と言うことで。
・第七話でいきなり作画が変わるの巻。
・全部見た。
・と言うか、あれだ。
・「ビートルズ、手塚治虫、ドラゴンボール現象」が私に起きているように思う。
・言わば、偉大なる原点は、その後のフォロワーが改良しまくるがために、顧みられず評価がされないということである。
・今敏監督のこれは恐らく当時は最先端を走っていた表現だっただろうが、しかしその後の作品がこれらをも急襲して分解した上で一部品として取り込んだ作品が多くなったために、見慣れたものになってしまった、と。
・平沢進の音楽は重厚でこれは現代でも評価できる。
が、マイナスの面を言っておけば、高いテノールの男性声(かつ、アジアの特徴を前面に押し出した型)は、やはり奇異と異彩を放っているが、スタンダードではない。男性の重層な歌声と、女性の繊細な歌声がミックスされた方が私は好みである。
・あと言うべきことは、これは極めて「実験的」であろうとした作品であるということ。
以前聞いたのは、つげ義春の「ねじ式」が、敢えて意図的にストーリープロットの関連性や完全性を排除したと聞いたが(なので、物語中、唐突に町中の道路のど真ん中に機関車が出たりする。これは、森見登美彦の「夜は短し歩けよ乙女」でも見られた)、これと同様に、敢えて「つじつまあわせ」と言うものがなく、あるいはストーリーの一貫性が排除されている。
・言うべきことは以上です。
・第七話でいきなり作画が変わるの巻。
・全部見た。
・と言うか、あれだ。
・「ビートルズ、手塚治虫、ドラゴンボール現象」が私に起きているように思う。
・言わば、偉大なる原点は、その後のフォロワーが改良しまくるがために、顧みられず評価がされないということである。
・今敏監督のこれは恐らく当時は最先端を走っていた表現だっただろうが、しかしその後の作品がこれらをも急襲して分解した上で一部品として取り込んだ作品が多くなったために、見慣れたものになってしまった、と。
・平沢進の音楽は重厚でこれは現代でも評価できる。
が、マイナスの面を言っておけば、高いテノールの男性声(かつ、アジアの特徴を前面に押し出した型)は、やはり奇異と異彩を放っているが、スタンダードではない。男性の重層な歌声と、女性の繊細な歌声がミックスされた方が私は好みである。
・あと言うべきことは、これは極めて「実験的」であろうとした作品であるということ。
以前聞いたのは、つげ義春の「ねじ式」が、敢えて意図的にストーリープロットの関連性や完全性を排除したと聞いたが(なので、物語中、唐突に町中の道路のど真ん中に機関車が出たりする。これは、森見登美彦の「夜は短し歩けよ乙女」でも見られた)、これと同様に、敢えて「つじつまあわせ」と言うものがなく、あるいはストーリーの一貫性が排除されている。
・言うべきことは以上です。
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