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とめどもないことをつらつらと

日々の雑感などを書いて行こうと思います。
草稿に近く、人に読まれる事を前提としていません。
引用OKす。

言の葉の庭 大反省会

2024-08-14 01:13:43 | 映像作品視聴感想
・と言うことで期待値MAXであった言の葉の庭の大反省会である。
・もう本当絵は素晴らしくいいよ! 心鷲掴まれるよ! 世界の頂点だよこれは! (ちなみにどこかの世界アニメ映画作画ランキングは2位だった記憶)
・ストーリーがさ・・・ほら・・・いや新海さんのやりたかったことは何となく分かるけれども・・・

・と言うことで、じゃあお前だったらどうするんじゃい、と言う話を書いていく。

・その前に周辺情報。
・2013年公開作品なので、11年前か。
・dアニメストア開始が2012年開始、アマプラは2017年日本サービス開始なので、当時はサブスク配信と言う観点は一般的でなかった。
・このDVDがですね、確か3000〜4000円したと思うんですよ。高い! 
・時代が経過したからdアニメストアで月額料金内で見放題の扱いにもなったと思うんですが、まあいい時代になった。ストーリーなくとも絵で喜ばれる昔だったら少なくとも一回の視聴で8000円は取れるクォリティ。本当何から何まで度肝抜かれる。

・と前置きはさておき。
・「じゃあお前だったらどうするんじゃい」

・タカオとユキノの恋物語。
 タカオの「好きなんだと思う」は、おいもうちょっと男らしく言えよ! とは思った。なんだそのふわっふわな意見は! 

・でなあ・・・ベン・ハーくらいにベッタベタなキスシーン入れろとは言わないけれども、二人の間に決着つける感じしなさいよ! と。

 と言うことなので、最終的には二人はもどかしいながらも一緒になりました、ちゃんちゃんというエンディングから逆算してその中間の日常生活の描写をする。

 ・・・え? ダメ? ダメなのこれ? 

・あとまとめとして
 新海監督の趣味は古典と日本神話。
 細田監督の趣味は半人半獣。

・細田監督のと合わせて考えると、何か女子高生が主人公or準主人公になること多いんだよね。
 まあ成人男性から見れば視点が異なっているので、新鮮と言うか、違和感と言うか・・・まあこれはこれで良し! 中年オヤジの愚痴なんて誰も見たくないしね・・・え? 見たい? 

・でどうもどの映画も消化不良なんですよ。
 然るべき悪の提示とその打倒であったりするのが一番しっくり来るんですが、いやマイノリティーレポートは本当ベッタベタな上に中身無かったしなあ・・・と。

 今のところの最高峰はコードギアス。次点でシンゴジラ。いやシンゴジもものすごいよ!? 次点とか言ったけど本当大満足だった。


言の葉の庭 視聴

2024-08-13 14:48:57 | 映像作品視聴感想
ずぅ〜〜ううう〜〜っっっっと昔から知ってはいたし、周辺情報は深く調べたつもりだったんですが、正式にきちんと見たのは今回が初めてです・・・
(知ったような形で言及していてすみませんでした)

dアニメストア会員無料。

・もうずっと映像で心えぐられる。見ていたらナイフで目をえぐられっぱなしの感覚を受けて体力もたない。

・例えるならこんな感じ


本当マジでこれ

・でよお・・・

・エンディングがこれでええんか? もっと人間関係濃く描写できんか? 
・と消化不良であった。

・絵の偏差値は間違いなく85
・ストーリーは・・・

以上です。

竜とそばかすの姫 視聴

2024-08-12 17:55:27 | 映像作品視聴感想
・うーむ細田さん何作目か? 視聴。
・まーた仮想空間か。あと仮想空間行ったあとはもろにディズニーっぽい。
・うむ? 美女と野獣か? 
・中身何もなかった。
・ただ、ああ言う「誰かを具体的に救う」と言うシーンは描けるか? 他のアニメではあまり見ない。

