2018/10/12・金 10:00-17:00 車検 11:45-13:26 クワイエット・プレイス
「ボーダーライン」「オール・ユー・ニード・イズ・キル」のエミリー・ブラントが主演、ブラントの夫でもある俳優のジョン・クラシンスキーが監督・脚本を手がけ、全米でスマッシュヒットを記録したサスペンスホラー。ブラントが主人公となる一家の母親エヴリンに扮し、エヴリンを支える夫のリーをクラシンスキーが自ら演じ、夫婦共演も果たした。聴覚障害を持つ娘役は、自身も同じ障害を持つ「ワンダーストラック」のミリセント・シモンズ。音に反応して人間を襲う「何か」によって人類が滅亡の危機に瀕した世界で、「決して音を立ててはいけない」というルールを守り、生き延びている家族がいた。彼らは会話に手話を使い、歩くときは裸足で、道には砂を敷き詰め、静寂とともに暮らしていた。しかし、そんな一家を想像を絶する恐怖が襲う。
<多様性>なおみフィーバーの後で (毎日新聞 2018/10/08)~強い選手に注目するのがマスメディア。報道されるから私も見る。人種、国籍を考慮して応援してない。
「私は私」と語った女子テニスの大坂なおみ選手(20)。むしろ、投げかけた問いは、私たちに返ってくる--。伊藤智永・毎日新聞編集委員兼論説委員のコラムです。
大坂なおみ選手はコートの外でも決して「無邪気」なんかじゃない。何だか少し眠たげな目、いつも恥ずかしそうな話し方、片言の日本語が聞く人の警戒心を解き、少女の面影を残している印象があるが、自らのアイデンティティーを語る言葉は、どれも陰影のある省察と明確な意志をうかがわせる。
「たぶん、みんな私が何者なのかはっきりと言い表せないから、誰でも私を応援してくれるんじゃないかしら」(8月23日付米ニューヨーク・タイムズ紙の特集記事)
「今日(上の記事を読んだ)私みたいなハーフの子供たちが私のことを尊敬してくれているみたいで、すごいなと思った。子供たちにそんなふうに思ってもらえたらいい」(8月24日、全米オープン前の記者会見)
「(自分のアイデンティティーについて)深く考えることはありません。私は私としか思っていない。育てられたとおりになっています」(全米オープン後に来日した9月13日の記者会見)
これらを謙虚な言葉と受け取るのは、語り口に惑わされた聞く者の思い込みだろう。おせっかいを承知で、大人の女性の意志的なせりふに言い換えてみたら分かる。
「私が何者(どの国の何民族)であるか、それは誰にも決めつけることはできません。でも、だから世界中の誰でも私を応援してくれるのではないかしら」
「私はハーフ(国別の血統では1人の人間に半分ずつの「混血」)。私みたいな子供が世の中にはたくさんいて、ハーフの自覚(ハーフへの周囲の目)と向き合いながら大きくなっている。その子たちが今の私を尊敬してくれるとしたら、すばらしい。その子たちに尊敬されるような人間でありたい」
「自分が何者であるかを、国や民族の血統別に問い詰める人たちの考え方に従って、私が思い悩むなんてまっぴらです。私は他人から、一体おまえは何人なんだ、おまえは純粋な何者でもない、などと論評されるのをきっぱりお断りします。私は自分が生まれ育ってきたままの自分であることしかできないし、それがいいと決めましたから」
大坂選手は大阪市生まれ、米国育ち。母親は日本国籍、父親はカリブ海の島国ハイチ出身でアメリカ国籍を持つ。血統から言えば日本とハイチ、育った環境と記憶、母語で言えば米国が「祖国」である。だから、日系・ハイチ系米国人。カリブ海の島国ハイチでは、スペイン統治時代に原住民が天然痘でほとんど絶滅し、今いる黒人は労働力として連れて来られたアフリカ人の子孫だ。とすれば、正確には日系・アフリカ系米国人。結局、何人か探ってもあまり意味がない。渡米したのは3歳で、母親の日本語、父親の祖父母のハイチ語(現地語とフランス語の混合言語)、英語が混在する生活だった。
大坂選手の父は、ハイチ生まれ、ニューヨーク州立大卒、日本滞在13年。札幌市で出会った北海道根室市出身の女性と恋に落ち、女性の親から結婚に反対されて大阪へ移り住み、2人の娘をテニス選手に育てようと一念発起してニューヨーク州へ渡った。わざわざ全米オープン開催会場近くに居を構えて幼児期から雰囲気に触れさせたというからハンパでない。フロリダ州へ移住し、自分は競技経験がないのにコーチとして2人を鍛えた。あてのない新たな可能性を求めて海を越え、国を渡り歩き、思い立ったら実行する楽天性、挑戦し、信じる心、エネルギー、身軽さに驚嘆する。大坂選手に父親の素質が受け継がれているのだとしたら、それこそ「日本人離れ」している。
