ぶうちん村、風わたる。

風の吹くまま、気の向くままなんて、なかなかできませんが、楽しみを見つけながら過ごしたいものです。

とんでもなく大きな岩は歴史の証人

2010年02月07日 21時31分34秒 | Weblog
 人の顔みたいですね。

 これは宮之城と祁答院の間に壁のようにそびえている高倉山~弥三郎ヶ岡の北端にあります。
 「萬次郎が岩」というそうです。

 「国鉄・宮之城線の今」で、たまには高い所から線路跡を見下ろすような写真を撮りたいと思っていたし、ちょうど佐志駅手前のカーブの美しさはやはり高い所から写すのが一番です。

 道路沿いに携帯電話の電波塔が立っていました。そこが岩への入り口です。
 また、入り口には「北薩摩 秀吉の道」という立て札もありました。

 と同時に、電波塔の北側斜面は見事に伐採されており、佐志駅、薩摩湯田駅、鶴田の中心部など見下ろすことができました。
 佐志駅手前のカーブは後日、アップしますね。

 さて、この岩まではたいした距離はないのですが、後200mの看板の辺りから急斜面になり、そのうち立ち止まっていても、落ち葉のためにずるずると滑っていくようになりました。

 でかい岩でストップがかかりましたが、今度はロープやはしごもあります。
 
 そこに萬次郎が岩がありました。

 もう少し下った所に「天乞が石(あまごいがいわ)」と場所があり、そこに時吉萬次郎(1836年生)という一向宗の指導者がおり、薩摩藩禁制の一向宗を指導していたそうです。ここはその避難の場だったらしいのです。
 その彼がさらに山を登り、この電波塔の所を通って各地に向かっていたとのこと。
 ちなみに、ここは豊臣秀吉が九州征伐の際(1587年)、宮之城領主・島津金吾にだまされて通った最悪のルートにもなります。


 私も近くを歩きましたが、
 幕末の混乱期に、萬次郎が島津藩の武士たちの追手を逃れ、
 秀吉が金吾に切腹を申しつける気持ちも分かるような急坂です。



 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

国鉄・宮之城線の今  255

2010年02月07日 21時14分56秒 | Weblog
 ただ、残念なのがこれ。

 252でサビ落としなどをした方々のことは触れましたが、木製のものとなると、管理が難しいようです。
 写真中央の植え込みのところには、ほんの数年前まで、たしか「船木」や「薩摩山崎」の駅名標がぼろぼろになりながら立っていたように記憶しているのですが・・・

 ネット上で調べてみたら、2005年8月時点ではかろうじて船木駅だけがはがれかかりながら立っている写真を見つけました。

 鉄道記念会館の会議室を利用する時は、さつま町役場で申請手続きをしますが、それを提出する先は近くのお菓子屋さんだったり床屋さんだったりで、会議室の管理自体も民間委託です。
 その方々に遺物の管理もとは言えないしね。


 強風で吹き飛ばされるのが危険なのなら、もう少し保守作業をしてほしかったのですが・・・
 ボランティア頼みというのが、悲しいかな廃線の運命のようです。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

国鉄・宮之城線の今  254

2010年02月07日 21時12分49秒 | Weblog
 これも・・・

 定番ですね。

 さすが、大きな駅だけあって数も多めです。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

国鉄・宮之城線の今  253

2010年02月07日 21時11分15秒 | Weblog
 腕木式信号機もあります。

 それから・・・
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

国鉄・宮之城線の今  252

2010年02月07日 20時49分46秒 | Weblog
 鉄道記念会館の北隣りには、線路が再敷設され、蒸気機関車がこちらへ向かってくるように見えます。
 この蒸気機関車は、1mほどしかなく、ドーム型をした壁にはりついた「剥製の頭」みたいな状態になっています。

 定期的なのかどうかは分かりませんが、さつま町の広報誌「広報さつま」の平成19年6月号の22ページに、鹿児島県車体整備協同組合川内支部のみなさんが、この蒸気機関車に上塗り塗装などをしたことが報道されていました。

 これは、さつま町のHPのトップページに「広報誌」とあるので、そこから入ればPDFで閲覧できます。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

国鉄・宮之城線の今  251

2010年02月07日 20時38分42秒 | Weblog
 ちなみに・・・

 バス停から直線で20mあるかないかというところにある大きな交差点の名前は、「宮之城駅前」です。

 店の名前など探せばまだ他にもあるかもしれませんね。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

国鉄・宮之城線の今  250

2010年02月07日 20時34分36秒 | Weblog
 鉄道記念会館のすぐ横にバス停があります。
 名前は「宮之城駅」 ・・・ 樋脇や入来と違って堂々と大きな文字で存在しない場所の名前が使われ続けています。
 それだけに住民のみなさんには愛着のある名前なんだと思います。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

国鉄・宮之城線の今  249

2010年02月07日 00時24分19秒 | Weblog
 鉄道記念会館の南側に石碑が建てられていました。
 旧宮之城町のこだわりなんでしょうか、薩摩山崎駅にも同じ形のものがありましたし、次の佐志駅、薩摩湯田駅も同様の石碑が建っています。

 悲しいかな、廃線となってしまった鉄道の跡の残した方については、これまでも繰り返し述べているように、そのまま残すということは不可能に近いことです。

 しかし、鉄路の痕跡を後生の人々もたどれるようにしておいてほしいものです。
 記念碑というのは、本来そういう性質のものだと思うのです。
 だからこそ、形は変わっても、現役時代の姿をイメージできる残し方の工夫が大事だと思います。


 その意味で、不十分な点はありますが、旧沿線自治体の取り組みとしては、樋脇をトップに、宮之城、大口はしっかりと対応した方だと思います。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

国鉄・宮之城線の今  248

2010年02月07日 00時16分53秒 | Weblog
 駅の近くには町内で一番大きな盈進(えいしん)小学校やさつま町役場、プラッセだいわ、商店街などがあり、人・車の往来はけっこうあります。

 駅前は交通整理も兼ねて、一方通行が設けられています。

 山崎のおじの家に遊びに行った帰り、バスで宮之城駅までやってきて、えらく日差しの強い午後、この駅前辺りをあっちうろうろ、こっちうろうろはしゃいでいた自分を思い出しました。

 
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする