現代児童文学

国内外の現代児童文学史や現代児童文学論についての考察や論文及び作品論や創作や参考文献を、できれば毎日記載します。

ストリート・オブ・ファイヤー

2025-02-15 16:39:02 | 映画

 1984年公開のアメリカ映画です。

 同じウォルター・ヒルが監督した「ウォリアーズ」(その記事を参照してください)と同様に、健全な(?)暴力映画です(銃撃戦や乱闘シーンの連続なのに、誰も死なないし、大怪我もしない)。

 そのころ人気のあったダイアン・レインが演ずる(歌はもちろん口パクです)歌姫が、故郷の六十年代を思わせる下町の劇場で凱旋公演中に、ストリート・ギャングの集団にさらわれます。

 姉からその知らせを聞いた、マイケル・パレ演ずる主人公(歌姫の元カレで、かっこいいスーパーヒーローです)が、二年ぶりに帰郷します。

 彼は、彼女のマネージャー(こうしたアメリカ映画に欠かせない眼鏡チビキャラです)と、酒場で知り合った女兵士と、三人で救出に向かいます。

 ストーリー自体は、白馬に乗った王子様が、さらわれたお姫様を助けに行くお伽話ですが、全編にかっこいいセリフと映像と音楽と衣装(アルマーニです)にあふれていて、魅力たっぷりです。

 特に音楽は、全米ヒットチャートの上位に入った曲が何曲もあって、そのステージシーンは迫力満点です。

 

 

 

 

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仁義なき戦い

2025-02-14 09:13:25 | 映画

 1973年に封切られた実録やくざ映画の元祖です。
 映画雑誌のキネマ旬報が2009年に実施した日本映画ベストテンのオールタイムベストで第5位にランクインしています。
 もちろんバイオレンスを前面に出した娯楽作なのですが、菅原文太、松方弘樹、梅宮辰夫たちが若々しい演技を見せて、青春群像劇と捉えることもできます。
 ハンディカメラも多用したライヴ感、大胆な筋立て、実録映画ならではのリアリティ、スピーディな場面展開など、現在見ても少しも色あせていません。
 戦後の風俗の描写は最低限に抑えて、登場人物の行動と会話だけで、テンポよくストーリーが進みます。
 他の記事で書いた「現代児童文学」の特徴である「アクションとダイアローグ」がいかに物語を描くのに適しているかが、ここでも証明されています。
 児童文学の世界でも、かつては、柴田道子が疎開生活を描いた「谷間の底から」や鈴木実たちが基地問題を描いた「山が泣いている」などの実録物の作品がありましたが、社会主義リアリズムが退潮になるにつれて姿を消しました。
 現代の子どもたちの生活に肉薄した実録物の作品があってもいいと思われますが、現在の出版状況では本にするのは難しいでしょう。

 

