現代児童文学

国内外の現代児童文学史や現代児童文学論についての考察や論文及び作品論や創作や参考文献を、できれば毎日記載します。

青木茂「三太花荻先生の野球」講談社版少年少女世界文学全集49現代日本童話集所収

2024-06-01 11:17:17 | 作品論

  戦後すぐに書かれ、一躍人気を博した「三太物語」の中の一作です。
 今で言うところのエンターテインメント作品のはしりのような連作短編で、ラジオ番組、映画、更にはテレビ番組にもなりました。
  私はかすかにしか記憶がないのですが、テレビ番組では、当時子役だった渡辺篤史が三太役をやり、相手役の女の子はジュディ・オングでした。
 毎回、冒頭に「おらあ、三太だ」というセリフが入るので、子どもの頃はそれがタイトルだと思っていました。
 三太物語は、村のわんぱく小僧(当時は元気のいい男の子をこう呼びました)三太とその友達の日常を生き生きと描いて、子ども読者には親近感を持たれました。
 三太の考え方や描き方にやや大人目線なのが感じられますが、言ってみれば、「とらちゃんの日記」(その記事を参照してください)の戦後版と言えなくもありません。
 戦後の民主主義の時代を象徴するように、「とらちゃんの日記」が男の子たちだけの世界だったのに対して、女の子たちも活躍します。
 この短編では、三太物語のもう一方の主役である若い女の先生、花荻先生が初めて登場します。
 若いきれいな女の先生の登場で、この作品のエンターテインメント性はぐっと上がりましたし、物怖じしないその溌剌とした姿は、戦後の新しい女性像を反映するものでした。
 壷井栄「二十四の瞳」の大石先生が戦前の若い女性の先生のシンボルだとしたら、花荻先生は戦後の若い女性の先生の代表でしょう。
 当時、花荻先生に憧れて、小学校の教師を目指す女の子が増えたと言われたのも、素直に納得できます。
 また、三太の語りや三太と花荻先生の関係は、後藤竜二の「天使で大地はいっぱいだ」のサブの語りやサブとキリコ先生の関係にも影響を与えたと思われます。
 この作品の舞台になったのは、神奈川県津久井郡津久井町(当時はまだ村だったようです。現在は相模原市緑区の一部になっています)で、現在も道志川沿いにこの物語にちなんで名前を付けたと思われる三太旅館があります。
 話は脱線しますが、現在私が住んでいるところとは隣町なので、二十年以上前になりますが、息子たちの入っていた少年野球チームで、バーベキューと水遊びをしに、その付近へ行ったことがあります。
 当時はまだ、道志川の大きな淵があったり、そこへ飛び込める高さ4、5メートルの岩があったりして、三太たちが遊んでいたころの名残りがありました。

 




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レインマン

2024-05-30 08:22:36 | 映画

 第61回アカデミー賞で作品賞を受賞した映画です。
 自閉症の兄がいることを知った弟が、父の遺産を独占することになった兄を病院から連れ出し、管財人に遺産の半分を要求します。
 兄のいた故郷のシンシナチからロサンゼルスへ飛行機で帰ろうとしますが、飛行機や高速道路を極端に恐れる兄のために、一週間かけて一般道を運転して帰る羽目になります。
 その間のいろいろな事件を通して、二人は互いに兄弟としての愛情に目覚めます。
 主演男優賞を獲得した兄役のダスティン・ホフマンの名演技はもちろんすごいのですが、弟役の人気俳優トム・クルーズも数多い出演作の中で一番の演技でしょう。
 この映画が、自閉症についてどのくらい医学的に正しいのかは分かりませんが、少なくともこの映画を見た観客は、自閉症の人たちやその家族について理解しようと努めはじめることは間違いないでしょう。

