のどかな町・山崎ですが、この町に大きな変化がもたらされたのは、2006年7月の大水害でした。
梅雨前線の停滞によって川薩地域への集中豪雨は九州第2の河川・川内川の水位を大きく上昇させました。鶴田ダムは流入してくる膨大な水のために決壊の懸念がされ、放水を行いました。
そのため、ダム下流域は川からあふれ出た水のために町が飲み込まれました。
薩摩山崎駅のすぐ近くを流れている久富木川は祁答院方面の雨水を集めて、山崎で川内川に流れ込みます。
山崎も被害にあったことは言うまでもありません。
そのことから、水害対策事業が計画されましたが、それは山崎の人々にとってはいいものではなかったようです。
詳しいその後のことは、聞かれなくなっていましたが、この日、私の思いでの角の酒屋さんのすぐ近くは新しい橋をかける工事が行われていました。
ずいぶん雰囲気が変わるなぁと思いながら通過しました。
梅雨前線の停滞によって川薩地域への集中豪雨は九州第2の河川・川内川の水位を大きく上昇させました。鶴田ダムは流入してくる膨大な水のために決壊の懸念がされ、放水を行いました。
そのため、ダム下流域は川からあふれ出た水のために町が飲み込まれました。
薩摩山崎駅のすぐ近くを流れている久富木川は祁答院方面の雨水を集めて、山崎で川内川に流れ込みます。
山崎も被害にあったことは言うまでもありません。
そのことから、水害対策事業が計画されましたが、それは山崎の人々にとってはいいものではなかったようです。
詳しいその後のことは、聞かれなくなっていましたが、この日、私の思いでの角の酒屋さんのすぐ近くは新しい橋をかける工事が行われていました。
ずいぶん雰囲気が変わるなぁと思いながら通過しました。
水害後の事業は集落を二分するような大きな出来事でした。
正直、人の心の醜さというものも数多く見せられた気もします。
それでも復興に向けみなさんがんばっていらっしゃいます。その土地で生活するためには苦しい選択も選ばなければならなかった実情があります。
昔の姿を残すことだけが正義でないこともご理解ください。
大事なことは現実・現在の生活です。
しかし、突然の変化によって押しつけられる痛みは理解したくても耐え難いものであることはよく分かります。
今、現在の私たちにとって、ベターな選択をどういう形で実現していくのかという知恵の働かせどころだと思います。
だからこそ、私も鉄道遺構の現状保存にはこだわりません。
kuo-taさんなら分かると思いますが、多くの人々の関わった鉄道遺構を、邪魔だからと完全に廃棄してしまうのではなく、「鉄道がこの地域を支えていた」という証拠をどこかに、誤解を招かない形で残してほしいと願うのです。
佐志駅南側の鉄橋、あのまま歩道として地中に埋め込んでしまい、上から強化ガラスでふたをすることで、その存在を後世に伝えることはできないのでしょうか。
もう遅いかもしれませんね。
さつま町議に知り合いもいますが、今からかけあうだけムダなことでしょうか。
戸田川の鉄橋については、懇話会に出席していた市議に知り合いがいるので、鉄道遺構としての保存のあり方について語りたいと思っています。
連絡をとったら、来週は県外とのことですから、帰ってきてから、語りましょうと約束しました。
偶然のことから始まり、偶然知り合った方々との出会いを通して、今、ぼくの取り組むべき重大事はこれだと思っています。