まっ白い巨大空間での回る巨大リングの実績表
○ SUPER FLAT MONOGLAM
○ 時をかける少女
○ サマーウォーズ
△ 未来のミライ(※厳密には明示的な巨大リングなし)
△ 竜とそばかすの姫(※厳密には明示的な巨大リングなし・・・だったと思う。ぐるぐる回る3Dのカメラあり)
☓ バケモノの子
☓ おおかみこどもの雨と雪

未来のミライ 視聴

2024-08-12 12:02:16 | 映像作品視聴感想
と言うことで。
やっぱりクラッカー of the クラッカー。
すごく綺麗にできた絵本。
でも振り返って考えると好きな部類に入る。

アマプラ400円。

出産からのひな祭りで豪勢な料理・・・
と思ったがこれを一旦整理する必要がある。

一般的に言って「豪勢な料理」とはもっと豪勢だ。
田舎や、あるいは都会の金持ちの家に行ってテーブルいっぱいに並べられる、趣向を凝らした料理がそれに当たる。
一方、この作品に並べられる料理はそれよりもつつましい。ただ、つつましいながらにもやはり色とりどりの工夫がなされ、お祝いムードがある。
では今の我々から見たこの料理は? そう豪勢だ。

文章にすると分かりにくいので、図表にして展開してみる。

(a)田舎や都会の豪勢な料理
(b)この作品でのお祝い料理
(c)普段我々が食べている料理

とすると、■を豪勢さで表せば、
(a)■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■
(b)■■■■■■■■■■■■■■■■■
(c)■
と言う感じでやっぱり違和感があるのだ。

作り手側からすれば、ほら、(b)は(a)から見れば質素でしょ? つつましいでしょ? と言うのを表現していると思うのだが、貧乏国家になった日本での生活としては(c)から(b)を見るので、「いいもん食ってるなあ〜」になるのである。
(あとひな壇用意できる時点で勝ち組)

で、途中で出てくる昔の町並みを見て、心の中で出た一言「金あるなぁ〜」。
そう、石造りの壁とか玄関とかそうそうできるもんじゃない。
今はコンクリにモルタルでプラスチックに割れた木材(合版+おもて面に印刷)だ。

途中で雨のシーン(52:06)。これはやはり新海監督の方がうわてか。
1:00:35〜1:00:43の背景が秀逸。色使いはここを参考に。
1:05:06も背景が良い。


で、何が足らんのかというと、共感できる精神的課題とその消化、昇華なんよね。
ただこれを盛り込むと非難轟々になりそうな可能性があるので、商業的にはそういうリスクは取らん、と。

まっ白い巨大空間での回る巨大リングの実績表
○ SUPER FLAT MONOGLAM
○ 時をかける少女
○ サマーウォーズ
△ 未来のミライ(※厳密には明示的な巨大リングなし)
☓ バケモノの子
☓ おおかみこどもの雨と雪

おおかみこどもの雨と雪 振り返り考察

2024-08-12 10:52:04 | 映像作品視聴感想
公開から12年。
アマプラで400円で見た。

ここからは完全なる私個人の仮説的考察なので事実ではないことに注意頂きたい。
また何度も注意書きを書くことになるが、私は差別を助長したい訳ではない。
議論不要のこの足場を大前提として、それでは始める。

同作品を鑑賞した人は「んあ? だから何? 」と困惑したはずである。
一方において、一つの思考の補助線を引くと、あらゆることが色々とすっきりする。

1.説としての補助線

それは、オオカミと言う媒介が指し示すのが日本社会のマジョリティから外れた層、つまり、在日の外国人や、あるいは反社会勢力である、と言う暗喩であるという説である。
あるいは人に口外できぬ病気などであろう。