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アメリカン・グラフィティ

2025-02-13 08:33:25 | 映画

 1973年公開のアメリカ映画です。
 スター・ウォーズを作る前の、まだ二十代のジョージ・ルーカスが監督した青春映画の傑作です。
 オールナイトで、町を車で流すアメリカの高校生や短大生たちの、若いエネルギーに満ち溢れた一晩を、伝説のDJ、ウルフマン・ジャック(実際に出演しています)が流すオールディーズのヒット・ナンバーにのせて、鮮やかに描いています。
 西部の田舎町に住む優等生の男の子が、ハイ・スクールを卒業して、奨学金を得て東部の大学へ行く前夜で、彼は本当に出発するかどうか、一晩中悩みます。
 背景を説明すると、当時(今でもそうかもしれませんが)、アメリカの田舎町の高校生が地元の奨学金を得て、東部のアイビーリーグに代表されるエリート大学に進むことは、郷土の期待を一身に背負うことであり、全国から集まってきた秀才たちがしのぎを削る戦いの場へ参加することも意味します(実際に、半年で挫折して郷里へ戻ったハイ・スクールの教師が登場します)。
 「期待に応えられるか?」「競争に耐えられるか?」と、主役の少年が思い悩むのも当然ですし、一緒に行くはずだった生徒会長の少年は、大学よりガールフレンド(主役の少年の妹で来年のチアリーダー(美人で成績優秀を意味します)に選ばれています)を選んで、取り敢えず一年間は地元に残ることを選択します。
 主人公は、その晩町で見かけた絶世の美女(白いサンダーバードに乗っています)に別れを告げて、東部へ飛行機で旅立ちます。
 この美女は、主人公にとっては青春の象徴と思われますので、それに別れを告げたのは彼が大人になることを決意したことを意味します。
 さて、この作品では、多くの高校生や短大生が自分のアメ車(当たり前ですが)を持っていますが、これはファンタジーの世界ではなく現実の世界なのです。
 この映画の時代設定がいつなのかは明示されていませんが、ケネディ大統領の名前が出てくるので1962年前後と思われます。
 当時のアメリカは黄金の50年代と言われた好景気をうけて、なおかつベトナム戦争の泥沼に引き込まれる前(エンドロールで、主要な役の少年の一人が1965年にベトナムで戦死したことが示されます)なので、日本で言えばバブル期のようなもので、高校生が自分の車を持っていることは当たり前なのです(他の記事にも書きましたが、ボブ・グリーン「17歳」には、1964年の誕生プレゼントに車をもらうシーンが出てきます)。
 言ってみれば、この映画は、高校生たちの青春を描いただけでなく、古き佳きアメリカの「青春時代」を描いたことになります(題名は、それを意味しているのでしょう)
 主役の少年を演じたリチャード・ドレイファスは、当時25、6歳だったのでさすがの演技を見せていますが、他の少年たちも、後に監督として大成するロン・ハワードや「アンタッチャブル」で活躍したチャールズ・マーティン・スミスなどが演じています。
 また、無名時代のハリソン・フォードもチョイ役で出演しています。


















 

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色川武大「離婚」離婚所収

2025-02-12 09:15:26 | 参考文献

 昭和53年に直木賞を受賞した短編です。
 フリーライターとその妻の、不思議な結婚及び離婚の様子を描いています。
 自由気ままな暮らしをしている主人公と、それに輪をかけてフリーな妻は、六年間の結婚生活を解消して離婚しますが、その後もつかず離れずの関係で、半同棲のような暮らしをしています。
 結婚制度というある意味自由を縛り合う関係で暮らしている一般人(現代では生涯未婚の人も多いですが)から見ると、自由で無責任でうらやましいと思う面もあります。
 特に、主人公の妻は、傷ついた小動物のようなところとフラッパーな面を兼ね備えていて、なかなか魅力的に描けています。
 作者は、ペンネームの阿佐田哲也(「朝だ、徹夜」のシャレ)でたくさんの麻雀小説(代表作は「麻雀放浪記」)を書き、ギャンブラーとしても非常に有名で、当時は若い世代に人気がありました。
 この作品に、どこまで作者の実体験が生かされているかは分かりませんが、フリーランスの生活の魅力と危険性がよく表れています。
 作者は、ギャンブル小説のような好奇な風俗ものだけではなく、この作品のような一般的な小説の書き手としても一級です。