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緑の光線

2024-05-27 09:15:16 | 映画

 1986年のフランス映画です。
 ヴェネツィア国際映画祭で金獅子賞を受賞しています。
 パリで秘書をしている主人公の若い女性は、ヴァカンスの二週間前に、女友達から一緒に行くはずだったギリシャ旅行をキャンセルされて途方にくれます。
 あわてて、周囲の人たちに一緒にヴァカンスに連れて行って欲しいと頼みます。
 周りの人はみんな優しくて、いろいろと提案してくれるのですが、彼女はどれも気に入りません。
 自分の家族は、アイルランドに一緒に行こうと誘ってくれたのですが、アイルランドは寒いし雨が降るし海がないからいやだと断ります。
 昔の恋人は、自分が持っている山の家(部屋?)を貸してあげると言ってくれますが、一人じゃいやだと断ります。
 女友達たちに相談すると、一人旅や団体旅行を勧めてくれますが、そんなのみじめだと言い張ります。
 とうとう泣き出してしまった彼女を、女友達の一人が同情して、自分も参加する彼女の家族のヴァカンスに誘ってくれます。
 そこは海辺で彼女が望む太陽もたっぷりある素敵な所ですし、女友達の家族もみんな親切なのですが、彼女は少しも打ち解けず(例えば、彼女はベジタリアンなのですが、他のみんなが子羊のローストを食べている最中に、空気も読まずに動物を食べる行為を公然と批判します)、女友達が仕事の都合で途中で帰ることになった時に一緒にパリへ戻ってしまいます。
 しかし、パリでの休暇にも満足できず(若い男にナンパされそうになって、あわてて逃げます)に、また昔の恋人に電話して、彼の山の部屋を借りてその場所まで行ったのですが、やはり一人旅と山間地(彼女は、ヴァカンスは海と太陽がある所でと決めつけています)は耐えられずに、部屋にも入らずにパリへ帰ってきてしまいます。
 パリでの休暇はやはり満足がいかないのですが、偶然出会った女友達に、今度は彼女の家族が所有している海辺の部屋を借りることができます。
 そこでのヴァカンスは、有名なビーチも太陽もたっぷりあって、やはり一人旅のスウェーデンの若い女性とも知り合って、楽しくなりそうでした。
 でも、若い二人連れの男たちにナンパされると、ノリノリの奔放なスウェーデンの女性(海辺ではトップレスですごして、夜は男漁りをしています)についていけずに、その場を逃げ出してしまいます。
 最期に、パリへ帰る列車を待つ間に待合所で知り合った、彼女と同じ読書好き(その時に彼女が読んでいて彼の方も知っていた本がドストエフスキーの「白痴」というのは、舞台が1986年のフランスだとしてもちょっと無理があるように思えます)の若い男(家具職人見習い)と知り合って、ようやくヴァカンスに満足します。
 「緑の光線」というのは、ジュール・ヴェルヌ(「海底二万マイル」や「八十日間世界一周」や「月世界旅行」で有名なフランスの小説家でSFの祖と言われていて、「十五少年漂流記(二年間の休暇)」などで児童文学作家としても知られています)の小説の題名で、自然現象としては太陽が海に沈む時に光の屈折や反射のために一番波長の短い緑色だけが一瞬見えることです。
 フランスでは、ヴェルヌの小説の影響もあって、それを見ると幸運が訪れると信じられているようです。
 映画では、浜辺で老人グループがヴェルヌの作品について話していて科学的な説明もしている場面に、主人公が偶然出くわす(ご都合主義ですね)のですが、そのころでもまだヴェルヌの作品が読まれていたのかは興味深いです。
 他の記事にも書きましたが、1945年のフランスで、主人公の視覚障碍者の少女が、ヴェルヌの「海底二万マイル」の点字本(当時では貴重品です)を熱心に読むシーンが出てくる小説(アンソニー・ドーア「すべての見えない光」(その記事を参照してください)もありました。
 フランス人(たぶんパリなどの大都市の住人に限られていると思いますが)のヴァカンスへの異常な情熱(他の記事で紹介した映画にもたくさん出てきます)やイージーゴーイングな男女の出会いにたいする風刺がヨーロッパで評価されたのでしょうが、日本人の目で見ると主人公がわがまますぎるように思えますし、最期は女友達たちが彼女を評して言ったいわゆる「「白馬の王子様」を待っている女性」に、実際に「白馬の王子」様(彼女の好みに合っているだけでそんなに魅力的ではありませんが、それまで彼女をナンパしようとした男たちがいかにも軽薄でひどいので、観客もそれよりはましに感じられます)が現れるラストも感心しませんでした(おまけに、実際に「緑の光線」を二人で見ます)。
 この作品でも、「木と市長と文化会館 または七つの偶然」(その記事を参照してください)と同様に、相手を論破しようとする議論好きなフランス人(攻撃的な人もいますが、穏やかな人もいます)がたくさん出てきますが、それは監督のエリック・ロメールの好みなだけなのかもしれません。
 

