現代児童文学

国内外の現代児童文学史や現代児童文学論についての考察や論文及び作品論や創作や参考文献を、できれば毎日記載します。

ミラノの奇跡

2024-05-10 09:49:44 | 映画

 1951年公開のイタリア映画です。

 第4回カンヌ映画祭でパルムドールを受賞しています。

 ウ゛ィットリオ・デ・シーカ監督らしい、庶民への愛情があふれたファンタジックな映画です。

 赤ちゃんの時に、おばあさん(トトはママと呼んでいます)に拾われて愛情豊かに育てられた捨て子のトトが主役です。

 ママが死んでからは、孤児院で育てられました。

 お話は、トトが大きくなって、孤児院を出るときから動き出します。

 トトは、これ以上ないほどのお人よしで、常にポジティブです。

 そのため、いつのまにか、私有地に掘っ立て小屋を建てて住み着いている貧乏人たちのリーダーになっています。

 その私有地から石油が出たことから、持ち主の大金持ちに退去を迫られます。

 立ち退きを迫る大金持ちの私兵たちとのユーモラスな攻防戦が始まります。

 その過程で、トトは天国から抜け出してきたママからなんでも願いの叶う白い鳩を授かります。

 それからは、トトが起こす奇跡の大安売りで大混乱が起こります。

 貧乏人たちの願いは、たいていは毛皮とかドレスとか家具(小さな掘っ立て小屋には入らないのがおかしいです)やお金などの他愛のないものですが、中には身につまされるものもあります。

 黒人の男性は好きな白人女性のために白くなることを希望しますが、彼女が逆に黒くなることを希望したために、思いはすれ違ってしまいます(当時は黒人と白人の男女が結ばれることは難しかったのでしょう。この映画より後ですが、シドニー・ポアチエ主演の「招かれざる客」を思い出します)。

 孤独な自殺願望のある青年は、広場にある天使像に生命を吹き込むことを希望しますが、生まれた美少女は奔放で彼の手には余ります。

 そうしたドタバタ騒ぎを、トトとエドウ゛ィジェという少女との可愛らしい恋愛も交えて、デ・シーカはユーモアと庶民への愛情を込めて描いています。

 ラストでは、トトとエドウ゛ィジェを先頭にして、みんながほうきにまたがって、「幸せの国」に飛び去っていく姿が痛快です(「E.T.」(その記事を参照してください)を思い出させます)。

 こうしたある意味無責任な終わり方は、「卒業」(ダスティン・ホフマンとキャサリン・ロスが、花嫁姿のままでで教会から逃げてしまいます)、「小さな恋のメロディ」(マーク・レスターとトレイシー・ハイドが、トロッコに乗って逃げてしまいます。その記事を参照してください)などと共通していて、先のことを考えなければ、最高にスカッとします。

 今回、久しぶりにこの映画を見直してみて、「ああこういう作品を書きたかったんだ」と、改めて思い起こせました(今からでも遅くないか)。

 

 

 