離婚 (文春文庫)
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成長物語と遍歴物語

2025-02-11 08:55:49 | 評論

「現代児童文学」(註1)、特に、「少年文学宣言」(註2)の影響化にある作品におけるひとつの特徴に、「変革の意志」があります。
これは、当初(1950年代および1960年代)は社会変革を目指すことを意味していました。つまり「現代児童文学」という文学運動は、社会運動ないしは政治運動という側面も持っていたのです。
そのころの代表的な作品には、山中恒「赤毛のポチ」や古田足日「宿題ひきうけ株式会社」などがあります。
当時の彼らの(そして読者である子どもたちの)目指すべき社会は、ソ連型社会主義で実現されるはずのものでした。
しかし、その方向性は、60年安保及び70年安保における革新勢力の敗北とその後の活動の退潮を受けて、しだいに行き詰りました。
そうした影響を受けて、60年代ごろから、変革の意味を自己変革に拡大解釈した成長物語が、数多く書かれるようになりました。
その一方で、従来型の社会変革を目指すような作品は、80年代から90年代にかけてのソ連およびその周辺の共産主義国家の崩壊と共に姿を消しました。
しかし、成長物語の方は、その後も書き続けられることになります。
それは、成長物語が、より普遍的な性格を持っていたからだと思われます。
成長物語では、物語における経験を通して、主人公がその経験を内部に蓄積していって、それによって自己形成つまり成長が行われます。こうした主人公の成長をモデルとした作品は、一般文学の世界では近代小説ないしは教養小説と呼ばれています。
それに加えて、児童文学の世界における成長物語では、物語において主人公が成長して自らのアイデンティティを確立するとともに、読んでいる子ども読者たちもそれを追体験することによって成長することが期待されています。
そういった意味では、児童文学と成長物語の親和性はもともと高かったと言えます。
成長物語では、主人公は一つの人格という立体的な奥行きを持った特定の個人であり、「現代児童文学」においては、「真の子ども」ないしは「現実の子ども」と主張されていました。
このことは、それ以前の近代童話(例えば小川未明の作品など)に描かれている作家の内面の反映である抽象的な子ども像を批判するところから生まれました。
しかし、この主張は、1980年ごろに、柄谷行人「児童の発見」(この論文には、アリエス「子どもの誕生」の影響があったと思われます)において、「「子ども」ないし「児童」は近代(フランス革命以降、日本では明治維新以降です)になって発見された一つの概念にすぎないのだから、児童文学者が主張する「真の子ども」ないしは「現実の子ども」というのもさらにその後に見出された概念である」と批判されて、児童文学の研究者や評論家においてはかなりゆらぎました。
そのため、このことは1980年代に児童文学の多様化(「エンターテインメントの復権」(註3)、「タブーの崩壊」(註4)、「越境」(註5)など)が起こったことの理由の一つにあげられています。
しかし、この議論は実作者にはほとんど影響を与えず、成長物語は、今でも日本の児童文学において一定の基調をなしていると言えます。
一方、遍歴物語においては、キリスト教における遍歴物語に見られるように、主人公はその物語の狂言回しにすぎなくて、重要なのは物語を通じて繰り返し示される観念なのです。
そのため、遍歴物語では、主人公はある抽象的な存在であって、それを人物として形象化したもの(例えば、いたずらですばしっこい、太っていておっとりしている、おとなしくてさびしげ、といった平面的で典型的なキャラクター)としての人物であるにすぎません。
こうした主人公には、物語における経験はほとんど蓄積されません。つまり、成長しないのです。
「現代児童文学」以前の近代童話においては、こうした遍歴物語が一般的でした(千葉省三「とらちゃんの日記」などの例外はあります)。
 こうした遍歴物語である近代童話を否定して、結果的に成長物語を描こうとしたのが「現代児童文学」だったのです。
それが、80年代に入って、ある行き詰まり(読者である子どもたちからの遊離など)を見せた時に、那須正幹「ズッコケ三人組」シリーズを初めとしたエンターテインメント作品において、平面的な人物を主人公とした遍歴物語が復権したのでしょう。
 しかし、エンターテインメント系の作品がすべて成長物語ではないとは言えません。例えば、戦前、戦中に「少年倶楽部」などで書かれていたエンターテインメント作品群は成長物語でした(ただし、そこで描かれていた子どもたちの成長する姿は、軍国少年などの国家にとって都合のいいものでした)。また、ハリー・ポッター・シリーズも、魔法学校における主人公たちの成長物語です。
 ただ、現在の日本の児童文学で多く書かれているシリーズ物のエンターテインメントは、主人公を成長させずに長く続けるのに適した、遍歴物語の形態をとっていると考えられるのです。

