ぶうちん村、風わたる。

風の吹くまま、気の向くままなんて、なかなかできませんが、楽しみを見つけながら過ごしたいものです。

国鉄・宮之城線の今  増補版 ⑨ 53~54 

2010年02月11日 22時33分19秒 | Weblog
 奥に見えているのは平佐東小学校です。
 「緊急のお知らせ編」で出てきた小学校です。
 そのすぐ近くに、踏切制御子があり、それを中心に境界標があります。

 これは道路脇に見つけた1本。
 なんの変哲もない1本です。

 しかし、これはただの1本ではなく、鉄道の遺構でもあるわけです。


 この道路を利用することは、けっこうあるのですが、この日まで全く気がつきませんでした。
 
 こういう1本を大事にしたいですね。
 その思いを確かなものとするために、あえてアップしました。
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国鉄・宮之城線の今  増補版 ⑧ 53~54

2010年02月11日 22時25分46秒 | Weblog
 №53を掲載した時点で、確認はしていなかったものの、この近くに神社があることは知っていたものの、偶然にも踏切制御子の外箱を見つけたがために、車を降りて、近くを歩いていたら、神社の境内に初めて入ることになりました。

 なんと、神社は線路のすぐ横にありました。
 写真にも左側に写っています。

 そして、何より近くには何本も境界標が立っていることに気づきました。

 私の悪いクセですが、ポイントとポイントを押さえたら、その間のことは想像で済ましてしまうんですね。分かってはいるんですが、またしてもやってしまいました。

 写真に写っている境界標はちょっと草が伸びてしまうと、埋もれて見えなくなってしまう位置にありますが、実は、道路脇のところにも1本見つけました。

 せっかくだから次号で紹介しますね。
 
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国鉄・宮之城線の今  増補版 ⑦ 53~54

2010年02月11日 22時14分52秒 | Weblog
 話題を増補版に戻します。
 これは11/20に掲載した№53と№54の間に残っているものです。

 たまたまですが、「緊急お知らせ編」で取りあげた戸田川の鉄橋から吉野山駅に向かって約700mほど進んだ所に踏切制御子の外箱が立っていました。

 取材というわけではなく、たまたま近くを通りかかった今年の小雨の日、ふと振り向いた運転中の私の目に飛び込んできました。

 これは踏切に接近してくる列車を検知して、踏切の遮断を作動させる機械です。
 近づいて、よく見ると、東邦電機工業が昭和53年6月に製作したというプレートがついていました。
 東邦電機工業は現在でも、鉄道関係の機器のメーカーとして健在です。
 私が中学生の頃に作られた機械との発見・対面にちょっと感動を覚えました。



 

 
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猛烈に「春一番」吹き荒れる

2010年02月11日 21時19分10秒 | Weblog
 今朝、目が覚めると、窓の外は真っ白。
 視界距離は10mあるかどうか。地面が見えるかどうかというくらい。

 低気圧に伴う温暖前線と寒冷前線の間に、南の暖かい海の水蒸気がかなり流れ込んでいるために、標高430mの南側斜面にある我が家では霧になります。
 これだけの水蒸気を引き込むということは、この低気圧の力はかなりありそう。気圧はチェックしてなかったけど、寒冷前線の通過時の荒天は確実・・・

 せっかくの休みの日だけど、仕方がないよね。
 アントニオ猪木でも小沢一郎でも、天気だけには勝てっこないんだから、PCに向かって、仕事の片付けをしたり、ブログの更新をしたりしていました。



 そうこうしている内に、寒冷前線が接近したと思われる11時過ぎからの暴風雨は突然に始まった。
 始めは、家にどんとぶつかる衝撃とともに強風がどっと吹いて、一時、霧が吹き払われ、近景がクリアになったかと思うと、すぐに真っ白になったりの繰り返し。
 どうかすると、かなり暗くなったりもした。

 11:30頃、常に猛烈な風が吹き付けるように・・・
 揺れる我が家。
 「風の通り道」に立てた我が家だけに、設計時点で「風速80mにも耐えられるように」という注文に、棟梁が「こんな家は造ったことがない」というほどに、強風対策を施してはあったものの、実際にはとても揺れるのです。


 デッキの下を吹き抜けた雨まじりの風が、竜巻の形になって、リビングの窓の外で暴れる姿には驚きました。

 今日の暴風雨は「春一番」だったようです。

 県内各地で20m以上の強風が吹き荒れました。


 困ったのは、やっと現在、三分咲き程度の梅の花。
 受粉する間もなく、吹き飛ばされなかったのか、ダメージの程度が気になります。
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国鉄・宮之城線の今  緊急のお知らせ編(戸田川の鉄橋が・・・) その3

2010年02月11日 12時10分47秒 | Weblog
 あらかじめ断っておきますが、私は鉄橋保存運動を提案しようとしているわけではありません。
 平成18年7月の大水害の際には、私もこの平佐東校区の被災地にボランティアとして復旧活動に参加しましたし、川内川との地形的な関係上、水害の常襲地帯としての苦悩も理解できます。
 現在、そこに住んでいる人々が安心して生きていくために、必要な施策が優先されてしかるべきです。

 私が12月末に見ることができたのは、会議の中で実施が約束された「改修のための調査」のために邪魔になる草木を伐採したためかもしれません。

 その結果はどうなったのでしょう?
 
