ぶうちん村、風わたる。

風の吹くまま、気の向くままなんて、なかなかできませんが、楽しみを見つけながら過ごしたいものです。

国鉄・宮之城線の今  229

2010年02月01日 22時26分44秒 | Weblog
 228で左側の土手がさっぱりとしてしまっている写真を紹介しましたが、この藪の中にあったのが、この境界標。
 これもまたなくなっていました。

 左側の土手に私が見つけた境界標はこの1本だけでした。
 薩摩山崎側(228の写真の奥の方)の土手も丁寧に探しておくのだったと反省です。

 以前、訪れた時には神様でもないのに、写真のように白い紙がぶらさげてありました。
 ちょっとおかしくなってしまった私でしたが、もしかすると、工事関係者の、この境界標に対する敬意を表しての行為だったのかなと想像してしまいました。

 勝手な妄想かもしれませんが、そうであればいいのになと期待もしてしまいます。
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国鉄・宮之城線の今  228

2010年02月01日 22時18分10秒 | Weblog
 中央の車道が線路跡です。
 昨年までは左側の土手には木々がうっそうと茂り、孟宗竹の上の部分は自身の重みで線路側に覆い被さりそうな感じになり、夏場でも暗く感じられる場所でした。

 土手の上の部分も根こそぎ取られています。

 この伐採された部分は今後削り取られ、道路として拡幅されていくのだと思います。
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国鉄・宮之城線の今  227

2010年02月01日 22時11分33秒 | Weblog
 プラットホーム跡の土手を226写真の左側の路地から見上げてみました。
 けっこうな高さがあります。
 
 さて、226の写真は11月末に撮ったものですが、この写真は1月末に撮りました。
 何か変化を感じませんか?



 そうです。
 226の写真に写っていた紅葉の木が227には写っていません。
 つまり、伐採です。
 なんだ、伐採かと思われるかもしれませんね。

 では、228をご覧になってください。



 
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国鉄・宮之城線の今  226

2010年02月01日 21時57分39秒 | Weblog
 プラットホーム跡の土手に登ってみました。
 薩摩山崎側に立って、この写真を撮影しました。

 プラットホームがとても狭く感じられます。
 いったい、どのように削り取られたのか分かりませんが、本当にただの土手ですね。


 そうそう、写真右側の土手の森の様子は後で触れるので、おぼえておいてくださいね。
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国鉄・宮之城線の今  225

2010年02月01日 21時51分11秒 | Weblog
 写真中央の土手がプラットホームだったと思います。
 現役時代の写真と見比べてみると、土手が現在では削り取られていますが、この辺りが駅舎だったのではないかと思います。
 
 背景の民家の玄関先のカエデの紅葉が美しいですね。
 削り取られている所からこの民家の前を通って左側奥へ下っていく狭い路地があります。路地とは言っても、ワゴン車も入っていけるのですが、100mほど下ったところに、国道328号線が走っています。

 国道から狭い路地を上がってきた人々は、美しいカエデの前から駅舎へ入ったのではないかと想像しています。
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国鉄・宮之城線の今  224

2010年02月01日 21時21分34秒 | Weblog
 山崎にしばし寄り道しましたが、そろそろ宮之城線に戻りたいと思います。

 223でやっと船木駅に到着しました。

 223の写真の左側に赤い木材が組まれているのが写っています。
 一番左側の柱のところに写っているのが、この境界標。
 

 この辺りは多分プラットホームが切れて間もない所ではなかったかと推察しています。
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国鉄・宮之城線の今  おまけの山崎編 完  

2010年02月01日 21時05分42秒 | Weblog
 のどかな町・山崎ですが、この町に大きな変化がもたらされたのは、2006年7月の大水害でした。
 梅雨前線の停滞によって川薩地域への集中豪雨は九州第2の河川・川内川の水位を大きく上昇させました。鶴田ダムは流入してくる膨大な水のために決壊の懸念がされ、放水を行いました。
 そのため、ダム下流域は川からあふれ出た水のために町が飲み込まれました。

 薩摩山崎駅のすぐ近くを流れている久富木川は祁答院方面の雨水を集めて、山崎で川内川に流れ込みます。
 
 山崎も被害にあったことは言うまでもありません。

 そのことから、水害対策事業が計画されましたが、それは山崎の人々にとってはいいものではなかったようです。

 詳しいその後のことは、聞かれなくなっていましたが、この日、私の思いでの角の酒屋さんのすぐ近くは新しい橋をかける工事が行われていました。

 ずいぶん雰囲気が変わるなぁと思いながら通過しました。
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国鉄・宮之城線の今  おまけの山崎編 ⑦

2010年02月01日 00時05分37秒 | Weblog
 二渡の商店街から離れ、国道を渡ると、私の正面には、田んぼが広がっていました。

 その田んぼの供給される水を運んでいたのが、この用水路です。上流の泊野川から、川内川沿いの崖をくりぬいたトンネルなどを経て、二渡まで達していました。
 この用水路はぜひ一度は、みなさんに見ていただきたいものです。
 先人たちが、こつこつとノミをふるい、岩盤を削っていた苦労がよく分かる用水路です。

 この用水路を境にして、山手側に住宅、下手側に田んぼが広がっていました。


 この用水路に沿って、おじの家まで往復していました。
 写真にあるこの橋もしっかり記憶にあります。


 
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国鉄・宮之城線の今  おまけの山崎編  ⑥

2010年02月01日 00時03分31秒 | Weblog
 二渡の商店街の途中にこんな分岐点があります。
 
 今の舗装がとてもきれいですが、以前はもっと舗装もてげてげだったような気がします。
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