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森忠明「きみはサヨナラ族か」

2024-05-09 10:38:50 | 作品論

受験競争に明け暮れる学校に嫌気がさした主人公は、仮病を使って立川病院に入院し長期に学校を休むことになります。
病院で知り合った友だちの死や別れ、さらには長期欠席のための留年によるクラスの人たちとの別れなどを通して、「人生なんてサヨナラだけだ」と自覚しつつも、絵を描くことに自分のアイデンティティを見つけようと、主人公は決意します。
このあたりの芸術至上主義的な考え方は、森が師事していた寺山修司の影響がかなり感じられます。
あとがきでは、15年前(初版が1975年12月なので1960年ごろ)の自分の事を描いたと書かれていますが、この作品では出版されたころの年代にアレンジされているように感じられました。
それが、出版当時の高い評価と、多くの読者をつかむことに成功した一因になっているのではないでしょうか。
 他の森作品と同様に、異常ともいえるほどの子ども時代の鮮明な記憶(子どものころの記憶を持っているということは児童文学作家にとっては重要な資質で、特にエーリヒ・ケストナーの「わたしが子どもだったころ」や神沢利子の「いないいないばあや」(その記事を参照してください)が有名ですが、森はそれに匹敵するほどです)によって、ディテールがくっきりと描かれているのが、この作品でも大きな魅力になっています。
 ただ、現代の目で眺めてみると、小熊英二が「1968」(その記事を参照してください)で指摘していた、団塊の世代(森はその中心の年である1948年生まれ)の直面した「現代的不幸」を作品化した典型を見る思いがしました。
 彼らは、義務教育のころは戦後民主主義教育を受け、その後激烈な受験戦争に巻き込まれ、大学の大衆化に直面し、アイデンティティの喪失、生きていくリアリティの希薄化などの「現代的不幸」に直面した最初の世代でした。
 ここで「現代的不幸」とは、戦争、貧困、飢餓などの「近代的不幸」との対比で使われている用語です。
 彼ら団塊の世代の大半は、十代後半になってこの問題を自覚するようになって、全共闘世代となって学生運動に突入していきました。
 しかし、異常なまでに早熟だった森は、小学生時代にこの問題に直面していたのでしょう。
 また、この本が出版された1970年代には、小中学生でも森と同じ問題に直面するようになっていたので、少なからぬ読者に受け入れられたものと思われます(今回読んだ本は1983年11月で12刷です)。
 一方で、ネグレクト、世代間格差、少子化、虐待、貧困などのさらに新しい問題に直面している現代の子どもたちとは、すでに大きなギャップが生まれているのではないでしょうか。

追記
 作品論からは離れますが、森忠明とは一度だけ会って直接話を聞いたことがあります。
 彼の「へびいちごをめしあがれ」が出た後で、彼が「蘭」のおかあさんと共に立川を去る前ですから、おそらく1987年だったと思います。
 児童文学の同人誌の仲間たちと、「注目の書き手に会いに行こう」シリーズの第一弾として、立川まで彼に会いに行きました(実際にはこのシリーズは、第二弾として村中李衣に高田馬場で会っただけで打ち切りになってしまいましたが)。
 このシリーズの第一弾に森忠明を選んだのは、同人の一人に森の熱狂的なファンがいたためで、彼女は後に森の「グリーンアイズ」の編集を担当しました。
 待ち合わせをした喫茶店から、その後行った寿司屋(おごってもらったのがみんな一律に並寿司の盛り合わせだったのが、いかにも彼の世界っぽくていい思い出になっています)、名残惜しそうにわざわざ送ってくれた立川駅の改札口まで、間が空くのを恐れるように一人でしゃべり続けていたシャイな彼の姿が今でもはっきりと思い出されます。
 今振り返ってみると、「注目の書き手に会いに行こう」シリーズは大成功で、私は今まで会った中で、一番感受性の豊かな男性(森忠明)と一番聡明な女性(村中李衣)に出会えたことになりました。

きみはサヨナラ族か (現代・創作児童文学)
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堀江敏幸「いつか王子駅で」