 21年度が調査とすれば、22年度に向けて次の段階へ進むのかどうか。

 いずれにしても、期待するのは鉄道の痕跡はなんらかの形で残してほしいということです。
 そして、少なくとも、楠元駅跡のように、寄せ集めのようなセンスのない残し方だけはしてほしくないものです。
  
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国鉄・宮之城線の今  緊急のお知らせ編(戸田川の鉄橋が・・・) その2

2010年02月11日 11時26分54秒 | Weblog
 文書の表紙には、会議への出席者名が書かれています。
 市長、各部の部長など、校区内に居住している市議会議員、各地区コミュニティ代表、住民ら約130名が参加しています。
 会議は、昨年6/8(月)の14~16時に行われました。

 その議題の3番目に「平佐東地区の水害対策について」として平佐東地区コミュニティ協議会から意見が出されました。以下、その内容です。
 
 私ども平佐東校区住民は、平成18年の県北部豪雨災害で住宅・道路・橋・堤防・田畑・畜産・排水ポンプ場等の甚大な災害を受けた地域であります。幸いなことに昼間の災害で、避難が早くて人身の被害がなく安堵していることでした。
 あれから3年経過しようとしていますが、私たち住民はあの大災害を忘れることはできません。今回のまちづくり懇話会の最大の要望事項は、二度と大災害が発生しない地区になることを念じまして、水害対策の視点から次のことをお願いいたします。
 旧国鉄宮之城線跡地の市道改修については、平成17年・19年と連続して要望してまいりました。市側の回答は多額の事業費が必要であるために調査・研究させてくれとのことであります。この調査・研究の成果があれば地区と協議するべきだと考えます。私どもは現状のままの改良は望んでいません。戸田川の鉄橋部分についての橋高は自動車が通過できる高さで良いのでは、木屋園公民館付近の道路高さは住宅より少し高めにし、取り付け道路は樋脇川沿いの県道の高さにすれば事業費は低額で済むと思われます。この道路ができれば、災害時の避難・救助はもちろん、通常時の通勤・通学・救急車両等沢山の経済効果んが生まれます。
 また、この道路改修にかかる用地は全て市有地ですので、個人の同意は必要ありません。なお、市の事業進捗状況では21年度調査をするとのことですので、梅雨時期までに調査を完了してくださるようお願いいたします。


 これに対して、建設部長の答弁

 宮之城線跡地の市道改修については、永年の要望箇所であり、地元の市議会議員からも議会で質問もあった。これまで整備を進めてきた市道戸田・長野線も完了したので、本年度法線や縦断勾配等沢山の経済効果んが検討するため、地元の方々と現地調査をさせていただきたいと考えている。
 この路線は延長も長く、橋梁架設もしなければならないことなどから、大きな経費が必要となるので、地形条件を考慮しながら、事業費を安くしていく方法等を考えたい。
 用地買収を伴う箇所も若干予想されるので、沿線の地権者調査(相続関係)等も併せて行いたいと考えている。コミ協あるいは自治会の皆様の協力をお願いしたい。
 調査の時期については、コミ協・自治会の皆様と協議をさせていただいて、都合の良い時期に実施していきたいと考えている。


 コミ協側からは、

 宮之城線跡地の市道改修については、今年度中に現地調査をするということで、地元も協力するのでよろしくお願いしたい。


 さらに、

 宮之城線跡地の市道整備については説明があったが、このことについて市・議会に陳情して12~13年になると思う。議会でも承認されているので、一日でも早く実現させていただきたい。


 となっていました。
 もちろん、宮之城線の跡地利用の件だけではなく、その他様々な課題が討議されています。
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国鉄・宮之城線の今  緊急のお知らせ編(戸田川の鉄橋が・・・) その1

2010年02月11日 11時03分37秒 | Weblog
 昨年末に「番外編06」として、戸田川の鉄橋のことを取りあげました。
 解体・撤去? 補修?

 旧宮之城線には、現時点で3箇所に橋梁が残っています。
 1つめは、昨日、増補版でも紹介した、川内~薩摩白浜間の皿山川橋梁。
 2つめは、楠元~吉野山間にある戸田川の橋梁。これが現存する最大の橋梁です。
 3つめは、宮之城~佐志間にある2mほどの小さな橋梁。

 そして、つい最近、佐志駅と国道504号線の間、わずか100mほどの間に残っていた1mちょっとのもの。これは橋と言えるかどうか微妙な大きさですが、あえて指摘しておきたいと思います。
 3つめの橋についても、線路跡を道路として整備するために近々撤去されるようです。

 残るのは、旧川内市内にある皿山川と戸田川の2つの橋梁だけになってしまいます。


 今、この連載をしながら、この間、何度も何度も宮之城線の跡をたどり、藪に入り、たくさんの遺物を見つけてきました。
 以前も書いたように、もしかすると、本当に「虫の知らせ」だったのかもしれません。

 ということで、皿山川と戸田川の件ですが、2つの橋梁は川内中央中学校という学校の校区内にあります。
 ネット上でも閲覧できますが、「平成21年度 川内中央中校区 まちづくり懇話会 答弁要旨」という文書があります。

 そちらの内容を次号で紹介します。
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