大坂選手が「日本人」であるよりどころの母方の祖父は、全米オープン優勝後の取材で報道陣を迎え入れた豪壮な自宅が話題になった。優勝賞金が「4億2180万円」と教えられ、「じいさん超えてセレブになっちゃって」と苦笑した。肩書は根室漁業協同組合組合長。地元の名士らしいが、口に出たセレブとは「金持ち」の意味らしい。
祖父は、日露平和条約交渉の焦点である北方領土のうち歯舞群島の一つ、勇留(ゆり)島出身という。73年前の1945年8月、日本が連合国にポツダム宣言受諾を伝えた翌日、旧ソ連は日ソ中立条約を一方的に破って南樺太に侵攻。8月15日の玉音放送が流れた後、ソ連軍は千島列島の島々へ次々と侵入し、9月初めまでに歯舞群島まで占領した。大坂選手の祖父は73歳だから、乳飲み子の時に海を渡り根室市へ逃げたのだろうか。
勇留島は面積10平方キロ、海岸線の長さ2.3キロ。アイヌ語の「ユウロ」(鵜<ウ>のたくさんいる)が名前の由来で、江戸時代前期は無人島だったようだ。明治時代に北洋漁業の拠点基地として栄え、缶詰工場なども施設され、戦前は約500人が住んでいたというから、まさに帝国ニッポン拡張の北方最前線だった。
ソ連、その後のロシアに実効支配されてきた戦後73年間、根室港を基地とする沖合漁業は、旧ソ連・ロシア国境警備局による取り締まりにより、文字通り命がけの操業だった。漁船が臨時検査・拿捕(だほ)されるなど日常茶飯事。10年ほど前までは銃撃事件も珍しくなかった。ロシア側に言わせれば「密漁」だ。漁獲量の制限もある。自然相手でさえ危険な仕事に、外交・安全保障の火花が降りかかる。
大坂選手の祖父は、そうした現場のトラブル処理や時に殺気立つ漁民たちをとり鎮める顔役でもあるのだろう。自宅「御殿」は高い塀に物々しく囲まれていた。貫禄があるのもうなずける。
安倍晋三首相は9月に3選された自民党総裁選で「戦後外交の総決算」を掲げた。北朝鮮との国交正常化もあるが、現実的には日露交渉の決着を意味している。年内が正念場ともいう。たまたまメディアに登場した大坂選手の祖父が旧島民で、戦後外交の現場を生き抜いてきた人物であるのも因縁めく。
大坂選手のルーツの広がりと、父親や祖父の、国と国の境界を軽々と、かつ豪胆にまたぐたくましさを知るにつけ、主にネットで飛び交った「謙虚さが日本女性らしい」「見た目が日本人らしくない」といういずれも印象でしかない論争が、いかにもみみっちくむなしく思える。
国籍という法の区分に基づき「日本人初の快挙」と騒ぐのは仕方ないにしても、大坂選手が「私は日本人」と言うときの日本人は、ハイチ人やアメリカ人と等しい重さで口にしていると思った方がいいだろう。
抹茶アイス、すし、天ぷら、とんかつが好きな外国人はたくさんいるし、恥ずかしがりなアメリカ人だって、謙虚なハイチ人だって珍しくもない。大坂選手を「日本人らしい」と識別したがる「特徴」に、「それぞ日本人の証し」と決定づける特徴など何一つない。それどころか、何人でもあり、何人でもない特徴はいくつもある。
しかも、その多様性が「育ったとおりに」形成されたことについて、父親と母方のルーツに深く根ざしている来歴を思わないわけにはいかない。日本人らしい日本人の枠をあっけなく突き崩す国際的日本人の誕生は、決して昨日今日の突然変異ではなく、長い積み重ねの上に育まれてきた。
大坂選手を巡る「日本人」論争(?)は、彼女における「日本人」とは何なのかを通して、実は自分を当たり前に「純粋な日本人」と思い込んで疑わない私たちに、「あなたが自然だと思っている日本人って何?」「そもそも日本人て誰のこと?」という問いを投げ返してくる。
沖縄県知事に当選した玉城デニー(本名・康裕)氏も、父親は沖縄が本土に復帰する前の米軍統治下で駐留していた米兵である。玉城氏は、生まれる前に帰国した父親の顔も名前も知らないという。その玉城氏を沖縄県民は自分たちの代表に選んだ。沖縄県民の選択からも、同じ問いかけが聞こえてくる。
その問いが、帝国ニッポン以来の歴史的な「日本人の境界」問題を突きつけてくるのは避けられない。大日本帝国は戸籍制度の複雑なつぎはぎで多民族国家を目指しながら失敗した。「単一民族神話」が戦後日本で作られた歴史の浅い創造物であることは、今や常識に属する。「美しい日本」「日本を取り戻す」と言うときの日本が、誰の、いつの、どこの日本であるかは、実はとても難しい。