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昨日、今日、明日

2024-05-24 08:54:28 | 映画

 1963年公開のイタリア映画です。

 翌年、アカデミー賞の外国語映画部門で受賞しました。

 以下の三話からなるオムニバス形式の映画で、イタリア女性の過去、未来、現在を描いています。

ナポリのアデレーナ

 失業中の頼りない亭主を支えるたくましい女性が描かれています。

 闇たばこ売りを摘発されますが、妊娠中及び出産後六ヶ月は逮捕されないことを知り、次々に子供を作って収監を逃れ、とうとう七人も子供が生まれます。

 妻の方は七人産んでもますますたくましく美しく輝いていますが、夫の方はげっそりしてしまって、八人目はとうとう期限までに妊娠できずに、彼女は刑務所に収監されてしまいます。

 しかし、周囲の人々のカンパと請願によって、無事釈放されます。

ミラノのアンナ

 仕事中毒の夫に愛想を尽かせて、留守中に浮気をしている有閑マダムが描かれます。

 彼女の高級車の運転を誤って事故を起こした、頼りない作家の浮気相手をさっさと見限って、その場を立ち去ります。

ローマのマーラ

 魅力的で気のいい高級娼婦が描かれています。

 彼女のアパートの隣に住む老夫婦の所へ休暇で来た、孫の神学生に一目惚れされて、大騒動(彼女に魅了されて、神学校をやめると言い出す。さらに、彼女の正体を知って絶望し、外人部隊へ入ると言い出す)が起きますが、根は善良な彼女のおかげで神学生も気を取り直して学校へ戻ります。

 三話を通して、主役のソフィア・ローレンの魅力が全開です。

 たくましい下町の主婦、奔放な有閑マダム、気立てのいい高級娼婦、どれをとっても、彼女の明るさ、素晴らしい肢体、美しさなどが存分に発揮されています。

 それを引き立てる相手役のマルチェロ・マストロヤンニの演技も素晴らしいです。

 女房の尻にしかれている気弱な亭主、頼りないインテリ風の浮気相手、マーラに振り回されるボンボン育ちの気のいい上客、どれにおいても、彼の人のよさと軽妙な持ち味が生きています。

 彼ら名優たちを自在に操って、明るくユーモアたっぷりにイタリア社会の断面を描いて見せた、名匠ウ゛ィットリオ・デ・シーカ監督の腕前はさすがです。

 

 

 

 

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フライド・グリーン・トマト

2024-05-23 10:15:20 | 映画

 1991年公開のアメリカ映画です。

 甘いものを食べすぎて太って、目的もなく怠惰に過ごしている自分と、テレビでのスポーツ観戦に夢中で自分に関心を持たない夫との生活(子供はすでに巣立っています)にうんざりしている主人公は、フェミニズム系のセミナーに参加したりしています。

 そんな彼女は、ひょんなことから老人施設にいる老婦人(他の人の付き添いできています)から、戦前にその地域に住んでいた二人の女性の友情についての話を、断続的に聞くことになります。

 二人は、さまざまな困難(最愛の人(一人にとっては兄で、もう一人にとっては恋人)の事故死、家庭内暴力、そこからの脱出、アメリカ南部における黒人に対する人種差別、子供の大怪我(片腕を失います)、夫による子供の誘拐、それを防ぐための殺人(実際は死体遺棄)、裁判、病気、死など)を、力を合わせて乗り越えていきます。

 主人公は、この話を聞く過程で、自分のアイデンティティを取り戻して、自立した女性になっていきます。

 変わった題名は、二人の女性が営んでいたカフェの名物料理の名前です。

 主人公と老婦人を演じた、ともにアカデミー主演女優賞の受賞経験のある二人の名女優、キャシー・ベイツ(「ミザリー」)とジェシカ・タンディ(ドライビングMissデイジー)の演技が光ります。

 

 

 