2024-05-07 16:11:06 | 参考文献

 2001年に「熊の敷石」で第124回芥川賞を受賞した作者の、初の長編作品です(それまでは短編集しか出していませんでした)。
 といっても、この作品も、一章から七章までは「書斎の競馬」という雑誌に掲載された連作短編で、八章から十一章までを追加したものなので、連作短編集的な味わいもあります。
 専門のフランス文学だけでなく日本文学にも造詣が深い作者は、昔ながらの「文士」的な雰囲気があり、若い(この作品を書いた時は三十代半ば)のに老成した印象を受けます。
 文章も擬古的で滋味があって、伝統的な文学ファンには魅力があることでしょう。
 出てくる人物は魅力がありますがすべて善人ばかりで、「なずな」の記事にも書きましたがユートピア小説の趣があります。
 作者の古風な(あるいはそれを装った)作品群は、時には鼻につくこともあるのですが、この作品には初めて読んだ時から児童文学に通ずるものを感じて、作者の中では一番好きな作品です。
 それは、主人公が家庭教師をしている中学生の女の子(その親が彼の住んでいる部屋の大家でもあるのですが)が非常によく書けていて、日本のどの児童文学作品に登場する女の子たちよりも生き生きと魅力的に描かれている点にあります。
 彼女は、主に後半の書き足された部分に出てくるので、この作品を長編として成立させているのは彼女を創造できたおかげだったかもしれません。
 この作品には、彼女の外に、主に前半活躍する主人公いきつけの小料理屋の女将も魅力的に描かれていて、主人公にとって対照的な二人のミューズになっています。
 この作品を好ましく思っているのには、個人的な理由もあります。
 まず、舞台になっている北区の「王子」は、私の育った足立区の「千住」と非常に近く、自転車でよく遊びにいっていました。
 また、曾祖母が住んでいたり、祖父が晩年に入院した病院があったりと、個人的になじみ深い場所でもあります。
 作品に頻出する都電荒川線も、学生時代に時々大学に通うのに使ったりしていて懐かしい路線です。
 もう一つの理由は競馬です。
 この作品が競馬関連の雑誌に連載されていたこともあり、タカエノカオリ(1974年の桜花賞馬で、前述した小料理屋「かおり」の名前の由来)を初めとして、ニットウチドリ(1973年の桜花賞馬)、テスコガビー(1975年の桜花賞(大差勝ち)とオークス(八馬身差勝ち)の二冠馬。当時は秋華賞はおろかエリザベス女王杯もない時代なので牝馬としてはパーフェクトな成績で、戦前のクリフジや最近のウォッカやアーモンドアイなどと並び称されるような最強の牝馬)、キタノカチドキ(1974年の皐月賞と菊花賞の二冠馬)、そして今では懐かしいフレーズになった「三強」(この三頭が一着から三着を占めた1977年の有馬記念は、史上最高のレースと言われています)のテンポイント(1977年春の天皇賞と有馬記念の勝ち馬)、トウショウボーイ(1976年の皐月賞と有馬記念、1977年の宝塚記念の勝ち馬)、グリーングラス(1976年の菊花賞と1978年春の天皇賞と1979年の有馬記念の勝ち馬)などの懐かしい馬名が頻出します。
 作者は私より十歳も若いのに、1970年代の競馬に精通しているので、私に限らず古い競馬ファンにはたまらない作品になっています。
 私が競馬に熱中していたのは、タニノムーティエ(1970年の皐月賞とダービーの二冠馬)のダービーからテンポイントの死(1978年1月22日の日経新春杯で小雪舞う中66.5キロという今では信じられないような過酷な負担重量(その後JRAではどんなハンデ戦でもこのような馬鹿げた負担重量にはしないようになりました)のために骨折し、JRAの総力を挙げての治療と子どもたちも含めた全国のファンの願いもむなしく3月5日に亡くなりました)までなので、この作品で取り上げられている名馬たちはまさにジャストフィットしています。
 それにしても、優駿(JRAの機関誌で今のように通俗化していませんでした)1978年2月号の表紙(毎年2月号の表紙は前年の年度代表馬の全身をとらえた写真でした)のテンポイントは、信じられないほど美しく、まさに神が舞い降りたようでした。