NY株続落、545ドル安 世界同時株安止まらず (共同通信社2018/10/12)~株価が高すぎたから調整。日本も下落し調整に入る。年金運用に影響が出るかも。
【ニューヨーク共同】11日のニューヨーク株式市場のダウ工業株30種平均は3日続落し、前日比545.91ドル安の2万5052.83ドルで取引を終えた。7月下旬以来、約2カ月半ぶりの安値水準。前日(831ドル安)と合わせた下げ幅は1300ドルを超えた。米中貿易摩擦や米金利上昇への根強い懸念に加え、原油安も相場を押し下げた。
欧州市場も主要な株価指数が軒並み大幅に下落した。10日のニューヨーク市場急落から始まった世界同時株安は、下げ止まりの兆しが見えない。
ハイテク株主体のナスダック総合指数は92.99ポイント安の7329.06と続落した。
テレビの「田舎暮らし」礼賛を真に受けてはいけない (JBpress 筆坂 秀世 2018/10/09)~テレビは視聴率競争。視聴者に希望に沿って番組構成。真に受ける人は、少ないと思う。稀に真に受けてしまう人もいるかも…
転職は人生の一大事
最近、お気に入りのCMがある。バカリズムと松岡茉優が出演する、エン・ジャパンが運営する総合求人・転職支援サービス『エン転職』のCMだ。同社のホームページによると、「en」というのは、「縁」からきているそうである。このCMの決め言葉は「転職は慎重に。」である。「売り手市場で転職者優位な状況が続く今こそ、安易な転職で後悔しないよう、慎重に転職活動に臨むことが大切。十分に情報を収集した上で、真に活躍できる仕事・会社を見つけていただきたい。そんな想いを込めたメッセージ」だそうである。
それにしても世の中変ったものである。私が就職して働き始めたのは、1966(昭和41)年である。高卒であれ、大卒であれ、将来の転職を考えて就職した人は皆無に近かったと思う。終身雇用が根付いていたこともあったが、当時はすぐに仕事を変えるような人間は、辛抱が足りない人間として見下されたものである。
それがどうだろう。今では転職など、ごく普通のこととして行われているようだ。あまり転職を考えないのは、公務員ぐらいではないのか。現在の転職事情は、古い人間の私にはもはや分からないことだが、恐らく転職ができるのは、その人がある優秀さを備えているからだろう。先日もテレビを見ているとブラック企業など5社を渡り歩いてきた青年が、現在の会社では指導的な立場にあることを事もなげに語っていた。
しかし、だからといって同じ会社で働き続けることが、時代遅れというわけではない。安定した雇用や退職金など、その強みも依然として多くあるはずだ。また転職がいつでも成功するとは限らない。転職を繰り返すだけで、物にならない場合もあるはずだ。だとすればやはり辛抱が足りなかったということになりかねない。
いつの時代もどんな職業に就くかは、人生の一大事である。やはり「転職は慎重に」である。
田舎暮らしは楽園か
あるテレビ局の番組に「○○の楽園」というのがある。還暦前後の夫妻が田舎に移住し、これまでの仕事とはまったく違う仕事に挑戦し、第2の人生を謳歌する姿を紹介するものだ。このテレビ局は、田舎暮らしを楽園のように取り上げるのが好きなようで、他の番組でも似たようなことが取り上げられている。
私も時々見るが、正直なところ「眉唾ものだなあ」と思って見ている。そもそもこのような企画には、田舎はのんびりしていて、人々はお人好しで、何事にも寛容な優しい人たちのいるところ、という架空の前提が置かれているように思えてならない。
私は兵庫県の山の中で生まれ育った。水田はすべて棚田である。村の中に平らなところはほとんどない。結婚前に妻を連れて帰ったのだが、風呂は五右衛門風呂、便所は納屋の一角という光景に、泣きそうになったそうである。村全体が貧しかった。
家族が触れようとしない一軒家
私の生家から20メートルほどしか離れていない畑の一角に、戦時中、疎開していた人の小さな家がぽつんと一軒あった。私は終戦の3年後に生まれたが、物心ついた時には、その家にはもう誰も住んでいなかった。だがこの小さな家は、その後、建替えられて今も同じ場所にある。恐らく別荘代わりにして、時々利用しているのだろう。