註1.
この言葉は、広義にはもちろん現在の児童文学という意味ですが、狭義にはそれまでの児童文学(というよりは童話)を批判して新しい日本の児童文学を創造しようとした文学運動を指します(ここでは区別するために、カギかっこ付きにしています))
註2.
当時早大童話会に属していた学生たち(古田足日、鳥越信、神宮輝夫、山中恒など)が1953年に発表した「少年文学の旗の下に」という檄文で、それまでの児童文学の主流であった「メルヘン」、「生活童話」、「無国籍童話」、「少年少女読物」のそれぞれの利点を認めつつもその限界を述べて、「少年文学」(ほぼ「現代児童文学」と言っていいでしょう)の誕生の必然性を高らかに宣言しています。
註3.
「誕生」ではなく「復権」なのは、戦前、戦中において、「少年倶楽部」とその姉妹雑誌や模倣雑誌による、巨大な(「少年倶楽部」だけで月刊で百万部と言われています。当時の日本の人口は約7000万人でしたし、その大半は貧しい農民で本などを買う余裕はありませんでした)エンターテインメント・ビジネスが成立していたからです。
註4.
それまで日本の児童文学でタブーとされてきた「死」、「離婚」、「性」、「家出」などの人生の負の部分を扱う作品が登場したことを指します。代表的な作品には、国松俊英「おかしな金曜日」や那須正幹「ぼくらは海へ」などがあります。
註5.
心理描写などの小説的な技法が取り入れられた作品が登場して、児童文学と大人の文学の境目がはっきりしなくなったことを言います。代表的な作品には、江國香織「つめたいよるに」、森絵都「カラフル」などがあります。この現象は、児童文学の読者対象(特に女性)の年齢の上限を大幅に引き上げました。

     

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点子ちゃんとアントン

2025-02-10 07:29:29 | 映画

 1999年公開のドイツ映画です。

 1930年に書かれたエーリヒ・ケストナーの児童文学の古典の映画化です。

 この映画の前に作られた「エーミールと探偵たち」(その記事を参照してください)の成功を受けて、現代に合わせて変更している点はありますが、かなり原作に忠実に作られています。

 ただ、エンターテインメントを意識した変更点は、ちょっとやり過ぎの感もあります。

 主な原作からの変更は以下の通りです。

 点子ちゃんを構わなすぎた原因を、社交好きの母親だけでなく忙しすぎる父親にも求めています。

 点子ちゃんの母親の社交の場を、貧困国における子どもたちを助けるための海外ボランティアの代表で、年に14回もそれらの国々での歓迎や学校などの着工パーティに出席するために海外出張しているせいにしています(けっこう皮肉が効いています)。

 アントンは、病気のおかあさんの代わりに、アイス店で働いています。

 アントンは、点子ちゃんの家で金のライターを盗み、彼のおかあさんが謝りに行きます。

 アントンは、幼い頃に別れた父親(原作では亡くなっています)を探しに、アイス店の車を運転して出かけて、警察も巻き込んで大騒ぎになります。

 点子ちゃんの家に強盗が入るシーンで、点子ちゃんの家庭教師は共犯ではなく、彼女の不注意が原因だったとしています。

 点子ちゃんが夜中に抜け出してお金を稼ぐのは、家庭教師と一緒の物乞いではなく、ストリート・パフォーマンスをして、そのお金でアントンの家に食料を届けます。

 ラストでは、アントン一家が点子ちゃんの家に同居するのではなく、夏休みに北海の海岸沿いにある点子ちゃんの家の別荘に招待されます。 

 以上のような変更点はありますが、お金持ちの家の子も貧乏な家の子もそれぞれ問題(前者の子どもは両親が忙しくしていて構ってもらえず、後者の子どもはお金のために苦労しています)は抱えていることと、そうしたことを乗り越えた点子ちゃんとアントンの友情はしっかり描かれていて、クライマックスの強盗逮捕のシーンなどは原作通りで、全体にユーモラスな仕上がりになっています。