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J.D.サリンジャー「ブルー・メロディ」倒錯の森所収

2024-05-21 08:50:17 | 参考文献

 二十歳の時に初めてこの作品を読んだ時、こんなにかっこいい短編は今まで読んだことがないと思いました。
 その感想は、五十年近くたって、読み直しても少しも変わりません。
 まず、これほど完璧な「ア・ボーイ・ミーツ・ア・ガール」的な作品は、他にはないでしょう。
 二人(ラドフォドとペギィ。11歳?)が出会うシーン(ペギィが噛みかけのガムを首の後ろのくぼみにさし込むところが格好良かったので、ラドフォドが声をかけました)。
 二人を強く結びつけた完璧な音楽的センス(ラドフォドが前から友だちだった酒場の黒人ジャズピアニストの演奏と、途中から彼の店へやってきた姪のジャズシンガーの歌声に対する二人の反応に対する描写は、音楽ファンなら誰でもしびれることでしょう)。
 二人の婚約(?)(ペギィが、ちょっと怪我しただけ(あるいはしていない)の額に、ラドフォドをだましてキスさせて、それで婚約が成立したと宣言します)。
 二人の別れと再会。
 こうした「ア・ボーイ・ミツ・ア・ガール」的ストーリーの中に、1927年当時の南部(テネシー州)の黒人差別(病院をたらいまわしにされて、黒人ジャズシンガーは急性虫垂炎で死にます)、二人が再会した1942年の雰囲気(第二次世界大戦中で、インターン(医者になろうとしたきっかけは黒人ジャズシンガーの死が影響しているかもしれません)のラドフォドは陸軍に召集されるところで、ペギィは海軍の航空兵と結婚しています)、1944年の戦地での様子(語り手(サリンジャーの分身でしょう)がラドフォドからこの話を聞きます)などが、簡潔にしかし印象的に描き出されています。
 だいたい「ブルー・メロディ」というタイトル自体が、すごくかっこいいですよね。
 ほとんどの創作を始める人が同様だと思いますが、私も好きな作家の模倣からスタートしました。
 私の場合の模倣する対象は、アラン・シリトー(「長距離ランナーの孤独」など)、ペイトン(「卒業の夏」など)と並んで、サリンジャーでした。
 サリンジャーの作品で、「笑い男」(その記事を参照してください)と並んで真っ先に模倣したのが、この「ブルー・メロディ」でした。
 その「ア・ボーイ・ミーツ・ア・ガール」的短編は、当時の雑誌「日本児童文学」の創作コンクールの選者の人たちはすごく褒めてくれたのですが、もちろんその出来が本家に遠く及ばなかったことは言うまでもありません。

 

 

 

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リトル・ミス・サンシャイン

2024-05-17 13:28:55 | 映画

 2006年公開のアメリカ映画です。

 小学生低学年の娘が子供のミスコンテストに出場するために、崩壊寸前の家族六人(父親は啓発セミナーの本を売り込んでいるが見込みはなく破産寸前、父方の祖父はヘロインの使用で老人ホームを追い出されて同居している、母親の兄は同性愛の相手に失恋して自殺未遂を起こしたばかり。兄は引きこもりで家族とも口をきかないで筆談している。母親だけはヘビースモーカーで家事を手抜きしている以外は大きな問題はない)が、ニューメキシコ州からカリフォルニア州までの800マイルをおんぼろバスで旅行する(お金がないのと自殺未遂者を家に残しておけないため)ロードムービーです。

 いろいろな困難(おんぼろバスが故障して、押してスピードが出てからでないとクラッチが入らなくなる。祖父がヘロインのために急死する。パイロット志望の兄が色覚障害だったことが判明する。母の兄が失恋相手にばったり出くわす。肝心のコンテストに遅刻する)を乗り越えて、コンテストの特技コーナーで場違いなストリップ的なダンス(亡くなった祖父が振り付けた)をし始めた娘を、止めさせようとする主催者たちからみんなで守って、一緒に踊るシーンは感動的です。

 アカデミー賞では、惜しくも作品賞は逃しましたが、脚本賞と助演男優賞(祖父役)を受賞しました。

 

 

 