注意すべきは、私が言いたいのは外国人=反社ではない、と言うことである。
飽くまで個々の要素は独立した形で考えて欲しい。

オオカミとは、自己の出生に関わって一生取れないひた隠しにすべき属性の暗喩である、と。

2.選択

父はオオカミの系譜であり、そこから自然と子供は生まれた。
子供はそれぞれに自己のアイデンティティーに悩み、日本のマジョリティーに馴染んでいくか、そうではなく更なる奥に潜り込むかをそれぞれに選択した。

仮にそう考えると、子のとった選択によって、それぞれの子はそれぞれに自分の思う幸せを享受した。
アメは、「先生が死ぬと代わりを誰かがしなければならなくなる」と言って、自身をその役目に据えた。
ユキは、日本人のマジョリティーに同化することに成功していて、普通の社会生活を送れるような示唆をエンディングで与えられる。

それぞれがそれなりに普通の幸せを享受したと言うエンディングが視聴者に届けられる。

3.告白

ユキの「自分は実はこうなの」と言う告白は、自己のそうした取り拭い去れぬ属性の告白をし、それにそうたが「誰にも言ってない」と言うのも、これもまた腑に落ちる。

オオカミと言う「自己の出生に関わって一生取れないひた隠しにすべき属性」の告白はそのようなものだ。


4.対比関係の母親像

草平の母親の薄っぺらさと、はなの地味な重厚感について。
これは本筋とは関係ないが、草平が傷つけられたことによって、草平の母親が「家でもなんでも売って」と詰問するシーンがある。
一方において、物語終盤でそうたの母親が懐妊して、草平自身が手放すことにしたことについては、何がなんでもユキとアメを手放さず、家も補修に補修を重ねて積み上げていったハナとは対比関係にある。
「家でもなんでも売って」とか詰めてたあなたは嘘だったの? みたいな。
また、作中表現では、草平の母は装飾品がきらびやかなのに対し、ハナの方は完全に地味だ。

5.家屋事情について

多分あの家は冬めちゃくちゃ寒いで。

6.「オオカミ」であったことの小さい利益

ではオオカミには自然に融和し、人間社会と決別すべき存在であったのだろうか。
実は「オオカミ」がもたらした社会への小さい利益が描かれることがある。
それは畑の害獣による食害が無くなった描写で、明らかにユキとアメの存在によって畑がハナのところだけ食害に遭わなくなっていたと言うシーンで、それによって家庭と、周辺の社会に利益をもたらせた、と言うところがあった。

7.注意と腑に落ちないところ

私が上記の論に私自身が納得できていないところが、非マジョリティー=オオカミ、マジョリティー=人間として描かれるところであろう。いや非マジョリティー自身が稀にこうした表現を別の動物で使うこともあるが、本来はそれは非マジョリティー側が使える表現なのであって、マジョリティー側が使う表現ではない。

8.今回の作品はどうすべきであったのか

もっと分かりやすくすべきだった。
カタルシスのプロットがいくつかあるが、それに対する前段の前ふりを行っておくべき。
例)
・いつか子供も出自を明かさなければいけない時が・・・
 →その時も今回みたいに上手く行くよ! 
  (十数年後)
  →私オオカミなんだ
   →知ってた。誰にも言ってない

・自然に帰るべきか今も悩んでる。でも今は・・・
 →それはその時々の判断があるよ! 
  (十数年後)
  →子供の一人は人間社会を、もう一人は自然を選んだ。

9.外国のオオカミと会話できなかった件

外国のおじいさんオオカミと会話できなかったという件について「あれなんだったんだ? 」と思う人も多くいたと思う。
恐らくは言語がそもそも違うので会話ができない。
そしてアドバイスしてやれることもない(目線が動いたのでちょっとは気になる)と言うのが現実である、と。



余談だが、ネットを検索すると私と同じことを思った人間もいるらしい。
安心したが、この論はマジョリティーではないらしい。
あるいはちょっと尖りすぎていてパブリックな論調にできないと言う問題を孕むためか。

ただ、鑑賞者における「? 」がある場合、そして腹落ちさせたい場合は、上述の論はいかがでしょうか、と言う提案でした。
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