いつか王子駅で (新潮文庫)
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小さな恋のメロディ

2024-05-06 09:53:29 | 映画

 少年少女(11歳ぐらいの設定と思われます)の瑞々しい恋を描いた、1971年のイギリス映画です。
 本国やアメリカでは不評でしたが、日本では大ヒットしました(1950年代の半ばから1960年代の初めごろに生まれた人ならば、ほとんどの人が見たことがあるんではないでしょうか?)。
 その理由としては、いくつかの事が考えられます。
 まず、主人公の男の子(撮影当時12歳だった人気子役(「華氏451」、「オリバー!」、「小さな目撃者」など)のマークレスター)と主人公の女の子(撮影当時11歳だった無名のトレーシー・ハイド)が、日本人好みの可愛らしさだったことがあげられます(二人ともぜんぜんすれていなくて、子どもらしい子どもでした)。
 次に、舞台になっているイギリスの学校(11歳から16歳ぐらいまで通う小中学校)の雰囲気が、当時の日本の中学校(公開当時の観客ではこの年代が一番多かったでしょう)よりも大人びて感じられて(ダンスパーティ、煙草、ミニスカートの制服、男女交際など)、魅力的に映ったものと思われます(私自身は公開当時、すでに高校二年生になったところでしたが、男子校だったので男女交際の感覚が中学生当時からストップしたまま(いやむしろ中学時代の女友だちとの関係が次第に薄れて、より飢餓感があったかもしれません)でしたので、中学生たちと同様に羨ましかったです)。
 また、子どもたちだけで二人の結婚式をあげて、止めさせに来た大人たち(教師たちとマーク・レスターのママ)と戦って勝利(失敗続きだった爆弾マニアの少年の爆弾がついに成功して、マーク・レスターのママのスポーツカーを爆破して大人たちを敗走させます)して、二人はトロッコで旅立つというファンタジックなストーリーが、いつも大人たちに抑圧されている日本の子どもたち(特に、当時(今もそうかもしれませんが)の中学生は、受験勉強や内申書で、教師たちにがんじがらめにされていました)にとって痛快でした(この映画の根本的な考えは「大人たちは信用できない」なので、出てくるほとんどの大人たちはかなり俗物的に誇張されていました)
 また、70年安保末期の高校紛争も、ほとんどが子どもたち側の敗北(私の通っている高校は私立の付属高校だったので、生徒側がかなりの勝利を収めて、制帽、制服、中間試験などが廃止になっていましたが)に終わっていましたので、その鬱屈感の解消にもなったかもしれません。
 個人的には、全編に、ビージーズ(「イン・ザ・モーニング」、「メロディ・フェア」「若葉のころ」、「ラヴ・サムバディ」など)やクロスビー・スティルス・ナッシュ&ヤング(「ティーチ・ユア・チルドレン」)などの、映画のシーンにピッタリの美しい曲が流れていたことも大きな魅力でした(「卒業」とサイモン&ガーファンクルと同様に、映画と音楽の融合の成功例の一つでしょう)。



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ふたりのロッテ

2024-05-05 15:41:54 | 映画

 1993年公開のドイツ映画です。

 1949年に出版されたエーリヒ・ケストナーの児童文学の古典「ふたりのロッテ」(その記事を参照してください)の比較的最近の映画化です。

 もともとこの作品は、戦時中に映画の脚本として書かれたということもあって、ケストナー作品の中では最もたびたび映画化されています。

 一番最初は出版された翌年の西ドイツ映画ですが、日本でもすぐに当時の人気子役だった美空ひばりの一人二役で映画化されています。

 同様に、アメリカの人気子役だったヘイリー・ミルズの一人二役による「罠にかかったパパとママ」という題名のディズニー映画も日本で封切られ、子供のころに見た記憶があります。

 さて、この映画では、実際に双子の子役がシャルロッテとルイーズを演じていて、二人の性格の違い(元気いっぱいのシャルロッテとおとなしい優等生のルイーズ)が非常に良く表現されていて、原作の雰囲気をうまく出しています。

 また、この映画では、以下の基本コンセプトだけを守って、後は現代の事情に合わせて自由にストーリーを展開したのが、かえって作品の精神を今の子供たちに伝えることに成功していると思います。

<両親が離婚したために離れ離れになっていた双子が、偶然サマーキャンプで再開して意気投合し、二人が入れ代わってそれぞれパパとママの元に戻り、二人の機知と策略によって、両親の関係を修復します>

 この映画でも、つねに子どもたちの側に立つケストナーの精神が、見事に継承されています。

 

 

 

 

 