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モスラ対ゴジラ

2024-05-14 16:02:12 | 映画

 1964年の日本の特撮映画です。

 ゴジラシリーズとしては四本目、モスラシリーズとしては二本目にあたります。

 お話自体は、悪の怪獣ゴジラに襲われた日本を、インファント島に住む正義の怪獣モスラに頼んでゴジラを倒してもらって、守るという他愛のないものです。

 このころのゴジラは悪者で、それを正義の怪獣が倒すという図式は、前作のキングゴジラ対ゴジラで確立された図式で、その後の怪獣映画ではこのパターンが多いです。

 その後、ゴジラの人気が高まったので正義側にまわり、代わってスケールアップした悪の怪獣としてキングギドラが創作されました。

 登場する放射能などの科学知識も、今から考えるとかなりひどいものです。

 それでも、精巧なミニチュアと、スーツアクターと、夥しい人数のエキストラを使った特撮シーンは迫力十分で、安易なCGに慣れた今の目で見ると手作り感が満載で、今でも十分に少年たちの心をくすぐるものがあります。

 こうした特撮シーンを見たり、小美人を演じるザ・ピーナッツの完璧すぎるハーモニーのモスラの歌を聴くだけでも、この映画は一見の価値があります。

 

 

 

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J.D.サリンジャー「笑い男」九つの物語所収

2024-05-13 09:08:02 | 作品論

 主人公の少年にとっては、おそらく子ども時代におけるもっともショッキングな一日だったことでしょう。
 なぜなら、敬愛するコマンチ・クラブの団長と、美人で魅力的なガールフレンドとの関係が破局を迎え、同時に数か月にわたってコマンチ・クラブのメンバーに団長が語ってくれていた、オリジナルの連続冒険活劇の主人公、世界一の盗賊「笑い男」が死んで、お話が突然終わってしまったからです。
 この短編の中に、サリンジャーは自分が好きな(そして、私も含めてほとんどすべての男の子も好きな)ものをギュッと一つにまとめています。
 まず、コマンチ・クラブです。
 団長(ニューヨーク大学で法律を勉強している22歳か23歳ぐらいの学生)が、アルバイトとして親たちから報酬をもらって、放課後や週末に、二十五人の男の子たちを改造したオンボロバスに乗せて、セントラルパークなどの公園に連れて行いって、野球やアメリカン・フットボールをやらせたり、デイキャンプをしたりしてくれます。
 もちろん、雨の日には、自然博物館やメトロポリタン美術館(カニグズバーグがクローディアの家出先に選んだことで、児童文学の世界では非常に有名な場所です)へ連れて行ってくれます。
 この子どもたちの遊び相手という設定は、「キャッチャー・イン・ザ・ライ」(その記事を参照してください)の主人公のホールデン・コールフィールドの「僕がほんとうになりたいもの」とピタリと重なります。
 そして、それは、私自身の「僕がほんとうになりたいもの」でもあります。
 三十年以上も前に、今は亡き児童文学作家の廣越たかしの家で行われた同人誌の忘年会(私が今までに参加した忘年会で一番楽しいものでした)で、「本当になりたいもの」を問われて、「遊びだけの塾の先生」と答えたことが今でも記憶に残っています。
 次に、団長です。
 アメリカン・フットボールではオールアメリカンの最優秀タックル(と、コマンチ団のメンバーは固く信じています)で、野球ではニューヨーク・ジャイアンツから誘われている(と、コマンチ団のメンバーは固く信じています)スポーツマンで、スポーツの試合の公正で冷静な審判で、キャンプファイヤーの火付けと火消しの名人で、彼らから見るとすごくかっこいい(実際は、がっしりしているけれど背が低くて、ルックスもイマイチのようです)「男の中の男」(サリンジャーはこうした男たちが大好きで、「ソフト・ボイルド派の曹長」(その記事を参照してください)も同タイプです。サリンジャー自身はハンサムで背が高く、ホールデン・コールフィールドと同様に女の子たちにもてたみたいなので、見かけだけに魅かれて言い寄ってくる内容のない女の子たちにうんざりしていたのかもしれません)。
 そして、団長のガールフレンドです。
 少なくとも、主人公がその後大人になるまでの間に出会った中ではベスト3に入る美人(団長の時に書いたことと矛盾していますね)で、コマンチ団と一緒に野球をした時に驚異的な長打率を記録して彼ら全員を魅了し、外見はパッとしない団長の魅力もちゃんと理解している女性です(それでも、二人が破局を迎えたのは、おそらく団長の極端に内気でおとなしい性格が災いしたのでしょう)。
 最後に、「劇中劇」ならぬ「物語中の物語」である「笑い男」には、当時の男の子たち(実際は今の男の子たちも同様です)を魅了するあらゆる要素(子どもの時に誘拐されてその顔を見ると死をまねくほど醜く改造されてしまった主人公、彼をさらったシナ人の匪賊(時代が時代だけに差別的表現をお許しください)、宿敵のフランス人の刑事とその娘の男装の麗人(当時の連続活劇映画では、洋の東西を問わずに欠かせないキャラクターです)、忠実な部下たち(斑ら狼、小人、モンゴル人の大男、目が覚めるようなヨーロッパ人とアジア人の混血娘)(これらの表現も現代から見れば、白人中心主義的で差別的ですがお許しください)、そして、残酷で美しいどんでん返しの数々)が含まれています。
 これらのすべてが一日で失われてしまったのですから、主人公が「歯の根も合わぬほど震えながらうちへ帰り、まっすぐ寝床にはいるようにと言われた」のも、まったく無理のないことなのです。