 

 

 

 

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エーミールと探偵たち

2025-02-09 14:53:33 | 映画

 2001年のドイツ映画です。

 ケストナーの児童文学の古典の、何度目かになる映画化です(初めは出版されてからすぐにされました)。

 原作は1929年に書かれた本ですから、それを現代のベルリンを舞台にして大胆な設定変更を行っています。

 主人公のエーミールは、原作では母子家庭(父親は亡くなっています)の母親想い(母親は自宅で美容師の仕事をしながら苦労してエーミールを育てています)の少年でしたが、この映画では離婚した父子家庭(母親はもうじき再婚しようとしています)の父親想い(父親は失業していてなんとか仕事を手に入れようとしています)の少年に変更されています。

 悪漢に盗まれたのは、140マルクから1500マルク(今ならユーロにするところですね)にインフレしています。

 探偵たちには、男の子だけでなく女の子も、白人だけでなく移民の子もいます。

 探偵の知性派のリーダーだった教授くんは登場しなくて、映画ではIQ145の知性派の少年の名前は、少々ややこしいのですが原作では体力派のリーダーだったグスタフという名前をもらっています。

 原作の警笛のグスタフの役割を映画で引き受けているのは、ポニー(原作ではエーミールのいとこのあだ名であるポニー・ヒュートヘンから来ています)という女の子です。

 原作では、自宅の電話でみんなの連絡係に徹した「ちびの火曜日くん」は、映画では携帯電話を持っていてみんなと一緒に行動できます(2001年当時では携帯電話はまだ高価でしたが、彼の家は原作同様お金持ちなのです)。

 犯人を捕まえた賞金は、1000マークから5000マークにインフレしています。

 事件後に、原作(実際には続編の「エーミールと三人のふたご」において)では、エーミールはバルト海沿いの教授くんの別荘(彼はこれを祖母から遺産としてもらった!彼の家もお金持ちです)に招待されるのですが、映画ではエーミールのおとうさん(就職できました!)が賞金を使って探偵たちを招待します(そのため、エーミールの故郷をバルト海沿いの町に変えています)

 しかし、こうした変更にも関わらず、というよりはこれらのおかげもあって、この物語の本質や、ケストナーの精神は、みごとに再現されています。

 この物語の本質を標語的に言うと、「友情、団結、勝利」です(少年ジャンプと一緒ですね)。

 貧しい家の子もお金持ちの子も(映画ではさらに男の子も女の子も、白人の子も移民の子も)、そんなことに関係ない「友情」で、目的に向かって「団結」し、悪い大人たちに「勝利」します。

 ケストナーの精神とは、常に子供の立場に立つことです。

 この映画でも、大人に抑圧されている子供たちを描きながら、それに立ち向かっていく子供たちの姿が繰り返し描かれています。

 特に、離婚、失業、貧困、家庭不和など、今日の子供たちを取り巻く困難な状況をしっかり描いていることで、たんなる子供向けのエンターテインメントを超えた作品になっています。

 

 

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ガブリエル・ゼヴィン「トゥモロー・アンド・トゥモロー・アンド・トゥモロー」

2025-02-08 09:13:17 | 作品論

様々な人種的背景を持つ学生たちが、後に世界的ヒットをするゲームを開発する作品です。

その過程で人種や男女の違いを超えた愛や友情とその挫折が描かれています。

彼らの子ども時代の部分もあって、児童文学的な要素もあります。

ただし、20年間以上の時間が経過する作品で、大人になってからは、性的な描写やドラッグや暴力シーンもあるので、児童文学としては適さないかもしれません。

この本を取り上げた理由はいくつかあるのですが、一番大きな理由はゲーム的リアリズムとでも呼べるようなビデオゲームの世界に立脚した作品であることです。

日本の児童文学では、エンターテインメントの分野において漫画的リアリズム(作者と読者が共有する漫画的な世界に立脚した世界を描いている。例えば那須正幹のずっこけシリーズなど)で描かれている作品がありますが、ビデオゲームも数十年の歴史を持っているので、そういった世界に立脚した作品が可能になっているのです。