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フェリーニのアマルコルド

2024-05-03 09:17:25 | 映画

 1973年公開のイタリア映画で、アカデミー賞外国語映画賞(監督のフェデリコ・フェリーニは史上最多の四度目の受賞です)を受賞しました。
 フェリーニの作品の中ではもっとも児童文学の世界に近い作品で、子ども時代(中学生ぐらいか?)の想い出をもとに作られています。
 海辺の田舎町を舞台に、綿毛の飛ぶ季節(春の訪れ)から翌年の綿毛が飛びはじまるまでの一年間が描かれています。
 頑固な父親や口やかましいけれど優しい母親などとの家族生活(ファシストによる父の拷問や母の死なども描かれています)、権威主義的な教師や牧師たち、ファシズムのイタリア席巻などを風刺的に描いていますが、フェリーニならでは猥雑なシーン(あこがれの年上の美女、誰とでも寝る若い女、超グラマーなタバコ屋の女主人など)もふんだんに盛り込まれています。
 こうしたある意味雑多な事象をフェリーニ独特のユーモアや皮肉をちりばめて描いていますが、それを圧倒的な映像美(冒頭とラストの綿毛の飛ぶシーン、春の訪れを告げる祭りの焚火、記録的な大雪によって一変した町の風景、雪の中を舞うクジャク、豪華なリゾートホテル、真夜中に沖を通るアメリカの豪華客船(町民総出で小舟に乗って迎えに行きます)、結婚式やパーティが行われる郊外の風景など)で、フェリーニ独特の世界が展開されます。
 1973年4月、大学の入学オリエンテーション前に、京橋の国立フィルムセンターで行われたイタリア映画祭で、初めてフェリーニの「道」を見て以来、都内のあちこちにあった名画座でそれまでのフェリーニ作品を片っ端から観ていたのですが、この作品以降は封切り時にリアルタイムで見られるようになりました。

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小原秀雄「猛獣もし戦わば」

2024-04-29 09:18:16 | テレビドラマ

 [地上最強の動物は?」という副題を持つこの本を初めて読んだのは、この本が出版された中学三年生のときでした。
 小学生のころの「大きくなっったら動物園の園長になる」という夢は、その後プロ野球選手やサッカー日本代表などになる夢に取って代わられたものの、動物好きは当時も変わりませんでした。
 今だったら動物愛護協会に怒られそうなテーマですが、その頃の男の子の関心をそそったのでしょう。
 しかも、作者は私と同様にサッカーファンだったようで、目次には「猛獣ワールドカップ」なる表記もあります。
 この本が出た1970年には、ワールドカップと言えばサッカーしかなく、1968年のメキシコオリンピックで、杉山、釜本のゴールデンコンビ(先に杉山を書くのが通です)を擁し、名指導者クラマーコーチの薫陶を受けた日本チームが銅メダルを獲得する快挙で、日本は第一次サッカーブームだったのです。
 話は脱線しますが、この1970年のサッカー・ワールドカップで、ペレを擁するブラジルチームが史上初の三度目の優勝をはたして、ジュール・リメ杯(ワールドカップを創設した時のFIFAの会長にちなんだ優勝カップ)の永久保持(それまでは持ち回りでした)が許されたのでした。
 ブラジルには、ペレ以外にも、リベリーノ、ジャイルジーニョ、トスタンなどの名手がいましたし、それ以外の国にも、ウベ・ゼーラー、ゲルト・ミューラー、ベッケンバウアー(以上西ドイツ)、ボビー・チャールトン(イングランド)、リーバ、リベラ(以上イタリア)などの綺羅星のようなスーパースターたちがいました。
 この本の目次を見ると、そうしたサッカー界のスターたちにも劣らない猛獣界のスーパースターたちの対戦が並んでいます。
対決1: ライオン対トラ
対決2: ライオン対ヒョウ
対決3: トラ対ヒョウ
対決4: チーター対ライオン
対決5: ヒグマ対トラ
対決6: ゴリラ対ヒョウ
対決7: ジャガー対ピューマ
対決8: ワニ対大蛇
対決9: ワニ対サイ
対決10:ホッキョクグマ対セイウチ
対決11:シャチ対マッコウクジラ
対決12:ドール対トラ
対決13:ハイエナ対ライオン
対決14:イノシシ対トラ
対決15:オオカミ対ハイイログマ
対決16:ペッカリー対ジャガー
対決17:ライオン対サイ
対決18:スイギュウ対トラ
対決19:アフリカスイギュウ対ライオン
対決20:カバ対ライオン
対決21:カバ対クロサイ
対決22:ゾウ対サイ
対決23:ゾウ対ライオン・トラ
 それぞれの内容は、少年漫画雑誌に載っているようなキワモノではなく、当時の猛獣に関する日本の第一人者である作者が、動物学的な目撃情報から判定している正当なもの(目撃情報の少ない対戦には若干怪しげな情報も含まれていますが)で、その他のコラムも含めて猛獣ファン(そんなのがいるとしたら)にはたまらないものばかりです。
 そして栄えある猛獣チャンピオンの座は、ライオンとトラが分け合い、アフリカゾウは別格として、さらに海中の王者シャチとマッコウクジラは対象外としている、至極まっとうな(ライオン派にもトラ派にも、アフリカゾウ・ファンにも顔が立つような)結論でした。



