とめどもないことをつらつらと

日々の雑感などを書いて行こうと思います。
草稿に近く、人に読まれる事を前提としていません。
引用OKす。

ことを為さしむ 本にて候

2023-09-30 06:30:41 | 雑感
世の中においては無駄が省かれることが称揚される。
それは正しい。

だが、それを称揚しすぎるが為に本義を見失う時がある。

誰かが何かを成そうとして行動するも失敗に終わった時、それが無駄であったことを避難する風潮がそれだ。
曰く「無駄だからやめろ」曰く「それは無駄なのでは」曰く「既に誰かがやって失敗した・・・」

確かに効率化と損失を防ぐ意味からはその無駄は省くべきだ。
だが、人間の営為の第一義はそこではない。
第一義は創出したコトを為すことなのであって、そこには多くの無駄が算出される。
走り高跳びの背面跳びをスタートさせた無名時代のディック・フォスベリーは、ベリーロールやはさみ跳びとは異なる珍妙な跳び方を練習し始め、それには遠くからその姿を笑いにやってくる人間までいる始末だった。が、金メダルを獲った後は、世界の標準が背面跳びになる。
無論、この例は成功したから語られる生存者バイアスなのであって、この背後には幾多もの失敗をした人間が存在するだろう。一方において、だからと言って、こうした異なる方向へのジャンプが全て無駄であるかというとそうではない、と言うこともまた示している。

第二義としてそのブラッシュアップとしての無駄の削減や練磨が求められる。

第二義を尊重するがあまりに第一義を殺してはならない。

これは打製石器と磨製石器の差異にも似る。

磨製石器の練磨や失敗回避を尊重するがあまりに、新規の道具を作れない、そういうことをすべきではないのである。

人間の営為とは、ことを為さしむことが本にて候
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頑張ろうガソリンは無限ではない

2023-09-30 06:12:16 | 雑感
世の中「頑張る」と言う言葉が奨励された明治・大正・昭和の時代と比較し、平成・令和ではやりすぎな「頑張る」の使用にブレーキがかかった。弊害があるのである。
例えば精神的疲弊は、その個人において致命的なダメージを引き起こす。
そこまでは求めていないと言うのである。

私はちょっとだけ昔を知っている。
困難な事態に直面した時、昔の人はどうしたか。
そう、自分の中にある悩みや葛藤を文字通り「殺し」、自分の使命がそれであると言い聞かせ、バカになり、マシーンになった。だから昭和の時代の人間は強かった。
が、それと同時に人間性もある程度捨てていたとも言える。

今はそのバロメータが逆に触れており、人間性を尊重する潮流になったものの、それによってマシーンなる強さが失われた。

ではこの「人間性を保ちながら精神的に強い行動をするにはどうすれば良いか? 」と言うことは理知をもって当たらなければいけない。

精神力と言うのは無限のようでいて有限であり、有限のようでいて無限である。
これはどういうことであるか。

基本的な事項として、我々は脳の電気信号の総体型によって認識が意識にまとまっている物的存在であるので、当然ながらその化学反応にも物理的限界が存在する。

この時に、脳を働かせる方式は、大きく分けて内発的自己動機づけの行動であるか、外部からの強制であるかの二択になる。

このどちらかを「自己理念とは異なる方向、自己の興味とは異なる運動」をする時に、「頑張る」と言う言葉を使うと私は考える。

この時、自分自身を車に例えれば、この「頑張る」行為にはガソリンが必要だ。
私が言葉を考えるに、それは「頑張ろうガソリン」なるものになるのではないか、と。

しかしこの「頑張ろうガソリン」なるものは無限ではない。物理的限界が存在するからだ。
更に併せて言えば、このガソリンは、内発的な動機の行動には延々と出続けるケースが多く、他者強制・外部強制の行動には燃費が極端に悪くなる。
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パプアニューギニアの諺「心臓を奪われたら心臓を奪い返せ」

2023-09-30 06:08:55 | 雑感


こちらも私の一考察。

私が思うにこうではないか、と。
これは主語が個人ではなく、部族の誰かが、になるのではないか。
つまり認識の主体が現代のような個人主義ではなく、古代から続く部族の単位での認識である、と。

部族集団の誰かの心臓を奪われたら(部族の誰かが殺されたら)、
それをやった他の集団の誰かの心臓を奪い返せ(それをやった他の集団の誰かを殺せ)。

と言う意味ではなかろうかと。
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ゴルディロックスと3匹のくま

2023-09-30 06:08:41 | 雑感


と言うことであるが、私の意見は異なる。

まずこれは色々にミスリードを自然と起こしてしまうが、視点は女の子ではなく「くま」側の教訓なのであろう、と。そして一番小さいものが常にNGとなるというのは「良い→良い→ダメ」と言うストーリー仕立てになっている、と言うことである。

熊は意地悪な人間に生活を邪魔されないように、日々気をつけていた。
が、それでもミスはやってくる。それはどのようにやってくるか。
そう、極度に熱いものや極度に冷たいものはトラブルから忌避される。
中間地点のものが狙われるのだ。例えば食べ物の腐敗や害虫の発生などである。

そうした害に対する「クッション」は硬すぎるか柔らかすぎるような、トラブルに忌避されるものがいい。丁度いいものは狙われる。結果、丁度いいクッションのものは使用されて、クマ側から見ればそれを使用されて破壊されてしまった。

ベッドの件もそうである。トラブルには中間地点を設けないこと。
そうすればいたずら好きの子供にも、いたずらをされることはなく日常生活を送れるだろう。

ひとまず一番小さいクマはその辺りが未熟のため、被害に遭ってしまうのだ。


と言うストーリーが時代の流動に併せて変遷を変遷を重ね、少女側に視点が移り、 中庸が一番いいというゴルディロックス相場と言う言葉になったのではないか、と個人的に考察する。
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Youtubeチャンネル登録・高評価依頼の悪例・良例

2023-09-30 06:07:23 | 雑感
ぞれぞれ。

悪例


正論しか言ってないのだが、何か押し付けを感じる。

良例




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