止め、点から点へと飛躍し逆行する。さながらとびとびに点滅するネオンのよう……。また、彼らの生きる空間は、地図に描かれた距離とは無縁に、近いところと遠いところが入り交じり反転し合って、従来的な意味での遠近感覚や距離感覚はすべて無意味と化している。」
 ここにおいて、本田は冒頭の問いかけに立ち返り、「児童文学」の悲観的な将来像を描いています。
「「子ども」が、実態として、従来のままではあり得ないとすれば、そして、そのことを捉えて「子どもの消滅」と呼ぶとするなら、「児童文学」も消滅の運命を免れ得ない筈である。近代型の「子ども」とその運命を共有し、彼らとおおよそ100年の歴史を伴走した近代型「児童文学」は、そして、子どもとそれらとの関係は、このあたりで終わりの時を迎えねばならないだろうから。」
 この予測は、従来型の「現代児童文学」に当てはめるならば、ほぼ当たっているでしょう。
 「読書」に「子ども」が求めるものは大きく変質していて、従来の「児童文学」ではそれにこたえられなくなっています。
 その一方で、本田は別の可能性にも言及しています。
「ただし、変貌著しい子どもたちのなかにも、かつての「子ども性」とは質を異にはするが、大人世代と隔てるある種の異質性が見いだされるとすれば、その異質性をキー・コンセブトとしつつ、新しい「児童文学」が誕生する可能性までも否定するつもりはない。それに、誕生した新しい文学、たとえばインターネット上に表現される電子文学との間に、子どもたちが、改めて直接的な関係を回復させる可能性を、期待することが出来るかも知れないのである。」
 つまり電子書籍とその新しい流通形態により、かつてのように「作者」と「読者」の間を、出版社、取次ぎ、書店、媒介者(親や教師)などを介さずに、直接結び付ける可能性に言及しています。
 これらの関係は、すでにアメリカなどの英語圏ではかなり実現しています。
 日本では、出版社などの抵抗勢力により普及が遅れて(特に児童書は)いますが、電子化の時代の流れには逆らえないので、やがてはスマホあるいはその進化形のツールで読書をするのが、子どもたちの間でも一般的になる時代が来るでしょう。
 その時には、従来の媒介者抜きで、読者の子どもたちは、自由に電子書籍あるいはそれに代わる媒体上のコンテンツを手にするでしょう。
 しかし、一方で、今のように日本の児童文学界が電子化の波を拒み続けると、そこだけ将来の児童文化から抜け落ち、すでに電子化が著しいコミックスやアニメやゲームだけが子どもたちの手元に残るかもしれません。

 以上の予測は2015年前後にしたのですが、そのうちの「児童文学」にとっては悲観的な方向に世の中は進んでいるようです。
 ここまでの約100年間に先人たちが蓄積してきた優れた「児童文学」のコンテンツの電子化は、目先の売れ行きだけに汲々としている出版社や児童文学者(児童読み物作家?)たちの利益のために遅々として進まず、その一方でコミックスの方は過去の優れた財産も含めて電子化が進み、すでにスマホやタブレットで読むスタイルは定着しています。
 文字情報というスマホなどの小型の電子機器で読むのに有利な媒体なのにも関わらず、「児童文学」は子どもの日常生活(学校や学童保育や図書館などの特殊な場所は除いて)から姿を消し、子どもたちの「物語消費」はもっぱら「携帯ゲーム」、読み放題サービスによる「コミックス」、配信サービスによるアニメや映画によってなされつつあります。


 

日本児童文学 2013年 08月号 [雑誌]
クリエーター情報なし
小峰書店
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丘修三「ぼくのお姉さん」ぼくのお姉さん所収

2024-09-07 13:43:47 | 作品論

 泣くまいと思っていたのに、今回もラストで涙を抑えることができませんでした。
 知的障害にも負けず、明るく生きているお姉さん。
 差別的な視線でお姉さんを見るクラスメートたちとの間で、複雑な思いを抱える弟である主人公。
 お姉さんの自立を妨げないように配慮しながら、温かく見守る両親。
 お姉さんは、作業所で一か月働いた初めての給料(わずか三千円です)で、レストランで家族にご馳走しようとします。
 もちろん三千円だけでは料金には足りないのですが、おとうさんがさりげなく給料袋の中身を三万円にすり替えておきます。
 ラストで、主人公は、学校の課題の作文に、「ぼくのお姉さんは、障害者です」と、堂々と書きます。
 ここには、40年前の障害者が置かれていた境遇(驚くほどの低賃金、障害者を守るのは家族などの少数の理解者だけなど)がはっきりと書かれています。
 作者の大きな長所は、障害者に対する周囲の差別も包み隠さずにストレートに表現することだと思います。
 それから40年近くがたち、障害者の働く環境も少しは改善されましたし、周囲の理解もしだいに広がっています。
 しかし、今なお障害者に対する差別や無理解、そして自立を妨げる障壁は、まだまだ克服されていません。
 そういった現状において、この「現代児童文学」の古典を、各地の読書感想文コンクールの課題図書にして、できるだけ多くの子どもたちが読むことには現在でも大きな意義があると思います。

ぼくのお姉さん (偕成社文庫)
クリエーター情報なし
偕成社
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