子どもの頃からどこかで不思議に思っていたのだが、この家のことが家族で話題になることが、ほとんどなかった。“疎開してきた人が住んでいた”という以外の情報は皆無だった。死んだ母からも何も聞かなかった。今はひとまわり上の義姉が住んでいるが、まったく話題になったことがない。ボールを投げれば届くほどの距離なのに、あまりにも不自然である。
最近になって思うのは、一種の村八分状態に置かれていたのではないか、ということだ。
『国家の品格』の著者である藤原正彦氏が、あるエッセイの中で知り合いの若い百姓が詠んだ短歌を紹介している。それが次の歌だ。
「牛の肥えしことにも嫉妬する村人山深く貧しき村に吾が住む」
高度成長時代の昭和40年代に詠まれたものだ。牛が肥えても、稲穂が実っても、田舎はすべてお見通しで、それが時には嫉妬の、時には蔑みの対象になるのだ。これは田舎だけではない。人は誰もが嫉妬渦巻く中で生きているのだ。
テレビ番組を見て感じる2つの疑問
テレビで紹介されている移住家族を見ると、新たな土地でどんな仕事をするのかと言えば、パン工房、レストラン、宿、居酒屋等々の客商売が多い。当事者が高齢ということもあるのだろうが、週1回だけ宿泊できる宿とか、週2~3日営業のパン屋さんとかが余裕のある働き方として紹介されている。テレビで紹介されるぐらいだから、商売は軌道に乗っているかに見える。村人とも和気藹々(わきあいあい)の映像が流される。
だが私には、2つの根本的な疑問がある。
第1は、どんなホテル・宿、パン屋、レストランでも、経営を成り立たせるために大変な苦労と努力をしている。それでも上手くいかないことが多いのが商売というものだ。それが商売の経験もない高齢者夫妻が、週1日の営業の宿や週2~3日営業のパン屋をやって、本当に経営が成り立つのか。生活を維持するためには、無借金はもちろん、相当な蓄えが必要なはずだ。だがそんなことには、まったく言及がない。
二十数年前に、私の友人夫妻が銀行を退職して信州でペンション経営を始めた。蓼科湖の近くだった。私も何度か行った。銀行員時代の友人などが来てくれて、最初のうちはなんとかなっていたようだが、数年で閉鎖することになった。最大の要因は、銀行からの借金でペンションを建てたこと、奥さんの身体がもたなくなってしまったことだ。自分で商売をやるというのは、そういうことなのだ。一方が身体を壊せば、それで終わってしまうのだ。
第2は、見ず知らずの人間が都会からやってきて、いきなり始めた商売が上手くいったとして、そんな光景を村人はどう見るのか。嫉妬の塊になること間違いなしだ。
そもそも転居して数年ぐらいで、田舎暮らしの是非など判断できないはずだ。その後、どうなったのか。テレビ局には、その後も追い続けてほしいものだ。
「村八分」を言い渡す自治会
大分県宇佐市出身の男性は、母親の介護ためにUターン帰郷し、14戸の自治区に加入し、地域の行事への参加、市報の配布なども受けていた。ところが5年前の3月頃、農家向けの補助金に関する会議に呼ばれなかった理由を質問すると、区長が「口出しする権利はない」と激昂したという。そして、この男性が欠席した翌4月の集まりで、「自治区の構成員と認めず、今後は行事の連絡をせず、参加もさせない。市報も配布しない」という内容の決議をしたというのだ。この男性は「総毛立つような恐怖心を抱いた」というが、当然のことだろう。
また、昨年(2017年)11月23日号の『週刊新潮』は、「移住天国の夢想家が落ちる『村八分』地獄」というタイトルで山梨県北杜市の事例を報じている。自治会に入らないとゴミ置き場すら使えず、車で数キロ先のゴミステーションまで運ぶというのだ。こんなことがいまだに罷り通っているのも、田舎の現実なのだ。
もちろん自治会の側にも言い分があるだろう。田舎の自治会には、それなりの歴史もあり、人の繋がりもある。さまざまな行事などもある。この中に入っていくのは、簡単なことではない。
昨年、母と兄の法事があり、久しぶりに帰郷した。午前中、最寄り駅からタクシーで生家に向かったのだが、途中で村人20人程が道路際や石垣の草刈りをしていた。私の郷里は柏原という村落だが、いくつかの班に区分されている。そのうちの1つだろうと思いながら通り過ぎた。法事も終わり、夕方、姪に車で駅まで送ってもらったのだが、草刈りをしていた人たちは、なんとまだ作業を続けていた。
こういうことに全部付き合わなければ、村や班の一員として認められないのだ。これが田舎なのだ。余程の覚悟がないと無理である。
「田舎暮らしは慎重に。」