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瀬田貞二「宮沢賢治」子どもと文学所収

2024-04-28 09:22:01 | 参考文献

 「子どもと文学」の他の論文とかなり趣が異なり、冒頭にグループ(「ISUMI会」といいます)で話し合いがもたれた時の実際の様子が紹介されています。
 この時の題材は「なめとこ山の熊」なのですが、そのやりとりを読んでいて懐かしい気持ちになりました。
 私も、大学一年の秋に、児童文学研究会の尊敬できる先輩(どういう経緯だったのかわかりませんが、私よりもかなり年長で、未成年だった私から見ると、立派な大人のように感じられました)に誘われて、児童文学研究会の分科会としてできたばかりの、「宮沢賢治研究会」という読書会に参加しました。
 それから、二年の間参加した毎週の読書会は非常に楽しいものでした。
 今振り返ってみると、参加していたメンバーの文学的な素質もかなり高かった(その後文学系の大学の教授になった女性が二名含まれていました)のですが、やはり非常に多様な作品(しかも、大半が読書会向きの短編)を持つ「賢治」でなければ、ただ作品を読んで感想を言い合うだけのあのような読書会を毎週続けることはできなかったでしょう(もちろん、読書会の後の飲み会やメンバーとの旅行も楽しかったのですが)。
 他の記事にも書きましたが、先輩はどういうコネを持っていたのか、当時の賢治研究の第一人者であった続橋達雄先生にお話を聞く機会を設けてくれ、会で花巻へ賢治詣での旅行(賢治のお墓、羅須地人協会、イギリス海岸、花巻温泉郷など)に行った際には、続橋先生のご紹介で、賢治の生家をお訪ねして、弟の清六氏(賢治の作品が世の中に広まることに多大な貢献がありました。その記事を参照してください)から生前の賢治のお話をうかがったりできました。
 その後の著者の文章は、評論というよりは、賢治の評伝に近く、賢治の童話創作の時期を前期(習作期)、中期(創作意欲にあふれ、一日に原稿用紙百枚書いたという言い伝えがあり、ほとんどの童話の原型ができあがった時期)、後期(完成期)に分けて、時代ごとに主な作品とその特徴や創作の背景を解説しています。
 著者が指摘している賢治作品の主な特長は以下の通りです。
「構成がしっかりしている」
「単純で、くっきりと、眼に見えるように描いている」
「方言や擬声音、擬態音をうまくとりいれ、文章全体に張りのあるリズムをひびかせる」
「四四調のようなテンポの均一な、踊りのようなリズム」
「日本人には不向きと言われているユーモア」
「ゆたかな空想力」
 こうした「賢治作品」の特長を育んだものとして、著者は以下のものをあげています。
「素質が狂気に近いほどに並はずれた空想力にめぐまれたこと(こればかりは他の人にはまねできません)」
「郷土の自然」
「郷土の民俗」
「宗教(特に法華経)」
「教養(社会科学、文学、語学、音楽)(著者は無視していますが、自然科学の教養も他の作家にない賢治作品の大きな特徴です)
 全体を通して、著者自身の賢治の評価はベタほめに近く、むしろ「賢治」を利用して、既成の童話界(「赤い鳥」、小川未明、浜田広介など)を批判するために書いているような感もあります。
 また、当時(1950年代)の賢治作品の評価が「大人のためのもの」に傾いていると、著者たちは認識していたようで、自分たちの実体験(彼らの子どもたちの感想)も加えて、繰り返し賢治作品は本来「子ども(作品によっては低学年の子どもたちも)のために書かれたもの」で、その上で「純真な心意の所有者」の大人たちも楽しめるものだということを強調しています。
 この文章が書かれてから六十年以上がたち、子ども読者(大人読者も同様ですが)の本に対する受容力は大幅に低下しているので、現在では、当時の著者たちの認識より二、三年はプラスしないと、読むのは難しいかなという気はします。