残念ながら私はビデオゲームの世界に詳しくないのですが、もっと若い年代でゲーム好きであれば、この作品はもっと楽しめたことでしょう。ドンキーコングやマリオやストリートファイターなど、私でも知っているようなゲームもたくさん登場します。

次に、男女の違いを超えた80年代の終わりから2010年代までの20年以上に及ぶ愛と友情が描かれている点です。

主人公の男性は、子供のころに交通事故で母を失い、自身も左足を何十箇所も骨折して、長い期間入院しています(大人になってからついに切断します)。

そして、ショックで誰とも口を利かなくなっていました。それがふとしたことから、病院を毎日のように訪れている同い年の少女(小児がんの姉を見舞っている)と一緒にビデオゲームをやるようになります。そして、主人公は立ち直り、二人は親友同士になるのですが、少女がその訪問をボランティアとして公式に時間をカウントされて表彰されていたことが判明して絶交します。

主人公は、その少女と大学生(男性はハーバードで女性はMITです)の時に再開し、「イチゴ」という日本名のゲームを開発することになります。そのゲームはのちに世界的なヒット作になります。

彼女は、主人公の男性の親友の、二人のプロデューサー役にもなる男性と結婚して妊娠します。

しかし、その男性は会社に訪れてきた保守主義者に射殺され、彼女は出産後にうつ病になってしまいます。

そんな彼女を救ったのは、主人公の男性が作ったロールプレイングゲームでした。彼は彼女のためにそのゲームを作って世界にリリースしたのです。

三番目の理由はグローバルな視点で描かれている点です。

主人公の男性は、ユダヤ系アメリカ人の父親と韓国系アメリカ人の母親をもち、母親の両親である韓国人の祖父母にロサンゼルスのコリアタウンで育てられました。

相手役の女性は、裕福なユダヤ系のアメリカ人です。

プロデューサー役の男性は、投資家の日本人とデザイナーの韓国系アメリカ人の両親をもっています。

こう見てみると、全員がアメリカ社会ではマイノリティです。

また、主人公の男性ははっきりとはしていませんが、LGBTQ的な傾向(彼の作ったロールプレイングゲームの中では、現実より早く同性婚が認められています)を持っています。

このような、様々な考え方を持った登場人物がぶつかりあって、ゲーム作成に没頭します。はじめは三人でスタートしますがやがては会社組織になり、後には女性は母校のMITでゲーム創作を教えたりしています。

以上のように、非常に今日的な要素を含んだ作品になっています。

 

 

 

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アパートの鍵貸します

2025-02-07 08:52:37 | 映画

 1960年製作のロマンチックコメディの古典(アカデミー賞で、作品賞、監督賞など五部門で受賞しています)です。
 さえない独身サラリーマンが、昇進を期待して、上司たちに自分のアパートを逢い引き用に提供したことによって引き起こされるドタバタを、監督のビリー・ワイルダーが笑えてしかも思わずホロリとさせられる人情喜劇に仕立ててみせます。
 現在では考えられないようなセクハラ、パワハラ・シーン満載ですが、この作品の背景には、1950年代から1960年代のアメリカの空前の好景気があります。
 ニューヨークには、そのころの日本では考えられないような高層ビル(当時は摩天楼と呼んでいました)が立ち並び、その中にオフィスを構える大会社(この映画では保険会社です)は、各階ごとに勤める人間も階層化されていて、それを繋ぐ何台ものエレベーターにはそれぞれにエレベーター・ガール(この映画のヒロインもその一人です)がいて、上層階にいる管理職(取締役だけではなく部長でもです)には秘書付きの広い個室が与えられています。
 象徴的なシーンをいくつか書きます。
 ジャック・レモンが演じる独身サラリーマンは、テレビを見ながらTVディナーと呼ばれる調理済みのトレイをレンジ(さすがに電子レンジはまだないのでガスレンジ)で温めて、一人で寂しい夕食を食べています(数十年後(今でも?)の日本でも同じ状況でした)。
 クリスマスには、会社で大騒ぎのパーティが開かれています(1988年の「ダイ・ハード」で同様のクリスマス・パーティが開かれていたのは、バブル最盛期の日系企業でした。今なら中国系企業かな?)。
 この映画の主役のお調子者のサラリーマンを演じたジャック・レモンは、こうしたコメディの主人公にぴったりの軽薄さとそれでいてどこか憎めない独特の持ち味を持っていて、この作品ではノミネートだけで受賞は逃しましたが、アカデミー賞の主演男優賞と助演男優賞の両方を受賞した最初の俳優です。
 相手役のシャーリー・マックレーンは、ショートカットが似合う小柄で可愛い、いかにも日本人が好きになりそうな美人で、同様にこの作品ではノミネートだけでしたが、後にアカデミー賞の主演女優賞を受賞しています。
 敵役(シャーリー・マックレーンと不倫している人事担当重役)のフレッド・マクマレイは、子供の頃に見たアメリカのテレビドラマ「パパは何でも知っている」で、理想的な父親を演じていたので、大学生の時に初めてこの映画を見たときにはショックでした。

 

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芦原すなお「青春デンデケデケデケ」

2025-02-06 16:39:13 | 作品論

 1990年に発表され、翌年の直木賞を受賞した、題名どおりに王道を行く青春小説です。 
 今ならば、ヤングアダルトの範疇にはいりますが、視野の狭い児童文学界ではほとんど無視されています。
 しかし、1992年には、大林宣彦監督によって、ほぼ原作どおり忠実に実写映画化(その記事を参照してください)されたので、そういった意味では実写化において安易な改変を許している既存の児童文学作品と比べて幸せな作品とも言えます。
 1965年に香川県立観音寺第一高等学校に入学した四人の高校生が、とことんロックにのめり込んだ三年間を、その周辺の人々も含めて、ディテイルにこだわって描いています。
 ロックファンを除くと、こんな細かな部分はいらないのじゃないかと思われるかと思われるシーンもたくさんあるのですが、実はこれでも「文藝賞」に応募するために、泣く泣く四百字詰め原稿用紙四百枚以内に削った後なので、1995年に出版された「私家版青春デンデケデケ」はその二倍の783枚あります。
 さすがに、そちらはマニアックすぎるので、クラシック・ロックや「青春デンデケデケ」のファンにしか薦められません。
 演奏や練習以外に、バイト(楽器を買うため)や女の子のことも書かれていますが、なにしろ1960年代の地方都市が舞台なので、純朴そのものです。
 しかし、表面上は大きく変化したものの、その本質は今の高校生たちと変わりません。
 ファッションやコミュニケーション方法などが大きく変化しても、学校、友人関係、部活、バイト、進学問題、異性関係などが、生活のほとんどを占めています。
 ただひとつ大きく違うのは、洋楽(特にロック)がもっと生活の大きな部分を占めていたことでしょう。
 作者は私より五学年上なので、メインのバンド(私が一番好きだったのは、レッドツエッペリン、クリーム、ドアーズ、クリーデンス・クリアウォーター・リバイバル、キング・クリムゾン、ピンク・フロイド、エマーソン・レイク・アンド・パーマー、レーナード・スキナードなどでした)は違いますが、それでもビートルズやローリングストーンズは共通しています。

青春デンデケデケデケ (河出文庫―BUNGEI Collection)
芦原 すなお
河出書房新社
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