 

 

 

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青春デンデケデケデケ

2024-05-11 10:44:37 | 映画

 1991年に直木賞を受賞した芦原すなおの青春小説(その記事を参照してください。現在でしたら、児童文学のヤングアダルト物にジャンル分けされるでしょう)を、大林宣彦が監督した1992年の映画です。
 1965年の3月の高校入学前の春休みから、1968年2月の大学受験のために上京するまでの、丸々3年間の高校生活を、エレキバンド(リードギター、サイドギター、ベース、ドラムという非常にオーソドックスな構成です)結成から文化祭での演奏会までを、きっちりと描いています(メンバーを集めて、バイトで楽器を買い、練習場を確保し、合宿へも出かけます)。
 原作もそうですが、登場人物は、主人公を中心とした4人のバンドメンバーを初めとして、技術サポートしてくれるエンジニア志望の友だちや応援してくれる女の子たちなどの高校生たち、メンバーの家族や先生などの彼らを支えてくれる大人たちまで、かなり風変わりな人もいますが基本的にはみんないい人たちで、一種のユートピア小説の趣があります。
 日本が高度成長時代で、まだ現在よりも未来の方が良くなると信じられたころなので、こうした青春時代は一種の通過儀礼のようなもので、多くの人たちの共通の想い出ととして残っています。
 私は、主人公たちよりも5年遅い1970年から1973年が高校時代なので、すでにエレキブームは去っていましたが、こういった雰囲気が日本中の至る所にあったことは、実体験として理解できます。
 映画化にあたって、原作者の望みどおりに、こうした地方都市を舞台にした青春映画(故郷の瀬戸内海を舞台にしたいわゆる尾道三部作(「転校生」「時をかける少女」「さびしんぼう」)など)を得意にしていた大林宣彦が監督をしたので、原作の舞台である香川県観音寺市に長期ロケをして、地元の言葉や風物を生かした作品になっています。
 出演している男の子たちや女の子たちも、みんな当時の地方都市の普通の高校生のような子ばかり(新人が多かったようです)で、その後主役級の俳優になったのは白井清一役の浅野忠信ぐらいでしょう。
 一方で、大人の出演者は大林作品の常連の役達者がそろっていて、つたない(それが魅力なのですが)高校生たちの演技をしっかりサポートして、作品の完成度を高めています。
 原作の発表された1991年や映画化された1992年はバブル崩壊の真っ只中なのですが、人々の心の中にはまだまだ高度成長時代とそれに続く安定成長時代の雰囲気が続いており、そういった意味では、舞台になった1960年代の高度成長期とかろうじて地続きにあったので、私も含めて当時の読者や観客には受け入れやすかったのかもしれません。
 特に、地方都市である観音寺市は、バブルの影響も少なく、撮影当時も1960年代の雰囲気を多く残していたそうなので、その風景も魅力の一つだったと思います。

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