子どもと文学
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石井直人「現代児童文学の条件」(「研究=日本の児童文学 4 現代児童文学の可能性」)所収

2024-04-26 11:36:22 | 参考文献

 1998年に出た日本児童文学学会編の「研究=日本の児童文学 4 現代児童文学の可能性」の巻頭を飾る「総論」の論文です。
 ここでいう現代児童文学とは、1950年代に始まって1990年代に終焉(または変質)したといわれる狭義の現代児童文学(他の記事を参照してください)ではなく、(同時代の)という意味の広義の現代児童文学です。
 論文は、以下の四部構成になっています。
1.「幸福な一致」
2.子ども読者――読書のユートピア
3.子ども読者論の変奏
4.楕円構造――児童と文学という二つの中心
 1では、現代児童文学の出発時にさかのぼり、作者の認識と読者の認識、さらには批評までが一致していた幸福な時代について、松谷みよ子の「龍の子太郎」を中心に述べています。
 2では、著者が戦後児童文学の批評における最大の書物とする「子どもと文学」を中心に、「子ども読者」の創造と読書のユートピア時代について語られています。
 3では、1978年の本田和子の「タブーは破られたか」、1979年の今江祥智の「もう一つの青春」、1980年の柄谷行人の「児童の発見」という三つのエッセイをもとに、「児童文学のタブーの崩壊」、「児童文学と一般文学の互いの越境」、「子ども論」などを中心に、「子どもと文学」が提示した「子ども読者論」がどのように変化し、現代児童文学が変遷していったかを考察しています。
 4では、児童文学が「児童」と「文学」という二つの中心を持つための特殊性と、それゆえの矛盾や葛藤を持つものであるかが示されています。
 全体を通して、「総論」らしく現代児童文学の概観について、文学論、読者論、児童論、心理学、哲学などの知見をちりばめてアカデミックに書かれていて、注に掲げられていた論文や文献も含めて読みこなすのにはかなりの時間がかかりましたが、非常に勉強になりました。
 

現代児童文学の可能性 (研究 日本の児童文学)
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東京書籍
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瀬田貞二「幼い子の文学」

2024-04-25 10:33:04 | 参考文献

 著者が、1976年6月から一年の予定で行った児童図書講座で、二十数名の児童図書館員を前にして話された各回一時間半の講演(残念ながら著者の病気のために六回だけで打ち切りになってしまいました)をまとめて、著者の没後に出版された本です。
 各回はそれぞれ、生きて帰りし物語、なぞなぞの魅力、童歌という宝庫、詩としての童謡、幼年物語の源流、幼年物語の展開、となっていて、それぞれ豊富な実例とともに興味深い内容が語られます。
 児童文学のもっとも源流に位置する幼年童話や絵本の構造や歴史について、主に日本と英米の本を中心にしてまとめられています。
 もし最後までこの口座が行われ著者自身の手でその内容がまとめられていたら、幼年童話に関するもっとも重要な本になっていたことでしょう。
 この本に掲載されている分だけでも、児童図書館員はもちろん、読み聞かせをされている方々や、幼年童話や絵本を実作されている人々にとっても、必読の本だと思われます。

幼い子の文学 (中公新書 (563))
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中央公論新社
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