とめどもないことをつらつらと

日々の雑感などを書いて行こうと思います。
草稿に近く、人に読まれる事を前提としていません。
引用OKす。

2001年-2020年 日本と言う船の船員教育に日本政府が失敗した説

2024-05-06 00:01:00 | 国内社会批判
メモ。

と言うことで、これは批判をすると共に、自分で言っておきながら興味深い話でもある(自分の中で)。

2001年-2020年と言うスパンにおいて、日本を日本と言う船であると見立てた場合、これの船員教育に日本政府が失敗した説である。
尚、いらぬ飛び火をする前に書いておくが、これは文科省がメインで負う責任の話ではない。
産業育成に必要な人材を長期間点で育てられなかった実情から鑑みた場合の各方面での失政の問題である。
興味深いと書いたのは、反省材料を書くからこそ、この後に活かせる。
そしてその時こそ次の10年の通信簿を我々で点検せねばならない。

無論、どの国も、自分の国は航行を数十年から数百年のスパンにおいて永続的にかつ時代の波に併せ、無駄なく効率的に、かつ船員が交代で十全な船上生活を送れるよう運用・手配・調整をしなければいけない。

日本が「失われた30年」と言われて久しい。
これは当然ながら10年前には「失われた20年」と言われていた訳であるが、その当時の語感としては、私が感じる分には「本来、日本と言う飛行機の性能から言えば高度軌道に乗っているはずであるが、何らかの理由でトラブルが生じて、『本来の性能が引き出せなくなった』ので低空飛行をした。だが『本来の性能が引き出せれば』本来の軌道へ戻っていくはずである」と言うものだった。

では本来の軌道に戻せたか? 答えはノー。「失われた20年」が30年に延長されたので、自分で主張する成績はともかくも、客観的な経済の成績表はD以下であった。

これがおそらく次は40年に延伸されるのではないか。そして50年、60年、果ては100年、1000年・・・と。
そう、1000年も続けばそれが実態であることが分かるし、夢を見ていることも分かる。
今体験している「失われたxx年」とはそのミニ版で、我々は何かがいけなかったのだ。

それを棚卸しし、再整理し、そして日本という船の船の漕ぎ方、進路のとり方を再考慮すべきなのである。
その中で、今までの日本と言う船は、自らの動力炉メンテナンス(半導体産業、自動車産業やその他諸々)の要員を10〜20年スパンで育てなければいけなかったが、そこにあるのは疲弊し、短期的にローテーションを組まされたり、全く別業種に生かされたりする人員の姿であった。


現在の時点においては、米国に追従しない体制はありえないし、そしてそれに向けて調整をすべきではあるが、一方において、各国のエゴイズムの衝突に日本が巻き込まれているという図式もまた存在する。
コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« ジュディマリに歌って欲しい... | トップ | 労働を宗教に組み込む »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

国内社会批判」カテゴリの最新記事